第1章ー23 魔法の終わり

 夜更けを少し過ぎた暗闇。深夜というには遅すぎて、早朝と呼ぶにはいささか早い――午前三時半を回ったイースト・エンドの狭い路地は、普段なら警官に公園を追い出された浮浪者がさ迷い歩いているくらいだ。人気はなく、腐った木と石で作られた家々に反射する。


 しかし今日は違った。その理由は、密集した欠陥住宅の向こうから見える煙と光と喧騒のせいだ。理由はわかっている。というより、こうなってしまった原因はわたしとハルにあるのだから解って当然の話だ。


 あの先にあるのは、地面が崩れ底抜けになった工場。まだ見なくてもわかるのは、そのちょうど真下にある施設こそ、わたしたちが相手取った裏組織、ラビットハウスの競売所だからだ。


 作戦を聞いた時点で、こうなることは知っていた。きっとああなってしまっては、たとえ警察上層部とのパイプがあったとしても隠し切れないだろう。廃業は免れないはずだ。罪悪感はない。やっていたことがことなだけに、何の哀れみも申し訳なさも感じない。

 そしていま、わたしの隣には小柄で黒髪の相棒はいない。


 ――リーナは帰ってて。ここからは俺たちの仕事だから――


 そう言って、ハルがあの倉庫に残ったからだ。

 大丈夫なのだろうか……黙って歩いているとそんな事ばかり考えてしまう。


 わたしとハルがやったことは、完全にハルにとって規則違反のはずだ。それはあの時助けてくれたアイラさんも言っていた。気にするなとハルには言外に匂わされたけれど、やっぱり巻き込んでしまった側として責任を感じてしまう。


 そんなことを考えているうちに、気が付くとすれ違う人の数が明らかに増えてきた。すれ違うのは、制服に身をまとった警察官。風の音さえうるさく感じてしまうほどの静寂も、今は影も形もない。

 何かが燃える音、崩れる音、人の怒号――道を進むたびにそれらは大きくなっていく。流れる空気も、普段の湿っぽくて臭いソレに加えてほこりっぽい。


「……うわぁ」


 角を曲がった先の光景を見て、思わずそう呟いた。

 少し前に見た錆びだらけの工場は、跡形もなく消えていた、正確には地面に飲み込まれていた。


 工場があったはずの場所にはぽっかりと大穴が空き、その穴につい数時間前まで工場が、狭そうに身を押し付けあっている。無事だった地面に立つ建物まで崩れているのは、安全対策を怠ってきたツケだろうか。素人目のわたしにも、この工場がたどる道は廃業しかないことくらい簡単に分かった。


「やっぱり、やりすぎだったかな……」


 ふと、この工場で働いている人たちの生活を想像してしまった。いくら直接手を下したのではないとしても、彼らの生活基盤を間接的に奪ってしまったことに罪悪感を覚えた。できれば、この場所に新しい工場が立ってくれればいいのだけれど……。


 と、そんなことを考えていた時、

 後ろから、高いラッパ音が威嚇するように夜を突き抜けてきた。


 振り返る。懐中電灯とは明らかに一線を画す光度の物体が二つ。低いうなり声を上げながら近づいて来る。二つの光は馬車の何倍もの速さで大きくなり、大きめの車体がまとっていた闇の黒を振り払い、その赤いボディーをさらす。


 ロールス・ロイス社製造、大型高級乗用自動車「40/50HP型」――通称〝シルヴァーゴースト〟。ゴーストと呼ぶにふさわしい、八日巻の時計よりも静粛であると評されるエンジン音をいななかせる、円柱と箱をくっつけたような車体。後ろに箱状の客席を取り付けた、Shooting-Brakeと呼ばれるモデルだ。


