第188話 老驥伏櫪


 俺は北へ向かって歩く。


 道の両側は切り立った崖が上に続いている。岩の崖じゃない。水の崖だ。


 これ、湖が割れる魔法が解けたら、水の壁が壊れて流れ込んできて、俺は一発で溺死だぞな。コワイコワイ。


 石畳の道を踏みしめて歩く。それこそ雨上がりの石畳の道のように、少し濡れているような感じだ。


 次第に、土を盛ったような箇所に近づいてきた。


 まるで、アイスクリームを掬うカップですくってコーンに盛った31歳のアイスクリーム屋のような、みごとに綺麗な半球型だ。大きさとしては、恐らく高さが2メートルくらいかな。


 なんだろう、これ。


 チンギスハンの墓、かな。いや、チンギスの墓がこんなに小さいはずが無いか。一瞬土俵かとも思ったけど、こんな半球型の土俵もあったもんじゃないよな。


「ようこそ琵琶湖の底へ。ところで、そなたは本当に諸葛孔明なのか?」


 あの謎の女の声は、盛り土の向こう側から聞こえた。


 盛り土の影から歩み出てきたのは、簡素なゆったりした白い衣装を纏った若く美しい女だった。


 ん?


 貂蝉、のイメージとは違うな。


 三国志のゲームとかに出てくる貂蝉は、いかにも中華の後宮ですよって感じのきらびやかで華やかな衣装を纏っていて、額になんか花みたいな模様を貼り付けていたりするじゃん。花鈿っていうのか、あれ。


 でも目の前の女は実際には質素だ。


 衣装も地味だし、顔の化粧っ気も無ければ、髪型もただ単に黒髪を長く伸ばしているだけだ。飾り気が無いからこそ、女の素の美しさが輝いて見えるのも事実。


「残念だけど、俺は諸葛孔明じゃないぞ。名前は城崎赤良。工場で働くフォークリフターにして、旭川西魔法学園女子相撲部監督だ」


 素直に名乗った。あの大須賀さんみたいに沢山の肩書きを持っているわけじゃない。まあ仮に持っていたとしても、あんなにズラズラと並べて列挙することがカッコイイこととは思わないけどな。


「なんと。孔明ではないのか。だが、相撲監督とな? つまり、相撲を嗜む者であるのは間違い無いのだな?」


 若い美人ではあるが、随分と時代がかったしゃべりだぞなあ。まあ、美人でありさえすればそれすらも魅力になる。ブスがやればどんなカワイ子ぶったアニメ声でも萎える。それが健全な男ってもんだ。フェなんとかの人にルッキズムだって怒られそうな話だけど。


「俺は正々堂々と名乗ったぜ。そっちも名乗ってみたらどうよ」


「わらわは魔族。孔明の魔封波によって封印されておった。だがそれから1800年のことは分かっておる。わらわは邪馬台国の偉大なる王、卑弥呼であるぞ」


 両手を斜め上に挙げてY字を描くようにして、自称卑弥呼さんは名乗った。


 いや、精一杯カッコつけて女王らしく威厳を持っているかのように見せかけているけど、俺にはそれがダウトだと分かっているからね。


 だって、センチメンタル佐賀。邪馬台国は佐賀県。俺はそれ以外の説を認めない。


 現代日本できちんと義務教育を受けている人ならば、よほどバカなギャルでもない限り誰でも知っていることだけど、弥生時代に日本のどこかに邪馬台国という国があって、卑弥呼という女王がいた。とされている。


 その邪馬台国が日本のどこにあったのか。明確な証拠が無く、大きく二つの有力な説が並立している状態だ。近畿説と九州説だ。


 お城や刀剣が好きで歴史に詳しい俺としては、九州説を支持する。


 九州説を唱える人って、大概は福岡県を想定しているだろうけど、違う、そうじゃない。


 九州は九州でも、存在自体が風前の灯火とされる佐賀県だ。


 佐賀県には何も無いと思われているかもしれないけど、そんなことはない。吉野ヶ里遺跡だけじゃないんだ。邪馬台国もあったんだ。


 ……そう思っていた時期が俺にもありました。ついさっきまで、そう信じていました。


 目の前のアウトオブベース女が女王卑弥呼を自称しているけど、どういうつもりなんでしょうかね。


「そなた、わらわの言葉を信じておらぬな? ならば愚者でも分かるように説明しようではないか」


 人のことを愚者とか言うんじゃねえよ。それも面と向かって。……いや、隠れてこっそり言えば無罪って意味じゃないからそこは拡大解釈しないでくれ。堂々とでも密にでも他人をディスるようなことを言ってはいけません。汚い言葉を使えば心まで汚れていってしまうものなのです。


「邪馬台国は、かの曹操が建てた国である魏国と友誼を結んでいた。魏と対立していた蜀は、我々の同盟に対して危機感を抱いていたらしい。蜀の卑劣な軍師諸葛孔明は、魔封波を使ってわらわを邪馬台国ごと湖の底に封印したのだ。だからわらわは1800年もの長きにわたり、暗く冷たい湖底にて雌伏の時を過ごしていたのだ」


 1800年て、待ちすぎだろう。長く待てばいいってもんじゃない。時間が長いなら、ただチャンスを待つだけじゃなく、何か対策を講じるべきだろう。魏志倭人伝の魏国と同盟を組んで1800年もその時を待っていたなんて、まさに老驥伏櫪 (曹操が由来の四字熟語です) ってやつだな。


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