第7話 部長と副部長の一番

 そう言ってソファから立ち上がると、稽古場の奥、神棚の下にある冷蔵庫の所に行った。冷凍庫の扉を開けて、カップ入りのアイスクリームを取り出す。蓋を開けて、その下のプラのパッケージを外す。あ、それって日本の群馬県に工場があるという高価なアイスクリームじゃないかな、と俺が思った時には、クロハはスプーンでアイスをすくって食べ始めていた。いつの間にスプーンを用意したのかは俺の目では確認できなかった。


「ごめんねー新監督。魔法って、便利だけど、ものすごいエネルギーを使うから、使った後はこうしてなんらかのケアが必要なんだよね」


 アイスクリームを食べながらクロハが俺に語りかける。魔法がすごいのは理解した。自転車に乗って空中散歩ができるなんて夢にも思ったことが無かった。


 だが、旭橋から西魔法学園までのさほど長くもない距離を空中移動しただけで魔力消費が激しすぎてぶっ倒れるというのは、コストパフォーマンスが悪すぎじゃないのか。そんなんだったら、ちょっとくらい時間がかかってもいいから普通に歩けよ。


「まあ新監督も、いきなり相撲部監督をやってくれと言われても、たぶんそれだけじゃピンと来ないよね。だから、とりあえず実際に取り組みを見てみてよ。私と彼女、佐藤恵水との一番」


 食べ終わったアイスクリームのカップをゴミ箱に捨てると、クロハは制服を脱ぎ始めた。


 おいおい。男の俺が見ている前で服を脱いじゃっていいのかよ。てか、俺はもしかして男として扱われていないのか。


 とも一瞬思った。一瞬だけだった。


 クロハは最初から、制服の下に黒いレオタードを着用していたのだ。そりゃ、そうでなきゃいきなり制服を脱いだりはしないか。


 制服を脱ぎ終わってソックスも脱いで裸足になってから、まわしを巻き始めた。


 女子の相撲ってどうするのだろうと思ったが、副部長の佐藤恵水さんの格好と同様に、レオタードの上からまわしを着用するのか。さすがに男の大相撲と違って、裸の上にまわし一丁ということはないらしい。


 レオタードは、太腿が切れ上がっているタイプではなく、太腿の半分あたりまでスパッツのように丈があるタイプだ。恵水さんと同じタイプなので、これがユニフォームみたいなもんか。


 副部長も手伝って、クロハはまわしを巻く。二人の動きは澱みが無く、手伝い合いながらまわしを着用するのに慣れていることをうかがわせた。


「さ、始めましょう!」


 まわしを巻き終わると、クロハと佐藤恵水は土俵の上で仕切り線を挟んで向かい合った。


「え? おい、さっきまで四股踏みしていたらしい恵水さんの方はともかくとして、クロハは準備運動も何もせずに相撲を取って大丈夫なのか?」


「あんたを旭橋に迎えに行く直前までは、ここで恵水と一緒に稽古していたんだから大丈夫よ」


「いや、眠ってアイス食べてだから体が冷えているだろうに」


 そんな俺の忠告など耳に届かぬようだった。


 二人は、東と西とに分かれ、向かい合って礼をした。礼儀は重んじているらしい。ちなみに行司も審判もいないらしい。そりゃ、普段は二人で活動しているようだから、三人目がいない限りは行司は用意できないだろう。


 二人は仕切り線の上に両手を一瞬叩きつけて、立ち上がった。


 ゴツン。


 女子高校生のスポーツではあり得ないような鈍い音が稽古場に鳴り響いた。

 二人が、額と額で激しくぶつかり合ったのだ。


「うわ、痛そうな音だな」


 思わず俺は小さくつぶやいた。

 だが土俵上の二人の女子高校生は痛がるそぶりも見せなかった。両者、前傾姿勢になって、額と額で押し合っている。同時に両手を前に出して、差し手争いをしている。いかにして自分に有利な体勢で組み合うかが重要だ。


 しかし、両者ともに重心を低くした前傾姿勢のため、お互いのまわしは遠く離れていて、精一杯手を伸ばしても相手のまわしに届かない。


「っ」


 佐藤恵水の食いしばった歯の間から荒い息が漏れる。両者の腕以外は動きがほとんど無い状態ではあるが、額を合わせて押し合っているのだ。足腰にはかなりの力が入っている。


 その時。


 クロハが敏捷な動きで右に動いた。銀髪が少し靡く。同時に右手で相手の腋のあたりを横に押す。佐藤恵水からしてみれば、額のつっかえ棒を急に外されたような格好だ。同時に左腋を押されて、体の重心が右前方に流れた。


 必死に向き直って体勢を立て直そうとするが、その時にはもう既にクロハは佐藤恵水の背中を左手で一突き、強く押していた。耐えることもままならず、佐藤恵水はバタバタと土俵の輪の外に走り出てしまった。


「送り出し、か」


 両者ともに土俵の元の位置に戻り、また礼をした。


「ねえ新監督、どうだった」


 俺の方に顔を向けて、クロハが尋ねる。

 俺は、ラーメン屋の店主のように腕組みをして今の一番を回顧した。


「うーん。なかなか、いいんじゃないか」


 お世辞ではない。これが、俺の心の中から最初に出てきた率直な意見だった。


「女子高校生が取る相撲としては、だけどな」


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