第1章-10 地下ゴブリン街8番通路


 マンスリーのキノコ薬局で薬をもらって一時間。わたしたちは、またさっきのアーケード街に戻ってきていた。時間は三時過ぎ。太陽の射さない地下では明るさは変わらない。だけど、この時間から開店を始めたりする店もあるようで、さっき来た時とは明かりの数も客層も少し違っていた。


 ハルが入って行ったところだって、さっき通ったときは明かりがついていなかった店だし、すれ違う妖精たちも半透明のものよりもしっかりと肉体を持った人たちが多くなっている。それに、ところどころで爆笑する声も聞こえてくる。酒場が開いたんだろうか。風に乗ってくる酒の匂いがキツくなった。


 だけどそれ以上に、


 ――……やっぱり、見てる。


 視線が気になる。さっきから、道行く人たちが時々わたしのことを訝し気に見ながら通り過ぎていく。そんなにわたしはお上りさんに見えるんだろうか。

 それとも……、


 チラリと上に付けられた看板に目を向ける。《ゴブリンでも大丈夫! 結婚率100%のインペット事務所》というひと際大きな看板が煌々と輝いている。


 どっちなのか。わたしとしては後者であってほしい。この歳でお上りさんがまるわかりなのは、少し恥ずかしい。


「ごめん。待たせた」


 十分くらいだろうか。わたしにそう詫びながらハルが店から退店してきた。中に人はいない。ハルが一番だったみたいだ。わたしと違って、ハルは何も恥ずかしいことは無いと言わんばかりにゆっくりとした足取りで会談を降りてくる。


 両手いっぱいの紙袋を、ハルの姿が見えないくらいうず高く抱え込んで。


「…………えぇ?」


 一体、こんなところで何を買ったんだろう。すごく気になる。


「予想以上に買いこんじゃってさ。ポケットに入りきらなかった」


「でしょうね」


 ハルは手ぶらだ。どう考えてもジャケットのポケットの入る量じゃない。

 階段を降りるハルの足取りが少しふらついた。「おととっ」と言いながら体制を立て直す。反射的に手が出てしまって、傾いた紙袋の両手で支える。


「わたしも持つよ」


「え? いや、いいよ別に。俺が買ったものだし」


「いいから。見習いは師匠の荷物持ちをするものでしょう?」


「んー……、そんじゃお願い。こいつとこれ持って」


「うん。こっちは?」


「あー、それはダメ。落とすと厄介だから俺が持つよ。代わりにこっち。お菓子が入ってるから、てきとーにつまんでいいよ」


「りょーかい」


「ありがとう」


「ううん。気にしないで」


 余計なお世話なのかもしれないけれど、いままでのハルの行動を見ていたらきっとどこかでひっくり返しそうな気がしただけだ。

 それに、荷物を持つことに集中している方が、余計なこと考えなくてもいいような気がする。


「じゃあ行こうぜ」そう言って、ハルが前を歩き出す。わたしはその後ろを、三歩くらい下がってついて行く。


「とりあえず買う者は買ったし、あとはあそこだけだな。フクロウとか猫とかカラス以外にも魚とかリスとかもいるんだよ」


「うん」


「こことは別の場所だけど、前にソフィといったところはキツネがいてさ。波長が合わなかったのかソフィがキツネと威嚇しだして背筋が凍った凍った。頼むから変なことしないでくれーって」


「……うん」


 背中越しに、ハルが楽しそうに話しかけてきてくれる。だけどわたしにはほとんど聞き取れなくて、生返事を返すことしかできなかった。


 上げる足が重い。

 だって、さっきのことを聞いてしまったのだから。


 これほど落胆しているということは、わたしは心のどこかで魔法が万能の力なんだと過信していたんだと思う。呪文をひとつ唱えるだけで城を立てたり、国を一瞬で行き来したりできる――魔法とはそんな力なんだと。


