第2話 美少年の苦悩

 この人形は、ある高名なる人形作家の遺作ですの。此処の展示品の第壹號。綺麗なお顔をしているでしょう?作者が人形作家故に、素人の作とは天と地ほどの明確なる違いがあるのです。ですから、これほどの可愛らしい子に『第壹號』と云う名は場違いでございますから、私は親しみをこめて『雲雀』と呼んでおりますの。この子はとあるお家に保管されていた所を私の下で引き取ったのでございます。随分と汚れておりましょう?これでも綺麗にしたほうなのでございますが、何分使い込まれておりましたので、これ以上は綺麗にならぬのです。びっしりと手あかがついておりますので、なんだが汗ばんでいるようでじつに艶めかしく見えましょう?これは私の一番気に入っているものでございます。

 ですが、實はこの子はちと、つきなのでございます。

 お人形と云えば、Hと云う少年のお話をご存知ですかしら?いえ、あたくしの身内ではございませんが、彼のお話は、何と云いましょうか…少々奇怪なものなのでございます。

 彼がこの子をどれだけ愛していたのか。ご想像できますでしょうか?いえ。出来なくて当然なのでございます。彼は他人には持ち合わせぬ、珍しい感性をお持ちだったのですから。素人の私たちが容易に想像できるものではございません。

 この子の主。Hと云う少年は、それはそれはお美しい、この世の者とは思えぬ程の美貌を持つ少年でございました。彼は病気がちでしたのでほとんど外へは出られなかったのですが、垣根の向こうから垣間見ていた者がその姿を見止めたのでございます。

 Hの家と申しますのは、かなりの高名な家でございましたから、その噂はすぐに町中に広まったのでございました。狭い町のことですから、伝達する速さと云いましたらばかに早いのでございます。

 Hはそもそもほかの男とはてんで違う特徴を持っていたのでございました。何しろHは生まれつきの病とかで、頭の先から足の先まで白いのでございます。単なる色白や、欧米の白人と云った者ではございません。何せ彼のからだからはあらゆる色素と云う色素がことごとく抜け落ちていたからにございます。肌も白ければ髪も、睫毛まつげの一本一本も白いのです。

 然しHと云う少年はそれはそれは美しく、まさしく文字通り美少年と云ったところでございました。肌は乳の様に白く尚且つ透き通る様で、真珠の様に艶やかで、眼は赤く硝子玉のように澄み、髪の毛は白絹の糸の様に真っ白でキメ細かい。その出で立ちは女の様でございまして、雪の精を思わせるところでございましたから、男でも惚れぼれしてしまう様な美貌を兼ね備えておりました。

 Hには男女を超えて惹きつける魅力があったのでございます。それは實に不思議なことでございまして、まるでこの世の者ではない様な心地さえするのでございました。

 ですがこれも病。当人は何かと苦労が絶えなかったことでしょうが、俗世間の平凡を生きている街の者たちにそれが解る筈もございませんでした。故に娘たちはその不思議な魅力に取り憑かれた様に毎日のように恋文をしたため、贈り物を送ったりしておりました。

そうしますと、多くの娘たちが同じ事を繰り返しますので、Hの家には毎日のように、恋文や贈り物が山ほど届けられるのでございました。はた迷惑もあったものではございませぬ。それに加えてHの家は大変に名高い家でございましたから、見合いが毎日のように持ちこまれるのでございますから、この家は實に忙しいのでございます。毎日毎日代わる代わるやってくる御令嬢は、どれも初心うぶな娘ばかりでございましたから、絶世の美少年を前に皆参ってしまって、畳の上にの字を書いてばかりで、チッともHと眼を合わそうとはしないのでございました。

 嘘だとお思いでしょう?斯様な美少年など存在する筈が無いと。美少年など男の敵だとお思いになっているかも知れませぬが、これも皆事實でございます。

 男からして、その娘たちの初心な様は大層可愛らしく思える事でございましょう?それもきらびやかに着飾った美しい御令嬢であれば猶更なおさらに。ですが、Hはそんな娘たちとの縁談を片っ端から断っていってしまったのでございました。

 もったいない話でございましょう?男であれば誰しもが喜んで飛び上がってしまう様なものを、Hはことごとく断ってしまったのでございますから。それどころか、二三日もすれば飽き飽きして、奥の自室へと閉じ籠ってしまったのでございます。

 それならば、良い縁談に恵まれぬ男からしてみれば猶更怒りが込み上げてくるやもしれませぬ。

 しかし、それには随分と深いよしがあったのでございます。

 Hは女嫌いであったのでございました。それもかなり極端なものでございまして、女と云う生き物自体を酷く嫌い、皆得体の知れぬ生き物であると感じていたのでございました。女からしてみればこの上なき屈辱でございましょうが、その事を知る者は其処に一人も居なかったのでございました。

 人間と申す生き物は實に嫌な生き物でございましょう?そう思われた事はおありではありませぬか?

 何故ならば、人間は悪い事とは知らずに自然と悪事を犯してしまう生き物でございますから。それほど恐ろしいものはございませぬ。親の居らぬ子にやれ「お父ッつぁんは如何した?」だの「おッ母さんは如何した?」と訊く様なものでございますから。随分と非道いことでございましょう?

 無知と云うのは恐ろしいものでございます。

 人間は相手が嫌だと云う意思表示をしなければ、皆それが嫌な事だと解らぬのでございます。つまりは何の手がかりも無ければ、人間は他人の気持ちを推し量ることは出来ぬのでございます。

 それはHに對しましても同じことでございました。

 誰もが『男は女を好むものだ』と云う固定観念をHに押し付け、Hは周囲の人々に「嫌だ」と云う意思表示をしてこなかったのでございます。

 ですから人々にはHが極端なる女嫌いである事が解らなかったのでございます。

 恋する乙女が心をこめてしたためた恋文も、贈り物も、垣間見する娘たちも、Hにとっては顔も知らぬ、話したことも無ければ会ったことも無い様な、得体の知れぬ誰かから送られ、覗かれているものと認識してしまうのでございましたから。それが彼にとってどれだけの苦痛であったか。御想像できますかしら?

 出来ぬでしょう?私とて理解が覚束おぼつかぬのでございますから。

 兎角、彼は稀にみるほどに極端な女嫌いであったのでございます。

 しかし、その様なすれ違いが、何時しかこの家に大きな亀裂を残してしまったのでございました。

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