第194話 網打ち
突く。突っ張る。両腕を突き出す。
攻めて攻めて、相手を防戦一方にさせた。
少しずつではあるが、相手は後ろに下がっている。仕切り線を越えて前に出て突っ張る。卑弥呼が前後に踏ん張っている足は、後ろ足はすでに踵が西の徳俵にかかろうとしているくらいだ。
むろん、引き技など考えていない。このまま突っ張り続ける。
俺の突っ張りは正確で、狙った通りに相手の鎖骨より少し下あたりに当たってこちらの力を伝えている。
同じ過ちは当然しない。おっつけで下から上へのベクトルの力が働いているからといって、過度に腕を下へ向ける意識を持ってはいけない。
だから、もろ手突き、もろ手突き、の連続の形で突っ張っているんだけどな。
あと一息。
しかし、突いても、突いても、それ以上は卑弥呼も下がらない。徳俵に片足がかかっているので、踏ん張りが効くのだ。
クソ。力なら勝てると思っていたけど、俵の力を借りて踏ん張られると、こちらとしては打つ手無しか。
一瞬、俺は迷いを抱いた。
突き切れないという弱気が首をもたげてきた。ならば、引き技を使ってみるとか。
いや、引き技って、簡単なように見えるけど、それはきれいに決まった時は相手のパワーを上手く利用して少ないリソースで型に嵌めるからだ。
大相撲の力士のように、プロとして丸々一日ずっと相撲のことを考えて稽古をしているならば、引き技を決める時の呼吸も測ることが上手くなるかもしれない。
だけど俺は単なる素人だ。それもあくまでも相撲は未経験。旭川西魔法学園の女子相撲部監督ではあるけど、元プレイヤーではない指導者だ。引き技を自分で使うほどには相撲というものに熟練していない。
迷いながらもろ手突きを続けたせいか、攻撃が単調になってしまったようだ。
俺が突きを繰り出すタイミングに合わせて、卑弥呼は左腕で俺の右腕を抱え込んだ。そして一瞬で卑弥呼は右腕も添えて俺の右手を二本の腕で持ち抱えた。
「え?」
流れるような動きだった。卑弥呼は前に出していた足を横に広げるようにして体を開いた。その腰の回転の力を利用して俺の右腕を外に放り投げるような動作をする。
もろ手突きを意識していた、ということは換言すれば足が前に出るのが疎かになっていた。なので、左腕を取られて投げられた時、足がついて行かずに体勢が前につんのめる形になった。
腹から土俵に落ちた。いや、土俵にではなく、丁度俵の上に落ちた。みぞおちの辺りが少し俵に擦れて擦り傷になって痛かった。
いや、負けちゃったよ。
二連敗だ。
相手の技には警戒していたけど、今回も技で負けてしまった。小手投げか、と思ったけど、卑弥呼が両手で俺の左手を抱え込んでいなければ、決まり手は小手投げだっただろう。
「網打ちよ」
ドヤ顔というのは、こういうのを言うのだろう。弥生時代であっても、そういうワードは無かったとしてもドヤ顔自体はあったのだろう。
網打ちか。
確かに今の状況で、俺の右腕を抱えて投げただけだったら、決まり手は小手投げになっていただろう。
俺の腕を抱えるだけでなく、もう片方の手でも俺の腕を持って、両手で投げた。その全体的な様子は、浜辺で網を投げる漁師のようだ。だから網打ちという決まり手なのだ。
俺は立ち上がり、膝に付いた土を払い、両手をはたいて土を払った。
相撲で負けることを、土がつく、とは言うけど、比喩でもなんでもなく物理的にそのまんまの表現だ。
失敗したのは事実だ。攻めが単調になってしまった。なんというか、女が相手だったら体力で勝って押し切れるだろう、という慢心があったかもしれない。
ただ、そろそろ本気を出すべきではあろう。確かに相手の技の巧みさにやられて二連敗を喫してしまったものの、本当の実力を出し切れば、勝てない相手ではないことは充分に分かった。
気が付いてみると、土俵の下の石畳ゾーン。さっき卑弥呼が一勝した時に灯った白星の光とは土俵を挟んで反対側に、もう一つの白星が光っていた。
これでまた、外堀が一つ埋められた格好だ。
力では、勝てないこともない。だけど、相手がどんな技のレパートリーがあるのかについては、事前情報が無いからには分からない。
どうすりゃいいんだ?
慣れない突っ張りに頼るのは、やっぱり得策ではないかもしれない。だったら自分の力を発揮しやすい得意の型であるもろ差し狙いで行くべきだろう。でも、その後どうする? 要は、相手がどんな技を出してくるか不透明な中で、もろ差しで有利な体勢を作ってから慎重に攻めるしかないだろう。
そして、相撲の基本である寄りが上策だろう。投げは、相手の技につけ込まれる隙が多い。
そう考えを纏めながら、仕切り線を挟んで卑弥呼と向き合った。今まで二番の取り組みは、俺の方が先に両手をべったり土俵についていたけど、それで二連敗したのだから、少し目先を変えてもいいだろう。俺は左手だけ土俵について、右手は空中で固く握り拳をっつくった。
相手の卑弥呼もまた、西の土俵で片手をついて、もう片手で呼吸を測っていた。
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