クローヴィス・ラトキンは皇女殿下のイヌ
川上桃園
第1話 宝玉騎士選び
「ふう。どうしよう、緊張してきたよ」
エゴール王子が大理石の廊下で振り向いた。
彼はエゴール・ラトキン。大陸の西、ハッセル王国の第七王子で十五歳。彼はとある事情で別の国に来ている。
ガー皇国。ハッセル王国を従属させている宗主国だ。
初めて他国への訪問だ。普段は快活な性格とはいえ、緊張を強いられていた。
「まあ、選ばれないのはわかっているんだけどさ、皇国の属国に当たる王子たちが一堂に会する場だぜ? どうせうちはあの中でも豆粒みたいな国だからって馬鹿にされるんだ。もういいや、お土産に期待していよう。宗主国であるだけに、うちの大使が毎回待たされるお土産は本当に素晴らしいんだよ。ダイヤにエメラルドにルビーに……ああ、キラキラの宝石世界! ね!」
後方からついてきていた男が「すごい早口だな」と相槌を打つ。細身のエゴールと比べると、かなり大柄で筋肉質な男だ。おまけに意志が固そうな眉毛がくっきりとある。
「僕は緊張すると口が走るんだよ。余計なことまでしゃべりたくなる。ねえ、助けて叔父上。僕、謁見室で緊張のあまり心臓吐き出すかもしんない。いや、その前にぺちゃくちゃしゃべりすぎて、近衛に切り殺されるかも……」
「ああ、うん」
叔父上と呼ばれた男は頷く。でも頭を掻いた。甥っ子の言うことを聞き流したいからだ。
「どうして僕が行かなくちゃいけなかったんだろう? ほら、僕じゃなくてもいいわけじゃん? 上には兄上が六人も! いるのに!」
「うん。色んな都合があるだろ、みんな」
「そうだよ! みんな国を離れられなかったり、年齢制限で引っかかるんだよ! 十五歳以上、二十歳以下ってさあ……」
彼らが外遊に出たわけ。それは宗主国であるガー皇国から書簡が届いたからだ。
意訳すると「皇女の騎士を選ぶ。ついては各国より候補者となる王子を皇国に寄こすべし」という旨と「求める王子の条件」が書かれていた。
「まるで婿候補でも探しているみたい。あとこのまま人質になりそう」
「案外、当たっているかもな」
「王子」の中から選ぶというのだから、と二人はそこで合意を果たした。
「でしょ? 叔父上だってそう思うでしょ? ああ、せめて叔父上が候補者で僕がただのお供だったらよかったのに……」
「うん、残念だったな」
少年の叔父は二十七歳であるし、王子の教育さえ受けていなかった庶子であるため、もちろん声はかからない。今はただの付き人として皇宮に足を踏み入れていた。
「叔父上は気楽でいいよね。他人事だからさ……」
「俺は元々、緊張はあまりしないからなあ……あ、でもあったな、緊張した時」
「いつさ?」
「戦争で心臓を貫かれかけた時。死ぬかと思った」
「やだなあ、叔父上。何だってこんなところで血なまぐさい話をするの。空気読んでよ。ほら、先導する人、笑っているじゃん」
先導する皇国の侍従が口元に手を当てて、肩を震わせていた。男の言い方がツボに入ったらしい。
「そうか。悪かったな」
「そうだよ。叔父上が悪い。ところで、謁見室はそろそろかな? うちの王宮よりめちゃくちゃ広いなあ」
「そうだなあ。もうちょっとじゃないか?」
そう言い合いをしていたうちに、いかにもそれらしい大扉が目の前に現れた。先導の侍従が、「謁見室にございます」と声をかけてくる。
「他にも王子たちが来ているの?」
「はい。ただし、一度に謁見されるとのことです。ハッセル王国の方々は最初にお通しするようにと伺っております」
謁見の順番は、国力や従属した順で決められているということだ。ハッセル王国は国力脆弱、従属も最後ということで最初に入場しろということだ。待ち時間は何時間だろう。
「ふむ。まあ、妥当じゃないか、国力としても」
「しょうがないかなあ」
ああ、これが悲しき現実、とエゴールは泣きまねをしてみせた。
侍従がまた笑いをかみ殺すはめになる。
「暇つぶしに端っこの方からさ、入ってくる王子たちを眺めていようよ」
