第1章ー18 幕間:祖母との遠い記憶
夢というのは不思議なものだ。
起承転結のない子供が思いついたようなものを見ることがあれば、自身でも忘れて記憶の引き出しの奥底に挟まっていた情景が寸分の狂いなく写真のようによみがえこともある。
◇◆
『ウォーレン。あなたは、魔法使いを信じているかしら?』
しわがれた、それでも、ウォーレン自身よりも明らかに品のある声。ウォーレン・ホリングワースのように取って付けたようなものではなく、人生そのものを体現しているような声。
見舞い相手であるウォーレンの祖母―アルバーサ夫人―は、ベッドから体を起こしてくしゃくしゃの顔でそう尋ねてきた。
『魔法使い? それは……魔女や魔術師の総称でしょうか?』
『ふふ。少し違うわね。魔法使いは魔女や魔術師よりもよっぽど怖くて、でもそれ以上に偉大で、優しい人たちよ』
何かを懐かしんでいるように、アルバータ夫人は窓の外を眺めながらそう言った。その様子を見て、ウォーレンは、主治医から老年痴呆の傾向が見られ始めたという報告を少し前に受けたことを思い出す。顔以上に目に見えないところまで老いが進行しているのを見るのはつらかった。
だからだろうか、いつもなら笑い飛ばすような与太話だったが、気が付けば話を合わせていた。
『見たことは一度も。ですが、もしそのような人物たちがいるのなら、一度じっくり話を聴いてみたいとは思います』
『いいえ。会わない方が良いのよ。だって、あの方たちと会うということは、人とは違うものに出会ってしまったということになるから。住む世界が違うのよ。踏み込むべきではないわ』
『そうおっしゃるということは、おばあさまは会ったことがあるのですか?』
何気なく発した問いかけ。だけどそれを聞くと、アルバーサ夫人は何か思いつめるようにうつむく。少しの間だけ目をつむり、大きく一度深呼吸をすると、また話し始めた。
『ええ、一度だけね。赤髪で大柄な人だったわ。大胆で、物怖じしなくて、口は悪かったけれどそれでも義理堅くて紳士だった。実はね、わたしの初恋はあの人だったの』
最初は水滴が落ちるように。でもいつの間にか、蛇口の栓をひねったかのように言葉が流れ出した。その言葉は、齢八十に迫る老人とは思えないほど滑らかなもの。
『それはもう大恋愛だったわ。亡くなったおじいさまには秘密だけれど、わたし、あの人に告白をしたの。結局お互いの立場があるってフラれてしまったけれど……。もちろん誰にも言ってはいないわ。彼のことは忘れたくなかったから。今の今までね』
『それほど隠し通した秘め事を私に話されてしまっては、どういう反応をしてよいのか困ってしまいます。なぜ私にその話を?』
『簡単な理由よ。あなた、視えてしまう子じゃない。妖精が視えるってことは、もしかしたら、あの人たちに会うかもしれないでしょう?』
妖精が視える――そんなことを言っただろうかと、しばしウォーレンは記憶を漁る。すると、思い当たることが一つだけあった。
幼少期の話だ。幼いころのウォーレンは、どうも周りにそう言ったことを話していたらしい。「らしい」というのは、ウォーレン自身にその記憶がないからだ。何でも、六歳のころまではそんなことを四六時中周りの人間に伝えていたらしい。それも、母の話によれば高熱が出た次の日からはぱったりといわなくなったという。祖母が言っているのはそのことなのだろう。
『その人たちと会ったらね、気が付かないふりをするの。そうすれば丸く収まるわ。どうしても無理なら酔っ払ったふりをするの。そうすれば、向こうも過干渉をして来ることはないから』
『しかしですね、会う会わない以前に心配しなくても気が付くことはないと思いますが。流石にこの時代に箒で空を飛んでいるような人物でない限り』
『そうかしらねぇ……だといいのだけど。でも、やっぱりあなたは気が付いてしまうと思うわ。わたしもそうだったもの。見た瞬間に感じたわ、この人は普通の人じゃない。別の世界の人だって』
『そういうものでしょうか』
『そういう人たちなのよ。分かりますか、ウォーレン。わたしからは忠告しかできないけれど――』
『深追いは絶対にしてはダメ。好奇心は、いずれあなたに牙をむくわ』
引っかかったのは、言葉ではない。話の内容でも、声色でもない。
眼だ。忠告する祖母の眼は、とても耄碌した老女のそれではなかったのだ。
――本当に……これは痴呆なのか……?
