第1章ー13〝ラビットハウス〟

 霧の中は、足元さえはっきり見えないくらい真っ白な世界だ。カンテラの炎が無ければ、冗談抜きに三歩進んだだけで方向が解らなくなる。

 そんな森の中を、キノコの妖精が先導する。霧の中にぼんやりと浮かぶ緑色の光が、まるで人魂みたいにふらふらと左右に揺れながら前に進んでいく。


 時に跳ねて、時には石につまづいて、でも器用に転がりながら進んでいる。こんな非日常な環境にも拘わらず、考えてしまうのは「あんなに短い脚でよく歩けるな」とかその程度の感想だ。


 そうこう考えているうちに、周りの景色が少しだけ変わっていることに気が付いた。さっきまでわたしがいた場所と比べて生えている植物たちの種類が変わっているような気がする。さっきまでは針葉樹のような木々が生えそろっていたけれど、いま霧の中にうっすら見えるのは葉が広い広葉樹だ。この森は一体どうなっているのだろう。


 方向感覚が狂っている。何度も同じ道を歩いているような感覚が頭から離れない。そのせいだろうか、もうだいぶ長い時間・長い距離を歩いているような気がする。


「ねえ、まだ歩くの? わたし、あまり遠くには行っちゃいけないんだけど……」


 返事はなかった。

 前を歩くキノコの妖精は、相も変わらずテトテトという少しだけネバついたような足音を立てて歩くだけだ。本当にこの道で合っているんだろうか。容姿も相まって少し頼りなく見えてしまう。



 ――ダいじょウぶ、だいジょうぶ。

 ――もうスぐ、つクよ。



 代わりに答えてくれたのは、姿の見えない妖精だ。クスクスと笑ってわたしの耳元を飛びまわっている。ときどき肩に温かい感覚が生まれるのは、彼女たちが座っているからだ。姿ははっきり見えないけれど、色のついた光の靄がわたしには見えている。騙すことがあるから真に受けない方が良いとハルは言っていたけれど、なんとなくだがいまは騙されているような気はしない。


 それにしても、聞けば聞くほど妖精は不思議な存在だ。

 わたしたち生き物のように肉体があるものもいれば、いま周りを飛んでいる彼女たちみたいに身体の全てがマナでできているものたちもいる。後者の妖精たちは精霊型と言われていて、身体の中でマナを作って周りに振りまく。そして死ぬときは、空気に溶けて周りの植物たちに吸収される。


 わたしの知っている生き物の在り方とは少し違う、子孫の繁栄を目的にしていない不思議な生き方だ。まるで周りの生き物たちを生かすために生まれてきたような存在。生物というよりも、自然現象が生物の形を取って顕現しているような……そんな気がしてならない。


 ――ねえ、あなたたちは何者なの?


 心の声に答える者はいない。

 と、そのとき、


「――――、…………っ!」


 突然、また視界が開けた。霧が晴れ、薄暗かった視界が光にさらされる。


 少し開けた場所だった。さっきいた場所よりも小さく、もっと自然にできたような印象を受ける場所。さっきのドラゴンがいた場所は、ドラゴンが自分の居場所を作るために強引に周りを開けたような跡があった。折れて腐った木の跡や、抉れていた地面がそうだ。


 だけどこの場所にはそれが無い。周りの木はこの円状の場所を避けるように生えていて、外に仰け反るように不自然な方向に成長している。地面が抉れているような跡もなく、生き物が根城にしているような様子もない。全くの手つかず、不自然なほど手のかかっていない天然の円陣だ。さっきまでの霧が嘘のように晴れた空から、陽光が降り注いで地面が柔らかな緑色になっている。


 その中央にあるのは、焦げ付いた木の残骸。


 とてつもなく太い幹だ。わたしが二十人いても囲いきれないほど太い。樹皮は硬く分厚く、わたしの腕以上の長さの葉が地面との付け根から生えている。きっと、この森の中でも一番おおきな樹だったんだろう。


 でも今は見る影もない。幹は地面スレスレまで真っ二つに裂け、裂けた内側は真っ黒に炭化している。何があったのかは分からない。分かったのは、このとてつもなく巨大な樹が、何かが起こって燃えてしまったという結果だけだ。


 それでも尚あまりある厳かな雰囲気がこの場には満ちている。わたしのいる場所から数歩先に、円の縁がある。雰囲気の所為だろうか。そこまでたった数歩だというのに、その向こうには入ってはいけないという声を本能があげている。


