第1章ー17 反撃宣言!

「ここ……なんだか懐かしい気がするわ」


 目を細めながらつぶやいた言葉が、水音だけが反響する薄暗い空間に木霊する。


「わたし、イーストエンドで教会に引き取られて住んでたの。わたし以外にもたくさん年下の子供がいて、悪さをしたらここみたいに薄暗い地下倉庫に入れられてた」


 別に自慢するつもりはない。同情してほしい気持ちもなかったし、むしろ進んで話したいなんて思わないことだ。だけど、この空気が少しでも明るくなるなら何も惜しくはなかった。


「…………。」


 檻越しに背中を合わせたハルは何も返さない。

 背中合わせになって、ハルが三角座りをしている。冷たい檻の格子越しに、温かい背中を感じる。だけど何も返ってこない。それが無性に辛い。まるで、自分の心臓が締め付けられるような感覚だ。


 無理もない。だって、味方だと思って疑わなかった人に裏切られたんだから。


 わたしは、ハルとあの人の過去を知らない。どんな関係だったのかも察することしかできない。だけど、薬屋で見たミシェルたちの様子を見る限り、決して浅い関係じゃなかったはずだ。そうでなくちゃミシェルがあんなにハルになつくことはないはずだ。それにさっきだって、ハルがあんなに取り乱して怒りをあらわにするはずがない。


 あのときのハルからは、驚きと怒りに混ざって悲しさが伝わってきた。怒りとは違って、悲しいという感情はただの知人という間柄の人に裏切られて湧いてくるものじゃない。少なくとも、ハル自身はあの人のことを信頼していた。そのことは間違いないはずだ。


「その部屋がひどくってね? 冷たいし暗いしカビ臭いしネズミは走ってるし……あ、わたしは何もしてないわよ? でもほっとけなくて、泣いてる子がいたら時々一緒に、ね」


 ハルがいま抱いているのは、怒りだろうか、悲しみだろうか。それすらわたしには分からない。他人のわたしには、彼の気持ちを察することもできない。でも、このまま黙っていてもいいことはない――それだけは経験で知っている。間違っていないと豪語できる経験則だ。


 辛いことをため込んでいると、いつかその痛みに慣れてしまう。だけどそれは慣れただけで無くなったわけじゃない。少しずつ、着実に、心の器に溜まっていく。溜まっていけばいくほど、こぼした時の傷が大きくなる。


 だからこそ、話し続けた。ハルがひと言でも口を開いてくれるように。そうしないとダメな気がした。多分この気持ちは、彼が孤児院時代の子供たちと同じ匂いをさせているからだろう。


「……………………大変だったんだな」


「うん。それなりにはね」


 ポツリと、ただ一言そう返ってきた。勝負に出るなら今のような気がして、わたしもハルに言葉を返す。


「あまり深くは訊いてこないのね」


「…………訊いてほしかった?」


「そうじゃないけど。イーストエンドの孤児から上流階級の令嬢になるって、わたしから見ても結構な人生でしょ? 悪意が無くても興味本位で訊いてくる人たちがほとんどだったから。ハルみたいに、興味なさげな人は初めて」


「興味が無いってわけじゃないけど……」


 背中越しに苦笑したのが分かった。ポリポリと頬を書く音が聞こえる。


「俺があんまり過去を詮索されたくないタイプだから、相手の過去も不用意に詮索はしないって決めてるだけ」


「そっか。じゃあ、この話は終わりにしよ」


 ぱちんと手を叩き話を締める。「うん」と相変わらず力のない様子でハルがそう返答する。


 ――……危ない。地雷だ。


 つーぅっと汗が伝った気がした。多分、あと少し踏み込んでいたらハルの知られたくない過去を無意識に掘り返してしまっていた。いや、もしかしたらもう触っているかもしれないけれど。とにかく、不用意に過去の発言をするのはNGだ。


 やっぱり、ハルの秘密主義の理由はそういうことだったのだ。わたしの勘は間違っていなかったし、アルマの鼻もほぼ正確だった。この先は聞いてはいけない。生半可な覚悟じゃハルが傷ついてしまうだけだ。訊く側じゃない分、余計に質が悪い。