 あまり使いこまれていない最新のもの。そしてその車体には、家々の貴族が持つ家紋が描かれている。


 あの家紋と車には、見覚えがある。


 その中に乗っている人間が誰なのか思い至ったのと、車体がわたしの目の前で止まったのはほとんど同時だった。

 バン! と、乱暴に客席の扉が中から開けられる。


「やはりいたか」


 中にいたのは、わたしの予想した通りの人物だった。


「ひとまず乗れ。話はそれからだ」


「はい。失礼いたします」


 その声に従い、周りから人が集まってくるよりも前に車の中へと乗り込む。乗り込んだと同時に彼は扉を閉め、彼の「出せ」という言葉と共にすぐさま車は発進した。


 後方についた窓から透けて見える工場の残骸。しかしそれは猛スピードによって瞬く間に小さくなっていき、崩れかけの家々の向こうに消えた。


「…………はぁ~~……」


 それからしばらくし、大きなため息の音が聞こえる。ため息の主はもちろん、わたしの目の前に座る上司だ。


「色々と、やらかしてくれたな」


 疲れたように、直属の上司――ウォーレン・ホリングワース大佐は口を開いた。


「武器の無断持ち出しに工場の爆破、そしてラビットハウスの拠点壊滅と関係者の逮捕……いろいろ起こりすぎて頭が狂いそうだ。知っていることを全部話せ。なぜここにいるのか、なぜ武器を持ち出したのか、なぜ俺に報告の一つもなかったのか、全てだ」


「はい」


 返事をし、考えをまとめるふりをして少し黙る。そして背負っていた小銃を思い出し横に立てかけた後、説明を始める。


「この場所に来たのはつい先ほどです。とある人物から、この地下に行方不明になった子供たちが出品されている可能性があるという情報を寄せられたので。小銃を持ち出したのは、情報に信ぴょう性があり、事態は一刻を争うと判断したためです。大佐への報告を怠ったのも同様の理由です。ですので、中で何があったのかはわたしにも……」


「たとえ情報に信ぴょう性があったとしても、一人で潜入するなど無計画すぎる。侵入経路、脱出経路、敵の数、内部の構造、子供のいる位置、計画成功率……以上のことを考えていたとはとても思えん。まるで新兵以下の判断能力だぞ。落第だ。貴様には士官としての心構えや基礎知識すら備わっていない。独断行動、武器の無断使用も合わせれば降格処分ものだ、とても擁護はできない」


「……申し訳ありません。処分なら、謹んでお受けいたします」


「はぁ、まあいい。処分は後だ。もうひとつ訊く。貴様の情報提供者とは、黒髪の少年ではなかったか? 歳はおそらく、十代前半。少しばかり東洋の血が混ざっているような顔ぶれだ」


「! はい……どうしてそれを」


「簡単なことだ。俺の屋敷にも来た」


 そう言って、大佐は軍服の胸ポケットから一枚の小さな紙きれを取り出した。それを右手の人差し指と中指で挟み、こちらへと突き出す。その紙を受け取り、開いて中の文字を読む。

 書かれていたのは、


「これは……住所、ですね。かなり海岸側の」


「ご丁寧に時間指定までしていた。部下を向かわせたら、その場所に子供たちの入った檻があった。例の子供もだ。栄養失調になってはいたが、全員命に別状はないらしい」


「しかしどうして……そんなところに」


「俺が知るか。俺よりも貴様の方が詳しいのではないか?」


 そう言って言葉を切り、大佐は真っ直ぐわたしの目を見つめてきた。


「正直に答えろ。あの少年はいったい何者だ。なぜ一緒に行動している」


「…………」


 疑いと不信感のこもった目。何かを探っているような、そんな気がする。

 今のわたしは、大佐にとって部下ではなくこの事件に関与した容疑者として見られているのかもしれない。だとすれば、嘘をつくのは悪手だ。ハルのことを知っている以上、彼から何か情報を得ているはず……。


 ほんの数秒の間に、わたしは脳を生まれてから最速で回転させた。どこまで話していいものか――目の前の上司は、いったいどこまで知っているのか。ハルはどこまで話したのか……。


 言葉を選びながら、わたしは口を開く。


「操作の途中、ワイト島で遭遇しました。彼は魔術師を追っているらしく、子供たちはその生贄にさらわれた可能性があると、そう聞きました。それで、わたしから捜査に協力してもらうよう要請しました」


「魔術師とは、あのどもか?」


「はい。そう考えて差し支えないはずです」


「あの少年自体が魔術師という可能性は考えなかったのか?」


「それはないと思います。彼には、魔術師が刻む刺青はありませんでしたから」


「なぜ別行動をとった」


「下見のつもりでした。その間に、彼は別の場所に用があると言っていました」


「怪しすぎる。なぜあれの言葉を信じた。あの少年が信用に足りると判断した理由は?」


「勘です。最悪の場合でも、被害をこうむるのはわたし一人ですので賭けてみる価値はあったと、そう考えました。今では、軽率な行動だったと猛省しています」


「………………そうか」


 額に親指の腹を当て、少しうつむき、大佐は一言だけそう言葉を返した。

 表情は分からない。うつむいた人間の表情を読み取るには、この車内は暗すぎる。わかったのは、大佐が呟いた一言がやけに重苦しいものだったということだけだ。


 大丈夫。嘘は言っていない。

 ごまかしはしたし、付け足すべき言葉を省きもした。だけど嘘は言っていない。わたしが話したことをそのまま受け止めるなら、ハルという少年が謎に包まれた存在だとわかるだけ。わたしに訊いたところで何も分からない――そう判断するはずだ。