 ここにわたしはふさわしくない――自分自身がそう言っている。

 過去の英霊たちが眠る墓の前に立っているような場違い感が消えない。


「ここが、わたしを連れて来たかった場所なの?」


 コクコク――キノコの傘がわたしの真横で揺れる。そしてわたしを見ながらつぶらな瞳であの樹を指差す。一緒に来いと言っているんだろうか。それにはさすがに首を横に振ってこたえる。

 不思議そうな表情でわたしを見ながら小首をかしげる。そしてもう一度あの樹を指さす。わたしももう一度首を横に振る。それでも今度はしつこくあの樹を指さす。


《―――――。――――っ。》


「あの中に入ってほしいの?」


《――!》


「ごめんなさい。これ以上勝手には動いちゃいけないから、ハル――わたしの師匠に来てもらってからでもいい?」


 そう言うと、小さな瞳を震わせてあからさまにうなだれた。言葉のやり取りなんかが無くても、悲しんでいるということはわたしにも解った。再度妖精が顔を上げる。まるでその表情がわたしに懇願しているように見えて、勝手なことをしないと誓っている心が少しだけ揺らぐ。


 と、唐突に向こうの茂みががさがさと音を立てる。ぴょこっと、もうひとつの小さな影が顔を出した。

 現れたのは同じキノコの妖精だ。少しだけ模様の違う別の妖精が、わたしたちの来た方向の茂みから飛び出してきた。そしてわたしたちに近づいてくる。目の前までやってくると、短い手と釣鐘型の大きな傘をお互いに揺らし合って何かを伝えている。


 ――なんだろう。かわいい。


 それから、この子たちに連れられてやってきたわたしと同じ〝人〟がもうひとり。


「あ、やっぱりここにいた」


「あ、ハル」


 思わず声を出してしまう。出てきたのは、少し前に森へと入って行ったわたしの相棒兼師匠だった。


 少しだけ困ったような表情を浮かべながらわたしに向かって小さく手を振る。表情と雰囲気からして、驚いているかもしれないが怒っているわけじゃないということは察することができた。だけど、黒髪を見て驚きよりも後ろめたさを感じたのは、言いつけを破ってしまったという自覚がわたしにあったからだ。


「……ごめんなさい。勝手に動いちゃって」


「いいよ、理由は聞いてるから」


 特段気にしているような素振りもなく、ハルは右手をひらひらと振る。


「今回は流石に例外ってやつだよ。でもまぁ、ひとりの時はできるだけ忠告を守ってほしい。妖精たちも善意だけで接してくるわけじゃないから」


「ええ、分かったわ。次から気を付ける」


「ん。そんじゃこの話は終了っ。それにしても……」


 パン、と手を叩いて話を終わらせる。すでに、ハルの視線はわたしじゃなく別の場所へと向いていた。

 見つめているのは、円の真ん中で存在感を放つ焼け焦げたあの巨木。浮かべる表情は、いままでの気の抜けたようなものじゃない。目を細め、じっとあの樹を凝視している。


 あの表情を過去にも別の人で見たことがある。わたしの上司であるウォーレン大佐、彼も考え事をするときは決まってあんな表情なのだ。煙草を指に挟み、目を細めて余計なものを視界に入れないようにする。決まってその時は、頭の中で何かを組み立てている。


「へぇ、こりゃすごい。お手柄だ」


 ポツリとそう呟く。


「これを探してたの?」


「ああ。折れた木でできるだけおっきな奴を探してたんだ。これなら文句なしだよ。サンキューな、リーナ」


「お礼ならこの子たちに言って。ここまで連れて来てくれたのはこの子たちだから。何か伝えたいことがあるみたいなんだけど……」


「分かってる、大体予想はついたから。……君たちはあれをどうにかしてほしいんだろ?」


 話しかけたのは、足元でハルのズボンの裾を引っ張っているキノコたちだ。いつの間にか数は四人に増えていて、遊ぶようにズボンと靴の金具をいじっている。


 ハルにそう尋ねられると、肯定するように大きく傘を揺らす。そしてそれぞれが、飛び跳ねながら思い思いに小さな手であの樹を指す。「最初から俺を連れてくればよかったのに」とハルが苦笑する。