「そうだな、暇だもんな」
雰囲気は異なるのに不思議と息の合う二人は、言葉通りに謁見室の端に陣取った。全体が眺められる好ポジションだ。
二人が待っているうちに、次々と王子たちが入場してくる。肌の色、目の色、髪の色が多様だ。ガー皇国が大陸の覇権国家であることを如実に表している光景だった。
そして、小国の出であるエゴール王子とその付き人が、完全に空気のような扱いを受けていた。たまたま国家間で仲の良い一、二か国の王子たちと挨拶を交わしただけだ。それもハッセル王国側から行ったもので、ここからも彼らの立場の弱さが表れている。
ガー皇国は小国と大国合わせて、三十五か国を束ねる宗主国だ。それに伴う広大な国土と多くの国民、強い軍隊と高度な技術力を有している。
対して、エゴールたちのハッセル王国は何度も戦火に見舞われる中、何とか存続してきた小国だ。国土ばかりでなく軍隊も技術力も劣っている。
「僕はさ、自分の国が好きだよ。好きだけどさ……いつもどうやって生きていこうか悩んでいる気がする。僕たちの生活を守り抜くためには何が必要なんだろう……?」
「うちの連中、みんな考えていることだ。国王陛下だけじゃない、国民全員が身近な問題として考えている。エゴール、気弱になっていないで、自分の国を誇れ。俺たちの国はどこよりも心が強く、たくましく生きられる人々だ」
「……ほんと、叔父上ってたまには良いこと言うんだからさ。うっかりその気になっちゃうじゃないか」
「うっかりじゃなくて、その気になれ。背筋が曲がっているぞ」
男がエゴールの背中を叩いた。
「ああ、わかった。わかったからさ、クローヴィス!」
軽くふてくされたような顔を作ったエゴールが前を向く。
ちょうど、奥の扉から皇帝らしき男が入ってくるところだった。
宝石のついた王冠に、足元まで覆う赤いマント。
為政者にふさわしい、目つきの鋭い男だ。
彼は玉座に座り、謁見室に集まった百名あまりの人々を睥睨した。
手に持つ王杖で、とん、と床を叩く。
「友好国の王子たち。朕の申し出に応じ、よくぞ参られた。仔細は各国に送った書簡の通り、我が娘の騎士を選ぶために呼びかけた。さっそくであるが、娘を紹介しよう。リュドミラ!」
カツカツカツ。
奥の扉から一人の少女が入ってきた。
真っ白な少女だ。ゆったりとしたシルエットの白いドレス、後ろで三つ編み一つに結われた銀の髪。透けるように白い肌。色味に乏しいと思いきや、アーモンド形の目に嵌った琥珀色の瞳が優しく光っている。
あどけなさが残るも、その美しさは万人が認めるところだろう。
しかし、惜しむらくは彼女の持つ白塗りの杖にあった。
その少女は足が不自由らしく、たどたどしい足取りで王座の前まで歩みを進める。
少女のために王座よりも一回り小さい椅子が用意され、彼女はそこに座した。
「第三皇女のリュドミラである。本日はリュドミラの騎士を選ぼうと思う。だが、見ての通り、このリュドミラは足が悪く、杖がなくては生活ができぬ。そして、聞くことはできても、口を利くことができぬ。よって、リュドミラの騎士には、他の騎士よりも一層の奉仕精神を期待する。誰よりもリュドミラの意を汲み、思いやれる者を求めている。リュドミラに指名された者は、それを心得た上で仕えるように」
両手を膝の上で重ね合わせて座る皇女。その瞳はどこを見つめているわけでもなく、夢を見ているようでもある。
その場にいた大勢の者たちは、その姿に何か思うところがあったようで、同国の者同士で意味ありげな目くばせをしていた。
一方、大勢に含まれていないハッセル王国のエゴール王子は、皇女の美しさに目をやられた。
「叔父上、見てごらん。宝石の! 宝石の妖精だよ、あれ! 実在していたんだね!」
「うん、まあ、美人だがなあ。うーん?」
クローヴィスは目を細め、いぶかしげな返事を返す。
「なんか、心配になる細さじゃないか? 毎日三食、お腹いっぱいにご飯食べているんだろうか。あの足だって、まるで鳥ガラみたいだぞ」