 わたしからはダメだ。焦ってはダメだ。こればっかりは、わたしの経験則なんてもので動いてはダメだ。今のわたしは、正直に言えば興味本位で聞いているに過ぎない。そんな気持ちで話を聴いたらきっと受け止めきれない。話せば軽くなる以上に、ハルが余計な傷を負うだけだ。


 いつか、ハルから過去の話を打ち明けられるくらい信用されるような人になるのが近道だ。

 すると、沈黙をハルはどう感じたんだろう。


「ごめん」


 唐突に聞こえた、謝罪の言葉。いったい、何に対しての謝罪なのだろうか。


「俺たち魔法使いのもめごとに、君を巻き込んだ」


 はぁ……と、自分でも気が付くとため息を吐いていた。さっきまで抱いていた気遣う気持ちはどこへやら。苛立ちにも似た感情を抱いていた。


 まったく、この少年は……どこまで自罰的なんだろう。


 ドラゴンのウィグールに会ったときといい、さっきのユニコーンや子供たちといい、明らかにハルは背負いすぎだ。背負わなくてもいい重りを勝手に背負って海の底に沈んでもがいている。馬鹿というよりも自業自得だ。そんなに背負えば重いに決まってる。


 苛立ちを抱く。馬鹿みたいに自罰的なハルにも。そして何より、いままで「ごめん」と言い出せなかったわたしにも。


「その話もナシ。それに、謝らなくちゃいけないのはハルじゃなくてわたしの方よ。いなくなっちゃった子たちの捜索を頼んだことだって、ここに付いてきたのだってわたしの意思だもの。そんなことまで君のせいにしたくない」


「でも、」


「じゃあ、申し訳ないって思ってるなら一つ訊いていい?」


 それでも、と責任の所在を己に求めるハルの言葉を遮る。そんなに気に病んでいるならと、困惑しているうちに罰に見せかけた質問を飛ばす。


「ガードナーさんのこと。正直言うと、あれが本当にガードナーさんなのかって疑っちゃったくらいだから。薬屋であったときと全然印象が違ったし」


「――――あれは、本人だよ。あの人の魔法は姿の擬態じゃないから」


「そっか」


 少しだけ考えた後、ハルがそう豪語した。答えるまで少しだけタイムラグがあったけれど、その言葉によどみはない。あくまで直感だけれど、わたしには書く仕事をしているわけじゃないと思えた。


「……あの人は、すげぇ良い人なんだよ」


 吐かれる息は震えている。少しだけ声が裏返る。でもそれは、決して怒りの所為じゃなかった。あとに続く言葉を聞けば、そんなことすぐに分かった。


「俺みたいなちんちくりんでも一人の魔法使いとして認めてくれてるし、俺が魔法士試験をパスするために色々裏で頑張ってくれたのもあの人なんだ。ずっと、ずっと、魔法界のために尽くしてきた人なんだ。なのに、どうして……」


 後に続いた言葉の中身は彼に対する賛辞。ハルがどれくらい彼に感謝をしていて、どれだけ彼のことを信頼していて、どれだけショックを受けたのかということを十二分に物語っている。


 わたしには、その言葉だけで十分だった。彼が良い人で、普通ならそんなことをするはずのない人なんだという確証を得られた。


「だとしたら何か裏があるわね。脅されているのか、何か目的でもあるのか……少なくとも根っからの悪人ってわけじゃなさそうね」


「断定しちゃうのな」


「でもそうでしょ? だって――」


 苦笑するハルに真顔で反論する。

 もちろん、彼が根っからの悪人だという可能性が消えたわけじゃない。というよりも、その可能性はどうしても捨てられなかった。なぜなら、そんな人間を見たことがあるから。外面と中身が一致しないなんてことは、嫌というほど理解しているからだ。


 でも、彼の場合はどうしてもそうだとは思えなかった。


 妖精が視えるようになってから、わたしの目にはそれ以外にももう一つ映るものが増えた。それは感情だ。何を考えているのかまでは解らないが、怒りだとか喜びだとか悲しみだとか、そういう喜怒哀楽が読み取れるようになった。オーラが分かる――その表現がいちばん近い。


 彼から見えていたのは、蒼い色だ。それが悲しさを表す色なんだということは直感でわかった。しかもただの〝青〟じゃなく少しくすんだ〝蒼〟。ただ悲しいだけでなく、その裏に何かあるということだ。


