九. 奇跡①
スラウはヨロヨロと鉄格子に背中を預けた。
能力は使えば使う程、体力が消耗していく。
まだ訓練を始めたばかりの彼女にとって、持久戦はキツいものがあった。
飛んできた黒い槍を剣で受け流したスラウは思わず顔をしかめた。
「しまった!」
汗ばんだ手から剣が滑り落ちた。
咄嗟に剣を取ろうと手を伸ばしたところを狙われ、身体が鉄格子に叩きつけられた。
思わず蹲るスラウに矢継ぎ早に蹴りが飛んできた。
「ガハッ……!」
呪術師に襟首を掴まれて宙に吊り上げられた。
「はな……せっ…‥!」
逃れようと手首を掴んだスラウの身体が鉄格子に打ちつけられた。
「……え?」
スラウは今しがた視界に入った物に目を見張った。
あれは?
今までエルドラフとカトリーヌの陰で見えなかったが2人の後ろの壁にきらりと光るものが見える。
壁に開けられた穴にガラスの箱が埋め込まれており、中の黒い液体に浸かる赤褐色のそれはテンポ良く伸縮していた。
ふと男が自ら左胸を突き刺した時のことが脳裏をよぎった。
あれが彼の心臓なのだとしたら?
「エルドラフ様!」
スラウは腰に差していた短剣を引き抜き、鉄格子の向こうに投げ込んだ。
「ガラスの中にあるそれを突き刺してください! それがこの者の心臓です!」
「何だって?!」
エルドラフは目を見張った。
「止めろ!」
呪術師は血相を変えて叫ぶとスラウを放り投げ、慌ただしく牢屋の中に転がり込んだ。
彼はカトリーヌの腕を掴んだ。
「おい、エルドラフ! 動くな! この女の命が惜しければ……」
その瞬間、巨大な蔓が絡みつき彼の身体を牢屋から引きずり出した。
「すまない。水を食い止められなさそうだ」
印を結ぶライオネルの後ろからフォセもひょこっと顔を出した。
「ごめん。ここに水が来るのは時間の問題かも」
「ありがとう……もう大丈夫」
スラウの目線の先にはガラスの箱を叩き割ったエルドラフが居た。
冷たい床の上で臓器が規則正しく脈打っている。
『浄化!』
スラウの手から奔り出た光が、エルドラフが翳した短剣を包んだ。
次の瞬間、光る短剣が心臓に深く突き立てられた。
この世とは思えないような断末魔が響いた。
呪術師の男は自分を捕えていた蔓を枯らしながら黒い霧になって消えていった。
皆が安堵の息を吐いた途端、床が大きく揺れ、天井が崩れ始めた。
「早く逃げないと!」
轟音に負けないようにフォセが叫んだ。
カトリーヌがエルドラフの袖を引っ張った。
「あなた、城壁の上に出られなかったかしら?」
「そうだった! よく言ったカトリーヌ! 皆さんこっちへ!」
叫んだエルドラフは通路のつきあたりの隠し扉に呪術師から取り戻した鍵を差し込んだ。
ライオネルとエルドラフが2人がかりで扉を押し開けると奥に階段が現れた。
螺旋階段を登りきると城をぐるりと囲む城壁に繋がっていた。
5人は扉から転がり出た。
「水は?!」
エルドラフが身を乗り出した。
水面は急速に下がっていた。
「見て!」
カトリーヌが指差した。
城の土台部分の1ケ所が大きく崩れ、水はそこへ吸い込まれているようだった。
「水が引いてる……?」
スラウが首を傾げた。
「いや、違う。すぐに地下から噴き出してくるはずだ。こっちへ!」
エルドラフは狭い通路を進んで扉を蹴破ると、小さな部屋に駆け込んだ。
部屋の天井付近で大きな歯車が幾重にも重なり合っていた。
部屋の真ん中には小さな足場があり、ハンドルがついていた。
「この下が水門だ」
エルドラフはそう言いながらハンドルを握った。
「これを閉じなければ、汚染された水が村だけでなく隣国へと流れ出てしまうだろう」
その時、外の階段で甲高いキィキィと鳴く声が聞こえた。
「何だ?」
エルドラフが外を見やると戸口に無数の影が浮かび上がった。
「ゴブリン!」
目を見張るフォセにライオネルが頷いた。
「ああ。しかもかなりの数だ」
「エルドラフ様、カトリーヌ様。ここは私たちにお任せ下さい!」
スラウは叫ぶと剣を引き抜き、異形の軍団に突っ込んだ。
耳を劈くような声と共に小さな影が崩れる。
重なる甲高い声にカトリーヌは思わず耳を塞いだ。
ふと、城壁が大きく揺れた。
堀を覗き込むと、かさの増した水が城を回り込んで迫って来ていた。
「あなた!」
カトリーヌの声にエルドラフは足を踏ん張ってハンドルを回し始めた。
「間に合ってくれ……!」
祈りに応えるように、次第に小さな歯車が軋みながら回り始めた。
「何でこんなところに魔界の生物が居るの?!」
ゴブリンを蹴散らすフォセの後ろでライオネルは矢をつがえた。
「この程度の低級の魔物を呼び出すことくらい、人間にも出来るんだろう。自分が死んでも計画は遂行するつもりだったか。つくづく頭の回る奴だ」
「ちょっとライ?! 敵に感心しないでよ?!」
「ごめんごめん、違うよ」
城壁を上るゴブリンの頭に次々銀色の矢が刺さる。
突風に巻き上げられたゴブリンの死骸が次々に堀に落とされていった。
風に巻き込まれないように階段にしがみつきながら、スラウは迫り来る水を睨んだ。
「始まった……!」
水門がゆっくりと閉まり始めた。
水は大きくうねりながら迫ってくる。
ガキィンッ――
ゴブリンの斧を剣で受け止める。
どうか、ここで食い止めて……
スラウは視界の端で閉まりつつある水門を見ながら祈った。
エルドラフは額を伝う汗を拭うことなく、ハンドルを握り続けていた。
ゴブリンの強襲のせいで窓と壁が崩れ、今や迫りくる水がはっきりと見えている。
頼む、間に合ってくれ!
しかし、水はその願いを嘲笑うかのように一段と大きく盛り上がった。
「ダメだ! 間に合わない!」
絶望して声を上げた時、部屋が深い緑色の光に包まれた。
光が上から下へ、右から左へ伝わっていく。
「何……だ?」
その時、迫って来ていた水にも変化が現れた。
どす黒く淀んでいた水が徐々に澄んでいき、鼻をつくような異臭も消えた。
清らかな水が轟音と共に城壁にぶつかった。
「……間に合わなかった」
エルドラフは崩れた城壁の外に噴き出す水に頭を抱えた。
「見て! 何かしら?! 大きな木が生えているわ! とても大きな木……」
カトリーヌの声に彼は思わず身を乗り出した。
噴き出す水を導くように木が並んで生えている。
幹は大きくひねり、枝を力いっぱい広げている。
ただ、その木には葉脈や幹の皺はなく、磨き上げられた石のような滑らかな表面が光を放っていた。
大量の水はかつての大河へと流れ出していた。
カトリーヌは呆然と立ち尽くすエルドラフの腕に優しく触れた。
「川の精霊だわ」
「ああ、そうだな……」
白み始めた地平線の彼方に続く乾ききった大地に水が染み込んでいく。
エルドラフは再び蘇り始めた大河に向かって膝をついた。
「ありがとう……ございます……」
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