 そして、


「ちょっとここにいて」


 わたしの肩に手を置いてそう忠告。

 円の中にためらいなく足を踏み入れた。


 ――…………。


 結論から言えば、何も起こらなかった。


 わたしの考えすぎだったのかもしれないし、杞憂だったらいいに越したことはない。だけどハルの付けた足跡の場所からいくつものツタが生え始めているのを見ると、わたしの勘は間違っていないような気がする。


 ひと言も喋ることなく、ハルは焼け焦げた大木に向かって歩く。その後ろを、キノコたちがミサの参列者のように付き従っている。三十七歩――それだけ進んだところで立ち止まる。もうあと数歩で触れられる距離だ。


「よっ。ちょっと触ってもいいかい?」


 誰もいない場所にハルが話しかける。するとまた、今度は焦げ付いた木の洞から小さな影がいくつか顔を出した。

 奇妙な格好だった。ボロボロの布切れみたいなものを羽織って、頭には動物の骨をかぶっている。リスの骨……だろうか。頭蓋骨は動くたびにズレてカタカタと揺れている。その奥からうっすらと赤い光が二つ。大きさは人の手の平くらいだ。


 全部で五人 (〝人〟と数えるのが正しいのかは分からない)。全員がハルを品定めするようにじっと見つめている。


「怪しいものじゃないよ。ほら」と言ってハルは親指を立てて後ろを差す。指しているのは、いま通ってきたときにできた足跡だ。

 ぴょんと一人が飛び降り、ハルの付けた足跡に向かって歩いて行く。キノコたちと同様の小さな手だ。それで生えたツタを触り、引っ張ったり振り回したりする。


 ひとしきり触って納得したんだろうか。木の上に残っている四人に向かって両手を振る。それを見て、木の上の四人は応えるようにカタカタと頭を鳴らす。ハルが安心したように息をついて笑う。


「ホント、君は不思議な子だナ。ここまで妖精に好かれる人間はそうそういないんだゼ?」


 不意に、後ろからすっかり聞き慣れた声が聞こえた。


「あたしがドンケツみたいだナ。やっほ。遅くなっタ」


 赤い癖っ毛が揺れる。ニカっとからかうように笑うのは、わたしをここまで連れて来てくれたアルマだ。


「どうなんだろう。あまり実感はないんだけど……」


「他の魔術師を知らないもんナ。でも、きっとその体質は役に立つヨ。……あー、なるほド。ハルを呼ぶためにリーナもつれてこられたのカ」


 いつの間にか、ハルは樹に額を付けて身体を預けている。それを見て、全てを察したようにアルマがそう言った。言葉から察するに、このキノコたちはハルにあの樹を見てもらいたくて、それで一緒にいたわたしを連れてきた……ということだろうか。


 ハルは動かない。両掌と額を焦げた幹の表皮に押し当てて、静かに深呼吸を繰り返している。肩婦が大きく上がったり下がったりしている。それを守るように、ハルの足元にはキノコたちと骨の妖精が円を描くように座っている。


「あれは、何をしてるの?」


「植物とるんだヨ」


「話す?」


「そそ、ハルの魔法は植物とすごく相性がいいんダ」


「……?」


 戸惑うわたしを丸め込むように、


「まあ見てなヨ。いまに解るからラ」


 肩をすくめて、樹に張り付いているハルを顎で指した。



          ◇◆   ◇◆   ◇◆



 植物と話せるといっても、言葉のように聞こえるわけじゃない。妖精たちと話すような感覚ではなく、どちらかといえば感情がダイレクトに読み取れるという言い回しの方が適切だ。


 動と静――俺たち人間を含む生き物が前者、細胞壁をもつ植物たちが後者と言われている。だけど、静の象徴である植物にだって感情の起伏が存在する。


「…………根が森中に広がってる。この木がマナを森全体に広げてたのか。マナの濃度が低くなってきたのは、地下茎に蓄えてたマナが枯渇し始めたからかな。……すごいな、まだ生きてる」


 焼け焦げてごつごつとした樹皮からは想像できないくらい活発な生命活動。樹皮を通り抜けて水の流れる感覚とマナの動きが伝わってくる。これだけ焼け焦げ、樹としての大部分を失っても、はまだ自分の使命を放り出さずに生き続けている。静かに、それでいて気高く、何物にも屈することなく。