 だから、彼が悪人なのだとは最初から思えなかった。もしかしたら、そう思いたくなかっただけなのかもしれないけれど。


 でも、もうひとつ思い当たることがある。

 頭に浮かんだのは、森の薬屋で彼の妻サラさんがわたしに伝えてきた言葉。


『主人をよろしくお願いします』

『どうか、よろしくお願いします……っ』


 あの意味が今やっとわかった気がする。

 彼女は、夫が何をしているのかを薄々分かっていたんだ。それでわたしに頼んだ。あの人があんなに必死になって。そこまで必死になれる相手が根っ子から腐っているとはどうしても思えない。


 そして、一番証拠にはならなくて、でも一番強く訴えかけてくる光景。

 もし彼が根っからの悪人だったというのなら……。


「根っからの悪人だったら、サラさんとミシェルちゃんがあんなに幸せそうな顔するはずないもの」


 すると、


「――――。」


 檻越しに、ハルがはっと息をのんだのが背中から伝わった。


「渡航許可、薬局、子供たち……」


 何か思い当たる節があるのか、ブツブツと独り言をつぶやく。


 十秒だったか、三十秒だったか。


「そうか……そういうことかよっ」


 かすれた声が耳に届く。

 振り返った時に浮かべていたのは、苦虫を噛み潰したような表情だった。


「何かわかったの?」


「ああ。なんであの人がこんな奴らとつるんでるのか。仮説だけど、多分合ってるはずだ」


 はっとし、首だけでなく身体ごと振り返る。

 相も変わらず、ハルは苦虫をかみつぶした表情。でもそこには明らかに焦りの感情が内包されていて、地下の冷たい風を受けているにもかかわらず頬を一筋の汗が伝った。


 どうして――とは訊かなかった。

 その一筋の汗と、震える声。それで、一体いまがどういう状況なのかということを察することができたから。


「……時間が無いのね?」


「ああ。俺たちがここにいることだって、あの人にとっては想定外のことなんだ。あの人のことだから、今は最悪の状態を考えてるはず」


「わたしとハルが逃げ出す、とか?」


「違う。あの人にとっての最悪は、魔法士たちが嗅ぎつけてここに向かっているってことだ。だとしたら、魔法士たちが来る前までに済ませるはず。あの子たちが危ない。助けが来たらもう取り返しがつかないっ。さっさとここを出ないと――」


 と、

 



「出られたとして何ができるっていうんです? その枷を付けて」




 割り込んできたのは、抑揚のない女性の声だった。

 しかもすぐ近く。わたしたちが入っている檻の真ん前だった。


「……え?」


 そこに居たのは、


 ハルよりも少し高いくらいの背丈で、ここで働いているスタッフたちが着るような薄汚い服に身を包み、深く帽子をかぶっている。首に巻いているはスカーフ代わりの布切れ。髪がスカーフの中に入っているということは、肩くらいまでの長さだろうか。


 見た目と雰囲気があまりにも違いすぎて歳が分からない。無理やり見た目だけを考慮すればハルと同じ十五歳くらい。そして右手には、気絶し身ぐるみをはがされ下着ひとつの少年。きっとあの服は彼からは拝借したんだろう。


 言葉が出なかったのは、いきなり現れてきたことよりもハルにそっくりだという事実故だ。一卵性双生児、いわゆる双子というやつだ。


「やっぱりいたんスね。マジで助かりました」


「ええ。あなたにつけておいた虫がざわついたので。見守るという約束でしたから」


 安堵したようにハルが息をつく。その反応から、一応味方なのだということは解った。

 ただ……安堵とは裏腹にその表情は凍り付いているけれど。


「まったく。こんなところに入ったかと思えば、どうして捕まっているんですか。それも味方だと思っていた奴に。馬鹿ですか、アホなんですか、あなたのミスでわたしのプライベートを削らないでください」


