九. 奇跡②

石が点在する乾いた大地の両端に人だかりができていた。

乾いた風が人々の松明の火を揺らしている。

不意にざわめきが止んだ。


それぞれの村から男が1人ずつ出てきたのだ。

2人はゆっくりと、しかし、確かな足取りで崩れた石の合間を縫って歩き始めた。


松明を掲げたラルフは1歩足を踏み出す度に橙色の光の中に浮かび上がる光景を目に焼き付けた。

矢や剣が刺さった石塊はかつての争いの爪痕を生々しく残していた。

もう同じことを繰り返してはいけない……

ふと彼は足を止めた。


目の前には一際大きな石の塊が幾つも転がっていた。

この土地の豊かさを表そうと、砂の村と水の村の職人たちが共同で作った石像の残骸だった。

片手には鉱石を乗せた天秤を持ち、もう片方の手には水瓶を抱え、足元には果物や野菜が積んであった。

その石像も激しい戦乱の中、崩れて忘れられていったのだ。


静かにそれから目を逸らしたラルフは顔を上げ、長年会っていなかった旧友の姿に目を細めた。

かつて共に村を発展させようと誓い合った仲だ。

杖を手に背筋を伸ばし、悠々と歩く彼の姿は以前と変わらなかった。


「……やぁ」


片手を挙げたラルフはそのまま言葉を探して言い淀んだ。


その時、2人を見守っていた群衆から悲鳴が上がった。

何事かと振り返り、目を疑った。

今、目に入ったものは何だ?

はるか彼方の城の方から地響きが伝ってくる。

ラルフは思わず目を見開いた。

乾いた地面を滑るように水が迫ってきていた。


「水だ!」


喜びも束の間、我に返った。

岸に戻る時間はない。

ラルフは松明を投げ捨てると友の細い腕を掴んだ。


「掴まれ!」


友の小さな身体が流されないように大きな石塊の上に登らせ、自分がその上に覆いかぶさった。

水はもうそこまで迫ってきていた。

ラルフは思わず目を瞑った。

人々の悲鳴が途絶え、時間が止まったようだった。

次の瞬間、彼らは水の中に居た。


鼻や肺に入った水が痛い。

眼を開けると誰かが助け起こしてくれた。


「ラルフさんが気づいたぞ!」


周りから歓声が上がった。

差し出された毛布を受け取る。


「……ありがとう」


身体を起こしたラルフはふと自分を見つめる視線に気づいた。

同じように毛布にくるまる友と目が合った。

彼の周りにも人だかりができている。

ラルフは我に返ると飛び起きた。

いつの間にか空は白み始め、朝の訪れを示していた。


「ここはどこだ?! 一体、何が?」


誰かが肩を叩いた。


コリンだった。

頬を紅色に染めている。


「信じられるか、あんた?! 奇跡が起きたんだ!」


その言葉にラルフは息を呑んだ。

彼らが居たのは、あの白い石橋の上だった。

壊れていた橋はいつの間にか元通りに復元され、永らく裂かれていた2つの村を繋いでいた。


「あんたたちが川に呑み込まれた時は、正直、もうだめだと思った。でもさ、水が引いたら……」


もうラルフは彼の話を聞いてはいなかった。

目の前に立つ石像から目が離せなかった。


自分が子供の頃、尊敬と誇りの念を持って見上げていた像が再び、完全な形で蘇っている。

ラルフはゆっくりと立ち上がると石像の方へ歩いていった。


「あなたが……」


そっと石像の足に触れる。


「助けて下さったのですね……」


サンダルも履かない裸足は冷たく、丸みを帯びた線で縁どられた石像は朝日を受けて優しく彼を見下ろしていた。


***



ニコラスは床に置かれた砂時計を一瞥した。

砂がもう僅かしか残っていない。


「くっ……!」


汗の滲んだ手で柄を握り直す。

ちゃんとした剣さえあれば!