 いや、もしかしたら心のどこかで願っていたのかもしれない。


 もし、わたしが魔法を使えるようになったら。

 わたしの犯した罪を消せるかもしれないと。死んだ母と、いなくなってしまった父と、もう一度三人で暮らせることだってできるかもしれないと、そんな浅はかなことを願っていたのかもしれない。そんなこと、神さまにだって出来るはずないのに。


「――リーナ?」


「!」


 我に返ると、ハルがわたしの顔を覗き込んでいた。器用に紙袋を押さえて、傾けても倒れないようになっている。わたしが生返事しかしないことに気が付いたんだろうか。その瞳は少し困惑したような色をしていた。

 その後、わたしの持っている紙袋の山を見て、「ああ、なんだ」と納得したような声を上げる。


「重かったなら言えばいいのに。ほら貸して」


「あ、えっと、違うの。そういうことじゃないから大丈夫。ちょっと考え事してて」


「ふーん。……本当に重くない?」


「甘く見ないで。わたしだって鍛えてるんだから」


 紙袋の山を支えた状態から、腕の力だけで「よいしょ!」とわざとらしく上へ持ち上げる。それでとりあえず納得したのか、「ならいいけど」と言ってそれ以上追及してくることは無かった。だけどやっぱり不審がられているんだろう。歩き出したハルはわたしのすぐ隣に並んだ。


 ――心配してくれてるのかな。


 だとしたら、悪いことをしてしまった。

 そうだ、これはいま考えることじゃない。わたしにはどうしようもないのだから、余計な気を使いすぎてせっかくのハルの厚意を無下にするもの失礼だ。ひとまず、いま考えるのは止めよう。


「それで、ソフィちゃんはどうなったの?」


「出禁になりました」


「あちゃー」


 と、


 ――エイダンフォード二級魔法士様ぁぁあ!


 遮るように、後ろからハルの名前が叫ばれた。


「?」と疑問符を浮かべてハルが振り返る。見えたのは、後ろから走ってくるハルと変わらないくらいの少年の姿だ。わたしたちに向かって大きく手を振りながら、上の階から階段を駆け下りてくる。


 困惑するわたしたちの元に、少年がたどり着く。いままで探し回っていたんだろうか、うずくまった背中はびしょ濡れで、顔からは滝のように汗が滴っていた。

 ぜぇはぁと荒い息遣いをしながらも、姿勢を正してハルに敬礼する。


「ぶ、ぶしつけな呼び止め……はぁ……はぁ……大変、もう、しわけありませんっ」


「あ、うん。……それよりだいじょぶ?」


「はぁ……はぁ……問題あり、ません。体力は、ある方なので……ぅおえええっ!」


「ダメじゃん!」


 えずいた。


「とりあえず壁に行こ。向こう、歩く、命令」


 首を振る彼にそう言って強引に移動させる。段差になったところに座らせて、ジャケットからボトルを出して中身を飲ませる……いったいどこに入っていたんだろう。

 それにしても、この少年はいったい何者なのだろう。少年に聞こえないよう、ハルの耳元でささやく。


「あれ、誰なの?」


「ここで働いてる人間。多分、どこかの魔法使いの見習いだと思う。ジャケットの色が茶色だから……生産系の職場かな?」


 この妖精の国には、妖精以外にも魔法使いが多数住んでいて、地上と同じように店を構えているらしい。地上に出るには別の資格が必要だが、ここで商売をするにはそれほど難しい資格はいらないとか。この少年も、どこかの職場で働いている魔法使いの見習いだと言いうのがハルの予想だ。


 ちなみに、ハルは地上で活動するための許可を持っている。二級魔法士というのがそうだ。なんでも、ハルはその資格の最年少記録保持者らしい。思っていたよりも、ハルはすごい人だった (でも、それを言うと嫌そうな顔をされた)。


