第66話 ぼんやりとした不安 (芥川龍之介)

「何度でも言ってやる。もし恵水が望むのなら、二階堂選手に、もうここに来ないように言ってもいい。それで、恵水は満足なのか?」


 恵水は思案顔をした。いや、背中におぶっているから、俺からは恵水の顔は見えないんだけど、たぶん思案顔をしているはずだ。将棋のハブ名人が長考する時のような渋い表情で真剣に考えているはずだ。


「いいや、違う。二階堂さんがいなければそれでいいとか、そういう問題じゃない」


 いい兆候だ。自分の中にある問題に気づき始めているようだ。


 というか、問題は自分の中にしか無い。


「二階堂さんのような体が大きくて強い人が来たら、相撲部の中で私の居場所が無くなってしまうような気がして、怖かったの。二階堂さんさえ居れば、もう私はこの相撲部に必要無い、って言われてしまうような気がしたの」


「誰がそんなことを言うと思ったんだ?」


「誰に? 誰、だろう?」


 恵水は首をひねった。いや、何度も繰り返しになるけど、背中におぶっているから、俺の目にはその様子は見えない。たぶん、そうしたんじゃないか、という推測だ。背中に微妙な動きを感じたから、おそらくは間違っていないはず。


「だから、恵水は芥川龍之介みたいに、ぼんやりとした不安を抱えていて、その不安に自分が負けているんだよ。ぼんやりとした不安の正体をきちんと見極めてみろよ。単なる幻でしかないはずだぞ」


「まぼろし、なの?」


「じゃあ、たとえばだけど、今の相撲部に仮に、恵水よりも体が小さくて力が弱い部員が居たとする。そこに、二階堂ウメ選手のような大きくて強い有望選手が新しく入ってきた。その時に恵水は、自分よりも体が小さくて力の弱い部員に対して『お前はもう不要だから相撲部から出て行け』と言って追放するのか?」


 そぅぃぇば、俺が元居た世界では、narrowとかいうウェブ小説の電子書籍だかのレーベルがあって、そこでは追放系というのが流行していたと聞く。


 主人公が役立たずという烙印を押されて魔王討伐パーティーから理不尽に追放されてしまう、という恐ろしい展開らしい。まあ、あれだ。俺だって、今まで勤めたいくつかの会社では、役立たずの烙印を押されて解雇されたこともあったな。あれって、今風に言えばパーティー追放だったぞな。


 だから俺には、追放する側の気持ちはあまり分からないけど、追放される側の気持ちは痛いほどに理解できる。narrowの小説では、主人公がその後努力して追放した生意気な奴らを見返す、という展開が多いらしい。現実世界では、追放された側が立場逆転して相手を見返すなんてことは限りなくゼロに近いブルーな困難さだということは容易に想像できる。


「見損なわないでよ。私は、自分より弱い立場の人をパワハラ的に追放するようなことは、絶対しないんだから」


 背負われたままではあるが、恵水は声に力を籠めて力強く言った。


「だったら、クロハはどうなんだ? アイツは、二階堂選手が来たからといって、今まで一緒にやってきた恵水に対して、もう用無しだから出て行け、って言うようなヤツなのか?」


「この場に居ないからって、クロハ部長の悪口を言わないでよ。あの人はドライな性格ではあるけど、人情が無いわけじゃない。苦楽を共にした仲間を、たったそれだけの理由で簡単に見捨てたりするような人じゃない。もしも仮にそんな人だったら、そもそも私、あの人を部長として最初から認めないし」


 恵水は唾を飛ばしながら力説した。いや、くどいようですが、背負っているので、顔は見えません。本当に唾を飛ばしているかどうかは、……首筋に飛んできたから分かったわ。


「ほら。そうだろう。クロハ部長は、恵水を切り捨てたりしない。だったら、二階堂選手が来たからといって、恵水がどうして不安を抱く必要がある?」


「か、監督は? 城崎監督はどうなのよ? 部を強くするって言っていなかった? 二階堂さんみたいな有望な人が来たら、私がいなくても強化は捗るだろうし、むしろ私がいたら足手まといなんじゃないの?」


 なんだよ、俺に対して不安を抱いていたのかよ。


 でもまあ仕方ない。昨日今日出会ったばかりで、いきなり監督として押しかけた格好だ。しかもその上、二階堂選手までもが押しかけだ。


 押しかけなんて、軽薄なラブコメディーライトノベルにおける、一人暮らしの非モテ主人公のところに許嫁と自称するヒロインが押しかけるだけで充分だよな。……あー、念のため註釈しておくと、俺がその手のラノベあたりをケーハクと評しているのは、現実にはそんなことは起こりえないから、だからな。俺は現実の世知辛さの部分だけを享受して今まで生きてきたんだ。


「いいか、恵水、よく聞け。部の強さって、分かり易く言えば、平均点と合計点という二つの計測方法がある」


「何それ?」


「だから説明するから聞けよ。平均点というのは、部員一人一人の強さの平均だ。クロハ、恵水、二階堂ウメ。この三人の平均を取れば、そんなに高くはならない。残念ながら」


「……私が平均点を下げている、って言いたいの?」


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