こんなに素敵な夜だから、初めてのキスをしよう

「どう、売れてる?」

「まあまあだな。つーか矢崎の野郎、めっちゃつまみ食いしてたんだが」

「それ一番駄目なやつ! 止めなきゃ!」

「もうどっか行ったよ」


 浅川高校の敷地内に展開されているクラス屋台。

 フリーステージが終わったぼくは、渡り廊下にある自分のクラスの様子を見に来ていた。

 店番中の山浦君によると、ポップコーンは売れ行き好調。ここまですれ違った人の中にも食べながら歩いている人がいた。


「で、月海先輩と柴坂さんのステージは上手くいったのか?」

「ちょっと危なかったけど、成功したよ」

「よかったじゃん。3組の奴らが組んだバンドはボーカルが音を外しまくってかなり気まずかったらしいぜ」

「そうなんだ……」


 先輩たちも、下手をすればそうなっていた。

 頼清さんがやらかしたあとだけに、月海先輩は月心流の評判をかなり気にしていた。この状況でステージが失敗していたら……うう、想像するだけでつらい。本当に成功してよかった。


「お、女子が帰ってきた」


 校門の方からクラスメイトの女子グループが歩いてくる。制服に着替えた柴坂さんも、その中に混じっていた。


「山浦君店番ありがとー。あとはあたしらでやるよー」


 セミロングの髪にカチューシャを挿した池原さんが言った。


「うーい。そんじゃよろしくー」


 山浦君が女子に持ち場を譲る。


「俺は野球部の奴らとちょこちょこ回るけど、戸森はどうすんの?」

「焼きそば買いに行こうかな」

「ああ、月海先輩いるんだっけ」

「そろそろ入ってると思う」


 山浦君が上を見て黙った。


「……今日、後夜祭までいる?」

「そのつもり」

「そうか」


 ぽん、と肩を叩かれる。


「川崎先輩の話じゃ、プールのフェンス際が穴場らしいぞ」

「え?」

「みんなグランドに集まるから、そこには誰も近づかないってさ」

「…………」

「まあ、決めるのは戸森じゃないかもしれないけどな」


 山浦君は行ってしまった。


 プールのフェンス際……。

 第一体育館の横には旧実習棟が建っている。その間の通路を抜けていくとプールがある。そこは誰も近づかない。


 一応、頭に入れておこう。


 ぼくは女子のみんなに声をかけて屋台を離れる。柴坂さんが控えめに手を振ってくれた。まだ、目が少し赤かった。


     †     †


「おっ、後輩くんいらっしゃああああああッッ!!!」

「えっと、焼きそば一つ……」

「はいよーまいどありいいいいいいいッッッ!!!」

「テンション高いですね夏目先輩……」


 校門の横、駐輪場を開けて作ったスペースに焼きそばの屋台が出ていた。今は人がいない。

 クラスTシャツの上に赤い法被を着て、ハチマキを巻いた夏目先輩がフライ返しを豪快に操っている。


「あかり、そんなに強くやると鉄板が傷つくから」

「あ、そう?」

「こうやるの」


 隣にいた月海先輩がフライ返しを借りてお手本を見せる。豪快さは維持しつつも鉄板がガシャガシャ音を立てたりはしない。


「もー、光ちゃんなんでもこなすから目立てないじゃーん!」

「充分目立ってると思うんですが……」


 月海先輩は水色のクラスTシャツだけだった。ゆったりしたサイズなので、浮き出た鎖骨が見える……。


「あっ、後輩くんが光ちゃんの胸を見てるぞ」

「え!? か、景国くんっ」

「違います! 鎖骨ですよ!」

「正直か!」


 月海先輩が両腕をクロスさせて鎖骨を隠した。


「ひ、人が薄着だからって……」

「ごめんなさい。焼きそばもう一つ買います」

「そういう謝罪は求めてないわ!」

「ど、どうすれば……?」


 先輩がフライ返しをぼくに向けた。


「帰らないで、後夜祭までつきあって」

「は、はい。もちろんです」

「光ちゃん焦げるよ」

「平気」


 片手で焼きそばをかき回しながら、右手のフライ返しはぼくに向けたままだ。


「閉会式が終わったら、体育館の入り口にいてね」

「わかりました」

「やれやれ、あたしの前で堂々とスケジュール決めるなんてね。ばらさないって信用されてるってことでいいんかな?」

「もちろん。あかりのそういうところは信頼してる」

「やめろよー、照れるだろー」

「あ、ちょっと、脇腹は駄目だから……こ、こらっ」

「よいではないかー」

「めくっちゃ駄目! 待って、景国くんいるんだから……んっ、ホントに駄目だってば!」

「じゃあ服の上からで」

「あかりっ、さ、さすがの私も怒るわよ――くっ……」


 イチャイチャする先輩二人から、ぼくはそっと視線を逸らす。このじゃれあいは刺激が強すぎる……。


     †     †


『クラス別ステージ、最優秀賞は3年1組のソーラン節です!!!』


 わーっ、と3年生が歓声をあげた。ぼくもすかさず拍手する。

 閉会式の最中だった。


「戸森君、満たされた顔してるね」


 横から黒田君が話しかけてくる。


「月海先輩が作ってくれた焼きそばおいしかった……」

「いいね、幸せ全開で」

「黒田君は何してたの?」

「あちこち歩き回って、一般客の面白い会話を片っ端からメモってた」

「さすが、ブレない……」

「文化祭の話を書く時に使えそうなネタがそろったよ。新作はそれでいこうかな」

「出来上がったら読ませてね」

「もちろん。また遠慮なく批評して」


 ステージでは、月海先輩が賞状を受け取っていた。


「あっという間だったね」

「俺は体感いつも通りだったな。でもまあ、なかなか楽しかったよ」

「黒田君は後夜祭どうするの?」

「家からでも花火見えるし、帰ると思う」

「そっか」

「戸森君は月海先輩と一緒に見るでしょ」

「その予定」


 浅川高校には花火職人になった卒業生がいる。その人が後夜祭の最後に花火を打ち上げてくれるのだ。普段、住宅街の近くではあまり打ち上げ花火はやらないけど、毎年恒例になっているのでこの日だけは特別なのだという。そして、校庭に落ちた花火のゴミを拾うのは野球部らしい……。