「ふぅぅ……。ありがとうございます。もう大丈夫です」


 豪語していたことは本当だったようで、三十秒もたたないうちに少年の顔から汗が引いた。少しふらつきながらも、呼吸だってさっきよりだいぶ穏やかになっていた。


「お見苦しいところをお見せいたしました。僕は魔法使いシンディアの見習い、マシューと申します。ハル・エイダンフォード二級魔法士様に伝言を仰せつかってきました」


「伝言? 俺に?」


「はい。『エルフからの要請あり。至急、保護区に向かわれたし』とのことです。なんでも、昨日のアレで色々と壊れてしまったみたいで」


「ああ、そういうことか、了解。ありがとう、もう行っていいよ」


 よっぽど予定が詰まっているんだろうか、その言葉を聞いてすぐに、マシューは深々とお辞儀をして走り去っていった。


「この時間は忙しいはずなのに……悪いことさせちゃったなぁ」


 その背中を見ながらポツリと呟いたあと、


「ごめん。動物は後にしてもいい? 寄らなくちゃいけないところができた」


 わたしの方を振り向き、申し訳なさそうにそう言った。


 ◇◆


 保護区とは、その名の通り生き物の保護を目的とした区域のことだ。その場所全体が丸ごと森になっていて、人工物はほとんどない。それに、わたしたちが今いるこことは違い、例え魔法使いであっても入ることはできない。入れるのは例外的に許可された人たちだけ。ハルもその一人らしい。


 保護しているのは、幻獣だ。

 世界各地で絶滅寸前となった、マナという粒子を身体に宿す特殊な――わたしたちがよく見るおとぎ話や伝説に出てくる――生き物たちが、人の目から保護されている。管理しているのは、これも伝説にある森の守り人〝エルフ族〟。水と空気と土に愛された彼らだけが、妖精王から森の管理を任されている。


 部外者を徹底的に排除し、同じ妖精さえもめったに入れることがない特殊な場所。どこにあるかも謎で、どうやって行くかも謎らしい。そのおかげで、侵入者は皆無。いままで数百年、幻獣たちを守ってきた鉄壁の森だ。


 だから当然、わたしだって勝手に入ることはできない。

 隣で吐かれたため息は、そういうことだった。


「どうすっかなぁ……」


 保護区の入り口に通じる薄暗い通路。さっきとは打って変わって荒れ放題な印象を抱くその道を歩きながら、ハルはそううそぶく。


「別にわたしのことは気にしなくてもいいのに。待ってろって言われれば待ってるわよ?」


「あんまり一人にしたくないんだよ。ここって結構危ないし。それに……、」


「それに?」


 ハルが言葉を切る。目だけを左右に向けて周りを見渡し、小声で言葉を続けた。


「リーナって、あいつらに好かれるみたいだから」


「…………」


 ハルの見ていた場所に目だけを向ける。古い廃屋や岩の陰から、見たことない生き物がこっちをのぞいていた。


 小柄で、わたしの腰くらいしかない。ひょろひょろとした体格で、異常に長い腕が廃屋の柱や岩を凹むくらいの力で握り締めている。黄色い目を細め、口元が大きく開く。むき出しになった歯茎には、黄色くなったボロボロの歯がかろうじてくっ付いている。歯並びは最悪。少し引っ張ったら取れてしまいそうだ。


 嗤った。明らかにわたしたちの方を見てニタリと。だけど笑うだけで、わたしたちに向かってこようとはしない。姿を隠し、少ししたらまた姿を見せて嗤う。まるで嫌がらせをしているように、ずっとわたしたちのあとをついて来る。


「ボギーだよ。人間に危害を加えて楽しむ性格がねじ曲がったやつら。おかげで他の妖精からも嫌われている」


 わたしが見たのは、目に映った三人だけだ。だけど、背中の向こうからいくつも視線を感じる。キキキという耳障りな嗤い声と共に。

 きっと、あいつらはそこら中にいる。


 ――君は、妖精たちがとても好む匂いをしている。――

 薬屋での、ガードナー氏の言葉を思い出した。


「妖精って、基本イタズラ好きで済むんだけど。悪意を持ってこっちをハメにかかってくる奴もいるんだよ。で、リーナはそいつらに好かれる何かを持ってる。…………ここに来て目を付けられるなんて久しぶりだ」


