第36話 チャンスのポニテ

 口から鼻から、魂が抜けてしまっていた。


「ちょっと、赤良。何をぼーっとしているのよ」


 消費税は、上級国民も下級国民も平等に、消費すれば同じ税率を払う、という税金だ。


 上級国民サマが高価なモノを買えば、その本体価格の9倍の税金を払い、国庫が潤うわけだ。素晴らしい良い制度じゃないか。


 でもビタミンカステラ1個に1000円払うことになるんだ……


 あれ、それだと、実質的に物価が10倍ってことじゃないか。


 つまり、俺の手持ちの金の価値が、向こうの日本に比べて、10分の1になってしまったってことだ。


 やべえ。


 俺の持っている金、残り9000円と、あといくばくかの小銭だ。


 貨幣価値で考えたら900円ちょいくらいのことしかできない。


 やべえよ。やべえよ。


 軽減税率のような面倒なことを考慮せず、単純に消費税900パーセントというのが何にでも適用されるのなら、これじゃビジホに宿泊も無理なんじゃないのか?


 ラーメンを一杯食えるかどうかも疑問だ。トッピングを載せた場合は足りなくなるだろうな。


 昔、一杯の天ざるそばとかいう感動系の物語が流行ったらしいが、今、新たな物語が生まれたのだ。一杯のラーメン。異世界に転生したオッサンが、手持ちの10分の1に目減りしたなけなしの金でトッピング無しラーメンを食べる感動の物語だ。


 その感動も、全ては消費税のお陰だ。


 俺の怒りも1000パーセントだ。


 消費税というものをこんなに憎く思ったのは初めてだ。今まで俺は選挙の時には、消費税増税を是とする政党に投票してきた。だけど次は考えるわ。


 次、があれば、の話ですが。


 異世界転生者である俺、たぶんこちらの世界には住民票も無いし、選挙権も無いんじゃないかな。


 俺はコンビニの前で立ったまま、ビタミンカステラのパッケージを破って、水分の含有の少ない薄いカステラをかじった。


 あ、味は、俺の知っているものだ。


 水分が少なくて喉に詰まるという場合は、牛乳に浸して食べると旨い、というのが豆知識だ。でも今は牛乳は無い。消費税率900パーセントじゃ、牛乳や缶コーヒーなんかも気軽には買えない。


 タバコはどうなんだろう。俺は喫煙者だけど、酒もタバコも迂闊には買えないな。


「なあクロハ、ちょっと、道路を渡った向こうのセイコーマートにも行ってみたい」


「だったら最初からそっちで買い物していれば良かったんじゃないの」


「買い物をするんじゃない。消費税900パーセントなんていうバカげた制度が本当なのかどうか、値札を見て確認しておきたいだけだ」


「そんなの、こっち側の店舗だけ消費税900パーセントで、道路を渡った反対側の店舗は税率800パーセントなんて、あるわけないでしょ。でも、気が済むまで調べてみなさいよ」


 だからなんで3ケタ前提なんだよ、とは思ったが、ヴォイスには出さずに心の中だけでとどめておいた。俺のソウルジェムはもう割れかけだ。


 結局。


 ビタミンカステラを食べ終わった俺は、クロハを伴って道路を再び渡って、本来俺の住んでいるアパートがあったはずの場所を占拠して立っているセイコーマートに入って、値札を見た。


 見た。


 現実が見えた。異世界の現実だ。


 さっき、ビタミンカステラを買う時には値札を確認していなかった。だから気づかなかったのだが、ちゃんと、本体価格と税込み価格が併記されていた。


 1000パーセントだよ。マジだよ。


 コンビニのトイレだけ使わせてもらって、小用をすませた。俺は普段ならば、コンビニでトイレを使った時には、必ずついでに何か買い物をするようにしている。だが、今回だけは申し訳ないが、トイレだけ終わると買い物をせずに退出した。


 屋外に出ると、待ちかまえていたように、カラスがアホーアホーと鳴いた。ツバメが低く飛んでいき、カモメは高く飛んでいた。


 途方に暮れた。受験した大学、国公立も私立も全部落ちた時と同等以上に途方に暮れている。


 生ぬるく吹く風が、妙に首筋に寒々しく感じた。


 寒いのは俺の心じゃない。財布だ。


「クロハ、相談なんだけど、このへんで、野宿できそうな場所ってあるか?」


「野宿? やめた方がいいよ。肉食動物に食われてしまうよ」


 肉食動物ってなんだ。ヒグマが町中に出るっていうのか? 札幌なら町中でもヒグマが出没することは稀にあるが、旭川ではそういう話はほとんど聞いたこと無いんだけど。でもここは俺の知る旭川じゃないから、事情が違っているのかもな。


 あるいは、野良犬とか外来種のアライグマとかチベットスナギツネとかが潜んでいるかもしれない。


「赤良、アンタ、野宿しようなんて考えるくらいなら、人に頼りなさいよ。私の家に泊めてあげるわよ」


 え、そんな簡単に今夜の宿を確保できちゃって、いいの?


 何かのご褒美プレイ? いや、あるいは、一度持ち上げておいてから落とす落差ネタ?


 とはいえチャンスのポニーテールの尻尾を逃すわけにはいかないぜ。必死に掴みに行く。


「ありがとう、助かるわ。タダでとは言わないから、宿泊費は、金を確保できたら後で払うから」


「そのへんは、あなたの気の済むようにして」


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