第1章ー15 見つかった迷子

 端的に言うと、目当てのものは見つかった。

 しかも、予想もしなかったものが一緒に。


         ◇◆


 暗室には、電気が通っていなかった。地上から明かりを入れるための天窓もなく、外から光が侵入してくることは一切なかった。光源と言えば、約二十歩ごとに置かれているランプのみ。あとは、わたしたちが持ってきた懐中電灯だ。わたしたちが入ってきた扉に細工をしたことが。閉塞感に拍車をかけている。


 暗室に置かれていたのは、保存状態が良くないものばかりだった。崩れそうなほどボロボロになった絵画や、なにが映っているのか見えないほど劣化してしまった写真なんかが置かれている。なるほど確かに、冷たくて暗いここなら、カビ対策を怠りさえしなければ劣化はしないのだろう。


 人の気配はなかった。普通の店の倉庫なら管理面から考えて論外なのだが、ことこの場所に関してはそれも仕方ないんじゃないかと思える。だって、こんなに〝呪い臭い〟場所にいたらどうかなってしまいそうだから。


 商品たちから、もれなく強烈な呪いの臭いがするのだ。さっきの倉庫なんか比ではないくらい臭い。生肉に血をかけて腐らせた、酸っぱくて鉄臭いような臭いだ。鼻で息をすると、吐いてしまいそうなくらいキツイ。胃の中の物を無理やり引きずり出されそうだ。


 それにしても、いくら呪いが存在するとはいえ、ここまで集まることはまずないのではないだろうか。気分が悪くなるほど集めたことに対して、尊敬すらしてしまう。


 あとは、そこら中から生き物の声がする。この子たちは多分、暗所が好きなんだろう。だけど、こんな場所にずっといさせたらそれはそれで別の病気になってしまいそうな気もする。だって、暗所を好む種類の妖精たちだって、ここではひとりも見かけないから。


「ここ、人がいちゃいけない気がする……」


「だろうな。こんな臭いところにいたら発狂しそうだ。早く子供たちを見つけて連れ出さないと。あーあ、しばらく臭い取れないな」


 わたしの予想は正しかったようで、ハルげんなりとした表情で頷いた。懐中電灯が下から照らすハルの顔色は、さっきよりも格段に青白く見える。やっぱり、この臭いはわたしだけの勘違いではなかったみたいだ。


 これは、魔法使いたちにしか感じることができないらしい。わたしが感じられるのは、元から魔法使いの素質があったからなのだとか。わたしたちは臭いで大丈夫が判断できるが、子供たちはこの臭いを感じることができない。早くここから出さなければ、呪いが身体に染みついてしまうこともあるらしい。あまり、のんびりはしていられない。


「あ、そう言えば。ここで扉はつなげるの?」


「鍵穴があればどこでも。最悪、さっきあったクローゼットに扉をつなげば蟻塚に子供たちは入れられるし。でも呪われそうだからどっかにドアがあればいいんだけど――、」


 懐中電灯で奥を照らす。

 その手が、ピタリと止まった。


「…………………」


「ハル?」


 ハルが照らしているのは、通路から少し外れた広場のような場所だ。暗くてよく見えないが、時々白い何かが見える。

 懐中電灯の光を反射するそれは、真っ白な布のように見える。だけどそれは、空気の流れが無いこの部屋でも規則正しく上下している。加えて、布の上に伸びる縦じま模様の黒い線。あれは、檻だろうか。それに、耳を澄ますとわずかに呼吸をしているような音もする。


 だとすると、


 ――あれは……動物?


「――――っ!?」


「あっ、ハル?」


 わたしがそう気が付いたのと、ハルが走り出したのは同時だった。

 道を照らすことも忘れ、ハルは暗闇の中を照らしいていた場所へと一直線に走る。いままではなんだかんだと言ってわたしのペースに合わせてくれていたのだ。決して長い距離を走っていないのに、ハルの姿が角に消えた。


 ハルの姿は見えない。先に見える懐中電灯の光だけを頼りに追い駆ける。

 追い付いた時、ハルはある檻の前でたたずんでいた。


 

 そこには、がいた。



 純白の毛皮に、銀のタテガミ。光に照らされる瞳も銀色。その眼から感じるのは、隠そうともしないわたしたちへの敵意。いななく声は荒々しく、これ以上近づけば向かって来ると容易に想像がついた。


 白馬を刺激しないように、ゆっくりとハルの隣まで歩いて立ち止まる。この場所が、あの子をギリギリ刺激しない境界線だ。あと一歩でも近寄ると、多分あの子は檻があるのも関係なく突進してくる。