「そう言えば、ガードナーさんにも言われた。わたしが妖精たちの好きな匂いを出してるとか……」


「あー、なるほどね。それであいつらが出てきたのか」


「ごめん。面倒なこと抱え込ませちゃって」


「気にしない気にしない。むしろよかった、昨日あのままリーナをほっといたらヤバいところだったし」


 自分たちの存在を無視されるのに腹が立ったのだろうか。それとも、ここは自分たちの縄張りだと伝えたいのだろうか。努めて気にしていないというスタンスを取るハルの態度を見て、どこから出しているのか分からない汚い唸り声がわたしたちに向けられた。


 錆びた金属をこするような音と、下品なゲップが混ざったようなうなり声だ。異様に耳に残って、重油のようにまとわりつく。粘っこくてツンとくる声だ。いや、声と言うより音――カコフォニーというべきかもしれない。


 鳴りやまないその音が、わたしたちの後ろをずっと付きまとう。迷い霧の森で聞いたあのときの声と同様、あんまり長い間聞いていたくはない部類の音だ。

 早く、どこかに行ってほしい。


「大丈夫。襲ってはこないよ」


 わたしを気遣うように、ハルがそう呟いた。


「あいつらは馬鹿だけど、自分よりも上だって分かったやつにはちょっかいかけてこない。野生の勘ってやつ。前に俺に絡んで痛い目見てるから、俺がいる限り何かして来るような度胸は無い――、」


 と、ハルが言い終わる前に。


 こつん。


 足元に小石が投げられた。割れた破片が、ブーツに当たって止まる。ハルの言う通り、石が投げられたのはわたしだけ。ご丁寧に、ハルには絶対当たらない方向からの投石だった。


 同時に聞こえる、微かな歓声と手を叩く音と湿った嗤い声。

 何というか……性格悪い。


「……どんだけ頭悪いんだよ」


 ぎゅっと、拳を握る音。

 ポツリと、苛立たし気な呟きが横から聞こえた。そして深々と吐かれるため息。


「止まらないで。少し急いで」


 そうわたしに耳打ちして、ハルは歩調を速めて歩き出す。それと同時にジャケットの内側に手を突っ込んで、何かを探すようにまさぐる。


「あった」その呟きと共に出てきた手に握られていたのは、ビーズのようなものが入った小さめの小瓶だ。コルクの栓を開けて、左手一杯にそれを出して握りしめる。左手から零れ落ちたビーズ(みたいなもの)が、地面に落ちて跳ねながら散らばる。


「何するつもり?」


「帰りもこの調子だと嫌だろ? だからちょっとした仕返し」


 にやりと意地悪そうに笑って、ハルは左手に握ったビーズを落とし続ける。左手の中でビーズを器用に転がし、早歩きしながら一定の量ずつ落としている。

 手の中のビーズを全部落とし終わった後、栓を締めた小瓶をわたしに見せる。紫色のビーズだ。


「特殊調合した光玉。着火させるとちょっとした太陽並みに明るくなる。前もやったけど、あいつら光が嫌いだからよく効くんだよ」


 そう説明する相棒の顔は、まんまイタズラを仕掛ける少年のそれだった。


 そのことに気が付いていないのか、今度は大丈夫と高をくくっているのか、ボギーと呼んだあの妖精たちの追撃は止まない。進む先で、わたしが歩くところにだけ執拗に泥や虫が転がっている。ハルの方には全くない。わたしをターゲットにしているのは明白だった。だけど、正直言ってそのことはそれほど気にならない。それよりも、あの耳障りな音の方がわたしには苦痛だった。

