第56話 M字開脚で無防備に

「じゃあ、次はぶつかり稽古をやるから。赤良、ちゃんと見ていなさいよ」


 クロハに言われるまでもなく、ちゃんと見ますって。監督になったからには監督の仕事をしますよ。ま、何をしていいのか、いまだに見えてきていないけどな。


 土俵の仕切り線を挟んで、クロハと恵水の二人が向かい合って蹲踞する。


 あ、そういえば、恵水は昨日、土俵を掘り返して、また整えるというめんどくさいことをやっていたよな。今日の土俵を見てみると、そんなことが行われていたなどとは言われても分からないくらいに、土俵はきれいに整っていた。


 やるじゃないか。


 ここでも俺は素直に恵水を賞賛する気持ちになれた。男は土俵に上がっちゃいけない、という、この世界的には旧態依然としたアナクロニズムを抱えているようだけど、女の相撲という部分については真摯に取り組んでいるのは認めないわけにはいかない。


 ごちん。


 なんか痛そうな音がした、と思った時には、クロハと恵水がぶつかっていた。そりゃぶつかり稽古というくらいだから、ぶつかるのは当然なんだけど、頭と頭で正面衝突である。後期高齢者の運転するプリ○スが高速道路を逆走したって、ここまでまともな正面衝突は滅多に起きないんじゃないかと思えるくらいの真っ向からのぶつかり合いだ。


 頭と頭がぶつかった瞬間に二人は一瞬離れたものの、再びすぐに前に出て、少し小柄な恵水が低い体勢になって、クロハの胸に頭をつける格好になる。


 そして、ブルドーザーあるいはタイヤショベルのごとく、押す。


 余談だけど、フォークリフト乗りの俺は、フォークリフトの操縦資格だけでなく、作業系建設機械の整地、つまりパワーショベルやタイヤショベルなんかも操縦する資格を持っているぞ。まあそちらは完全に素人で、熟練しているのはあくまでもフォークリフトなんだけど。


 クロハも足を踏ん張って圧力に耐えるが、それでも恵水が押す。押すと、クロハが後ろに下がる。両足は土俵に着いたまま、滑る感じだ。


 クロハの足が俵に達したところで、前進が止まる。


 低い体勢の恵水に対して、クロハが右手で相手の肩を横に押す。そもそもの姿勢が低いこともあって、恵水は抵抗することなく背中からごろんごろんと土俵に転がって俵の外に出る。これは受け身の練習でもあるのだ。



「もう一丁」


 地面に転がって背中にべったり土を付けた恵水は、転がった回転を利用する感じですぐに立ち上がり、威勢良くもう一番を所望した。


 クロハは方向転換し、俵のリングの内側すぐのところに足を大きく前後させて立ち、恵水に向き合う。


「せいやあ。来いやぁ」


 部長らしい気合いの入った声で、クロハの応える声が部室内に充溢するイメージで響きわたる。狭い部室ではあるけど、やっと相撲部らしくなってきたと俺は感じていた。


 恵水は土俵の外から、立った状態のままクロハ部長に向かって突進。スペインの闘牛の牛のごとく、頭を下げて低い体勢でだ。股ドール、じゃない、マタドールとは違い、クロハは華麗な回避などしない。真っ正面から、胸で突進を受け止める。クロハの両足は土俵に着いたまま、直径の線を描くようにして土俵の反対側まで滑り行く。


「メグぅ、まだまだだぁ」


 少し間延びした感じの声で言いながらクロハは、今度は左手で相手の肩を押すようにして突き落とし。恵水も抵抗することなく、またごろんと転がる。


「ふぅ。こっちこそまだまだ。もう一丁」


 肩にも肘にも、レオタードに被われている部分も皮膚が露出している部分も、土俵の土がべったり付着してしまっているが、恵水はかまわずに次の一番に挑む。


 クロハが胸で受ける。恵水が頭から突っ込んで行く。押す。土俵際まで滑って、突き落とし。恵水が土俵上に転がる。


 愚直なほどに、この流れが繰り返された。


 これは、こういう稽古だ。


 相手の下から当たって押す。その圧力を養うのだ。


 クロハの側は、相手のぶちかましを受けても腰砕けにならずに耐える練習だ。


「はぁ、はぁっ、、、はぁ。も、もう……一丁!」


 と恵水は言っているが、同じ動きの繰り返しで疲労していて、土の上に仰向けに倒れたまま起き上がれていない。しかもM字開脚状態だ。寝転がったまま口だけで言っている。


 ぼちぼち、俺が監督として仕事をするべき時が来たかな。


「ほらほら、もう一丁って言うなら、さっさと起き上がれよ、恵水」


 いつもはクロハが言っているであろう台詞を、機先を制して俺が言った。


「なっ……なによ。ただ見ているだけの監督のクセに、私に指図するなんて」


 文句を言いながらも恵水は、まず足を閉じてから、ややふらつきながらも起き上がった。M字開脚でぶっ倒れていたことに自分で気づいたらしい。今までだったら見ているのはクロハだけだから無防備なその体勢でも良かったかもだけど、今は男である俺も見ているので、地面に倒れて寝転がるにしても、神経を配らなければならなくなったのだ。


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