第1章-9 魔法が万能だったなら、それは〝奇跡〟と呼ばれているだろう。

 

『薬屋に行こう』


 ハルが目的地を話したのは、入国審査を終えて三番通路に登るために乗っていたリフトの中でだった。入国審査前に余計な不安をわたしに与えたくなかったんだと、申し訳なさそうにハルが謝ってきた。

 なぜ教えてくれなかったのか。それは、わたしの身体に直接関係あることだからだ。


 〝覚醒者〟は短命。


 確かに、あの前に訊かなくてよかったと心底安堵した。

 それは根拠のない迷信ではなく、れっきとした事実としてデータもそろっているらしい。理由としては二つあって、身体的要因と外的要因だ。


 まずひとつに、覚醒者は覚醒した直後から脳で処理をする情報の量が何倍にも膨れ上がるのだ。質・量、共に以前とはけた違い。それで身体に負担がかからないわけがない。そのせいで覚醒者たちは、必ずと言っていいほど何かしらの体調不良を身体に抱えることになってしまう。


 ふたつ目は、妖精たちに対しての知識の無さだ。生まれつき見えている人たちは、親に保護される幼少期に彼らがどういう存在なのかを学習し、無意識のうちに彼らに対しての対処法を学んでいく。無意識のうちに学んだそれは〝経験〟になって、彼らから自分自身を守る役割を果たす。


 だけど覚醒者にはそれが無い。例えるなら、小さな子供を詐欺師の前に立たせるようなものだ。良いように口車に乗せられて、彼らの餌食になる。魔法使いの庇護を受けられなかった覚醒者たちはそうやって消えていってしまう。

 この二つが、覚醒者が短命と言われている所以だ。


「大丈夫、リーナは死なないよ」


 はっと、我に返った。

 わたしの隣で、ハルが笑っていた。


「いま言ったのは何もしなかった時ってだけで、ちゃんと対処すれば何ともない。妖精たちあいつらのいたずらは俺が気を付けてればいいし、脳の負荷だって段階的に慣らしていけば何ともないよ」


「高山病みたいなものってこと?」


「そうそう。脳に入る情報を段階的に増やしていけば負荷は軽くなる。今から行く薬屋はその薬を処方できるんだ。だからそんなに心配することでもないよ」


 安心させようとしてくれている――そう気が付いたのは一瞬遅れてのことだ。


 一夜にして見える世界が変わってしまったわたしのことを、精一杯守ろうとしているのが分かった。それに、ハルだって自分のやるべきことがあるはずなのに、わたしのためにこんなことまでしてくれている。普通ならよっぽどのお節介じゃない限りここまでしようとは思わないんじゃないだろうか。

 やっぱり、ハルは底抜けにお人好しで優しいんだ。


「……ありがとう。わたしのためにここまでしてくれて」


 その善意が、ただただ嬉しかった。


「約束したからな。それに俺も寄りたいところがあるし」


「そう言えば、ソフィちゃんから何か渡されてたわよね。買い出し?」


「ん。この先にあるアーケード街で買ってきてほしいものがあるってさ。本と実験で使う土と〝燃料粘土〟と〝輝煌石〟と〝転写紙〟……あとお菓子」


 ソフィからもらっていたメモ用紙をポケットから引っ張り出してハルが読み上げる。やっぱりというべきなのか、メモ用紙はクシャクシャだった。相変わらずそういうところは雑だ。


「全部揃えられるの?」


「もちろん。俺たちは表の人間に見つかっちゃいけないだろ? だから、店はできるだけ一か所に固まってる。バラけてるのは地上にある店くらいかな」


 チンと、高い鐘の音が鳴った。

 同時に扉が開き、リフトから追い出そうとするみたいに身体が引っ張られる。


「ようこそ妖精の国に」


「わぁ!」


 子供のような歓声は、わたしのものだった。


 狭めの道をはさんで、カンテラがあちこちで燃えていた。所狭しと建物が並んでいて、その二階は一階よりも道にせり出している。逆三角形のような形の建物ばかりだ。どの建物にも大きな看板が張り付いていて、金属板の小さなものが道の真上にも飛び出している。