 だから思わずそう呟いてしまう。


 彼らの感情はマナを伝って心の中に響いてくる。マナの波動そのものが彼ら植物にとっての言葉だ。そしてどうやら、俺はその流れをくみ取って別の信号に変換する能力に長けているらしい。いまだって、目をつむってこの樹と同化すれば、根の一本一本の先まで感覚を飛ばすことができる。


 この樹は、俗にいう〝世界樹〟と呼ばれている種類のひとつだ。光合成によってマナを創り出せる種類の樹はそう呼ばれる。決まってそれらは森の一番中心に位置し、それを囲うように生き物たちが棲み付き、時間と共に森が広がっていく。その森全体に根を伸ばし、栄養をもらう代わりに世界樹は張り巡らせた根から葉から、マナを染み出させている。


 この樹だってそうだ。根が森全体に広がっている。その隅々に、生命活動で生成し凝縮させた高純度のマナがいきわたっている。幹が途中で焼け落ちようが、仕事を休まず続けている。


 だけど葉がないとやっぱり不便なんだろう。他の木々や森の生き物たちに消費される量の方が多い。ジリ貧という状態だ。このままじゃ、そう遠くない未来にこの森全体のマナが枯渇してしまうだろう。


 ――焼け跡からして、一年とちょっと前かな。可哀想にな。


 多分、落雷だろう。他の樹よりも人一倍高いこの樹に、雷が落ちて燃えたのだ。特にこの樹は油を多く含む種だ。だから雨でも火が消えずに地上の出ている部分の大半が避け落ちてしまったんだろう。


「ふぅ、……?」


 額を離して、目を開ける。すると、足元で妖精たちが俺を見つけていた。

 俺に不信感を持っているとか、そういうわけではなさそうだ。もっと別の、もっと真っ直ぐな感情を向けているような気がする。この妖精たちは言葉を話すタイプではないから、察することしかできないけれど……。


 ……ああ、なるほど。そういうことか。


「? ……ああ、そうか。この樹はキミたちのお母さんなのか。だから連れてきてくれたんだな」


 返事はない。だけどそうだと確信できた。

 だから、努めて安心させるように笑う。


「大丈夫。焦げてるのは表面だけで、中身はちゃんと生きてる。キミたちのお母さんはまだ頑張れるよ」


「ちょっと失礼」そう言って、妖精たちを樹の周りからどかす。ジャケットの拡張ポケットから水のボトルを取り出して少し離れた場所に円を描くように撒く。


「ごめん、その中に入ってて。そこなら巻き込まれないから。大丈夫、俺を信じて」


 眼は逸らさない。妖精の間では、目をそらすという行為は嘘をついていると疑われる行為だからだ。俺の思いはどうやら無事通じたみたいで、樹に登っていた妖精たちもおとなしく円の中に入る。


 障害物無し。大気のマナの純度良し。対象物の状態も良し。

 魔法の準備は整った。


「それじゃ、いっちょ始めますかっ」



          ◇◆   ◇◆   ◇◆



 笛の音が聞こえた。


 わたしたちが居るこの静かな森の中に、一色の笛の音が流れていく。

 吹いているのは、視線の先に立つ相棒だ。


 手に持っているのはオカリナだ。緑色と銀の混ざった不思議な形のオカリナを、焦げ付いた樹の幹の前に立ち吹いている。目をつむり、まるで何年も前からそこに居るように堂々として。そのくせ、音色は聞いたこともないくらい純度が高い。


「…………きれいな音……」


「あの音色が一番いいらしいゼ。植物たちに負担がかからないんだとサ」


 静かで、優しくて、心地良い音だ。


 空気みたいに滑らかで、でもそれより確かに存在感を持っていて、でもやっぱり実体がないみたいに心の奥へ染み込んでくる。少し高くて透き通ったオカリナの音は、まるであることが当たり前のように周りの木々やわたしたちの耳に吸い込まれていく。


 不思議な感覚だ。初めて聞いた音で歌のはずなのに、いままでずっと聴いて育ってきたような――そんな安心感を覚えてしまう。

 音が空気のように吸い込まれて、心の奥底で水に変わって、枯れきった何かに活力を与えている。それは直接の力じゃない。身体の奥底に沈んでいて、いままで引っ張り上げることができなかった力の流れる道になっているよう。そう錯覚してしまう。


