この夏、理性を保てるか?

 6月1日。

 今日から衣替えだ。

 ブレザーを着なくなったら体が軽い。もともと軽いけどなお軽い。


「楽しみな時期がやってきたな、戸森よ」


 朝の教室。山浦君と黒田君、ぼくの三人で話していた。


「薄着になった女子の隙を必死で探そうとする男子ども……夏場は人間観察がはかどるね……」

「黒田君、ぼそぼそしゃべると怪しく聞こえるよ?」

「でも、戸森君だってチラ見するでしょ」

「……しないこともないけど」

「ほら」

「なんで勝ち誇った顔するの?」

「男っていうのは、結局欲望に勝てないのさ……。かくいう俺もそんな愚かな人間の一人だ……」

「黒田君、何か嫌なことでもあった?」

「戸森、許してやれ。こいつは自信作が新人賞の一次選考ってやつで落とされてショックを受けてるんだ」

「ああ……」

「叙述トリックで人間の愚かさを暴き出す。完璧に決まったと思ったんだ。あの小説で駄目なら俺は次に何を書けばいい……?」

「しばらくは気分転換した方がいいんじゃないかな」

「じゃあ戸森君と月海先輩を観察させてよ」

「黒田君、新しい原稿が君を待っているぞ。早く完結させてあげなきゃ作品がかわいそうだよ」

「お前もけっこうひでえな……」


 山浦君に呆れた顔をされた。


「まあ黒田のことは置いといてだ」

「持ち上げてくれ」

「月海先輩とはどこまで進んだんだ?」

「無視しないで」

「うっせえ、俺は戸森に訊いてるんだよ」


 落ち込む黒田君をなぐさめつつ、


「一緒に帰ることになったよ」


 と進展を説明する。道場に入ったこととか、クラスマッチのあとに励ましてもらったこととか。


「…………」

「…………」


 山浦君と黒田君がジトッとした目を向けてきた。


「戸森君、それはつきあってるとは言わないの?」

「同感。月海先輩、確実にお前のこと好きだろ」

「今はこの距離感がすごく心地いいんだ」

「あのなあ、そういうこと言ってるうちに先輩の心が冷めても知らんぜ?」

「告白してくるの、待ってるかもしれないよ」

「……それはそうなんだけど」

「度胸ない奴だと思われて好感度が下がっていっちまったらどうすんだ」

「もちろん、どこかで覚悟を決めなきゃとは思ってるよ」

「お、いいねいいね。ここまで色々やってもらえたんだから振られるってことはありえねえだろ」

「でも、わからないよ」

「その通り。告白は新人賞と同じで運にも左右される……」

「別モンじゃねえの?」

「いや一緒」

「まあ、とにかく上手くやれよ。1学期中にはアタックかけてもよさそうに思えるな」

「そのへんは静かに見守ってもらえたら……」

「そうだよ山浦君。強要はいけない」

「お前はどっちの味方なんだよ」


 山浦君が言って、それからにやりと笑った。


「それより、今日から衣替えだ。月海先輩の夏服が拝めるな」

「あ、そっか」

「見とれて鼻の下伸ばすなよ~?」

「さすがにそれはないでしょ。ははは」


     †     †


 屋上のドアを開けると、蒸し暑い空気が流れ込んできた。


「お疲れさまです」

「お疲れ、景国くん」


 月海先輩の座っているベンチまで行って、硬直した。


 夏服。

 ナツフク。

 なつふく。


 いつもとは違う姿の先輩が、そこにはいた。


 ブラウスにリボン、夏用のプリーツスカート。

 ブレザーで隠されていた体のラインが、今はわかる。

 出すぎない程度に存在を主張する胸元。

 冬用より少し短くなったスカートから、これまでは見えなかった太ももが覗いている……。

 恋愛経験のない思春期男子に、薄着の月海先輩は刺激が強すぎる。


「景国くん?」

「あ……は、はい」

「急に固まってどうしたの?」

「い、いえ! なんでもありません」


 ささっと月海先輩の横に移動して座る。正面から見ていたら精神がおかしくなるっ……!


「はい、今日のお弁当」

「ありがとうございます……」

「なんだか声が小さい」

「え?」


 思わず先輩を見た。

 ぼくを見ている口元が、少し笑っている。


「なにか、あった?」


 なぜ……。

 なぜ、そんな思わせぶりに言葉を句切るんだ?


「なんにもないですよ……」

「でも、視線が落ち着かないじゃない」

「それは……」


 ぐっと、先輩が顔を寄せてくる。ぼくは完全に固まってしまって動けない。


「様子が変よ。顔も真っ赤だし」

「先輩、あの……」

「困ったことがあるのなら、言って?」


 今、目の前にいる貴女が原因なんですが……!


「せ、せせせ先輩、ぼくはその……うっ」


 とん、と人差し指で額をつつかれた。


「わかってるわ。景国くんが焦ってる理由はね」

「か、からかったんですか!?」

「だって、こういうのって一回きりでしょ。だんだん慣れてきちゃうことだし」

「あ、あの、ぼくは先輩の薄着を見て変なことを考えたりはしませんでしたから信じてください……」

「え? 私、まだ具体的には何も言ってないけど?」

「…………あっ!?」


 本当だ!

 自分から地雷を踏み抜いてしまった……!


「やっぱり、夏服のせいか」

「先輩、今のはずるいですよ……」


 ぼくはうつむいた。


「景国くんの反応が見てみたかったから。ごめんなさいね」


 目の前で、先輩が足を組んだ。

 スカートがやや下がって、太ももがかなり際どいところまで見えた。


 ぼくはとっさに視線を上に向けた。

 これ以上はいけない。色々と危なすぎる!


 もしかしてこの夏、ずっとこんな風にからかわれるのだろうか?

 やばい。

 そんなの、理性を保っていられるか怪しいぞ。

 持ちこたえられるのか?


 ふと先輩の顔を見た。


 頬が赤くなっていた。


 それはこの蒸し暑さのせいなのか、他のことによるものなのか、ぼくには見分けがつかなかった。

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