 道にはわたしたちのような人間に、影のように実体がない人、頭がカエルになっている人(と呼んでいいのかわからないけど、失礼になるといけないからそう呼んでおく)、小さくて恰幅のいい耳の尖った人たちなどがひしめき合っている。大きな荷物を抱えた巨漢が、器用に店の中へと入っていった。

 店だと分かったのは、わたしにも読める文字があったからだ。


 《Coblynau Jewelry Shop》

 《Green Man bar》

 《Shoe Store》

 《Bakery》


 わたしのような経歴の人も来るんだろうか、看板には読めない文字の下に書いてあったのは英語だ。それに、カンテラの色も店ごとに決まっているみたいだ。靴屋は赤。パン屋は黄色というように。おかげでわたしにもどれがどの店なのかがすぐに分かった。


 《Shrieker House》

 《Nuckelavee fight!!》

 《Shock! Trick! Joke!》

 《Grenndel》

 《Green Man joke》

 《Send best Killmoulis》


  ……訂正。読めても分からないものばっかりだった。


「――ああ。あれは動物販売店。使い魔なんかを扱ってる」


 わたしが向いていた方向をたどるように後ろからのぞき込んで、ハルがそう教えてくれた。どうもわたしが興味を持っていると勘違いしてしまったらしい。とは言っても、読めなかっただけで興味ゼロというわけでもないから、ハルの勘は当たらずとも遠からずと言ったところだろうか。


 ハルが指さしたのは、緑色の屋根に緑色の光を出すカンテラを吊るした店だ。読めない文字に、猫とフクロウのシルエットが描かれている。薄暗い店の中から、何かの影が動いて見える。格子がはめられた他の店よりも小さい窓は、中の動物が逃げないようにしているんだろうか。


「ペットショップ?」


「……近いよ。魔法使いと魔術師は使い魔を使うから。俺たちと動物は切っても切れない関係かな」


 一瞬言葉が止まったのは、きっとそれだけじゃないからなんだと思う。

 わたしの知識の中では、魔術師は動物を生贄にしたり実験に使っていることが多い。多分、わたしの予想は当たっているんだろう。でもわたしがペットショップなんて言葉を使ったから、ハルはそのことを隠そうとしてくれたのかもしれない。


 もちろん全部わたしの勝手な妄想だ。だけど、ハルの性格を考えたらきっとそうな気がしている。

 なので、その厚意に甘えることにした。


「ハルの使い魔って……あの黒猫ちゃん?」


「あれでも俺たちより年上だから、〝ちゃん〟付けていいかは疑問だけどな。名前はシャルルで、御年二十歳のおばあちゃん。仕事は蟻塚の巡回と警備」


 それはつまり、本当にただのペットではなかろうか……。そういえば、昨日今日でわたしが見たのも、暖炉の前に座り込んで緑色の眼を暖かそうに細めている姿だけだ。


「わたしも動物飼ってみたいなぁ」


「飼えばいいじゃん。少尉だったらそれなりに貰ってるんじゃないの?」


「無理よ。わたしの入ってる場所はペット禁止だもの。アレルギーの人がいるから」


「じゃあ入ってみる?」


「いいのっ?」


「用事が全部終わったらでいいなら」


「もちろん!」


 軍に入ってここしばらく、全くと言っていいほど癒しが無かった。だからその申し出が、わたしには一か月分のお給料袋よりも嬉しかった。


「じゃあ行こうぜ。閉まる前にさっさと終わらせないと」


「そうね」


 そう返事したわたしの声は、年甲斐もなく弾んでいた。



 ◇◆



 アーケード街を抜けた先、ゴブリン街南区三番通路のずっと向こうに目指す薬屋はあった。

 この区画は地底湖に面していて、区画全体の湿度が高い。そのせいなのか、この場所でも数少ない森がある区画になっている。


 森は地上では見たことが無いくらい太く高く育っている。なんでも、マナをため込むことで大きく成長できる種類の木らしく、この場所にしか生えない珍しい品種なんだとか。


 あちこちにコブのように膨らんだ部分があって、内側は空洞になっている。この種は、中に動物たちを住まわせることでその糞尿を養分にしている、いわゆる共存型という種だ。大きいものでは普通の家なんかよりも何倍も大きくコブが成長する。中はかなり快適で、よく妖精たちが住処にしているのだ。わたしたちが目指した薬屋も、このコブの中に店を作っている。


