第163話 俺の期待を返してくれよ


 なんというか、技術なんか何も無い。ただ単なる力まかせの直線ビンタ!


 直線ビンタなので、一応は突っ張りとして形になっていて、腋があまくならないのは良いところだ。これ、狙ってやっているんじゃなくて、偶然の産物だろうな。


 だが、そんな技術力の無い突っ張りでも、まともに食らってしまってはいけない。恵水は上半身を仰け反らせ、耐えようとした。下から手を出しているが、相手の細川アリサの方が長身なこともあって、懐が深い。恵水の手はまわしに届かない。


 自分の突っ張りが効いたことに気づいて自信を持ったのか、細川アリサは更に手を出して突っ張って突っ張って突っ張って、相手が下がると自分が前に出て、土俵中央まで盛り返して、更に前に出た。


 あれよあれよという間に恵水のかかとは土俵際に追い詰められ、粘る間も無くあっさりと土俵を割った。


「勝負ありぃ! 細川アリサの勝ちぃー!」


 おいおいおいおい。好取組だと思っていた俺の期待を返してくれよ。あっさりとアリサが勝っちゃったじゃないか。なんなんだよ。


 俺は土俵脇で頭を抱えた。


 今の恵水の取り組み、冴えなかったな。


 立ち合いは悪くなかった。そりゃ相手が素人だから、経験者の立ち合いの方が優れているのは当然だ。だけど、それだけで勝負を決めきることができなかったのが、恵水の冴えていなかった点の、そのイチだ。


 二点目は、相手に突っ張られた時の対応だ。まわしを取ろうとするのか、突っ張り返すのか、一瞬対応に迷い、どっちつかずになって中途半端な動きになってしまった。


 さらに三点目。相手の細川アリサが真っ直ぐ突っ張ってきた。技術も何も無い、単なる力任せの突きだった。細川アリサの突っ張りは、突きが効いて恵水が後ろに下がったのを見てから自分も前に出てという感じで、手と足の動きがバラバラの突っ張りだった。恵水レベルの経験者だったら付け入る隙は、いくらでもあったはずだ。具体的に言えば、横にいなすとか、相手の肘を押っつけて突っ張りの力を上方に向けて逸らして腋を甘くさせるとか、打つ手はあったはずだ。


 だが、恵水はそういう手段を選ばなかった。相撲部でない者に突っ張られて下がってしまって、かえって意固地になってしまったようにも感じた。単純な突っ張りで負けたくない、と、正攻法に対して正攻法で応じてしまった。細川アリサの力に対して体格で劣る恵水が力で応じてどうするんだ。


 二人の力士は東西に分かれて一礼して土俵を降りた。細川アリサは一番取っただけで大きく肩で息をしている。恵水はというと、負けたショックからか、肩で息をするのも忘れて肩を落としてうなだれた格好でとぼとぼと土俵から降りた。


「ひがぁしー、細川ヒトミぃー、細川ヒトミぃー! にぃしー、永井映観ぃー、永井えみぃーー!」


 行司は引き続き相撲部部長クロハ・テルメズ。東に上がったのは、やっぱり姓が同じだから細川アリサの姉妹なのだろう、細川ヒトミだ。


 今、土俵上の細川ヒトミは、アリサと体格的には同じくらいだろう。恐らく力も同じくらいなんだろうと思われる。だが、準備運動の時の動きからすると、アリサほどには激しさと雑さは無さそうな感じだ。


 そして西方は、永井映観。名前は初めて知ったが、探知機女だ。


 取り組みを終えた細川アリサと恵水は、それぞれ土俵の西と東から降りて、息を整えながら次の取り組みを眺める。


 俺は自分の立っていた位置から移動して、恵水の隣に並んで立つ。


「なあ恵水、今の一番で、どういった所が自分の課題だと思う? まあ、土俵上の取り組みを見ながら、反省してみなよ」


「はい……」


 恵水は弱々しい声で言った。うつむきかけていたけど、それでも土俵上の一番を見るために顔は上げていた。


「はっけよーい、残った!」


 行司のクロハが合わせる。


 二人の力士が立った。東が細川ヒトミ。西が探知機女の永井映観。二人とも素人だから、ただ単にその場に手をついてその場で立って、それから前に出て、素人同士の柔道が取りあえず組み手争いも無く始まるかのように、左四つがっぷりに組んだ。


 で、がっぷりに組んだ状態から前に圧力をかけてお互いに寄ろうとする。


 でも全然動かない。そりゃそうだ。引きつけも何も無く寄ろうと思ったら、よっぽど相手よりも体重があるとか足腰が強いとか、何かのアドバンテージが必要だ。でも土俵上の素人の二人にそんなアドバンテージなど無い。


 対戦している二人も、単に寄ろうとしただけではダメだと気づいたらしい。今度は投げを打ち始めた。二人とも右利きなのだろう。右からの上手投げをお互いが打つ。ので、二人で舞踏会でワルツを踊りながら反時計回りに土俵の中央で回転しているように見える。今にもウィーンフィルの演奏で青く美しきドナウが聞こえてきそうだ。


 締まらない一番だな。これだったらさっきの恵水の冴えない一番の方がそれでもまだマシだったように見える。


「あ、勝負ありー。細川ヒトミのかちぃー」


「え?」


 行司の宣言に対して怪訝そうな声を挙げたのは、勝ったはずの細川ヒトミだった。


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