相手の趣味には本気で向き合う

 いつものように帰るだけだと思っていたのだ。

 帰り道の途中までは。


 月海先輩が「今日はこっちの道を行きましょう」と言うのでついていった結果、ぼくらはなぜかカラオケボックスの入り口に立っていた。


「あの、先輩……?」

「カラオケに行くっていう話をしたでしょ?」

「あれからまだ三日しか経ってませんが」

「何事も早めの行動が重要だから。大丈夫、カードは持ってるわ」

「ぼくも持ってますけど……」

「景国くんは何も出す必要ないわ。ここは私が持つから気にしないで」

「それは気にします! 先輩に払ってもらうわけにはいきません!」

「今日は私のワガママにつきあってもらうんだから、私が払うのが当然の流れでしょ?」

「いいえ、先輩とカラオケなんて光栄すぎる話ですからぼくが払わないという選択肢はありえません!」

「ありえる。1円も払わせないわ」

「自分の分は絶対に出しますから」

「…………」

「…………」


「すみません、入るんですか?」


 入り口で睨み合っていたら、後ろから来たお客さんの邪魔になっていた……。


     †     †


 来てしまった。

 月海先輩とカラオケに。

 おそらくこの店では一番狭い個室。

 開放されている屋上とはまったく違う。

 締めきられた空間に、先輩と二人きり。

 当たり前のように緊張する。


「あ、あ、あーあー」


 そんなぼくをよそに、先輩はマイクの調整に余念がない。

 すごく張り切っている様子だ。今日の月海先輩はいつもより少し幼く見える。無邪気……と言えばいいのだろうか、純粋にこの状況を楽しんでいるようだ。


 もしかしたら、過去にカラオケで負ったダメージはかなり大きいのかもしれない。だから今日、歌うものを理解している相手と一緒に来られたことが嬉しいとか。そう考えちゃ駄目かな?


「景国くん」

「あ、はい」

「私に合わせる必要はないからね」

「読まれてましたか」


 月海先輩はフォークソングが好きだという。ならば、ぼくも比較的静かな曲で合わせようと考えていたのだ。


「余計なお世話でしたね。すみません」

「いいの。私が景国くんに合わせるから」

「先輩がですか?」

「景国くんの好きなRaSHOWmONらしょうもん、よく聴いてきたから心配しないで」

「…………」


 もしかして三日空いたのって……。


「それじゃあ、よろしくお願いします」


 月海先輩が頭を下げた。

 カラオケ始める時に相手に頭を下げる人、初めて見ました。


 先輩に先攻をゆずると、入ったのはかぐや姫の「けれど生きている」という曲だった。調べておいたからわかったけど、しょっぱなからマジで渋いな。


 先輩が口を開いた。

 普段話す時よりやや低めの声が伸びてきた。初手から裏返ったりもせずに美声が飛び出す。さすが月海先輩だ。


 好きな人のかっこいい声が絶えず耳に入ってくる。

 ああ……幸せすぎる。もうずっと歌っていてほしい。ぼくの番なんてどうでもいいから。


 そしてぼくの感情は次第に穏やかになってきた。素朴な曲調と歌詞、月海先輩の声が重なって、しんみりした気持ちにさせられるのだ。


 カラオケといえばテンション上がるはずなんだけどなあ……。


 歌唱力が高すぎて、こちらの感情が歌の方に引き寄せられている。


 うん。

 上手すぎて、次にアップテンポの曲が入れにくい雰囲気になる。月海先輩が感じたアウェイの空気という奴の正体はこれじゃないのか?


 ――なんて考えているうちに先輩が歌い終わった。

 ぼくはすかさず拍手した。


「せ、先輩、予想以上にすごかったです。低い声めっちゃ伸びますね!」

「そう? まあ……ありがとう……」


 先輩の顔が赤くなっていた。部屋はそこまで暑くない。全力で歌ったからか、あるいはちょっと恥ずかしさがあったのか……。


「さあ景国くん、次は貴方の番よ」

「そうですね」


 ぼくは早速曲を選んだ。

 遠慮するとかえって月海先輩が気にしてしまうことはわかった。

 だったらいつも通り、自分の得意な曲を入れるだけだ。


 というわけでRaSHOWmONの「葉桜の亀裂に君を想うということ」にしよう。あえてハイテンポな曲で。


「あ、葉桜。最初にふさわしいスピード感の曲よね」

「…………先輩、なんでマイク構えてるんですか?」


 問いかけると、先輩が得意げな顔になった。


「ちゃんとハモるから任せて」

「え?」

「RaSHOWmONのコーラスはだいたい頭に入ってるから心配しないで!」

「…………」


 ってそっちかあああああああああ!!!!


 先輩がこの三日間で何をやっていたのか想像するとすごくシュールな光景が浮かんでしまうのでここまでにしておこう。――さあ、歌うぞ!


 ……このあとめちゃくちゃ噛みまくった。



     †     †


「おう、おはよう景国君」

「おはようございます、頼清さん」

「今から登校かい? 光はとっくに出てったぞ」

「ぼく、どうも朝が弱くて……」

「そっか。ふああ……」

「頼清さんも眠そうですね」

「君のせいだぞ」

「えっ?」

「光になんかよくわからんバンドの話をしたな? あいつ、部屋で歌の練習ばっかしやがって、気になって眠れないっつうの」

「……えっと、謝った方がいいですか?」

「いや、その必要はない。好きな相手の好みに合わせたい……娘の努力は見守ってやらなきゃ……な……」

「おわあっ!? よ、頼清さん起きて! 道路なんかで寝たら轢かれますってええええええええ!!!」

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