 淡々と語られる事情。一切の感情がなく、よどみもない返答。

 しかしその目は、口調からは想像できないほど冷たいものだった。


「もしかして……この後予定とかありました?」


「久方ぶりのちゃんとしたディナーでした。高級ホテルで。あの人と二人で。…………二人だけで。二か月ぶりの」


 ひゅぅっとハルの喉が鳴った。


 たらたらと、さっきとは確実に別種の汗がハルから吹き出している。

 ああ、蛇に睨まれた蛙はきっとあんな表情をするんだろう――と他人事のように考える。


「あ、あとで怒られますからっ、とりあえずいまは助けてください」


 震えた声でハルがそう頼む。


「はぁ……」


 やっぱり感情のない、ため息なのか困惑の感情なのか解らない返答。


 右手一本で引きずっていた少年から手を離す。「ぐえぇっ」といううめき声が漏れるが、彼女はその口に右足の先を突っ込んで黙らせる。

 そしてハルの方へと向き直り、少しだけ目を細めて口を開いた。


「一応訊いておきますが、あなた、正気ですか?」


「……っ」


 ハルが唇を噛む。彼女から目をそらすように顔を伏せる。


「あなたがしようとしてることは、完全に規則違反です。あなたは、? あの男にそこまでする価値はないでしょう」


「ある!」


「……………………」


 喰って掛かる勢いで、ハルが言葉をかぶせた。反論なんかさせないとばかりに、ハルは矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

 その表情は、あり得ないほど必死だった。まるで、言い負かせないのを解っていてそれでも万が一の奇跡を求めるように。


「あの人だからだ! このままあの人を拘束したら、あの人は一生取り付かれる! だからいま俺がやらないと――がッ!?」


 ガゴンッ、ハルの顔が格子にぶつかる。彼女が檻越しに胸倉をつかみ思い切り引き寄せたのだ。うめき声をあげてハルは歯を食いしばる。

 額の一部が裂けたんだろう。ハルの額から紅い血が伝い左目を隠す。それでもそんなことお構いなしにハルは彼女をにらみつける。


 だけど、


「なお悪い」


 その顔を見て、その表情を見て、ハルの顔が引きつった。


 もはや敬語もなかった。

 ぞとするほど冷たい声。まるで意思のない蝋人形のガラス目玉のような瞳。しかしそれとは明らかに不釣り合いなくらいはっきりとした、ピリピリと肌を刺す雰囲気。


「あなたがやろうとしていることは、魔法使い最大の禁忌です。魔法憲章にも明確に記載されています。破ればただじゃ済みませんよ。今ここで、私があなたを拘束することもできる。それに、その枷をはめたままどうするつもりです? すべてを失う覚悟を持ってのことですか?」


 気が付けば、わたしは立ち上がりかけていた腰を落としていた。いつの間にか威圧されていた。それはきっと、彼女の声に、瞳に、嘘がなかったから。彼女が口にした言葉は何もかもが本当で、その気になればわたしたちなんて簡単にひねりつぶせることを見せつけられたから。


 きっと彼女は、殺すといえば殺すんだろう。彼女がまとう雰囲気は、イーストエンドで暮らしてきた人たちよりも黒くて深い。絶望じゃない。むしろ感情なんてなかった。まるで、彼女自身が刃のようだ。いやな言い方をするならば、彼女はただの凶器。自分の意志なんて持たないただの道具だ。

 怖い。銃を突き付けられた時よりも何倍も怖い。だって、彼女が言葉を発したら、それがわたしたちの未来になってしまうという確証があったから。


 それでも、

 それでも、ハルは退いてはいなかった。


「俺が全部背負います。迷惑はかけません」


 冷や汗を垂らしていて、声も震えている。わたしの感じていたことは間違いじゃなかったみたいだ。それでも、彼女を前にして相棒は退いていない。全責任を負うと言い切って彼女をにらみ返していた。


 視線が交錯する。感情の解らない瞳と、譲れないと歯を食いしばった意地がぶつかり合っている。

 何秒、否、何分そうしていたのだろう。


「はぁ」という短い溜息が地下に響いた。


「…………どこまでも馬鹿ですね。理解できません」


 そう言ったのは、ハルの胸倉をつかんでいた彼女だ。やっぱりそこに感情の揺れはない。ただ、心底呆れているんだということはその言葉から分かった。


 ハルの胸倉をつかんでいた右手を離す。バランスを崩したハルが尻もちをついた。

 ハルが起き上がったときには、もうわたしたちになんて興味ないといわんばかりに彼女はわたしたちに背を向けていた。


「上には黙っておいてあげます。正直言って、私にはどうなろうと知ったことじゃありませんから。ただし、ここを開けるまでです。擁護はしません。あなたたちは逃げ出さなかった。それ以降は何があっても手助けはしません。あ、あと、これはあなたたちの装備です。選別にどうぞ」