 だがしかし、快適なのは室内だけで決して外観がいいというわけでもない。妖精や動物たちが住処にするんだから、そもそもの話、人間が暮らしやすいように生えているわけでもないのだ。目の前に見える薬屋がいい例だと思う。


 端的に言えば、目の前のこれはボロ屋だ。

 ツタが木を覆っている。それにはトゲが生えていて、意志があるかのように不自然に、まるでピアノを弾くみたいに縦横無尽にしなっている。もしくは何かを探しているのか。近くを大きなコガネムシが飛ぶ。唐突にツタが伸びて、蛇のようにコガネムシを絡めとった……なるほど、あのツタは肉食らしい。


 ツタだけじゃない。ヒカリゴケのようなものが階段を緑色に染め上げているし、ところどころに膨らんだ袋を持つキノコが生えている。ハルによると、あれは毒を吹き出すから踏んではいけないのだとか。


 長々と描写してしまったが、つまり、簡単に言うとこうだ。

 これ、本当に人住んでるの?


「本当に、ここ薬屋なの?」


「まあね。…………見た目はアレだけど」


 見た目については、ハルにも思うところがあるみたいだ。

 行こう、と言ってハルは階段を上り始める。途端にツタが伸びてきてわたしたちを捕えんとする。しかしそれも、ハルが腕を払うと階段を避けるように離れていく。ハルの後に続いて、キノコを踏まないように気を付けながら一段ずつ上っていく。


 階段はほんの十数段で、すぐに扉の前にたどり着く。

 ベキッという湿ったような破砕音が足元から聞こえる。


 《おいでませ! マンスリーのキノコ薬局》


 というボロボロの看板が足元に転がっていた。ハルの言う通り、ここは薬屋らしい。看板によれば、開店時間は午後九時から午前三時まで。ちなみに今は午後一時だ。


 錆びきったドアノブにハルが手を伸ばす。

 すると――、


「おごっ!?」


 ドン! 冗談抜きでそんな音がした。


 ノブがひとりでに回り、外に向かって開いたドアが勢いよくハルの額に直撃した。


「お、おぉぉぉぉ……っ」


「ちょ、大丈夫っ? すっごい音したけど」


「星がぁ、星がみえるぅ……」


「ああもう、とりあえず離れて離れて」


 ぐらぐらと頭を揺らすハル。目はうつろで焦点が定まっていない。肩を抱いて扉の前から離脱、横に逸れて壁に寄りかからせる。どうやら予想通り痛かったようで、固くつむった目には涙が浮かんでいる。抑えた部分は真っ赤になっていて――……これはコブができるんじゃないだろうか。見ているだけでも痛い。記憶が飛んだりしていないければいいけど。


 半開きのドアの向こうには、誰もいなかった。薄暗い室内の一角が見えるだけだ。向こうで影がゆらゆら揺れている。ひとつは小さく、もうひとつは大柄な身体だ。


 なるほど、おおかた、子供がドアを勢いよく開けてハルにぶつけてしまったんだろう。それで怖くなって奥に帰っていってしまったと……、何とタイミングが悪い。全く、ハルにとってきょうは災難な日だ。


 何となく立てていたその予想は、すぐに当たりだと判った。なぜなら、ゆらゆらと揺れる影と共にドタバタと いう足音が近づいてきたからだ。


 だけど同時に、予想外のことも起こった。


「申し訳ない! 娘がご迷惑を――」


 現れたのは、予想通り大柄な男だった。年齢は多分四十歳前後。白髪が混ざった茶髪にかなりの筋肉質で、十歳くらいの少女を小脇に抱えている。


 と、


「あっ! はるにーちゃん!」


 男性の言葉を遮り、抱えられた少女がぱぁ! っとひまわりのような笑顔を浮かべた。その声にハルも顔を上げる。そして、さっきとは別の理由で目を白黒させる。


「ミシェル!? ガードナーさん!?」


 まさかまさか。

 出てきたのは、ハルの知り合いだった。




 ◇◆


「ほら、ミシェル。もう一度きちんと謝りなさい」


 そう言って背中を押された少女は、気の毒なくらい落ち込んでいるのがまるわかりだった。

 ソフィより少し幼いくらいの年頃で、短い茶髪にくりくりの瞳。ぎゅっとスカートの端を握りしめている様子がとっても愛らしい。例えるならリスだ。


「ごめんなさい……」


「いいよ。怒ってなんかないから。ほら、おいで」


「わあぁぁい!」


 どうやらいつものことらしい。ハルの声は穏やかで、仕方ないなぁとでも言いたげに苦笑をうかべていた。


 男性に叱られしょぼんとした様子で謝っていた少女が、その言葉で〝ぱぁ!〟という擬音語が似合いそうな満面の笑みを浮かべてハルに抱き着く。キャメル色に近い茶髪が揺れる。抱きしめられたハルの胸の中に顔をうずめてぐもった声で笑っている。