 光に照らされた体は、目をそむけたくなるくらい傷だらけだった。何度も檻に身体をぶつけたんだろう。体毛がそこら中剥けていて、ところどころ裂けて血も滴っている。額にも、何かで殴られた跡のようなカサブタができている。


 鞭で叩かれたのだろうか、痛々しいミミズ腫れの跡が蛇のように這っている。四本足全てに鎖が付いていて、暴れまわれば、首が閉まるような仕組みになっている。それにもかかわらず、敵意をむき出しにしてわたしたちをにらみつけている。


 見ていられなかった。

 隣で、ハルが押し殺したように息を吐いた。


「ハル?」


「…………ユニコーンだ」


「っ!」


 ユニコーン、それは子供向けの物語にもたびたび登場する幻獣だ。額の中央に一本の角が生えていて、その角にはあらゆる毒を浄化する力があると言われている想像上の動物だ。マザー・グースの一編『ライオンとユニコーン』にも登場する。

 でも、目の前のこの子にはその角が無い。額にあるのは、痛々しい傷跡だけで――、


 ……まさか。


「角が……」


「切られたんだ。角があるうちは暴れまわるし、ユニコーンの角は薬にも杖の材料にもなるから。角が無いなら、こいつもきっと観賞用じゃなくて魔術の贄に使われる」


 違う。きっと、叩き折られたんだ。

 あの子の外観は、作家フロベールが書いた『聖アントワーヌの誘惑』に登場するものとそっくりだ。だとすると、あの角はどんなものでも突き通せるくらい硬いと考えていいはずだ。だとしたら、そんな硬いものを切断するまで獰猛なユニコーンがじっとしているとは思えない。


 それに、切ったのなら額に跡が残っているはずだ。どんなにうまく切っても、切り株のような跡が見えるはずなのだ。なのに、あの子の額にはそれが無い。ノコギリや斧を使っても根本を残さず切るなんてことはまずできない。

 あの子は、こん棒か何かで角を根元から叩き折られたんだ。額に角の跡が無いのは、根元からちぎられたから。


 ――ひどい。


 もしかしたら、この考えは甘いのかもしれない。食物連鎖の頂点に立つのが人間なのだから、それよりも下の生き物が毒牙にかかるのは当然、そう言われればそこまでなのかもしれない。


 確かに、その意見は否定しようとしてもできない。だって、普段わたしたちは肉を、魚を食べているんだから。わたしたちの目に触れていないだけで、誰かが彼らの命を奪っているのだから。彼らだって抵抗する。人間を仕留めようとしてくることもある。その生存競争に人間が勝っているというだけなのだから。


 だけど、そうだとしても、嫌悪感を覚えずにはいられない。理屈じゃなく、もっと心の奥深い部分がこの行いを拒絶してしまう。どうしたって、これをやった人間たちと自分とが同じ人種だとは思えない。


 と、

 血が出るほど唇を噛んでいたハルが、一歩、ユニコーンに向かって近づいた。


《……っ! ――――ッツ!!》


 言葉にならない威嚇が浴びせられる。鎖で不自由な足を懸命に動かして、向かって来るハルを打倒さんと地面を蹴っている。


 一歩、一歩、確実に距離を詰めていく。

 一歩、一歩、縮まるほどに怒りの臭いが濃くなっていく。


 衝突はなく、ハルが檻のすぐ近くで立ち止まった。距離にして腕半分。

 ハルがゆっくりと身体を傾け、手を伸ばす。突進されたらまず助からないような距離から、ユニコーンの顔に向かって腕を伸ばす。


「大丈夫。暴れないで、俺は味方だから」


 見なくても、その声だけでわかる。落ち着かせようと、なるべく抑揚を殺した穏やかな声。ハルには、ユニコーンに対しての敵意なんかみじんもない。


 でも、それは自殺行為だ。

 だからと言って、向こうが心を開いてくれるなんてことはないのだから。


《――――ッツ‼》


 現状をかろうじて維持していた何かが、プツリと切れた音がした。

 いままで聞いたことのない雄叫びが檻を揺らす。


 刹那。


「――っ!」


 伸ばした腕に、ユニコーンがかみついていた。

 ギリリという、人間の体からしてはいけない音がはっきり聞こえた。差し出された服が、腕が、ここから見ても解るくらい軋んでいる。噛みつく目は血走っている。どう考えても殺す気だ。