すると、エゴールが泡を食って、「叔父上、口、口! 失礼な感じになってるよ!」と止めた。
こうした場の雰囲気を敏感に感じていたらしい皇帝は、王杖をひときわ大きく鳴らした。
「さて、リュドミラよ。これより一国ずつ若者たちが前に進み出る故、気に入った者があれば引き留めよ。よいな?」
リュドミラ皇女は、後ろを振り向き大きく頷いてみせた。
王子たちは一列に並ばされ、一人ずつ皇女の前に出てくることになった。それぞれ一礼し、皇女への挨拶を述べていく。
皇女は誰に対しても表情筋一つ動かすことなかった。まるで彫像や人形がただそこに存在しているかのごとくだ。
順番は、大国から先になっていた。後に行くほど小国になる。挨拶を終えた者は謁見室を後にした。
最後まで行っても騎士が見つからなかった場合は、後日また選考が行われることとなり、そのまま皇宮に留め置かれることがあらかじめ言い置かれていた。
最後尾に並ぶエゴールは自らの心臓に手を当てながら、「ドキドキ、ドキドキ」と緊張まじりのおどけを披露している。
「でもさすがに僕の番が来る前に終わってしまうよね。ああ、早く帰ろうぜ。清潔なシーツの張ったベッドに飛び込みたい……」
「皇宮のベッドならきっと最高級品じゃないか?」
「違うよ、自室のベッドだよっ! 皇宮だったらかえって眠れないよ、もう!」
「だったら胃薬飲むか? 水無し一錠」
「もっと早くに欲しかった!」
王子は胃薬を流し込んだ。
そんなことをやっている間にも、三人、二人、一人……と前に並ぶ人数が減ってくる。
クローヴィスは付き人らしく黙りこむ。甥っこの足がぶるぶる震えていても、「なるようにしかならない」と思っていた。
「ハッセル王国、エゴール王子!」
侍従の言葉にエゴールは前に進み出て、慎重に片足をつき、頭を下げた。
「エゴールでございます。年は十五にございます。皇帝陛下、皇女殿下に拝謁することができ、ありがたき幸せでごじゃいましゅ!」
エゴールは噛んでしまう。本人の顔が赤くなる。
惜しい、あとちょっとだった。でも頑張った。クローヴィスは素知らぬふりをしながら思った。結局、甥っ子が可愛いのである。
「叔父のクローヴィスにございます。我が甥は此度が初めての外遊ゆえ、緊張しているようです。どうか、お目こぼしくださいますよう、陛下、殿下にはお願いする次第にて」
「よいぞ」
皇帝は思いのほか、鷹揚に受け止めているようだった。
クローヴィスがちらりと皇女を見ると、皇女は膝の上に乗せた蝋板に金属の針でごりごりと文字を綴っているようだった。あれで意思疎通をしているのかと感心する。
ふと目が合う。
彼女は両手の指である形を作った。
クローヴィスが頷いてみせる。すると、彼女ははっとなって、立ち上がった。よろめきそうになったのをこらえて、杖で体のバランスを取る。
「リュドミラ?」
皇帝が不思議そうに名を呼びかけるのも、目に入っていない。
リュドミラ皇女はクローヴィスの前まで来た。
皇女は女性としても小柄だった。大柄なクローヴィスの鳩尾にも届かない身長だった。
皇女は彼を見上げると、琥珀色の瞳をきらきらと輝かせた。それこそ、本物の宝石のように。
「ん?」
ぐいーっ、とクローヴィスの正装の袖が引っ張られる。
視線が合わないのかと思い、彼は跪いた。
すると。頭頂部に何かが乗った。それが、皇女の手だと気づくのに数秒かかる。
皇女に頭を撫でられていた。なぜか、クローヴィスが。
「お、お、おおおお、叔父上!」
大地震が到来したかのごとく震えが止まらない甥。
クローヴィスは思った。
……もしかしなくとも妙なことになったんじゃないの?
次の日、ガー皇国皇帝から勅書が届いた。
「汝、クローヴィス・ラトキンを、ガー皇国、第二十一代皇帝ギルシュリアの三女、リュドミラ皇女の宝玉騎士に任ずる」と。
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