 その様子は、わたしから見れば少し歳の離れた兄妹そのものだった。なんだろう、見ているこっちが幸せな気分になる。


「彼の父親とは古い仲でね。家族ぐるみの付き合いをしているんだよ。ミシェルが小さい時から彼が面倒を見てくれてね、すっかり懐いてしまったみたいだ」


 いつの間にかわたしの隣に立っていたのは、さっきまでミシェルのそばにいた男性だ。


「オルブライトさん……でよかったかな?」


「リーナで構いません。呼びづらいでしょうから」


「そうか。ではリーナ君、キミも驚かせてしまってすまないね」


「いいえ。わたしは別に何もないですから。むしろこういうのを見るのが好きなんです」


「ははは。君はやさしい子だ。ハルが連れているのも納得できる」


 そう言って優し気に微笑むのは、オリバー・ガードナー。いまハルとはしゃいでいるミシェルの父親だ。店に入った時にしてくれた自己紹介によると、イギリスと魔法世界の人の行き来を管理する出入国在留管理局の局長らしい。定期的に、向こうの世界の学校でも教鞭をとっていると教えてくれた。


 彼もまた、ハルと同じ魔法使いだ。


「…………」


「……………………」


 しばらく、どちらが喋るわけでもなくはしゃぐハルとミシェルを眺める。やっぱり、ふたりは本当の兄妹にしか見えなくて、自然と口元が緩んでしまう。教会で子守をしていた時と同じ気持ちだ。やっぱり、わたしはこんな光景を見ているのが好きまたいだ。


 一分だろうか、二分だろうか。

 唐突に、


「君は、見習いなんだね」


 ハルとミシェルに目を向けたまま、穏やかな声でガードナー氏が話しかけてきた。


 見習いとはその言葉の通り、魔法使いの見習いだ。魔法使いに庇護してもらう代わりに、助手となって魔法の研究や仕事を手伝う。そして、見習いはその過程で師匠である魔法使いの技術を学んでいく。言ってみれば「魔法使いの弟子」ということだ。


「……はい」


 肯定する。妖精の国に入る前にハルから言われていたことだ。軍に所属しているわたしの身分がバレるとマズい。だから制度上、そういうこととなる。ハルから言われたその設定で突き通す。完全に嘘というわけもない。だけどわたしに好意的に接してくれている人にそう言うのは、それでもやっぱり心が痛んだ。


「こっちの世界の人間が見習いになるのは珍しい。君がいいのなら、成り行きを訊いても?」


「実は、森に入っていたら妖精に捕まってしまって……昨日のことです」


「そうか、それは災難だったね。彼の判断は正しい。君をひとりにしておくと、どんなに気を付けていてもきっと君はまた同じ目に合う」


「どうして、そう思うんです?」


「匂いさ。君は、妖精たちがとても好む匂いをしている。エクトホルモンと言った方がいいかな」


 とっさに、襟の前を掴んでしまう。わたしとしては別に変な臭いを感じるわけじゃない。だけど指摘されるということは、その臭いがしているということだ。


 ――もしかして……臭い?


