第142話 人間の美しさ


 大須賀氏。


 姓は大須賀。下の名前は、……忘れた。というか知らん。知る必要もあまり無さそう。


 たぶん旭川で、……あっと、正確に言い直すと、こちらの世界の都市艦の旭川の中で、大須賀さんを知らない人って、たぶん居ないんじゃないかな?


 テレビのコメンテーターだ。黒い帽子を被っている。


 テレビの放送の制作も都市艦内だけで完結しているようなので、市民が見ることができるテレビ番組も限られているはずだ。テレビを娯楽とすること自体難しいだろうな。プロ野球の中継なんか無さそうだし。アニメなんて作ること自体無理だろう。男の相撲が存在しないから大相撲中継も当然無いはずだし。


 できそうなことといったら、お料理番組くらいかな。地域の料理研究家の主婦を講師としてお料理レシピ番組くらいなら、制作費用も安く済むだろうし、旭川だけで制作完結が可能だ。


 そんな中で、コメンテーターとしてテレビに出演するってことは、すごいビッグなことだ。そりゃ大須賀氏、カツラが落ちるくらいの放送事故があったとしても、テレビから消えて無くなりはしないだろうな。


 でも、俺は知っている。30万人の旭川市民の中でほんの一握りだと思うけど、俺は大須賀の真実を知っているのだ。


 アイツは敵である魔族と内通している!


 でも、迂闊に告発すると、俺の方が逆に非国民扱いされてしまいそうでヤバい。


 ああ、今、俺は気づいてしまった。俺は、卑怯者なんだ。


 たとえば、クラスで誰かが理不尽にいじめられていたとして、それに対して「やめろよ」と声をあげることができないチキン野郎だったんだ。


 それこそ、SNSあたりだったら、「どうしてヤメロと言わないんだよ」とイキることもできるだろうけど、実際にその場に身を置くと、我が身かわいさに、どうしても保身に走ってしまうのは、ある意味仕方ないのだろう。


 でもな、そういう状況で声を挙げることができるのは、強者だけだ。仮に弱者である俺がヤメロなんて一言でも口にしたらどうなるか。


 答えは簡単に出る。


 いじめの対象が、今度は俺になるだろうな。


 そして、さっきまでいじめられていたヤツも、俺に対するいじめに加わるだろう。


 それが、人間社会の力学というものだ。


 人間って美しいものだ。


 だから、大須賀を告発しなかった俺を、誰も責めることはできないはずだ。


 今、大須賀がスパイだと言ったとしても、証拠が無いということで握りつぶされて終わりだろう。それじゃダメなんだ。戦うからには必ず勝たなければならない。


 そうであるからには、今この瞬間には部外者から卑怯者の謗りを受けたとしても構うまい。俺は俺の、弱者なりの戦い方をする。雌伏の時は長いかもしれないが、きちんと証拠を集めて、いつか必ず大須賀が敵と内通していることを暴いてやらなくちゃ。


 そういうことで俺は、小デブと細イケメンの若手社員に対して、自然な態度で近付いた。


「俺、先日入ったばかりの城崎赤良といいます。よろしくお願いします。ところで今、大須賀さんのことを話していましたよね? お二人って、あの大須賀さんのことを、どう思っているんですか?」


 眼鏡をかけた長身だけど小太り体形の男と、痩せた長髪イケメンはお互いに顔を見合わせた。二人の間に流れる空気に名前をつけるとしたら、こうだろう。曰く「困惑」。


「どう……って。普通だと思いますよ。外国を批判する時が一番いいことを言ってる感じはしますけど」


 小太り眼鏡が答えてくれた。先日入ったばかりとはいえ、年齢で言えば二十代前半くらいの二人と比べると、俺はオッサンでアラフォーだ。年上ということで忖度というか尊重してくれたのだろう。


「俺も、大須賀のことはそんなに嫌いじゃないです。でも、あんなすごい有名人が、この工場の関係者だったなんて、初めて聞いたので驚きました」


 今度は痩せ長髪が言った。イケメンって、どうしても持って生まれた才能だよな。俺には備わっていなかった才能。羨ましくも妬ましい。コイツ、きっとモテるんだろうな。


 でも、やはりな。俺は心の中だけで納得した。


 彼等二人がいまだ若いからというのもあるだろうけど、大須賀を全く疑っていない。それどころか、好感度が良い部類だ。他国を誹謗中傷して視聴者の自尊心をくすぐる、という手法はそんなに有能なのか。


 この反応も、想定通りということだ。大須賀の正体が知られていなければ、好感度だけが評価軸になる。


「そうなんだ。やっぱり、大須賀さんって歯に衣着せずにズバっと正しいことを言うから、人気あるよね。俺的には、日本の優秀さを証明するために、わざわざ中国や韓国を持ち出す必要は無いと思っているけど」


「ああ、分かります分かります。中国や韓国とかって、比較対象として画面に出てくるだけでもムカつきますもん」


 子ども向けアニメに登場する餡パンキャラクターのような笑顔を浮かべて、小太り眼鏡が賛同した。


 いや、違うよ、キミ。俺は不必要に中国や韓国を誹謗中傷したくないんだよ。別に中韓に限らず、日本を称揚するために他国を貶めるのは間違いだと思っている。


 ……とはいえ、それを口に出してエラソーに窘めたりしたらダメだ。若者から「老害」として嫌われてしまう。今は少しでも味方を増やすフェイズだし。



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