ニコラスは先端の折れた剣を恨めしく睨んだ。


「そろそろお遊びはお終いだ」


勝利を確信した王は愉しそうに嗤った。


「……!」


その肩越しに入り口の扉が見えた。

思わず顔が歪む。


「ちくしょう!」


ニコラスは叫ぶと剣を放り投げて走り出した。

脇目もふらずに扉に突進していくニコラスに王は一瞬戸惑いの表情を見せたが、薄ら笑いを浮かべた。


「愚か者め。自分だけでも助かろうとしたか……逃がさんぞ!」


その瞬間、城が大きく揺れて明かりが消えた。


「何だ!?どうした?!」


真っ暗な部屋の中で傭兵たちが慌てる声が聞こえる。


「何をしている馬鹿者が! 早く火を灯せ!」


王は大声で暗闇に向かって声を張った。

慌ただしい靴音や互いにぶつかり合う音が続く。

怒号が飛び交う中、誰かが明かりをつけ、部屋がぼんやり明るくなった。

王はそれを頼りに扉へ目を走らせたが、人の気配はなかった。


「早く他の火もつけろ! うすのろどもが!」


王は叫びながら扉に向かった。

だが、ドアノブを掴んで凍りついた。

鍵がかかっていたのだ。


「俺は逃げてねぇぞ、フォルクトレ!」


振り返ると、いつのまにかニコラスが王座の前に立っていた。

手には持っていたはずの鍵が握られている。


「馬鹿な!?」


慌てて腰を探ったが、何もなかった。


「どういうことだ?! 何故お前がそれを持っている?!」


「盗んだのさ!」


ニコラスは得意げに鍵を弄んだ。


逃げ出そうとしたのではない。

王の脇をすり抜けた時、鍵を盗んだのだ。

予め、鍵の場所が分かっていれば、盗むのは難しいことではなかった。


「いきなり部屋が暗くなったのは想定外だったけどなぁ……」


ニコラスは呟いた。

本当は扉までフォルクトレを誘い込もうと思っていたのだが、こっちの方がかえって都合が良かった。

ニコラスは王座の前に置かれた箱に鍵を差した。


「やめろぉぉぉぉ!」


王は叫んで走り出した。

王の証を彼が手に入れれば王位の正当性が失われる。

これまでの長年の計画が水の泡だ。


屈んだままのニコラスに斬りかかったが、剣が弾き返された。

ニコラスの持っていた剣は確かに折れて足元に転がっている。


だが、ニコラスが新たに握っているのは……

刃渡りの長さも重さも彼にぴったり合った剣だった。

望んだものを召喚する王の証――

ニコラスはまさにそれを手にしていた。


「貴様ぁぁっ!」


叫んだフォルクトレはニコラスの剣を振り払い、彼の腹部に拳を入れた。

バランスを崩して床に倒れ込んだニコラスは剣を振りかざしてドレークたちに向かって走る王を睨んだ。


「やめ……ろ……っ!」


震える肘と膝を叱るようにして身体を起こすと、ニコラスは落ちている剣を一瞥した。

剣を拾いに行っては間に合わない。

もう考えている時間すら惜しかった。

ニコラスは王の前に回り込み、大きく両腕を広げた。


「お前、何してるんだ?! 俺がお前なんかに助けて欲しいとでも思ってるのかよ?!」


ニコラスは散々虐められてきた少年の声にきゅっと唇を噛んだ。


「うるせぇ! それとこれは違う話だ! 俺は誰も見捨てねぇ!」


王は手を広げて目の前に立ちはだかるニコラスを鼻で笑った。


「剣もないお前がどうやって守ると?」


「お前にもらった3分は既に経った。俺の負けだ。だから俺を殺せ……そのかわりコイツらは逃してほしい」


フォルクトレは顔を歪めた。

益々、兄に似て気に食わない。


「ならば死ねぇっ!」


「そこまでだ」


突然、彼の背後で静かな声がした。


「……っ!」


フォルクトレは忌々しそうに首に押し当てられた剣を睨んだ。


「もう止めろ、こんなことは……弟よ」


「エルドラフ……!」


フォルクトレは唸ると、震える剣先を背後に立っていた男に突きつけた。


「エラはどうした?! 誰でもいい! 早くこいつをつまみ出せ!」


喚くフォルクトレをよそに傭兵たちは壁に背中をつけてへたりこんでいる。

皆、口をあんぐりと開けて、王の目の前に立つ男を見つめていた。


「この愚図! 役立たずめ! 俺を誰だと思っているんだ?!」


腕を振り回して喚くフォルクトレに男は静かに歩み寄った。


「やめるんだ、フォル。エラは死んだよ」


「う、嘘だ……嘘だぁぁぁっ!」


その言葉にフォルクトレは床にへたり込んだ。

身体は小刻みに震え、目の焦点が合っていない。

勝利を確信した瞬間に自分の計画が全て台無しになったことの衝撃が彼を襲っていた。


膝をついたフォルクトレの肩を叩き、男がニコラスに近づいてきた。

いつの間にか昇った朝日が彼を後ろから照らしていた。

癖のある黒髪に少し白髪が混じっている。

記憶の中でしか会ったことのない人だった。


ニコラスはゆっくりと立ち上がり、顔を覗き込もうとした。

その時だった。


「ニコラス!」


女性の声が聞こえ、気がつくとニコラスはその腕に抱かれていた。

ずっと恋しかった匂いだ……

思いきり息を吸い込むとニコラスは彼女を強く抱きしめた。


「母さん……? 俺、また……夢を見ているのかな?」


「いいえ、夢じゃないわ」


細い手がニコラスの髪をそっと掻き分けた。

尻餅をついていたフォルクトレは空を睨んだまま叫び始めた。


「ハ、ハハハッ……! 揶揄うのもいい加減にしろ、エラ! 2人は死んだはずだろ?! 良い加減に出てくるんだ! アハハハハッ! エラ、エラ! どこだ?! 出てこい! 俺は騙されないぞ! アハハハハァッ!」


その時、王の間の扉が大きく開け放たれ、守衛が片足を引きずりながら転がり込んできた。


「フォルクトレ様、大変です! 村の連中が門を破壊してなだれ込んできました! 城下町の奴らもその勢いに乗ってここへ攻め込んで……って……エ、エルドラフ様?!」


彼は王座の前に立つエルドラフを見て腰を抜かしたようだった。

這ったまま部屋から出ようとする守衛にエルドラフが声をかけた。


「君、待ちなさい」


「あっ……うっ……っ!」


「彼らを城内へ入れてやりなさい。話がしたい」


「ひゃ、ひゃい……」


彼は途切れ途切れに返すとそそくさと部屋から出ていった。

エルドラフは微笑むと立ち尽くしているニコラスを手招きした。


「お前もおいで。自慢の息子だよ、ニコラス」

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