「心配しなくていい。臭くはないさ。わたしにもにおいは分からない。君の周りにいる微精霊たちの反応をみて言っただけだよ」


 そう言われて、とりあえずほっと息をついた。


「ハルからは聞いていないのかい?」


「ええ」


「まぁ昨日の今日だからな、そういうこともあるか。それでは、わたしが少しだけでしゃばってみよう。何か訊きたいことは無いかい?」


 そう提案した顔は、少し楽しそうだった。教育者の性なのだろうかと、そんな益の無いことを考える。


「えっと、それじゃあ、」


 だけど、わたしにとってはすごくありがたい。ハルのこと、魔法のことを知るためには願ってもないことだ。だから素直に厚意に甘えて、気になっていた疑問をいくつか訊ねてみる。


「魔法って何ですか? どうしてあなたたち魔法使いは、わたしたち一般人から神秘を隠すんですか?」


「いい質問だ。ふたつとも世界の核心を突く」


 少しだけ目を丸く開き、彼は嬉しそうに破顔した。


「簡単に言うなら、魔法は〝この世界の理そのもの〟だ。物は下に落ちる、燃えているものは熱い、それらはすべて君も知っている科学で説明が着く。だけどそれらは、世界が決めた理のたった一面を見ているに過ぎない。それよりももっとたくさんの法則が下に埋まっている」


「氷山、みたいなものですか?」


「ふむ、言いえて妙だね。その例えが一番解りやすいかもしれない」


 そう発した言葉は、少し弾んでいた。

 腰のベルトから、差し棒のようなものを取り出した。それは、あの森でハルが使っていたものとよく似ている。

「魔法の杖だよ」そう教えてくれた。


「君の例えを借りるなら、魔法とは、氷山の隠れた場所を使っているれっきとした技術だ。まるで自由自在のように見せることもできるが、それらはすべてマナという大気中の粒子の力を使って法則に則ったもの。つまり、魔法と科学はエネルギー源が違うだけで根底は同じものなんだよ」


 握られた杖の先が、ペンのように宙に青い光の筋を残す。描かれたのは、角ばった石のような絵と、丸い輪っか、その輪の中に散らばる細かい光る粒子だ。

 その二つを上下に並べ、〝=〟で繋ぐ。多分角ばった方が石炭で、細かい粒子がマナだ。その二つを結んだということは……。


「さて、ここで二つ目の質問に答えよう。なぜ我々が君たちから神秘を隠匿しているのか。それは、魔法が君たちにも使えてしまう技術だからだ」


 わたしの予想は、ガードナー氏の口から肯定された。


「もちろん、わたしたちのように直接は使えない。だが機械を使って間接的に魔法を行使することなら君たちにもできる。魔法の存在が明るみに出れば、きっと君たちはその術を探るだろう」


「でも、それは仕方のないことなのではないですか? そうやって進化をしてきたのが、わたしたち人間です」


「そうとも。そしてそれはわたしたちも同じ。もちろん、技術の発展そのものを疎ましく思っているわけじゃない」


「それじゃあ、どうして……」


「君たちが魔法を使えば、君たち自身が滅んでしまうからだ」


 言葉に迷いは感じられなかった。

 1+1=2のように、自明の理であるというように、何の感情も遠慮もためらいもなかった。


「魔法は確かに便利だ。科学では未だ達成できないことでも、魔法を使えば解決できることが山ほどある。その気になれば、君たちは時代を百年先に進めることも可能だろう。だけどそんな力が、何のリスクもないなんて甘い話はない。わたしたちの世界で基礎とされている理論がある。それが、リバウンド理論だ」


「…………」


「わたしたちの使う魔法は、マナという粒子を使うことで世界の法則に干渉し、独立するはずの法則をつなぎ合わせることで発動させている。自然を歪ませているわけなのだから、当然その歪みは必ずどこかに現れる――それがリバウンド理論だ。君たちのように大規模な発展をすすめれば、どれだけの歪みが現れるかはわたしたちにも予測不可能。そんな危なっかしい人たちに魔法の存在を気づかせるわけには行かない」


 その言葉にも、一切の迷いはなかった。

 さっきの言葉と違ったのは、言葉に確固とした意志が込められていたこと。


「もちろん、身の丈に合った発展を遂げれば影響は少ない。だがこの世界の人間がそんなことを考えないのは歴史が証明している。君も、何か心当たりくらいあるだろう?」


「……はい」


 否定はできなかった。十分すぎるほど心当たりがあったから。


 工場ができたことで発生し始めたスモッグ。そのスモッグが空に昇って生まれた雲からは、酸の雨が降り注いだ。酸性雨のせいで枯れた森林。残った森林でさえ、輸出のために切り倒されて数が減っている。