「…………」


「……………………」


 長い、長い、沈黙ののち。


「最後にひとつだけ、突拍子のないことを訊かせてくれ。ついでだ、気楽に構えていい」


 大佐はそう口を開く。





「魔法使いがいる――そう言われたら、君は信じるか?」





 出た言葉は、字面通り突拍子もない質問だった。訊く対象が、

 ドクンと、心臓が一度だけ大きく跳ねた。


 ――……まさか。大佐は……。


 どこまで知っているのだろうか。というよりも、ハルは話したのだろうか。

 大佐にも、自身が魔法使いだということを話したのだろうか。いやしかし、わたしを助けたことすら特例なんだと言外に匂わせていた。だとしたら、わたしよりもはるかに力が強く、国の内部に近い大佐にそんなことを話すだろうか。それに、言ったとしたらどうしてわたしに伝えてくれなかったのだろうか。


 もしかして、自力でハルの正体にたどり着いたのだろうか。


 知りたい。はっきりさせたい。

 目の前の彼がこちら側なのかどうなのか。たった一言訊けばいいだけだ「、ハルの正体を知っているのですか?」と。


 だけど、それはわたしにできないことだ。

 わたし自身が、ハルとそう契約しているんだから。


 はっきりとはさせられない。どんなに匂わされたって、どんなに確証に近くたって、それはわたしの口からは確かめられない。


「信じます」


 だから、


「たとえ笑われたとしても、もしわたしが直接見たのであれば、何があっても信じると思います」


 今のわたしにできるのは、ここまでだ。

 もし、ウォーレン大佐が何も知らないのであれば、今の言葉はわたしの単なる想像と願望に過ぎない。でも何かを知っているのであれば、わたしも同じく知っているのだと気づいてもらえる。

 きっとこれは契約ギリギリの行為だ。でも、大佐が訊くことができたのなら、わたしにもできるはず――そいう考えた危うい賭けだった。


「…………そうか。分かった」


 伝わったのか、伝わらなかったのか。


「家の前まで送ろう。番地を教えてくれ」


 その言葉を最後に、大佐はそれ以上何も発しなかった。


          ◆◇


「ごめんヨぉぉぉ! 気づいてあげられなくテっ。おかえリぃぃぃいい!」


 耳をふさぎたくなるほど大きな、もはや絶叫に近い鳴き声が夜の草原に響く。大粒の涙と鼻水を垂らしながら、顔をくしゃくしゃにして大声で泣いているのはアルマだ。


 まるでわたしたちのことなんて見えてないみたいに、ずっと《彼女》に抱き着きながら体のあちこちをさすっている。それでも、包帯が巻かれた場所には絶対に触らないあたりが、彼女のすごさいところだ。


「またどこかに行ってるだけだと思ってたかラ! 今度からちゃんと探してあげるかラ! ホントにごめんヨぉぉぉ!」


《…………。……、……。》


 そんな彼女を、半分うれしそうに、半分うっとうしそうに上から眺める目がふたつ。ため息をつくように目を細めて、抱き着いて泣きじゃくるアルマの頭を時折小突く。


「狭っ苦しい檻で運んでごめんな。あっちにお母さんもいるから、さぁ行きな」


 そう言って、ハルも白い体を優しく叩く。

 今度は、彼女がハルを噛むことはなかった。あの時が嘘のような穏やかな表情で、ハルの頬にも顔をこすりつけている。


 その後、ふと何かを思い出したように彼女――ユニコーンがわたしの方へと頭をもたげる。

 そして、短く嘶いた。


 ありがとう――なぜだかそう言った気がした。


「ごめんね、怖い思いさせて。でももう大丈夫だから。たっぷりお母さんに甘えてね」


 その言葉が通じたのだろうか。彼女はアルマを持ち上げ背中に乗せた後、向こうにいる仲間たちの方へとゆっくり歩き始める。時折なにか心残りがあるかのようにこちらを振り返りながら。


