第2話 はじめての訪問

 皇帝からの勅書を受け取ってすぐ、新米騎士は勅書を持ってきた官吏たちによって、皇宮の東の外れまで連行された。

 さっそく皇女が騎士となったクローヴィスに謁見を許そうというらしい。

 東の外れは、皇宮の中でもかなり人気の少ない場所だ。きれいに整えられた庭園と広い芝生はあっても、それを鑑賞する者がいない。小さな池に群れとなっていたアヒルだけがその景色を独り占めしている。


「皇女殿下は、このようなところに?」

「はい。第三皇女殿下はたしかにこちらにおります。わたくしどもも、陛下の命を受けて、こちらへご案内しているのです」

「ふうん。さびしいところだな」

「ええ。しかし、致し方ないことなのです。皇女殿下はお一人を好まれるとのことで」

「普段はどんなことをやっているんだ? ちゃんとごはんは食べているんだろうか?」

「ごはん? それはもちろん、皇女殿下ですから、飢えることはないように陛下はお心配りをされているものと存じます」

「そうだな。ふつうはそうだよな。ところで……」

「はい?」


 話し相手になっていた官吏が振り返る。


「あんた、名前は?」

「は? ……グスタフですが」

「わかった。覚えた。俺はクローヴィスだ。何かあったらよろしく」

「よろしく……? 何を……?」


 官吏の男はしきりに首を傾げる。


「官吏は他にも大勢います。おそらく、我々は今回で今生の別れですが……?」

「人生何が起こるかわからんだろ。気にしない気にしない」

「まあ、どこかで会うことがございましたら、お声がけください?」


 上滑りな返答をしたグスタフはクローヴィスを「東の塔」と呼ばれるところまで連れてくる。

 狭い螺旋階段を上る、上る……。


「なあ、何でこんなところを我々は登っている?」

「それが陛下のご命令ですから。皇女殿下の元までお連れする、ように、と……! ぜえ、ぜえ」


 彼は気の毒なほどへばっていた。


「しんどいなら抱えて上がろうか?」

「嫌ですよ! 何が悲しくて、男にお姫様抱っこをされなくてはならないのですか……!」


 そしてグスタフは普段の運動不足が祟り、動けなくなった。

 折衷案として、グスタフを彼がおぶることで合意を得た。


「くっ……なんという体たらく。しかし、ぎりぎりのところでよしとしましょう」


 官吏はちょっぴり悔しげだ。


「これで、恩を受けた身です。お返しに少しだけ我が国の事情をお話ししましょう」

「おお、ありがとう。で、どんなことだ?」


 背に揺られたグスタフが語りだす。


「はい。皇女殿下は、皇帝陛下の養女であらせられます。これは余所の国ではあまり知られていない事情でありましょう」

「たしかに」


 それどころか、ハッセル王国はガー皇国に皇女が何人いるかでさえ把握していない。情報が行きかう大国であれば知ることもあるだろうが、ハッセル王国は皇国からの書簡が届くのも遅ければ、出立の日数までも間がなく、慌ただしい出発となった。よって、皇女の事前情報は何一つ得られていない。


「養女とはされていますが、皇女殿下は間違いなく皇帝陛下の血を継いでおられます。養女とせざるを得なかったのは、皇女殿下の母君のためです。現皇帝陛下の元第二妃であられた方をご存知ですか?」

「うちは遠国だからよく知らんな」

「では、スベリティア神国は?」

「それは知ってる」


 五年前に滅びた大国の名だ。

 スベリティア神国は、千年の歴史を誇り、かつてはガー皇国と大陸の勢力を二分していた。

 スベリティア神国の民は自らを「神から愛された子」と称し、この世界の創世、終末、国の終焉の際に鳴るという「スベリティアの晩鐘」を管理していた。

 しかし、長い年月で国は弱体化した。ガー皇国に攻め込まれた神国は滅び、最後の皇帝は自刃した。

 現在のスベリティア神国の領土は、ガー皇国に併呑され、民たちは細々と自分たちの文化を守って生きている。


「皇女殿下の母君の名はアグスティナ。アグスティナ・イルナ・アマリア・スベリティア。五年前に自害された最後の皇帝でした。第三皇女殿下は、ガー皇国とスベリティア神国、二つの国の皇統を継いでおられる。血筋だけいえば、大陸でもっとも高貴な姫君であらせられます」

「だが、それは……。まだ、女であってよかったのかもしれないな」

「ええ、そうです。皇女殿下は危うい立場におられる。争いの種になりかねません。だからこそ、皇国内でも様々な意見が渦巻いております」


 養女という形式を取ったのも、いらぬ争いを生まぬためだろう。

 スベリティア神国の希望で、ガー皇国の混沌の種だ。


「つまり、その皇女殿下に仕える俺の立場は……」

「非常に微妙なものですね、はい。しかし、ハッセル王国の方ならば宮廷内での力関係が変化することはないでしょう。これは重畳です」


 彼女を見た他国の王子たちが意味深な行動をとるわけである。


「まあ、うちの国は豆粒みたいにちっこいからな。得もないが、損もない」

「小さい国ですが、ハッセル王国は、森と湖がとても美しい国だと聞いていますよ」

「誰から聞いたんだ?」

「祖母がハッセル王国出身なので。よくハッセルの昔話をせがんだものです」


 官吏の顔が柔らかくほぐれる。

 塔の最上階に至ったのは、それからしばらく後のことだ。

 ささくれが目立つ木の扉。その奥にリュドミラ皇女がいるという。


「なぜ、こんなところに……」

「それはわたくしにもよく知りません」


 グスタフはクローヴィスの背から降りると、ごほん、と咳払いをした。


「皇女殿下、失礼いたします。新しく着任した宝玉騎士、クローヴィス・ラトキンが参りました」


 待てど暮らせど、返事はない。

 二人は顔を見合わせた。


「……中で死んでいたらどうする?」

「不吉なことを言わないでくださいよ! おそらく! おそらく! 何らかの形でお返事がくるはずです。勝手にこちらから入ることは……」


 ガチャ。扉が小さく開いた。

 隙間から銀色の頭が覗く。

 ここでクローヴィスは迷った。よくわからないうちに就任してしまった宝玉騎士という役職。その最初にふさわしい挨拶とは何だ。

 首を捻ること、しばし。

 琥珀色の瞳を見つめ続けること、しばし。

 皇女に腕を引っ張られ、中に連れ込まれてから、しばし。

 扉の外に追いやられたグスタフが、諦めて階段を下りていく音が聞こえてくるようになってから。クローヴィスは頭を掻きつつ、「皇女殿下、よろしくお願いします。とりあえず、ごはん、食べてますか?」と言った。


 すると、皇女はクローヴィスの耳元に唇を寄せ、


 、と。

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