第82話 以心伝心、拈華微笑
難しいことをゴチャゴチャ言ったけど、実際に俺の言いたいことは単純だ。
腋を締めてほしいのだ。
そうは言っても、突っ張りというのは、腕を前に出して相手を突く動作だ。腋がパーフェクトに締まるなんてことは現実的にあり得ない。
だが、だからといってガバガバでは困るのだ。それだと突っ張り自体も威力無くなるし。
「おい恵水、よく見ろよ。こう、相手の左のおっぱいを、自分の右手で谷間の方から外に向かって、突く。こんな感じで。それを、左手でもやる。といっても、手の動きばかりに心を奪われてはダメだ。ちゃんと足が出ないと、突っ張りは効果が無い」
白眼視。
なんだよ。
いや、そりゃ、説明の台詞がアレなのはまあ認めるにやぶさかではないが、要は、突っ張りの時の腋の締めを説明しているんだよ。分かってくれよ。
そんな以心伝心、拈華微笑で言いたいことが伝わるなら、どんな物事でも師匠なんて苦労はしないよな。
それでもまだ白眼視。
ほんと、精神的にたいへんな仕事だな。
「監督がエロネタばかりなのは、もうある程度そういう人格なんだからそういうもんなんだと諦めているけど、よりによって突っ張りなの?」
「なんだよ。突っ張りの指導に文句があるのか?」
「ありますってば。私、突っ張りがメインの力士じゃないし」
なんか聞き覚えのある声のトーンだと思った。こりゃアレだ。俺が元の世界に居た頃に観ていて好きだった佐賀県擬人化アニメに出てきた印象的な台詞だ。
発売したCDが日本で一番になるほどのアイドルグループのセンターだったのに、今更ながらのご当地アイドルなんてやっていられないというニュアンスで「私、ご当地出身じゃないし!」と言っていたアレだ。
「私の突っ張りは、それで相手を押し出すためにやっているんじゃないの。あくまでも自分に有利な体勢でまわしを引くための前フリなのよ」
「そんなことくらい、言われなくても分かるわ」
俺も負けじと言い返した。
確かに、あの突っ張りで、「私は突き押しタイプの力士です」って言われたら、むしろそっちの方が望みが薄すぎてガックリしてしまうところだったわ。
恵水は、まわしを取って食らいつく。そっちの取り口の方が合っている。
だが、四つ相撲の力士だからといって、まわしを取った取り口だけを稽古すりゃいいってもんじゃない。
相撲は、まわしを握った状態からよーいドンするわけじゃない。
立ち合いってもんがある。
押し相撲の力士に先手を取られて、自分がまわしを引けない状態から突っ張り合いになった時に、どうやってこらえるんだ。
「そこまで言うなら、今、俺が言ったことは気にしなくていいから、自分のやり方でテッポウをやってみろよ」
俺は恵水にドラム缶前の場所を譲った。
促された恵水は足を開き、ドラム缶に対して突っ張りを始めた。
ベチン、ベチン、ベチン、ベチン!
リズム良い突っ張りだ。
さっき土俵上で見た突っ張りよりは、回転数は遅い。
あくまでも稽古だから、速さよりも的確さを重視しているから、それはどうでもいい。
問題は、やっぱり軽い。
もちろん、勝負を決めるための突っ張りじゃないというのは俺も理解しているけど、それにしたって、この突き押しは軽すぎる。
何故だ?
疑問は一瞬。答えは明快。
「分かったわ。恵水、キミはテッポウの稽古が足りていない」
論文に於いては結論を最初に言え、という。相撲の指導は論文じゃないけど、結論を最初に言ってやったわ。
「そ、そりゃ、私はまだまだ弱いし、……まだまだ稽古が必要なのは分かるけど……」
「俺が言っているのは総論として恵水がまだまだだってことじゃない。恵水は今まで、四股踏みあたりはしっかりやってきただろう」
「まあ、確かに頑張ったのは頑張った」
「股割りも、まだ180度開くところまでは行っていないけど、頑張っているのは見れば分かる」
「いや、だから、エッチな目で見るのはやめてほしいんですけど」
「……四股踏みや股割りの努力に対して、テッポウの努力が比率として足りないって言っているんだよ。バランスが悪いんだよ」
そう言われて恵水は、口を結んで唇を尖らせた。図星をさされたと自覚があるんじゃないかな?
「まあ、そりゃ、テッポウは、あまり好きじゃないけど……でも、さっきも言ったけど、私は突き押し相撲を目指しているわけじゃないから」
「突き押し力士だけがテッポウをするんじゃないんだよ。四つ相撲の力士も基礎訓練としてテッポウをしっかりやる必要があるんだよ。恵水のテッポウを見て気づいたのは、まあ突っ張り方もあまり良くはないんだけど、指摘すべき場所はそこじゃない。足の出し方が良くない」
俺は恵水の足を指さした。つられて恵水もあっち向いてホイみたいな感じで下に顔を向け、自分の足を見た。
俺の横でやりとりを聞いていたクロハと二階堂さんもつられるように下に目線を向けて恵水の足を見た。あっち向いてホイだったら完勝だったな。
その時。
俺が指さした地面が下から突き上がってきたかのような感覚と共に、ドーン、と轟音が響いて地面が揺れた。いや、世界が激震した。
じ、地震か!?
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