「どんどん進んでていいじゃん。頑張ってね」

「ありがとう。黒田君も、新しい小説頑張って」

「任せとけ」


 ぼくらは拳を合わせた。


     †     †


「後夜祭のステージの方がフリーダムですね」

「いつものことよ」


 あたりはもう真っ暗だ。

 ぼくと月海先輩は、体育館の入り口脇で壁に背を預けていた。先輩はブラウスを着て、いつもの格好に戻っていた。


 中からは重いギターの音とシャウトが聞こえてくる。たまにデスボイスも……。


「このステージが終わったら、あとは花火だけね」

「あの、先輩。花火なんですけど……」

「どうしたの?」

「プールの方で見ませんか」

「誰もいないから?」

「……そうです。二人きりで見たいので……」

「わかった」


 ぼくは横を見た。


「周りが騒がしいより、静かな方が私もいいかな」


 ぼくはホッとした。


 最後の絶叫がして、ギターの音が消えていった。まさかこの演奏で後夜祭を締めるとは……。


『これより校庭にて打ち上げ花火が行われます。生徒は全員移動してください』


 中でアナウンスが流れた。大勢の足音が近づいてくる。


「気づかれる前に行きましょ」

「はい」


 ぼくらは動いた。

 旧実習棟の前を通って、その裏にあるプールへと。

 プールは高いフェンスで囲われていた。周りはコンクリートが敷かれているので雑草に邪魔されることもない。


 校庭が賑やかになっていく。ライトに照らされて、たくさんの生徒が集まっていくのが見える。


「終わっちゃうね」


 先輩のつぶやきは少しさみしそうだった。


「景国くんがいてくれて本当によかった。今日は、今までで一番それを感じた気がする」

「たまには、ぼくが先輩を助けられたらなって……」

「ふふっ、守ってあげたくなるのが景国くんだったのに、守られちゃったね」

「ぼくだって、ずっと同じじゃないですよ」

「うん。好きな人に助けてもらえるって、すごく幸せなんだって思った」


 シュッと音がして、閃光が夜空へ昇った。

 緑色の花火が空中で花開く。


 みんなが歓声を上げた。

 花火が連続で打ち上げられ、次々と夜空を彩った。


 ぼくたちは、黙ってそれを見上げていた。


 花火の色に染まる月海先輩の横顔。そして戻ってくる暗闇。

 時間の流れがものすごくゆっくりに感じられる。


 次の花火が上がる。――青く光る。


 ぼくが月海先輩の横顔をうかがおうとすると、先輩もこちらを見ていた。


「ねえ」


 小さな声。


「……誰も、こっちに気づいてないよ」

「先輩……?」

「みんな、花火を見てる」

「――――」


 先輩の言葉の意味。


 わかるさ。わかるとも。


 いつかは、どちらかが言い出すはずのものだったんだ。

 今夜ほどふさわしい舞台はない。

 そうだろう?


 ぼくは息を吸って、先輩に歩み寄った。

 月海先輩が体を傾けて、ぼくに顔を近づけてくる。


 ぼくらは額を合わせた。


「景国くん……いい?」

「はい……大丈夫です」


「愛してるよ、景国くん。これからもずっと、そばにいてほしい」


「ぼくだって、負けないくらい月海先輩を……光先輩を愛しています。これから先も、ずっとそばにいさせてください」


 ――ぼくと月海先輩の唇が、触れた。


 先輩の腕がぼくの背中に回る。抱き寄せられる。

 ぼくも、先輩の背中に、抱きつくように腕を回す。


 目は閉じていた。きっと、月海先輩も同じだ。

 まぶたの裏に、花火の色だけを感じている。


 唇が強く重なる。

 互いの、抱きしめる腕にも力が入る。


 ぼくは先輩の勢いに押されるように、フェンスに背中を当てていた。


 ――力が、弱まる。


 月海先輩の唇が離れていく。

 ぼくは目を開いた。


 先輩の目は潤んでいた。


「ふふっ」


 月海先輩が笑うと、涙が一筋、こぼれ落ちた。


「嬉しくて涙が出ちゃった。景国くん、ありがとう」

「……こちらこそ」


 最後の一発が夜空を青く染め上げ、消えていく。

 煙はそよ風に流されていった。

 雲も流れて、三日月が顔を覗かせる。


「明日、朝ごはん作りに行ってもいいかな」

「もちろんです。早起きして待ってますね」


 ぼくたちは手を握りあった。


「みんながいなくなったら帰ろうか」

「そうしましょう。もう少しくらい、ここにいたって平気ですよ」


 自然と笑顔になれた。

 月海先輩の温かい微笑みに包まれて、たまらなく幸せな気持ちになる。


 文化祭という特別な日は、ぼくたち二人にとっても、大切な一日として記憶に残るだろう。


 ステージ、屋台、花火。


 そして、大好きな人と交わした、初めてのキス。


 ぼくたちはまた、新たな思い出を積み上げた。

 胸に刻まれたこの感情が、きっと明日からのぼくを強くしてくれる。


 あでやかな月明かりに照らされて、月海先輩の笑顔は、甘く優しく輝いている。





〈第2部・終〉

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