ぼくの胃袋は完全につかまれている。
月海先輩とクラリッサに行った翌日。
土曜日なので学校は休みだ。
ぼくが目を覚ますと、時間は9時を回ったところだった。休日はアラームをセットしないからこのくらいの時間になる。
「うーん」
布団の中でゴロゴロして、起き上がった。
いつもの休日ならこのまま台所に行くところだが、今日は違う。ズボンとフリースに着替えてから階段を下りた。
なんとなく、このあとの予想がつくのだ。
「おはよう、景国くん」
「おはようございます、月海先輩」
やっぱり当たった。
これから自分の時間がたくさん作れるから、月海先輩が来るような気がしていたのだ。
先輩はグレーのセーター姿で、テーブルについていた。
「あんまり驚かないのね」
「夏休みに経験しましたからね……」
「そっか。もう慣れちゃったか」
「す、すみません」
「なんで謝るの?」
「つ、つまらないリアクションをしちゃったみたいなので……」
「もう、またよくない時の景国くんが出てるわよ。そういうことは気にしなくていいって話をしたじゃない」
「はい……」
そうなのだが、月海先輩がどことなくがっかりしたように見えたので焦ってしまった。
「それじゃ、朝ごはんを作らせてもらうわね。シンプルに目玉焼きとベーコンでいい?」
「も、もちろんです!」
「景国くんのお母さんから、この家の台所を自由にしていいっていう権利をもらったわ。これで貴方の胃袋は完全に私のものよ」
ふふふと笑う先輩。……なんだか邪悪に見えるのですが?
フライパンを用意すると、先輩は慣れた手つきで調理していく。
ぼくはその背中を見つめていた。
先輩は楽しそうに目玉焼きを作っている。手の動きに合わせて、ポニーテールがかすかに揺れる。
好きな人が料理をしている後ろ姿……いいな。
ぼくは手伝おうとすると邪魔になるだけなのがわかっているから、余計なことはしない。
「これから毎日来てもいいかな」
「ま、毎日ですか?」
「いや?」
「そんなことないです。でも、大変じゃないですか?」
「これまでと同じ時間に起きてここへ来るだけだもの。学校へ行く準備がなくなるから楽なものよ」
月海先輩が振り返ってぼくを見た。
「これからは一緒に登校できなくなるけど、私は朝から景国くんに会いたいの。わかってくれると嬉しいな」
「じゃあ、お願いします」
そこまで言われたらうなずく以外にはありえない。毎日会いたいと言ってもらえるのも、すごく幸せなことだ。
「でも、学校行く時間だと母さんが夜勤から帰ってきてないパターンが多いんですよ。ぼくはギリギリに起きるので、鍵の問題が……」
「そうね、鍵のことは……秋乃さんに相談してみようかな」
母さんのことだし、速攻で合い鍵を渡すだろうな……。
「はい、お待ちどおさま」
先輩がおかずをテーブルに並べてくれた。まず目玉焼き。鮮やかに焼き上がっている。続いてベーコン。相変わらず、うっすら焦がすのが恐ろしく上手い。
「先輩は食べてきたんですか?」
「うん。けど次からは何か持ってきて自分のも作ろうかな」
「あ、いいですね。ぜひそうしてください」
「見られてると食べづらい?」
「ちょっと」
「じゃあジロジロ見ちゃう」
「か、勘弁してください……」
「ふふっ、冗談よ。さあどうぞ」
ぼくは両手を合わせた。
「いただきます」
熱々の目玉焼きとカリカリのベーコン。あったかいご飯と一緒に食べると最高においしい。月海先輩が作ってくれたからおいしさも倍増だ。
これから毎日、月海先輩が朝食を作りに来てくれる。
だったらきっと、朝がさみしくなることはないだろう。
ニコニコしてこちらを見ている月海先輩に、ぼくは笑顔を返した。
† †
週明け。
「ごちそうさまでした」
「景国くん、一日気をつけてね」
「はい!」
平日の朝も月海先輩はご飯を作ってくれた。予想通り母さんから合い鍵を預かったらしいので、出入り自由になった。
「それじゃあ先輩、ぼくの部屋を漁るのだけはやめてくださいね」
「勝手なことはしないわ。そういう約束でこの鍵を預かったんだから」
玄関で靴を履く。
「ところで景国くん、お昼はどうするの?」
「また購買に戻りますよ」
「そう言うと思った」
先輩が、背中に隠していた右手を出してきた。いつもの弁当箱だ。
「はい、お弁当」
「い、いいんですか?」
ぼくが弁当箱を受け取ると、先輩は人差し指でこめかみのあたりを撫でた。
「これ、一回やってみたかったんだけど思ったより恥ずかしいね」
「そ、そうですね」
玄関でお弁当を渡される。まるで夫婦のような……。
「そ、そろそろ行きますね!」
「い、行ってらっしゃい!」
お互いに声がうわずっていた。
ぼくは月海先輩に手を振って家を出た。
しばらくは先輩に見送られて学校へ通うことになる。ぼくらの関係は固まることなく、どんどん進んでいる。
卒業式までにどうなっているか。
考えることの多い日々が続きそうだ。
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