 不意に、


 ザワリ……。


 草がこすれる音がした。


「……あっ」


 きっとわたしは、何度繰り返しても同じ声を零してしまっただろう。


 ハルの足元に、色とりどりの花が咲いていた。


 白、ピンク、黄色、藍色、普通は共存するはずのない数の種が花を咲かせていた。しかもわたしにも見える速度で、いまこの瞬間もその茎を空に向かって伸ばしている。そしてそれは、目の前にある折れた巨大樹も同様だ。


 小さな芽が、黒焦げた幹の隙間から顔を出している。焼け焦げた気配なんてみじんも感じさせない柔らかくて力強い新芽が、呼吸をしているように高く太く、刻一刻と伸びていく。それを見て、少し離れた場所にいるキノコたちや骨の妖精が嬉しそうに跳び上がる。


「あれは、ハルの力なの?」


「うん。覚えてるだロ? ハルと初めて会った時の夜に何があったのかはサ」


「……あ」


「そういうことサ。ハルがこの場所に入ることができるのは、そういうことなんだヨ」


 アルマの言葉で、わたしの記憶がよみがえる。頭の中で、点と点がようやく繋がった。


 あの夜、ドラゴンのウィグールを縛り付けた植物たち。あのとき聞こえた鋭い音色。この場所にハルが呼ばれた理由。なるほど、そう考えればすべてが理解できる。


「魔法使いは、妖精たちの声を聞くことができル。だけど植物の声は聞くことができないし、生きている植物に干渉する魔法なんてものもなイ。魔法っていうのは、生きてるものにかけると十中八九で身体の中のオドと反発しあって上手くいかないんダ。だけど、あいつだけは特別」


 森全体が、静かに軋みを上げている。

 それは破壊音じゃない。風で木がしなる音によく似ている。限界を突破して成長を続ける植物たちの成長音だ。


「あいつは魔法使いの中でも珍しイ、呪文に頼らない魔法が使える本物の〝能力者〟なんダ。そんでもってそいつらの能力の中でも特別中の特別。あいつの魔法は、植物たちと心をつなげて干渉することダ。あいつがいれば、木の枝を別の場所に運んで新しく大樹に育つこともできる。今みたいに急成長させることもできる。植物は、あいつの味方なんダ」


 ドンッ――ひときわ大きな地響きが身体を揺さぶった。


 焦げた断面から迫り出し、死んだ樹皮を巻き込み、新しい幹が天へ向かって伸び始めた。

 薄緑だった色は赤茶へと変わっていき、柔らかかった茎は硬くしなやかな大樹のそれへと成長していく。風に耐えることから、嵐や雷、いままで受けてきた理不尽以上のものに耐えるための体に変わっていく。


 枝が分かれ、青々とした葉が広がり、それでも周りの樹が邪魔だと彼らよりも高く高く天を目指す。誰よりも陽光を取り入れ、誰よりも理不尽に耐える役割をしばらくぶりに取り返す。


 気が付けば、目の前にあるのは植物の長〝世界樹〟。焼け焦げ、他の植物たちに守られていた幹の残骸は完全に姿を消していた。


 空気が、キラキラと瞬いている。


 大きくなった世界樹から、もうマナが吐き出され始めたのだ。赤、緑、青、黄色――空気がダイアモンドを撒いたようにプリズムに染まる。それは周りの植物たちに吸い込まれ、吸い込まれた傍からその場所を活性化させている。葉はより緑に、幹はより太くたくましく。


 ふと、声が木霊した。



 ――ふふ、ふふふ

 ――戻てキた

 ――お母さン、かえってキた

 ――おカえり、おかえリー



 どの声も、弾けんばかりに嬉しそうだ。口々に「お母さん」と呼んでいる。そうなんだ。きっとあの樹は、この子たちにとってのお母さんだったんだ。一瞬、薄緑のワンピースを着た彼女たちの姿が見えた気がした。


 ――……すごい。


 身体が熱い。心臓が今までに感じたことないくらい跳ねている。

 魔法って、すごい。


 足音に気が付き目を向ける。ハルが仕事を終えて、首に手を当てながらこっちに向かって来ていた。周りにキノコと骨の妖精を引き連れ、足取りは軽い。あの子たちもはしゃいでいるのか、ハルの靴にしがみついて振り回されている。