 薄汚れた布袋が檻の前に投げ落とされる。そしてハルに向かって鍵束が投げ込まれた。すぐさまハルが一本を選び檻の鍵穴に差し込む。三本目で、ガチンという硬い音を立てて鍵が外れる音がした。


 檻から出たハルが、わたしの檻も外から解錠してくれる。二回目で響く錆びた蝶番と解錠の音。開いた檻の外からハルが手を差し伸べてくれる。それを握って「ありがとう」と腰を上げた。


「あなたが彼の見習いですね? 話は聞いています。ウェブリーとはまた良い趣味ですね」


「あ、はい。ありがとうございます」


 わたしに背を向けてそう言った彼女は、気絶した少年の腕をまくって赤いインクで何かを描いている。唐草の模様だろうか。左腕の肘から肩にかけてにびっしりと描き込んでいる。わずか一分足らずで描き切ると、彼女は少年を叩き起こす。文字通り、頬をひっぱたいて。


 うめき声をあげながら、少年は眠たそうに目を開けた。

 そして彼女を見て絶叫する。


「ん……んんっ……あ、うわあああああああが!? ががが!」


「叫ぶな。うるさい」


 少年の口に、落ちていた酒瓶が無理やり突っ込まれた。


「いいですか?」と、暴れる少年の腕を少年自身に見せる。そこに描かれた謎の模様を見て、少年がさっきよりも明らかに動揺する。

「んんっ! んんん!」っと暴れる少年を押さえつけ、耳元で彼女は囁いた。


「あなたの身体に呪いを刻みました。解呪する条件はただ一つ『異常なしと報告しろ』それだけです。破ったらどうなるか……解りますね?」


 ガクガクガクと首が外れんばかりに上下に振られる。それを確認し、彼女は服を脱ぎ棄てた。

 来ていた服の下から、黒い服が現れた。わたしたちが知っている服とは違う、隠密に長けたような真っ黒な服……どこかしか東洋の雰囲気をまとった黒装束だ。


 手についた汚れをふき取っている彼女に、ハルが頭を下げた。


「ありがとうございます。アイラさん」


「〝見守る〟という約束ですからね。あなたがどんな道を選んだところで知ったことじゃありません。ただ、邪魔になれば排除する――それだけは忘れないように。……あと、今度会った時に絞めます」


「ひぃ……っ!」


 一瞬で、安心したようなハルの笑みが凍り付いた。

 そのまま少年を引きずってアイラと呼ばれた彼女が歩き始める。しかし何か思い出したのか、足を止めて背を向けながら口を開いた。


「違いますからね」


「?」


「顔のことです」


 振り返り、自分の顔を指さす。


「私と彼は、あなたが思っているような関係でも何でもありません。他人の空似ですよ。こっちはいい迷惑です」


 なぜだろう。「いい迷惑」という言葉に一番感情が現れていたような気がする。さっきまでの問答なんて比較にならないくらい、疲れ切った嫌そうな声だった。それが彼女の初めて見せた人間らしい感情だ。


 その言葉を最後に、アイラという少女は闇の中に消えていった。

 再び、この空間にはわたしたちだけとなる。


「あの人って……」


「アイラっていう魔術師だよ。俺たちの関係で例えたらリーナの立場」


「兄妹、じゃないのよね?」


「俺も最初はおんなじ反応。ドッペルゲンガーか? って」


「何かあったの? ずいぶんおびえてたけど」


「…………俺の師匠。主に……戦闘訓練の」


「あー、なるほど。容赦かったのね」


「……お察しの通り」


 ――何をされたんだろう……。


 本気でハルの声が沈んでいた。彼がここまで凹むとなると、一体彼女は戦闘訓練でなにをやったのかが本気で気になった。



          ◇◆


 その後、少し離れた人気のない通路で、お互いに袋に入っていた装備を選別し合って付けた。


 わたしが取られていたのはウェブリーと呼びの実包。ハルが取られていたのは〝魔法使い専用〟の杖とパラベラム・ピストーレ――通称ルガーP08だ。9mm×19パラベラム弾を使用する、作動機構が少し変わった拳銃。実包に入っている弾の弾丸は、鉛ではなく鉱物を加工したようなもの。これはハルの国で作ったものなんだろうか。