 そしてそのどれにも、わたしたちは何の対策すらしていない。このままではいけないということは解っているのに、誰もそんなことを言う人はいない。


 多分それは、わたしたちの生活が便利になった理由がそれだからだ。やめてしまえば、自分たちの快適な生活が壊れてしまうから、見て見ぬふりをしているだけなんだ。


 考えてみる。もしも、と、思考してみる。

 もしそんなわたしたちに、使い方を間違えれば大変なことになる魔法の力が手渡されたら。わたしたちは手に負えない力を使ってさらに発展をしていくだろう。そしていつか……。


 彼の言う通り、わたしたちは自分で自分を亡ぼすことになるのかもしれない。


 と、その時。

 わたしたちの会話を遮るように、


「あら、はじめてみるお嬢さんですね」


 奥の扉が開く。奥から女性が姿を現した。


 きれいな人だった。

 とても整った顔立ちで、肩までの長さで揃えられた艶のある黒髪。歳はたぶん三十代前半。ゆったりとした服を着ていて、上品な年上の女性という言葉がぴったりだ。背も高そうで、顔つきもよくて唇もつやつや。健康そのものだ。


 車いすに乗っていること以外は。


「あなた。紹介してくださらない?」


 とても静かで艶やかで、落ち着いた声だった。


「ああ。こちらはリーナ・オルブライト君だ。魔法使い見習いで、いまはハル付いている」


「お初にお目にかかります。リーナと呼んでください」


「あら、礼儀正しい子ね。初めまして、妻のサラです。よろしくね、リーナさん」


 にっこりと控えめに笑う顔は愛らしくて。わたしよりも年上のはずなのに、同年代に見えるくらい無邪気で。わたしは女のはずなのに、恋してしまったと錯覚してしまうくらいクラっときた。


「それにしても、ハルくんが弟子を取ったのね」


「わたしも驚いているよ。あの子はてっきりその類を嫌うものと思っていたからね」


「ねえ、リーナさん。あの子、わたし生活はどんな感じかしら。ソフィちゃんが居るからめったなことは無いと思うのだけれど……あの子、研究以外は無頓着だから」


「え、えーっと、」


「サラ。リーナ君が困っているじゃないか。少し離れなさい」


「あ、ごめんなさい。ハルくんが女の子の弟子を取るなんてびっくりしちゃって、つい」


 まるで幼子のように表情をころころ変えながら、車いすを器用に操ってわたしの前に進み手を握る。そのフットワークの軽さに、わたしは少しだけたじろいでしまった。それを見て、ガードナー氏が奥さんを諫める。


 それにしても、明るい人だ。


 容姿から、てっきり落ち着いた人だという印象を勝手に抱いていたけれど、それは勘違いだったみたいだ。上品なことに変わりはないけれど、この人はわたしとは真逆の性格をしている。歩けないのに、ハンデを背負っているのに、どうしてこの人はここまで明るくいられるんだろう――不謹慎にも、そんなことをかんがえてしまった。


「い、いえ。わたしも昨日弟子になったばかりなので、あまり詳しくは……」


「ママー!」


 と、いつの間にいたのかサラさんの後ろからミシェルが現れ、覆いかぶさるようにして抱き着く。そのまま足を離し、車いすにぶら下がった状態でサラさんにしがみつく。ちょうど、両腕だけでサラさんに掴まっている状態だ。


「もうお薬もらったの?」


「ええ、そう、よ。ミシェル、嬉しいけど降りて。まま、死んじゃう」


「ミシェル! 離れなさい」


「えー! ママはわたしが守るもん!」


「あり、が、とう。嬉しいからお願い降りて」


「あああ! ミシェルちゃん! お母さんが窒息しちゃう。とりあえず降りよう、ね? ね?」


 娘の純度百パーセントの愛がのった攻撃は、確実にサラさんの意識を落としにかかる。ふりほどこうにも、好意百パーセントなので始末が悪い。そうこうしているうちに、愛情が伝われば伝わるほど、サラさんの顔色が青白くなっていく。娘の愛が、サラさんを天使の国へと近づける。


 見ていられなくて、ガードナー氏の声にかぶせるようにミシェルへと近づいた。そして文句をいうミシェルを抱きかかえて、とりあえず腕をサラさんの首から退ける。サラさんは短く席をしただけでさっきと同じ様子に戻った。いや、戻ったというよりそう見えるようにしているんだろうか。流石だ、母は強い。