 耐えて歩く。少し先に緑の明かりが見えた。


 そのとき、


 わたしたちの足音に混ざって、もうひとつの足音が後ろから木霊した。

 こっちの歩調にかぶせるようにしている。だけど、そもそもわたしとハルの歩調が違うからすぐに分かった。段々とわたしたちに近づいてくる。それに呼応するように、ボギーたちの唸り声が歓声に変わっていた。


 ハルも気が付いているようだった。一瞬だけ後ろに注意を向け、わたしの腰辺りを軽くたたく。目を向けると、腰のあたりで人差し指をクルクルと回し、素早く前を指さす。

 口が動く。声は出していない。


 《あ・い・ず・で・は・し・れ》


 読唇術で読み取れた言葉に、頷いた。


「…………」


「………………」


 その後、お互いに無言で歩く。


 足音はさらに近づく。

 明るい出口が近づいてくる。

 足音がすぐ近くで聞こえる。

 ボギーたちの歓声がさらに大きくなる。


「いまっ!」


 ハルの合図で、思いっきり走り出す。出口までは十秒もかからない。瞬く間に光が近づいてくる。ボギーたちがひときわ大きく歓声を上げた。追いかけっこが始まったとでも思ったんだろうか。


 足音が遠くなっていく。それもそうだ。いくらわたしが女でも、ボギーたちとは歩幅が違う。それにわたしは現役の軍人だ。運動不足の男よりもよっぽど体力はある。


 飛び込んだ場所はまた通路だった。だけどさっきとは違い、明るい光が通路中を照らしている。ハルが両足でブレーキをかけて止まる。

 腰から杖を抜き、

 右足を軸にして回転、振り向きざまに杖を構える。


「それじゃ一発――……?」


 そこで、ハルの声が止まる。


 わたしたちが出てきた出口にいたのは、右手を上げた可愛らしい熊のぬいぐるみだった。


 またの名をテディーベア。ふわふわの綿が詰められた、どこからどうもても完璧なぬいぐるみ。間違っても歩きはしないし、歩いたとしてもあんな固い靴音はしない。


「「…………くま?」」


 わたしたちの口から出たのは、全く同じ疑問符だった。

 と、そのとき。


「ばあっ‼」


 突然、誰もいないはずの後ろから声が。高くて、少し鼻にかかるような独特の声。


「うお!?」


「にぇっ!?」


 振り向こうとして足がもつれたハルが、地面にしりもちをついた。わたしの喉の奥からは、カエルの鳴くような変な声が出た。

 後ろにいたのは、ローブをまといフードを深く被った小柄な人だった。ハルよりも背が低い。だけど、床まで垂れるほど長く、金具のついた太いロープを、肩に巻き付けていた。見た目によらずかなりの力持ちだ。


 そんな恰好の人が、クツクツと肩を震わせている。すぐに我慢できなくなったようで、お腹を抱えて大声で笑い始めた。


「ぷっ、くくく、ハハハハハ! 面白いくらい引っ掛かるなぁ、お前ハ!」


 ばさりと、引っ張られたフードが肩に落ちる。はっとするほど赤い短髪が、ぴょんと跳ねて広がった。それにピンっと伸びた細長い耳。

 女の子だ。それも、ハルと同い年くらいの。くりっとした目がイタズラそうに笑い、わたしたちを見つめている。ケタケタ笑うその声は、高いけれど不思議と聞き心地がいい。なんだろう、金管の音を聴いているみたいだ。


 彼女の姿を見たハルは、大きくため息を吐いた。なんだか複雑そうな表情だ。安堵と困惑が、混ざったような表情、とでも言えばいいだろうか。


「はぁーー……アルマ」


「大正解ィ。それより危ないなァ、あたしまで光玉の巻き添えにする気かヨ」


「それが嫌なら声かけろよ。黙ってたら気づくはずないだろ」


「やだなァ、それだとお前をからかえないじゃないカ」


「あーあ、やっぱり行くのストライキしよっかなー」


「ちょっ、悪かったっテ! お前を連れて行かないとあたしが怒られるんだヨ! それに、さっきまで本当にハルなのかあたしも半信半疑だったんダ。お前が見慣れない人を連れてるかラ」