祖母の底知れぬ側面を垣間見たような気がし、鳥肌が立つのが分かった。
◇◆
眠りは浅い方だと、ウォーレンは自負する。
体内時計も比較的正確な方で、起きようと決めた時間の数分前後に起きることができる。それは子供のころから健在で、寝坊というものをした記憶がない。要求される睡眠時間というものも他と比べて短いらしく、四時間を切っても問題はない。
その足りない睡眠を補うためなのか、どこでも寝られるという中々便利なオプションもついている。休憩や空き時間に十分、十五分程度の仮眠を取って仕事にかかるということができた。そのおかげだろう、こと睡眠に関しては不便だと思ったことは今までなかった。
仮眠時も同様に、少しの物音で起きられる。軍人とってはかなり恵まれた能力だ。
故に、たったいまウォーレンを覚醒させたのも、控えめに叩かれたノックの音だった。
「ん……ふっ、ん」
意識が泥沼の中から一気に浮上する。体感で十分くらいだっただろうか。置時計を見る。日付は八月の十一日、時間は午後十時十二分。体内時計は正確だった。
――妙な夢だ。
目尻を押さえながらそうおもんみる。
なぜ、数年前に他界した祖母との会話をいま夢に見てしまったのだろうか。いつものようにおぼろげになっていく夢ではなく、会話の内容まではっきりと覚えているという不思議な感覚だった。
確証はない。だけど、何か理由があるような気がしてならなかった。虫の知らせ、そんなものだろうか。しかし、それ以上夢のことを考える前に、扉の向こうから自身の名が呼ばれる。
『ウォーレン様』
「入れ」
思考を中断する。床に落ちていた書類を何枚か拾い、椅子にもたれかかったためにしわのできていた服を直してから入室を許可する。入ってきたのは、ウォーレンがいるここホリングワース家別邸のフットマン。入室して姿勢を正し、恭しくウォーレンに向かって礼をする。
「どうした」
「実は、至ったいまお客様がお見えになりまして」
「こんな夜にか? 誰だ。予定などないはずだが」
「それが……幼い少年です。身なりがよろしかったのでお待ちいただいているのですが、何でも、リーナ・オルブライト少尉について話したいと、そう言えばわかるとおっしゃっております」
「待たせろ。すぐに行く」
胸騒ぎがした。それは、部下である彼女が関わっている事件ゆえだ。
魔術師の話は、軍の間でも噂として流れている。そして魔術師がらみの誘拐事件が起こっているということも聞いていた。頭の中で何かが繋がったような気がした。彼女の性格を鑑みたなら、もしかすると事件の奥深くにのめり込んでしまっているかもしれない。
だとしたら、代理で来た少年の素性は……。
――……持って行くか。
一応客人をもてなせる格好に着替え、開いた机の引き出し内で存在感を見せつけるのは、銀色の塊、コルトM1900だ。護身用にと弾倉に弾を入れ、胸の内ポケットに隠す。
自室の扉を開けると、先ほどのフットマンがウォーレンを待っていた。「ご案内します」と言い、ウォーレンを客人が待つ応接室へと連れて行く。扉の前で立ち止まり、横にそれる形で扉を引いた。
「……待たせてしまって申し訳ない。準備に手間取ってしまった」
「気にしてません。こちらの方が無理を言って通していただいた身なので」
そう言って笑ったのは、本当に少年だった。
外国人めいた幼い顔立ちと、黒い目と髪。しかし喋る言葉はこちらのものだった。歳はおそらく十四、十五くらいだろう。それなりにいい身なりをしている、きっとどこかの家の使い走りだろうか――。
そう、思っただろう。普通ならば。
あの夢を、見ていなかったなら。
「…………それで、部下のオルブライト少尉に関してのことだそうだね」
言葉が遅れたのは、何かがおかしいと気が付いたから。
目の前の少年が、普通じゃないと気が付いてしまったから。
「はい。俺は、彼女と一緒に行動しているハル・エイダンフォードと申します。緊急のことで窺わせていただきました」
「話を聴きましょう」
「俺たちは今、同じ組織の人間を追っています。彼らが子供たちをさらった可能性が高い」
「……その組織とは?」
「魔術師です」
――見た瞬間に感じたわ、この人は普通の人じゃない。別の世界の人だって――
ついさっき夢に見た、祖母との会話。
そうか、祖母はあの時、こんな気持ちだったのか。
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