 それでも、手を振ってあげると振り切ったように走り出した。


「…………あの子は大丈夫だよ。角は折れたけど、こっちにいれば死ぬことはないから」


「よかった。それだけが心配だったの」


 一緒に手を振っていたハルが、隣からそう教えてくれた。その吉報を聞いて、少しだけ心の奥が軽くなる。


「ハル、ありがとう。わたしまであの子に合わせてくれて」


「会いたそうにしてるって、アルマから聞いたからさ。ユニコーンって結構義理堅いから、お礼が言いたかったんじゃないの?」


「そうなのかな。嫌われてなかったなら、うれしいけど」


「大丈夫だって」


「だったら、うれしいわ」


 彼女がわたしのことを拒絶しても、仕方がないと思っていた。

 だって、彼女にとってわたしは人間だから。彼女に害を与えた奴らと同じ人間だから。ひとくくりにされても仕方ないと思っていた。


 だけど、その心配は杞憂だった。彼女は、思っていた以上に優しかった。

 角が折れた根元を労わるように舐める、お母さんと思しきユニコーン。ほかにも体をこすりつけているのは家族なのだろうか。みんな、まるでわたしたちと同じように笑っている。


 あの子のあんな顔を見れてだけで、ぜんぶ報われたような気がする。


 これを見れただけで、わたしはもう十分だ。

 少し大げさだけれど、わたしの人生は今このために会ったんだって、そうとさえ思えた。


「あああ~~~~っ、終わった!」


「お疲れ様」


 思いっきり脱力したように息を吐き、ハルは草原に寝転がる。四肢を伸ばし、荷物を投げ出し、微精霊たちが昇っていく夜に向かって手を伸ばしていた。


 相棒をねぎらい、わたしも隣に膝を抱えて座る。みっともないとか、そんなことは何も思わない。だって、彼は本当に頑張ったんだもの。今くらいは、すべて忘れて――、


「っていっても、全然終わりじゃないけど」


 とは、いかないみたいだ。


「後処理があるんだっけ?」


「そうそう。事情聴取と大量の報告書! 処分はどうなんのかなぁー……給料減るだけならいいけど」


 うへぇ、と舌を出し、ハルはしかめっ面をする。「結構カツカツなんだよね」と、恥ずかしそうに苦笑する。


「わたしに何かできることがあったら言って。できる限りやるから」


「えぇ……、なんでそんなにやる気なのさ」


「だって弟子ですから? お師匠のお手伝いは喜んで承りますともっ」


 こぶしを握り、二、三度胸に打ち付ける。不敵に笑いかけると、ハルは胡散臭い人を見るような生暖かい目で見つめ返してくる。すべてが終わった今は、この何でもないやりとりがとても心地いい。


 でも、やっぱりやめよう。こんな言い方は。

 なんだかズルい気がする。こんな言い方は逃げになるはずだから。ハルに対して、誠実じゃないから。


「――っていうのは冗談。本当は、君に迷惑かけちゃった罪滅ぼしかな」


「迷惑なんて」


「かけてるでしょ? だって、あの子を助けるだけならこんな大騒動になんてならなかった。でも子供たちまで助けるために、君をボロボロにして。その所為で、君はいらない処分まで受けるかもしれない」


「それは違う!」


「……………っ」


「リーナと約束したから、ユニコーンを連れ戻せた。リーナに会ったから、ガードナーさんを止められた。これ以上暴走させずに済んだんだっ。感謝しかないよ。迷惑なんて、思ってない!」