 その苦労のおかげか、ミシェルは何も気にしていないように無邪気に笑って手に握っていたものを差し出す。


「ママーっ。あのねっ、あのねっ、はるにーちゃんがお花咲かせてくれたの!」


「まぁ。きれいなお花ね。なんて名前かしら」


 紫色の花びらに、真ん中は黄色い花だ。薄暗い薬屋の中だというのに、まるでそれ自体が発光しているようにはっきりと見える。あの花は……シオンだろうか。奥にあるテーブルに座って、ハルがっこっちに手を振っていた。


「ママもはやくぅ!」


「分かったわ。もうちょっとだけ、」


「言ってあげればいいじゃないか。近況はわたしから聞いておくよ」


 ミシェルに腕を引かれ、困ったようにわたしと夫の顔を交互に見る。クスリと笑って、ガードナー氏がそう提案した。


「ええ。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます。……リーナさん、」


「?」


 両手が前に差し出される。ああ、握手かといコンマ数秒だけ遅れて気が付き、わたしもサラさんの手を握り返す。その手は柔らかくて、少しだけ冷たかった。


 いきなり、

 ぐいっと、サラさんが身体をわたしの方に傾けた。握手で繋がったわたしの手を引っ張って前に倒れた感じだ。とっさに左手を握手から外して倒れてくる身体に回す。だけど心配は杞憂だったようで、わたしのちょうど耳元辺りでサラさんの頭は止まった。


 彼女の口が動いた。


「主人をよろしくお願いします」


 ささやくように、そう頼まれた。

 わたしにしか聞こえないくらい、微かな声で。


「どうか、よろしくお願いします……っ」


 何か、悲壮感が込められているような声だった。

 周りに聞こえないくらい小さな声なのに、不自然なほどの圧がわたしの平常心を乱す。


 手が震えるくらい、わたしの右手を握りしめていた。


「は、はい」


 そう答えるのがやっとだった。

 その言葉に満足したのか、サラさんはわたしから離れハルとミシェルの用へと車いすを押していった。そして何事もなかったかのように、ハルとミシェルの和に混ざる。


「見てみて! 他にもあるの」


「綺麗ねぇ、ママはこっちが好き」


 隣に並んでみると良く解るが、ミシェルの顔立ちは母親似だ。目元がよく似ている。だけど少し癖っ毛の髪は母とは違う。あの髪質と色は父親譲りだ。


 その光景はとても微笑ましくて、あったかくて、うらやましくて。わたしのお母さんが生きていた時を思い出す。あの時は、ミシェルがわたしだったんだ。


 きれいだと、そう思った。

 ずっと見ていたい、そう思った。


 だから、


「…………持って二年だそうだ」


「っ!?」


 その言葉で、わたしの心臓が凍り付いた。


 慌ててガードナー氏の方を向く。そこに居たのは、悲しそうな顔をした夫の姿だった。


「妻はね、身体が動かなくなっていく病気なんだよ。怪我をしているわけではないから、薬を飲んでも治らない。この世界に来たのだって、残りの命で精一杯楽しんでほしかったからだ。妻の夢だったんだよ、この世界に来るのは。だから少しだけ職権を乱用させてもらった」


「どうすることもできないですかっ? 何か、魔法でできることは――」


「どうもにできない。魔法はそこまで万能じゃないんだ」


 きゅぅうっと、心臓が締め付けられた。


 よくよく考えれば、彼が無いと言えば無いのだ。魔法の世界出身の彼にも打つ手なしというのであれば、わたしの浅はかな提案なんて意味の無いもの以外の何でもない。そんな簡単なことにさえ、気が付くのに少し時間がかかった。


「いいかい、リーナ君。魔法使いが心にとめておかなくてはいけないことはいくつかある。きっと彼が教えてくれるだろうが、わたしからもひとつ言っておくよ。これだけは覚えておいてくれ」


 諭すように、感情を押し殺すように、ゆっくりと言葉を切りながら彼は言った。


「魔法は万能じゃない。魔法使いは、魔法を過信してはいけないんだ」


 ――魔法が万能だったなら、それは〝奇跡〟と呼ばれているだろう――


 ガードナー氏が言った言葉が、浮かれていたわたしの心に突き刺さった。

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