第1章ー22 幕間:愛しい夫
あなたはいつもそうでしたね。
自分のことは、なにも教えてくれませんでした。
どれだけつらい思いをしてきたのかも、どれだけのものを捨ててきたのかも。
小さいころから、あなたと遊ぶことだけが私の楽しみでした。
私は貴族令嬢。あなたは食品配達の見習い。住む世界が違うからこそ、あなたに惹かれたのかもしれません。秘密の場所でお話しして、こっそり持ってきたお菓子を食べて、日ごろの鬱憤をあなたにぶつけてしまいました。
あなたは、黙って聞くだけでしたね。それだけでした。でも、私にはうれしかった。心の奥底を知っている理解者が一人いる――そのことがどれだけ心強かったか。
いつだったか、家を飛び出して隠れた森に迎えに来てくれたこともありましたね。
あのときは、将来添い遂げえる人がもう決まっていると言われて我慢できなかったんです。私はお父様の人形じゃない! そう言いたくて、でも言えなくて、逃げ出してしまいました。
自分で逃げたくせに帰れなくなって、べそをかいていた私をたった数時間で見つけてくれましたね。月光に照らされたあなた――道に迷って、もう死ぬんだと思っていた私にはまるで王子さまでした。
私の初恋は、きっとあのときです。
大声で泣く私を、あなたは理由ひとつ聞かずに抱きしめてくれましたね。何度も何度も、私の頭をなでてくれました。泣きじゃくりながら、私はあなたにそのことをぶつけていましたね。『一生縛られるのはイヤ! あなたと結婚する!』あの言葉は冗談でもなんでもなかったんですよ?
でもその日から、あなたは会いに来てくれなくなりました。
なにも言わずにいなくなって、本気で悲しかったんです。私の初恋は、ほんの一週間も続きませんでした。
あなたは本当にいつもそうでした。私には、大切なことなんてなにも教えてくれませんでした。
だから、私があなたの想いに気が付いたのは十五年も先になってからでした。最初の婚約者が没落して、お父様が用意した婚約者候補の中にあなたがいたときでした。
ようやく気が付いたんです。
あなたはずっと、私が言ったわがままを叶えるために頑張っていたんだって。
十五年ぶりに会ったあの日、強引にキスしてしまってごめんなさい。
だって、他の婚約者候補がいるって聞いてあなたヘタレてしまったんですもの。カッとなってしまいました。嫌われてしまったと思っていた人が来てくれたのに、またいなくなってしまいそうな顔をするんですもの。
あのときはごめんなさい。反省も後悔もしてないけれど。
そんなあなただからこそ、意地でも手に入れてやるって思ったんだすよ? 教えてくれないなら、隠し事ができないくらい近くにいてやるって。絶対に口にはしませんでしたが。だって、私が嫌な女なんだってあなたに知られたくなかったから。
今になっても、その癖は変わらないんですね。
「すまない」
なにを言うんですか。
あなたをこうさせてしまったのは、ぜんぶ私のせいなのに……。
「ごめんなさい。私のせいで」
「――――……っ」
ああ。
そんなに悲しそうな顔をしないで? シリウス。私は大丈夫だから。
他を犠牲にしてまで生きようとは思わないわ。そんなことをしなくても、私は元気になって見せる。大丈夫よ。私、あきらめが悪いもの。
だから、
ありがとう。
そう言う権利は私にないのかもしれないけれど、言わせて。
そこまで想ってくれるなんて、あなたの妻で幸せです。
「――――サラ……っ!」
ああ。温かい。
少し震える身体が、とっても愛しい。息が詰まるくらいの息苦しさが、とっても心地いい。もう強く抱きしめ返すことはできないけれど、あなたの鼓動を聞くだけで幸せになれる。
しっかり償いましょう? 私たち二人で。
あなたがしたことは許されることなんかじゃないけれど、償えないことじゃない。
それで、二人であの子たちに謝りましょう。ハルとリーナさんに、会いに行きましょう。
辛い思いをさせてごめんなさい、止めてくれてありがとうって、そう言いましょう。
私は、待っていますから。
あなたとまた暮らせる日まで、待っていますから。
たとえ、死が私たちを引き裂いたとしても、
私の心は、愛するあなたと共にあります。
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