「…………そっか。ありがとう」


 不覚にも、何か熱いものがこみ上げてきた。


 わたしを見つめるハルの目は真剣そのものだった。少し怒ったような表情で、真正面からぶつかってくる。

 それに耐えきれなくて、お礼を言いながら下を向く。どうしてなんだろう。どうして、彼の言葉は毎回わたしの感情を揺さぶるんだろう。


「やっぱりダメだなぁ、わたし。年下の子に諭されるなんて」


「俺だってもうすぐ十六だっつーの」


「わたしはもうすぐ十九よ? 結婚しててもおかしくない歳だもの」


「だからって弟扱いかよ。師匠じゃないのかよ」


「あら、お嫌かしら?」


「……別にいいけどさ」


 少し拗ねたような声。だけど、チラリと横目で見た相棒の顔は笑っていた。


「…………」


「……………………」


 それから、お互いに何も話さない。

 遠くからのユニコーンの嘶きと、風の音だけが耳に入る。だけど、不思議とこの沈黙を心苦しく感じるようなことはない。


 しばらくして、口を開いたのはハルだった。


「…………訊かないんだな、何も」


「あの時の話?」


「うん」


「訊かないわ。仮にハルがそういうこと気にしない人だったとしても、あの話はわたしから踏み込んじゃいけないはずだから。詮索されたくないならなおさら」


「律義なんだな」


「君ほどじゃないわ」


 そう。あの話はわたしが踏み込んでいい話じゃない。

 やっと分かった。どうして、彼が過去の話を詮索されたくないと思うのか。あんなことを経験すれば、話したくならないもの当然だ。もしわたしがハルだったら、思い出したくもない。


 良かれと思ってした善意で、一番大好きな相手を殺してしまった記憶なんて……。


「……あの話は、ぜんぶ本当だよ」


「――っ、そうなんだ」


「ああ。俺が悪魔を召喚したのも、母さんが死んでるのも、母さんが死んだ原因が、俺のせいなのも……ぜんぶ本当だよ」


 そのはずなのに、ハルはぽつりぽつりと、わたしにあの時の話を語り始める。

 横から見るその顔は辛そうで、地面に置いた手は雑草を千切れるほど強く握っている。本心は語りたくない。でも、理性でそれを押し付けて話している――そんな感じ。


 まるで、自分の中で何か覚悟を決めたような、そんな表情。


「ねぇ、リーナ」


「ん?」


「もし、後ろめたく感じてるなら、独り言を聞いてほしいんだけど……いいかな?」


「…………ええ。ハルがいいなら」


「聞いてほしいんだ。話さなきゃ、前に進めないような気がする」


「……解ったわ」


 わたしの返事にほっと安心したように息をつく。そして少しだけ、言葉を探すようにハルの口が開いたり閉じたりを繰り返す。

 二十秒くらいたって、かすれた声でハルが話し始めた。


「母さんは、不治の病だったんだ」


 今まで封印してきたことを、心の内側を、吐露する。


「魔法じゃ母さんの病気は治せなくて、日に日に弱っていくのを俺は見てるだけだった。だから、悪魔の力を借りたんだ。魔法じゃない別の力なら、母さんを元に戻せるんじゃないかって……でも、」


「ダメだった」、そう言ったハルの目から、一滴だけ、何かが落ちて地面に吸い込まれた。


「次に覚えてるのは、血だらけになって倒れてる母さんの姿。訳が分からなかった。でも、俺のせいだってことくらいは理解できた。俺が……俺が母さんを殺したんだ」


「………………」


 何も言えなかった。わたしには、言う資格なんてなかった。

 正直、全て予想はついていたし、事実それから大きく外れたものじゃなかった。


 でも、面得かって言われるそれは、ハルの感情がモロに載せられた記憶は、想像を絶するほど強烈だった。

 自分の愛する人を無知のせいで殺してしまうなんて、わたしなら正気を失う自信がある。まして、向き合おうなんて思わない。だからこそ、どれだけハルが無理をして話しているのかが分かった。


 ハルは優しい。だからこそ、薄れるはずの記憶に今でも苦悩している。


「でもそれは、たった一回きりで。もしかしたら、百回に一回はうまくいってたかもしれない。悪魔にも良心を持つ奴がいて、叶えてくれたかもしれない。さっきはないって言ったけど、可能性はあるはずなんだ」


 優しいからこそ、他の人のためにあそこまで体を張れる。


「だから分からないんだ。ガードナーさんを止めたのが、本当に正しかったのかって」


 その選択に、苦悩できる。


「俺は……、どうすればよかったのかな……」


 本当に、いい意味でも悪い意味でも、彼は誠実だ。

 目をそむけた方がいいはずのことでも、そうすることが不誠実だと思ったのなら見つめようとしてしまう。


 だから、傷ついてしまう。時間が癒すはずの傷を掻きむしって、自分で自分を傷つける。


 どうしようもなく素直で、きれいで、でもとっても危うい。

 そばにいてあげなくちゃ、いつか壊れてしまうような――そんな気にさせてくる。


「……ごめんね。初めに謝っておくけど、ハルの気持ちがわかるなんてとてもじゃないけど言えない。わたしは、ハルじゃないから。君のことをまだ何も知らないから。ハルのことは慰められないし、間違ってるかどうかなんてことも言えない」