 ムスっと頬を膨らませているハルに謝り倒す、アルマと呼ばれた少女。わたしと話す時とは違った、ぞんざいで容赦のないハルの新鮮な口調。それだけで、この少女がハルと付き合いが長いということが十分わかった。


 仕方ないなぁと言いながら疲れたように息をつくハルを見て、アルマと呼ばれた少女がニシシと笑う。そしてわたしの存在を思い出したのか、今度はわたしの方を向いて顔を覗き込んでくる。

 少し前に市場で見た、タイガーアイという石にそっくりな茶色い済んだ瞳。なんだか頭の中全部を覗かれているような気がして、思わず仰け反る。


「あ、えーと、こんにちは」


「あー! やっぱり女の子ダ!」


 ぱあっと、誰が見ても楽しそうと分かるくらい目を輝かせた。興奮気味にそう言って、わたしの両手を取って握る。わたしの手を取ったまま上下に激しくシェイク。嬉々としや表情で矢次に言葉を放つ。


「声を聞くまで心配だったんダ。こいつは今まで女ッ気が全くなかったから、ひょっとしたら女の子に似た男を連れ始めたんじゃないかっテ」


「おい」


「ぷふっ」


「!?」


 心外だと言わんばかりの抗議と、あんまりなアルマの予想に思わず吹き出してしまう。「違うからな!」とアルマの背中の向こうからハルが叫ぶ。確信した。この人は、やっぱりいい人だ。


「あたしはアルマ。妖精の国で幻獣たちを守ってる守り人サ。君みたいにきれいな人を見るのは久しぶりダ。おねーさんの名前ハ?」


「リーナよ。よろしくね」


「リーナ……うん。やっぱりきれいな名前ダ」


 りーな、りーなと、噛みしめるようにわたしの名前を呟く。そしてわたしの手を離し、柔らかく微笑んだ。まるで、全てを察して受け入れてくれたような笑みだった。わたしのことを案じてくれていたアネットがよく浮かべていた笑みによく似ている。なぜだろう、目の前の小さな少女が、わたしよりもずっと年上に見えた。


 だけど、ハルの方を振り向いたアルマは、元の通りの快活な少女になっていた。


「ハルもなんだヨ、彼女出来たなら言えヨ! 水臭いなァ」


「勝手に進めるなよ。違うって、ただの見習い」


 本当か? と言わんばかりに、アルマがわたしの方を見てくる。肯定の意味で頷く。わたし、年下は対象外だ。どっちかというと、守ってくれる人の方にあこがれているような気がする。


「ちぇー。何だよ、つまんねーノ」そう言ってアルマは口を尖らせた。「あのなぁ」と疲れたように言うハルだったが、それ以上アルマのからかいに乗っかることは無かった。アルマもそれを解っていたかのように笑う。多分、いつもこんな感じでふざけ合っているんだろう。


 ――兄弟みたい。


 なんだか、見ていてそれが微笑ましかった。


「それで、探してたってことは、お前が道案内してくれるってことでいいのか?」


「イエス。あたしがしっかり向こうまで案内するヨ。もちろん、おねーさんも一緒ニ」


 ビシッと指を伸ばし、独特なポーズをとる。


「そのことなんだけどさ、リーナって連れてっても大丈夫なのかな」


「んー? 別にいいだロ。あたしが付いてるからよっぽどのポカやらかさない限りだいじょーぶだっテ。それに、」


 言葉を切り、さっきわたしたちが出てきた通路の入り口に目を向ける。


「どのみち、あいつらの前に置いて行くわけにもいかないだロ?」


 いつの間にか、ボギーたちが向こうから顔を出してこっちの様子を窺っていた。

 アルマに指を刺されると、ギギ!? という声を出し慌てて向こう側に引っ込む。暗がりの中では、何か言い争うような声が聞こえる。思い通りにいかなかったことに腹が立っているんだろうか。


