第110話 雲竜型!


 俺は大股で土俵中央に進む。


 ここで、大体仕切り線の上に足を載せる感じで大きく足を開くのだが……この土俵には仕切り線は無い。まあいいか、そのへんは、てきとうで。


 神社の拝殿の方に向かって、俺は足を開いて立った。明かりが乏しいから、暗闇の中に辛うじて神社の建物の影が窺える、といった程度だ。


「しーーーーーーーーーっ」


 俺は、歯の隙間から息を吹き出す感じで、音を出した。


 ……いや、テレビの大相撲中継の横綱土俵入りの時に、このタイミングでそういう音、聞こえるんだよね。


 これって、誰が音を出しているんだろう。行司さんかな。あるいは呼び出しとか。まさか横綱本人ってことは無いと思うけど。


 正しいところは俺は知らない。そして知っていたところで、この場所には行司も呼び出しも居ない。俺は横綱じゃないけど、土俵入りを実施する本人だ。ということで、ここは本人が音を出してみる。


 これはこれで、神社境内の静寂振りを引き立てるものだな。儀式に相応しい。


 同時に、さっきと同様に腕を広げて、振り下ろして柏手。それを二回。


 ぱちん! ぱちん!


 左足を軸足にし、右足を引き寄せ、その右足を上に振り上げる。


 貴乃花だったら、足がかなり高く上がる場面だ。


 足腰の強靱さと体の柔らかさ、双方を兼ね備えているからこそできる土俵入りだが、足の裏が見えるので美しくない、という批判も一部あったようだ。そんなの気にしちゃダメ。


 残念ながら俺は貴乃花ほどは足は高く上がらない。だが、軸足の左がぐらつくことは無い。


 振り上げた右足を、太腿の上に右手を添えるようにして、土俵上に振り下ろす。四股だ。


 ドスン。


 これは、柏手の足バージョンといったところか。これなら正に、音を以て魔族を地中に封印することができそうな魔術的意味を持ちそうな儀式だ。


 横綱土俵入りだったら、ここで観客が「よいしょ!」と掛け声をかけるところだ。でもここは観客など存在しない。クロハは客じゃないしな。


 さっきの「しーーーっ」とは違って、今度は俺が自分で言うのもなんか不自然だろうから、結局は無言で足を振り下ろして四股を踏むこととなった。


 足を左右に大きく開いた状態で、膝を90度くらいに深く曲げる。


 ここからが、土俵入りの最大の見所、せり上がりだ。


 俺は右手を斜め下に伸ばした。気持ちとしては、鵬が翼を広げるように。


 左手は折り曲げて、脇腹に添える感じにする。


 これが、雲竜型土俵入りの特徴だ。


 相撲文化の歴史をひもといて遡って学術的に考えると、諸説あって色々面倒なようだけど、現在一般的に知られている範囲でいえば、土俵入りには雲竜型と不知火型がある。


 せり上がりの時に、右手を伸ばして左手を曲げるのが雲竜型。


 両方の手を同じように左右に広げるのが、不知火型だ。


 これも一般的に知られている定説として言えば、伸ばした手は攻撃を意味し、曲げた手は防御を意味するという。だから雲竜型は、攻撃も防御もできる万能型の横綱ということだ。


 一方、左右両方の腕を広げるタイプの不知火型は、荒々しい攻撃型の横綱だという。まあ、攻撃は最大の防御とも言いますしね。


 右手を広げ、左手を曲げた雲竜型を披露した俺は、鋭い眼光で前を見つめ、ゆっくりと、だが力強さのある動きで、足首を動かして前方ににじり進む。同時に、やや前傾姿勢気味だったのを少しずつ状態を起こし、直角に深く曲げていた膝を少しずつ伸ばし行く。つまり、足を仕切り線幅に開いた状態で直立する格好に近付いて行くのだ。


 テレビで見ていたら、せり上がりきったあたりで観客からそれなりに拍手が起こるんだけど、……分かっている。ここには観客はいない。無観客試合なんだ。


 せり上がった場所で、右足で四股。今度は左右逆の手順で、左足で四股。


 これで、土俵中央での動きはおしまいだ。


 そこから再び大股で土俵の東方に下がる。


 土俵中央を向いて蹲踞。柏手二回。そして立ち上がる。


 これで土俵入りは終わりなので、土俵中央に向かって軽く一礼し、そこから下がって土俵の輪の外に出た。


 クロハの顔を窺う。


「土俵入り、これで良かったんだろ?」


「さすが、私が女子相撲部監督として見込んだ人材ね。男であっても土俵入りの動作をほぼ問題なくこなすことができるなんて。大したものよ」


 素直に賞賛されて、俺も素直に嬉しかったりする。


 が、本題を忘れたわけではないですぞ。


「で、魔族とやらは、来たんか?」


「見て分かるでしょ」


 言われて周囲を見渡した。参道の両脇の灯籠に明かりが灯っているので、その近辺は明るい。だが光が届かないところになると、極めて暗い。神社は大抵鎮守の杜として、木々が境内に生い茂っているものだが、昼間は明るい陽光の下で緑が映えるのだろうが、夜になると光源が無いことによる不気味さが先に立つようだ。


「つまり、まだ来ていないってことかよ。土俵入りをすれば来るんじゃなかったのか? やっぱり、オカルトはインチキで眉唾なだけなのか」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る