 それなりに長い沈黙を経て、慎重に言葉を選びながらハルに語り掛ける。


 わたしが断言できるようなことは何もない。頼られてこんなことをいうのは無責任にしか思えないけれど、今のハルにどんな言葉をかけようとしても、きっとわたしの言葉はチープで薄っぺらなものにしかならない。その確信がある。

 だから、わたしにできるのは整理することだけだ。


「でも、……いいえ。だから、わたしは自分が訊けることだけを訊くわね」


 ぐちゃぐちゃになった彼の心を、見やすいように整理してあげることだけだ。


「まず一つ目。結果的にガードナーさんは道を踏み外さなかった。違わない?」


「……うん」


「二つ目。さらわれた子供たちが死ぬこともなかった。それに、これからも関係のない人たちが死ぬことはない。違わない?」


「……うん」


「三つ目。囚われてたユニコーンあの子を助け出せた。違わない?」


「うん」


「四つ目。サラさんとミシェルちゃんが一番悲しむ結末は避けられた。違わない?」


「うん」


「じゃあ、最後の質問。……ハルは、いま言ったことで望まなかった結果はある? 起こらなければよかったって、無かったことにしたいって、そう思った結末はある?」


「…………ない、と、思う」


「だったら、いいんじゃないかな」


「……。」


「いま言ったことを守れたんだってことくらいは、誇ってもいいと思うわ」


 だって、ハルにはそうする権利があるはずだ。

 ここは、ハルの悪い癖だと思う。責任や是非にばかり引きつけられて、そこから先を見ようとしない。


 断言できる。ハルの行いで、守られたものは絶対にある。少なくとも、それを誇ることが間違いなんて言わせない。

 わたしたちは、神様じゃない。それどころか、何もしない神様よりもハルはずっと偉いはずだ。そんなハルが、守れたものに目を向けないなんてもったいなさすぎる。誰からも褒められないなんて理不尽すぎる。そんなのは、絶対間違ってる。


「……誇っても、いいのかな」


「ええ。だって本当のことだもの」


 解ってくれたんだろうか。


「ありがとう。リーナに会えてよかったや」


 はにかむハルは、少しだけ恥ずかしそうだった。


 と、そこに、

「時間です。彼女は私が送っていきます」


 唐突に、後ろから声が割り込んできた。

 振りむいた先に立っていたのは、わたしたちを逃がしてくれた恩人――アイラさんだった。


「……いつから」


「ずっとです。あなたがユニコーンに話しかけてるところから」


「だいぶ最初じゃん!」


「ですからそう言っているでしょう」


 相も変わらず感情の無い声で、淡々と彼女は言葉を発する。このやり取りだけを見ていると、本当に姉弟みたいに見える。少しだけ彼女に苦手意識を持っていたけれど、もしかして、わたしたちの話がひと段落するまで待っていてくれたのだろうか。なんだか少しだけ、彼女に対しての意識が変わった気がする。


「今なら彼女を連れていけます。見つかる前に、ここを出たいので。いいですね、リーナさん」


「はい。わたしはいつでも」


「じゃあ、さよならだ」


 そう言って、ハルは立ち上がり、右手を差し出す。

 わたしよりも少し小さいくらいの、でもわたし以上に硬くなった手。わたしがその手を取ると、ハルは少しだけ恥ずかしそうにはにかんだ。


「あんまりソフィちゃんに迷惑かけないでね」


「う、……善処します」


「それと、何か助けが必要だったら、わたしを頼って。何年後でも。絶対に力になるから」


「分かった。その時は直接会いに行くよ」


「また、会えるわよね?」


 そんなはずないことは解っている。

 でも、訊かずにはいられなかった。


「……ああ。きっと近いうちに」


 少しだけきょとん、という顔をした後、ハルがそう返事して笑う。

 さっきの恥ずかしさが微塵もないことに、少しだけ何かを感じる。でも、わたしにはその真意が何なのかは結局推し量ることもできなかった。


「ええ。だといいわね」


「さよなら、リーナ。君のおかげで助かった」


「こちらこそ。素敵な旅をありがとう」


 出された手を握る。

 これは、後から気が付いた話だ。


 わたしにかけられた魔法は、きっとその時に解けて、






 

 そしてもう一度、魔法にかけられたんだ。

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