六. 砂の村と水の村②
こちらの村は砂の村とは全く違っていた。
あれほど人が溢れかえっていた通りはここでは閑散としていて、無秩序に建っていた建物はここでは白い煉瓦の家の間を縫うように通っている水路に区切られて整然と並んでいた。
2人は水路に架かる小さな橋のたもとに隠れていた。
「で? これからどうすんだ?」
コリンが小声で尋ねてきた。
ニコラスは陰からそっと顔を突き出した。村全体にたちこめる濃霧のせいで視界が悪い。
馬が水面に口をつけようとして首を伸ばした。
「とりあえず、君のお母さんと妹さんに会おう」
「だから、どうやって?」
コリンの言葉にニコラスは首を傾げた。
「医者の家がどこか知らないのか?」
「父ちゃんが死んだから、俺が残って働いて仕送りしてたんだ。ここに来たのは今日が初めてだ」
「……」
「……」
「……」
「どうすんだよ?!」
「……と、とりあえず探す」
「ここのやつらに見つかったらボコされんぞ?!」
「その時はその時だ」
ニコラスはそう囁くともう1度周りを見回した。
「あれ?」
「何だよ?! 誰か居るのか?!」
「いや、そうじゃないんだけど……」
ニコラスは顎に手を当ててしばらく首を捻っていたが、小さく首を振ると立ち上がった。
「良いや……行こう」
空を見上げると霞んだ視界の向こうに太陽があった。
まだ時間はある……
その時、馬が落ち着きなく鼻を鳴らした。
「どうした?」
ニコラスが鼻面を撫でようと手を伸ばした時、向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。
「誰か来た! 隠れるぞ!」
ニコラスは馬を引いて家と家の間の僅かな隙間に身体を押し込んだ。
コリンと息を殺してじっとしていると数人の男たちが大きな台車を重そうに引きずりながらやって来た。
皆、頭から大きなフードを被り、灰色のスカーフで口元を覆っている。
彼らは気づかなかったのか、低い声で話しながら去っていった。
ニコラスは、にゅっと顔を突き出すと、彼らの去って行った方角を見つめた。
「何を運んでいるんだろ?」
「後を追うか?」
コリンが小声で尋ねてきた。
「いや、2人だと流石に見つかるかもしれない。ちょっとここに居て」
ニコラスはそう言うと通りに走り出た。
男たちは小さな広場で足を止めていた。
白い建物に囲まれた広場の地面には白い丸石が敷き詰められていた。
中央には青いひび割れた石の噴水があったが、水は噴き出していなかった。
ニコラスは広場を囲うようにして立つの石像の後ろに隠れた。
彼らの前に灰色のスーツに身を包んだ白髪の男性が立っていた。
「……ご苦労でした。休みなさい」
彼はそう言うと彼らを建物の中へ招き入れたが、台車は広場に取り残されたままだった。
ニコラスは石像の陰からそっと出た。
まだ昼だというのに、ここは眠ったように静かだった。
もう1度周りを見回して誰も居ないのを確認して台車に近づく。
自分の立てる足音がやけに大きく聞こえる気がした。
地面に敷き詰められた白い石の冷たさが靴を通して伝わってくる。
台車は木で作られていて、擦り切れた持ち手や車輪から使い古されているのが伺えた。
台車にはぎっしりと青い陶器が積まれていた。
「壺?」
子どもの背丈くらいはある。
壺の緩やかな曲線に沿って伸びる白い蔓と花が描かれていた。
恐る恐る蓋を外したが、何も見えなかった。
もっとよく見ようと身体を乗り出した途端、後ろから袖を引っ張られた。
「うわぁ!」
思わず叫んだニコラスを見上げていたのは小さな少女だった。
クセのある黒髪に澄んだ灰色の瞳。
どこかで見た顔だな、とは思ったが、すぐには思い出せなかった。
彼女は大きな目を向けて何かを問うているようだった。
「え、えっと……」
頭に手をやり、困ったように目を泳がせていると血相を変えて走ってくるコリンが目に入った。
「ニコラス! 大変なことに……」
言いかけた彼は広場の入り口で足を止めた。
「アキ……アキなのか?」
少女はじっと彼を見つめていたが、小さく頷いた。