「ハルっ!」


 思わずそう叫ぶ。

 噛みつかれた腕を見て、気が付いたら足を踏み出していた。


 だけど、


「――っ」


 一歩踏み出して、足が止まる。止めさせられた。

 近づくな! ハルの瞳がそう叫んでいた。


 再び訪れる硬直状態。


 ハルは腕を噛まれたまま、わたしは一歩踏み出したまま、この状態で時が止まる。興奮したユニコーンの荒い息遣いだけが暗室に木霊する。

 どれくらい、そうしていただろう。


 ポツリと、ハルがつぶやいた。


「…………痛い」


 そりゃそうだ、噛まれているんだから――とは思わなかった。どう考えても、そんな意味で言ってはいないんだということがはっきり分かったから。

 誰に語るわけでもなく、ハルは言葉を続ける。


「ユニコーンは噛む力が特別強いんだよ。馬なんかより何倍も……。噛まれて『痛い』で済むはずないんだ。なのに……、クソッ、どんだけ乱暴に扱ったんだよ……っ」


《――――ッ! ――――ッツ》


「ごめん、触るよ。噛んでてもいいからじっとしててくれ」


 そう言い聞かせて、反対の手をユニコーンに伸ばす。信用したのか、それともそれ以上の抵抗ができないのか、ユニコーンはわずかに身体を揺らすだけで噛みつく以外の抵抗はしなかった。


 ハルの手が、真っ白で傷だらけな体をなぞっていく。傷口に触れないように、外傷以外に何もないかを触診で確かめる。


 すると、

 押し上げた腹部に、奇妙なマークが刻まれていた。赤い色でハンコを連想させる。何かの木がモチーフなのだろう。内側から外側に広がる木と、何語か分からない文字が書いてある。 


「チュペロのマーク…………」


「知ってるの?」


「保護区で育った幻獣につける印だ。そうか、お前、あいつらに捕まったんだな。それで暴れたから、角を……」


 その言葉だけで、なにがあったのか解ってしまった。誰がやったのか解ってしまった。

 あいつら、とはハルと出会った時に一緒に捕まってしまった密猟者のことだ。


 耳もとによみがえったのは、あのとき聞いた密猟者の言葉。 

 ――数日内には角折って倉庫の中に入るはずです。暴れて大変でしたよ――


 ああそうか。

 いまやっと、あの言葉の意味が分かった。


 彼らの目的は、元々この子を捕まえることだったのだ。角というのはいま目の前にいるユニコーンの角のことに他ならない。どうやったのかは知らないが、彼らは結界を破ってユニコーンを手に入れたのだ。


 これは予想でしかないが、おそらく、わたしとエンカウントしたあの日からそう遠くはない。この子がまだここに居るのだから、数日内のことなんだろう。タッチの差だ。もしわたしが数日早くあの場所にいたなら、結果も違っていたかもしれない。

 いや、それは言いすぎか。そうなっても結局、わたしは傍観しかしなかったと思う。


「……ごめんな」


 嗚咽が聞こえた。

 檻越しにユニコーンを撫でながら、ハルが謝罪の言葉を絞り出していた。


「ごめんな、気づいてやれなくて」


 左手は、銀白の体を優しくなで続けている。

 だけど噛まれている右手は、血が出るほどこぶしを握り締めていた。


「もっと早く、見つけてやれなくて……っ」


「…………ハル」


 冗談抜きで、ハルなら何とか出来ていたんだろう。

 あの場所に入ることができるハルだったなら、森の異常をもっと早くに気が付けのかもしれない。もう数日早ければ、ハルなら間違いなく何とか出来ていたんだろう。でも決してハルの所為なんかじゃない。だけどハルは優しいから、タイミングが合えばなんとかできてしまったことだから、背負わなくてもいい責任を感じているんだ。


 悪いのはすべて、あの密猟者とその依頼主なのに。


《…………。》


 敵意が無いと分かったのか、ハルの気持ちが伝わったのか、ユニコーンの目から攻撃色が消えていく。噛んでいた右腕を離して、代わり顔をハルに近づけていく。


 格子越しにだけれど、ハルとユニコーンが顔をこすり合わせた。そして再び暴れるようなことはなく、負担を減らすようにおとなしく床に寝そべった。


「ちゃんと助けるから。もう少しだけ待っててくれ」


 笑って、明るくそう言った。それが伝わったのか、短く鼻を鳴らしてユニコーンは目を閉じた。


「……行こう。あとはこの先だけだ。さっさと見て戻って来ようよ」


 その顔は、息が詰まるほど胸を締め付けた。

 魔法の世界に触れて、感情が読み取れるようになってしまったわたしには強烈すぎた。


 声がかすれる。目の奥が熱い。


「――――っ」


 ダメだ。これは見ちゃいけない感情だ。


 ハルは笑顔を浮かべていた。ハルはこの気持ちを悟られたくなかったんだ。だからこれは、わたしが感じ取っていいものじゃない。伝わってしまったなんてハルに解らせちゃいけない。隠したかったんだから、隠せたままにしなくちゃいけない。


「――――うん」


 ごちゃごちゃになった色んなものを強引に飲み込んで、なんとかそう答えた。

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