「……だよな。とりあえず行くだけ行ってみるか」


「ほーい、そんじゃ、入り口を出すゾ」


 そう言って、彼女は着けていた手袋を外す。

 中指と親指をくっつけて、パチンっと指を鳴らした。


「開けゴマ」


 空気がねじれたのが、わたしにも解った。

 流動のなかった空気が、アルマの言葉で急速に動き出す。

 回り、重なり、集まり、ねじれて広がる。まるで、空気そのものがパズルのピースになって、動いて組み合わさっているみたいだ。


 フフフ。

 ンフフフ。

 イラッシャイ。


 また、あの夜のように声が聞こえた。


「ほい、完了」


 アルマの声で、わたしは我に返る。

 気が付くと、風は止んでいた。空気の流れも、地下特有の緩いものに戻っている。耳元で聞こえた声たちも、今は全く聞こえない。


 そして目の前には、光を放ち揺らぐ不思議な靄があった。まるで鏡のような楕円をしていて、重力なんかないようにその場で停滞している。水のようにも見えるけど、光を当てた薄い煙にも見える。絵具を水に入れてかき混ぜて、その下から光を当てたような模様の何か……という言い回しがいちばん近い気がする。


 水なのか空気なのか、わたしにはそれすらも分からない。ただ、これが魔法だということ、アルマとハルの言っていた入り口なのだということはなんとなく解った。


「これが……」


「森へ続く入り口だヨ。生憎いま開いてるのがここしかなかったから、ちょっと狭いけど我慢してネ。……それじゃあ、ハル、お手本でレッツゴー」


「へーい。じゃあ、向こうで」


 けだるげな返事。そしてわたしにそう言ってニカッと笑う。普通に道を歩くように、壁を這いに口を開けているそれへと近づく。


「よっと」


 そして、ぴょんと飛び込んだ。

 手でかき回したように、光のヴェールが揺らぐ。ハルの身体はその中に入り込んで、姿を消す。


「…………」


 後ろの壁にぶつかった様子はない。隠れる理由も場所もない。つまり、本当にハルはここからあの向こうへと行ってしまったということだ。


「さァ、今度はリーナの番」


 トンっと、背中を優しく押される。ゆっくり光の入り口に近づき、あと一歩の場所で立ち止まる。恐る恐る、光る靄に手を伸ばしてみた。

 触れる直前、まるで意思を持つように揺らぎが模様を変える。ハルが入ったから大丈夫だと分かっているのに、どうしても踏ん張りが付かない。


 と、


「大丈夫」


 右手が握られた。

 アルマがわたしの手を握っていた。またさっきのような柔らかい笑みを浮かべ、落ち着かせるようにゆっくりと言葉を紡いだ。


「怖がらなくてもいいヨ。ただ、あの光の中をくぐるだけだかラ。大きく息を吸って、リラックス。あたしが付いているから、さぁ、歩いテ」


 言われるがまま、目をつむって深呼吸。一回、二回、目をつむっていると、アルマの手の温かさがじかに伝わる。

 わたしの手よりも小さくて、柔らかくて、あったかい。どうしてだろう。ただ手を握られているだけなのに、身体の中に温かい何かが広がっていくような気分だ。なぜだか落ち着く。さっきまで心の奥底にあった恐怖心が解けていく。


 ――……よし!


 覚悟は決まった。

 右足に体重を掛けて、一思いに光の靄へと飛び込んだ。


 一瞬遅れて、


「おっと、忘れてタ」


 後ろから、声が聞こえる。

 パチンと、アルマがもう一度指を鳴らす。


「オンナノコの敵は滅却」


 光の中に飛び込む直前、ボギーたちの悲鳴が聞こえた気がした。

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