その瞬間、コリンは駆け寄ると彼女を抱きしめた。
「元気そうだね! 会いたかったよ!」
抱きしめられた少女は放心状態で立っていた。
「ねぇ、母さんは? 母さんは元気かい?」
少女は静かに後方を指差した。
先ほど男たちが入っていった建物だ。
「そうか……あの建物に居るんだね!」
少女は相変わらず黙っていたが、その小さな手でコリンの手をきゅっと握りしめていた。
「あの、ごめんコリン。さっき言いかけていたことって何……?」
「そうだった! 馬の様子がおかしいんだ。連れてこようとしたけど、俺1人じゃ動かせなくて……」
「それなら台車を使おう! これなら俺たちでも運べる」
ニコラスの提案に頷いたコリンは少女の肩に手を置いた。
「アキ、ちょっと待っていてくれるかい? すぐ戻るから」
壺を台車から下ろすと、すぐに後ろから怒鳴り声が飛んできた。
「君たち! 何をしているんだ!」
白髪の男性が建物の入り口で腕組みして立っていた。
その後ろからアキが小さく顔を出している。
「これが何だか分かっているんだろうな?!」
男性が肩を怒らせながら近づいてきた。
彼の目線がコリンの砂のこびりついたズボンで止まった。
「まさか砂の村から来たのか?!」
男性の顔が一層険しくなった。
「帰れ! また水を盗みに来たんだろ?!」
「ちげぇよ!」
コリンが言い返すと何事かと人々が戸口から顔を覗かせた。
広場の周りの建物の窓からも幾つもの顔が幽霊のように浮かび上がっている。
「馬が急に動かなくなったんだ! 助けてくれよ!」
「お前らの手口は知り尽くしているぞ!」
誰かが叫んだ。
コリンは苛立たし気に地面を踏むと声を張った。
「本当なんだって! 台車さえ貸してくれれば良いからさ! 頼むよ!」
白髪の男性は呆れたように首を振ると額に手を当てた。
「子どもを使うなんて……! 何て卑劣なんだ、彼らは!」
「それはお前らのことだろ?! ここには水がある! お前らと違って、俺たちは働かなきゃ水すら貰えない! 家に籠れる程の余裕はねぇんだよ!」
コリンの言葉に白髪の男性は広間を指差して叫んだ。
「君は知らんのか?! ここの水がどれほど危険なものかを! この町中を通る水路のせいでどこに行っても毒を含む水からは逃げられん! 皆、病に苦しみ、植物も育たんのだ!」
ニコラスは慌てて周りを見回した。
来た時に感じたのはこれだったのか……
水はあるのに花も木もない。
「コリン、なの?」
戸口に立つ群衆の中から細い声がして黒髪の女性がふらふらと出てきた。
「かぁさん!」
コリンはそう叫ぶと男性の横をすり抜け、女性に飛びついた。
「かぁさん!」
「コリン!」
コリンを抱きしめた女性の頬を涙が伝った。
「元気にしてた? 会いたかったのよ……」
それを見ていた男性は頭を掻くとニコラスの方を向いた。
「霧にも毒素は含まれている……外に居続けるのは危険だ。中に入りなさい。馬は診てやろう」
ニコラスが案内された応接間には、革の張られた大きい2つの椅子が木の机を挟んで置かれていた。
男性は壁にくくりつけてあった燭台に火をつけた。
「掛けて」
男性の言葉にニコラスはコリンの横に座った。
彼は母の細い手を握ったままだった。
彼の妹も母の膝の上に座っていた。
男性は4人の目の前にゆっくりと腰を下ろした。
「先ほどの無礼を許してほしい……すまなかった。私はラルフ。この村の長であり、ここで唯一の医者だ」
差し出されたラルフの手を見るコリンの目つきは相変わらずきついままだった。
「ニコラスです」
ニコラスが代わりに差し出された手を握った。
こぶのある大きくて優しい手だった。
「初めまして、ニコラス君。そっちの君はコリン君だね。セーラさんから話は聞いていたよ」
コリンは目線をラルフに向けたまま頷いた。
「さて、どこから話そうか……」
ラルフは目を閉じた。
「そうだな。現国王フォルクトレ王が着任した頃からの話をしよう……」
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