「お疲レー」


「気遣いどうも」


 戻ってきたハルに、アルマは気の抜けた顔で右手を出す。「誰の所為だよ……」とぼやきながら、ジト目のハルがアルマの手の平にハルの手の平をぶつける。ハイタッチだ。


「これでいいはずだ。多分、壊れたところはあらかたふさがってると思う」


「んー、りょーかイ。そんじゃ、確認してくル」


 ハルの言葉に、アルマがそう返して森の中に消えていく。この場所に、わたしとハルの二人が残される。


「…………」


「………………」


 話しかけられない。どう言葉をかけたらいいのか、少しわからなくなった。目の前で見せられたハルの魔法に、魅せられてしまったから。

 今までと同じように話してもいいんだろうか……そう思ってしまった。何て言えばいいのだろう。今まで対等だと思っていた人が、実はとんでもなくすごい人なんだと明かされた時の気持ちだ。さながら今のわたしは、身分を隠していた王子様の正体を知ってしまった庶民と言ったところだ。


 怖いとか、恐れ多いとか、そう言った気持じゃない。でも、やっぱりわたしとは違うんだと少しだけ思ってしまう。今までいた距離感が、少しだけ間違っていたんじゃないかと思ってしまう。


 でも、


「やっぱりびっくりした?」


 そんなわたしのつまらない悩みは、ハルの顔を見てかき消される。


 わたしに笑いかけるハルは、少しだけ恥ずかしそうで、でもちょっとだけ誇らしそうだった。魔法の話を楽しそうに話す時のあの顔だ。歳相応で、むしろ幼く見えてしまうくらい無邪気で純粋な顔。


 ああ、そうか。ハルにとって、いまの魔法は自分の一部なんだ。だから、こんなにも自然体でいられるんだ。特別なことだとは思ってなくて、だからわたしにも何か求めるような素振りはない。何だ、わたしの悩みなんて元々どうでもいいものだったんだ。


 だからわたしも、敬う付き人じゃなくて、今まで通りの労う相棒として接する。


「ええ、少しだけ。お疲れ様。ハル」


 アルマを真似て、ハルに手を広げて伸ばす。


「……さんきゅ」


 はにかみながら、照れ臭そうにぶつけ合った手の平がビリリと痺れた。


 そしてわたしたちの話が一段落するのを待っていたかのように、このタイミングで足の裾を引かれる。

 引っ張ったのは、さっきまで大樹の周りで飛び跳ねていた骨の妖精だ。わたしとハルの足に張り付き、じっと見つめている。


「ん? 何、どうしたの?」


 わたしがそう尋ねると、


《――――――、――――。》


 何か伝えたいことがまだあるのか、少し先の草むらを腕で指し、その方向へ服を引っ張っている。カラカラと頭が揺れている。ズレそうになる頭なんてお構いなくわたしたちの靴や裾を引っ張っている。


 ハルと目を合わせる。


「……どう思う?」


「何かまだあるんだろうな」


「どうしよっか。わたしはハルに任せる」


「行ってみようぜ。この際だから」


 予想は一致した。どうやら、まだわたしたちに見せたいものがあるようだ。

 頷き合い、骨の妖精が指し示す方向に歩き出す。キノコの妖精たちはここに連れてくることが仕事だったようだ。後ろを振り返ると、小さな手を振りながらキノコたちが見送ってくれていた。


          ◇◆


 結論から言うと、その場所はすぐ近くだった。正直に言うと、さっきみたいに濃い霧の中をまた数分歩かなくてはいけないのかと心配になっていたけれど、その心配はなさそうだった。


 着いた場所は、世界樹から徒歩一分も離れていない場所だ。柔らかめの草が生い茂り、地面が見えない。小動物たちが巣を作るにはきっと格好の場所だ。それに、少し甘い匂いが漂っている。


「で、俺たちに見せたいものって何なんだ?」


 ハルの問いかけに、骨の妖精がクルっと振り返った。そして目の前を草を指さす。そのまま、草の中に埋もれていくように中に入って行った。


「わたしが行くわ」


「ひとりで大丈夫なのか?」


「ええ。ここに来てから何もできてないし、せめてこれくらいは、ね?」


 肩をすくめるハルにウインクを返し、生い茂る草の中に踏み込んだ。

 草の背丈は意外と高い。腰まである柔らかい草は、地面がどうなっているのかを完璧に隠している。これは、一歩先に穴やぬかるみがあっても目視で判断できない。ブーツで地面を擦るように、ズルズルとすり足にして進む。