 わたしのウェブリーには空になったはずのチャンバー内に新しい弾が六発装填されていた。それから、地面に転がしたはずの空薬莢。そしてリコイルシールドとシリンダの間に挟まっていた紙きれが一枚。


『一応忠告しておきます。一緒に行くのなら、彼の手綱を握って離さないように』


 これは、彼女なりの気遣いなのだろう。冷たい凶器という彼女の印象が、だいぶ変わった気がした。


「はい、ルガーの実包。弾丸が鉛じゃないのね。ルガーもハル用に改造されてたりするの?」


「……うん」


「その銃ってトグルアクションだし、部品数も多いからジャムりやすいじゃない。でも形がかっこいいっていう話も聞くし、やっぱりロマンとかで選んだの?」


「……うん」


「薬莢も全部拾ってくれてる……今度会った時にお礼言わなくちゃ」


「…………うん」


「……どうしたの?」


「……うん」


 力ない返答と、独り言に対する返答で以上に気が付く。顔を上げて相棒の方を向くと、最初にわたしが手渡した実包を握ったまま地面の小石を見つめていた。


「――――――」


「……リーナ。ひとつだけ訊いていい?」


「ええ」


 一体何を悩んでいるのだろうか。本当なら問いたださないで話してくれるまで待つのが正解なんだろう。こと心の問題に関してはきっとそっちが正解だ。急かすというのは、聴く側本位の行為なのだから。


 だけど、いまそんなことをしている余裕はない。だから訊こう――そう思って口を開く直前、ハルが話し出した。

 顔を上げ、真面目な表情でわたしを見つめる。


「決めてほしいんだ。ここで別れるのか、もう少しだけ協力してくれるのか――――?」


 言葉が尻すぼみになったのは、決してハルが言うのを止めたからじゃない。いや、実際はそうなのだけれど、怖くなってやめたとか、何か思うところがあって辞めたということじゃないという意味だ。


 怪訝な表情を浮かべたのは、わたしが大きなため息を吐き乱暴に髪をかき乱したからだ。


「はぁぁ~~~~~~っ。あーもう! どーしてそうヘタレるかな……」


「え? は?」


 周りに聞こえるかもしれないくらい、遠慮という行為を忘れた声量。そのことに気が付いたのは、少ししてからだった。

 自分の髪の間に手を突っ込んでわしゃわしゃと掻く。紙がぼそぼそになるけれどそんなこと知ったことじゃない。今の今までハルがそんなことに悩んでいたのかということにイラついていた。


 正確には、まだわたしが観光客として見られていたということに気が付いたからか。命を預けるという行為を頼む数えることを戸惑ったことに対してか。


「あのねぇ」


 孤児院にいたころ年下と子たちを諫めていた時と全く同じ口調でハルと向き合う。


「ここまで来て『はいさよなら』なんてできるわけないじゃない。ハルがそうやって訊いてくるってことは、わたしがいなくちゃこの後に支障が出るってことでしょ? そんな危ない賭け見逃せないわよ。わたしはあなたの弟子で、相棒なんだから、こういう時は無茶言ってでも頼むものでしょ? あと、変な気を使って置いて行かれるならわたしはわたしで勝手にさせてもらうけど」


「……っ、――――。」


 そう一気にまくし立てた。

 言われた当人は、どういうことなのかまだ理解が追い付いていないのか唖然とした様子でフリーズしている。


 数秒遅れて理解したのか、ハルはクツクツと笑いながら苦笑をうかべた。


「――ははっ。強引だなぁ」


「君が訳わからないところでヘタレるからよ。それで、どうしてほしいの?」


 何か吹っ切れたような顔をしているのは、少しだけ嬉しそうに、安心したように見えるのは気のせいだろうか。一瞬だけ歳相応の純粋な笑みを浮かべた後、口元を引き絞ってわたしと対面する。


 口を開く。もう迷いはなかった。


「協力してくれ。頼みたいことがあるんだ」


 魔法は使えない。

 それはハルとわたしの首に冷たく鎮座する枷が証明している。


 助けは呼べない。

 ハルの言葉と、アイラの言葉が何よりの証拠だ。


 手詰まり、八方ふさがり、そう言った表現がふさわしい。

 でも、万策尽きたわけではないらしい。


「あの人を止める」



 それは、あきらめていない決意の表れ。



 やられっぱなしじゃいられないという、明らかな反撃宣言。

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