第187話 琵琶湖底を固定するもの


「待ってろよ、貂蝉、今行ってやるからな」


 とりあえず俺は無駄に大声で叫んだ。宣戦布告ってやつだ。


 だが。


 へんじがない。


 まさか、死んでしまっていて、ただの屍なんてことは無いよな。


 普通に考えれば1800年前の奴が生きている方が不自然ではあるのだが、声が聞こえてきた上に魔貫光殺砲で攻撃まで受けちまったからな。生きているんだろう、ということは認めないわけにはいかない。生きている、というよりは、よみがえった、って方が正しいんじゃないのかな。この場合は。


「おい、貂蝉、聞こえているか。今、そっちに行ってやるからな」


 行って、どうするのか。


 そんなんことは何も考えていない。


 何もアテは無い。だけどインスタント土俵を喪失した今、ただ琵琶湖に浮いているだけではジリ貧だ。早く陸地に足を降ろしたい。


 それに、異世界転生なんてトンデモ体験をしてしまった俺だけど、貂蝉なんていう実在すら怪しい歴史上の人物に会う機会なんて、めったにないだろう。チャンスのポニテを逃すわけにはいかないぜ。


 俺は立ち泳ぎをしながら、湖を下って行った。


 どうやってかっていうと。


 湖の中に普通に潜ると、一分も持たずに息が切れて溺れてしまう。


 だが、今の琵琶湖には御神渡りというか、モーセの十戒のような水が分かれた道が南北に続いている。つまり、道の両脇は切り立った崖になっている。水の崖だ。


 なので、水の切り立った壁際まで寄って、水の壁の向こう側に顔だけ出して空気を吸いながら、下に向かって泳いで行く。間違って空中に顔だけじゃなくて全身飛び出してしまったら、万有引力に吸われて地面に激突してしまうだろうし、かといって自ら顔を出さなければ息ができなくなる。なんだかんだでぎりぎりのせめぎ合いのルートだ。


 そして。


 俺は切り立った水の壁を延々と降って、ついに湖底に辿り着いた。


 地面に足がついたところで、ようやく俺は体の全てを水の壁の中から、空気のあるところへ出した。


 改めて底部から上を見あげると、空に白い光の線が南北に一本走っているような感じにしか見えなかった。


 つまり、琵琶湖って、むちゃくちゃ深いらしい。


 単なるでっかい水溜まりだと思っていたけど、深さがハンパない。


 100メートル近くあるかもしれないな。札幌テレビ塔をここに建てたら、上の展望台が水面より上に出るかどうか。両国国技館だったら、屋根の一番高い所でも水の上には出ずに完全に水没してしまうだろうな。実際に水没しちゃったみたいだし。


 そういえば国技館はどこに沈んだんだろうな。


 空気のある場所に出てしまったので、水の壁の中がどうなっているかは、あまりよく見えない。水が濁っているわけではないが、光の屈折というやつだろうか。本来なら水中で泳いでいる鮒とか鮎とかが見えてもいいはずなんだろうけど、ただの青い壁にしか見えない。


 そして。そんなことよりももっと先に考えるべきことがある。


 湖底の地質だ。


 琵琶湖の湖底って、どんなふうになっていると思う?


 土だろうか。土だとしたら常に水に触れているわけで、そこからモーセの十戒か魔法か何かで水が割れたとしても、急に乾くことはないだろう。いや、単なる土ではなく、長年腐葉土が堆積してドロヘドロになっているかもしれない。或いは固い岩盤の上で、裸足で立ったら足の裏の皮膚が切れてしまうくらい鋭く切り立っているかも。などと色々な想像が働くだろう。


 だが、俺は今、その答えの上に実際に立っている。


 驚くことなかれ。俺が今、立っているのは、石畳の上だ。


 だいたい50センチメートル四方くらいの正方形の平らな敷石の板が、規則正しく碁盤目状に敷き詰められていて湖底を固定している。


 そう。これは恐竜が闊歩していたような古い時代からの地殻変動などの結果として形づくられたもので……


 ……って、そんなはずがない。


 こりゃ明らかに、人工的に造られたものだ。


 前後、というよりは南北を確認すると、少なくとも見渡す限りずっと石畳の道は続いている。ってことはかなりの長距離だ。


 滋賀県って、琵琶湖の底部にこんなものを作る工事なんかやっていたのか? 何のために? そもそもどういう工法で?


 いやいやいや、そんなはずがない。海底ケーブルみたいなものくらいならあるかもしれないけど、わざわざ石畳で舗装する必要は無いだろう。人間は琵琶湖の底にこんな物は作らないだろう。ってことは、日本から日本人を追い出して不法占拠した魔族どもか?


 普通に考えられるとしたら、これは遺跡じゃないのか。


 聞くところによると、地震だか地殻変動だかで琵琶湖に沈んだ江戸時代の遺跡があるという。


 これがそうなのか、までは判別できないけど、こんな人工的で大規模なシロモノが湖底に作られるはずが無い。順番としては逆で、かつて作られた石畳が、後から琵琶湖に沈んで、それが今、どういうわけか湖が割れて表に出てきたのだ。


 まさかとは思うが貂蝉の墓、だったりしないだろうか。


 三国志の時代の中国大陸から実は日本に渡って来ていて、日本で死んで埋葬された墓が後から琵琶湖に沈んだ、とか。ほら、源義経だって大陸にわたってチンギスハンになったという伝説があるくらいだし、もちろんそれは歴史研究の史実とは別物だけど、そもそも論を言うならば貂蝉は実在というよりは伝説寄りの人物だし。


 南北に続く石畳の道は、前の方、恐らく北だろうけど、そちらに、何か土を持ったような場所が見えた。そっちに行ってみようか。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る