 唐突に、少し開けた場所に出た。


「あっ!」


 思わず声を出す。別に、足を取られたわけでも穴が開いていたわけでもない。


 そこに、ひとりの子供が横たわっていたからだ。


 少し離れていても分かる、上等な召し物に靴。そして丸っこい身体つき。だけどそれらは泥で汚れ、頬は少しこけている。


「この子……!」


 駆け寄る。横向けになった顔を確認する。

 軍からもらった写真はここにはない。だけどそれは必要ない。顔ははっきりと覚えている。


 この子の名前は、ルシアン。

 行方不明になり、わたしたちが探していた子供だ。


「どうしてこんなところに……」


「あー、どうりで見つからないわけだ。こいつらが隠してたんだな」


 わたしの声を聞きつけて、駆け付けてくれたハルが溜息を吐きながらそう呟いた。


「こいつら?」


「そう。こいつら」


 親指で何もないところを指す。

 すると、



 ――お礼。おレい。

 ――ふふふ、かくれんぼ。



 聞こえていた声が、一気に指向性を持ったのが分かった。

 ハルの射した先――そこで空気が渦巻き、ふたりの小さな女の子が姿を現した。


 ひとりは緑の髪に紅葉のようなはっぱを服にして着込んだ女の子。もうひとりは、金の髪に緑の服を着こんだ女の子。どちらにも蟲のような羽があって、小刻みに揺れている。


 言われなくても分かった。彼女たちが妖精で、わたしにずっと話しかけていたのも彼女たちだったんだ。


「シルフ族の妖精だよ。いたずら好きだけど害はない」


 それを証明するみたいに、ハルの髪をいじりながらもくるくると回る。



 ――泣いてタ、泣イてた。

 ――ケガしテた。

 ――かわいい、かわいい。

 ――だかラ、助ケた。

 ――でモ、食べタら、寝チゃった。



 横たわったルシアンに視線を戻す。鼻の前と首筋に手を付ける。ルシアンの傍には腐った梨のような果物が転がっている。鼻につくほど甘いにおいがする。彼女たちが言っているのはきっとこれだろう。


「その子は?」


「うん。大丈夫みたい。少し栄養失調気味かもしれないけど、呼吸は安定してるわ」


「そっか、良かった。眠ったのは多分こいつの所為だな」


 わたしの予想を肯定するように、ハルが腐った梨を持ち上げる。


「ハイダネって果実だ。ものすごく栄養価が高くて、休眠に入る動物たちがよく食べてる。だけど実には催眠作用があるから、……この子にはそれが効きすぎたんだな」


 クスクスと、眠っているルシアンの傍に降り立った妖精二人が笑っている。でもそれは、悪意のある笑みではなかった。どちらかといえば、安心しているような笑い方だ。


 そうか。この子がいままでこの森で生きていられたのは……。


「ありがとう。あなたたちが助けてくれたのね」


 肯定するように、彼女たちはわたしの周りをまわる。



 ――その子、イイ子。

 ――わたしタち見テも、つかまエない。



 きっと、怖いもの見たさであの森に近づいたんだろう。それで迷子になって、この場所に迷い込んでしまったんだ。

 だとしたら、もしかしたらほかの子も……


「ねえ、他にも子供たちが来なかった? ほら、男の子がふたりと女の子がひとり」


 その声に、「見た、見た」と妖精の二人は答える。

 だけどその後に、


 ――でも、他のコ、

 

 聞き捨てならないことを口にした。


「連れていかれた? 他の妖精たちに? それとも、人間に?」


《人間、人間》と彼女たちが口々に話す。彼女たちも怖かったんだろうか。口調がとても早口だ。



 ――うでニ、絵ガあっタ。

 ――ウサギの絵、うさぎの絵。

 ――ぴょんぴょん。



「ウサギの絵?」


「…………もしかして」


 はっと、ハルがこっちを見る。何か思い当たる節があるように、懐を探って、一枚の紙を取り出す。


「それって、これのこと?」


 それ! それ! と、差し出した紙を見て口々に妖精たちが騒いだ。


「うっわ。ややこしいことになった……」


 うへぇ、としかめっ面をし、ハルが大きなため息を吐く。


「どこにいるのか分かったの?」


「うん、まぁ一応は。問題はその場所なんだよ」


「この印がある場所よね。これ……何のエンブレムなの?」


「『ラビットハウス』、非合法な代物を捌く闇オークション会場だ」


 そこに描かれていたのは、庭のウサギと弓矢の絵――ラビットハウスという非合法なオークション会場のエンブレムだった。

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