六. 砂の村と水の村①
ニコラスは馬に乗って坂を駆け下りていた。
疎らに建つ黄色い砂の家が大きくなってくる。
人通りも増えてきたので、馬を下りることにした。
この村の雰囲気は自分の育った町に似ていた。
通りに沿って延々と続くテント。
店主の広げた敷物の上には大小様々なぴかぴかした石が並んでいる。
大きな声で客を呼ぶ声。
人々の話す声。
ずっと静かな森を通ってきたので、懐かしかった。
人混みの流れに押されて、気がつくと村の中心地に到着したようだった。
馬を連れたまま城下町には行けないのでここで売らなくてはいけない。
誰かに声を掛けようと立ち止まったが、誰もこちらに見向きもしなかった。
いつの間にかニコラスは道の端へ押しやられてしまった。
「あの」
「すみません」
目の前を通りがかる人に声を掛けてみても、まるで皆自分のことが見えていないかのように通り過ぎていく。
「俺、見えているよな?」
不安になって手をかざしてみる。
「見えているよ」
気だるそうな声が返ってきた。
慌てて周りを見回すと、すぐ後ろの建物の2階のバルコニーの上に座っている少年と目が合った。
「君は?」
「よっ……と」
彼はニコラスの前に身軽に着地した。
ベージュ色の麻のシャツに砂のついたズボンを履いた少年はクセの強い黒髪を掻き上げた。
「来いよ」
「あ、ちょっと待てよ!」
ニコラスは慌てて手綱を引っ張ると彼の後を追った。
少年は人通りの少ない細い路地裏をずんずんと進んで行った。
「君、名前は?」
尋ねると彼は面倒臭そうに口を開いた。
「コリンだ。あまり話しかけるなよ。ここじゃ、部外者に口を聞いちゃいけねぇんだから」
「何で?」
コリンは答えずに路地裏を曲がると、その先の建物を指差した。
「あそこなら買い手がいる」
「……!」
ニコラスは思わず言葉を失った。
黄色い粘土の建物の屋根からひび割れた木の看板がぶら下がっている。
木の板に色褪せたペンキで描かれた絵には豚や牛が草を食む様子が描かれていた。
「ちょうど良い。紹介料として腹の部分寄越せよ」
「この馬、食べるのか?!」
「馬を売りたいって言っただろ?」
「そうだけど、あくまでも運搬用としてだよ! よくもそんな酷いことが思いつくな!」
「……お前さ」
コリンが低い声で呟いてニコラスを睨み付けた。
「この村で動物を殺すのが酷いなんて言ってたら、生きていけねぇぞ」
言われて初めてニコラスは周りを見回した。
ヒビの入った壁の建物。草一本生えていない地面。
「ここ……植物が育たないのか?」
「昔は育っていた。でも、あっちの村の奴らが」
コリンが指を指した。
砂埃の向こうにも村が見えた。
白い石でできた建物が立ち並び、ぼんやりとした霧に覆われている。
「水を全部持っていったんだ」
「でも……!」
口を開きかけたニコラスの腕が誰かに強く掴まれた。
振り返ると猫背の小さな老婆がじっと見上げていた。
「お前さん、見ない顔だね……あっちの村から来たのかい?」
「え、ちがっ……!」
「じゃぁ、どこから来たんだい?」
――『相手が誰であれ出身を答えたらダメだよ。
どこに傭兵が潜んでいるかも分からない。
下手に身分は明かさない方が良い』
スラウの声が蘇り、開きかけた口を閉じて視線を泳がせる。
「嫌がらせでもしに来たのかい?! あたしたちが苦しんでいるのを揶揄いに来たんだろう?!」
老婆の叫び声に何事かと店の中や路地から人が集まって来た。
「水の村の奴か! 出ていけ!」
人々の罵声にニコラスは助けを求めるようにコリンを見たが、彼は黙って下を向いていた。
ニコラスは腕を掴む老婆を振り解いた。
「違う! 俺はそんなことしない!」
「それじゃ何だい?! わしらの鉱物を盗むつもりだろ! この間のように!」
「お前らは旅人の振りをしたって、もう同じ手には乗らねぇぞ!」
誰かが石を投げてきたのでニコラスは慌てて肘で覆った。
「逃げろ!」
不意にコリンが声を上げて、ニコラスの腕を掴んで走り出した。
始めは執拗に追い回していた人たちも諦めたのか、姿が見えなくなった。
「ハァッハァ……ここまで来れば……もう追ってこないはずだ」
砂埃の上がる目の前の大地に幾つもの大きな白い石が点々と転がっていた。
「ゲホッゴホッ……助かったよ……何だ、ここ?」
ニコラスは舞い上がる砂煙に大きく噎せた。
コリンは転がっている石の1つに器用によじ登るとこちらを見下ろした。
「橋だよ。前はここに大きな川が流れてたんだ。俺たちも昔はあっちの村と互いに物を分け合って生きていた。今じゃもう……誰もここを通らねぇ。全部あいつらが悪いんだ」
コリンは恨めしそうに霧に包まれた村を睨んだ。
ニコラスはそんな彼の姿を見つめていたが、ふと愛馬の手綱を引いて歩き始めた。
「この石を辿れば、あっちの村に着くんだよな?」
「やめておけよ。ここと同じように追い返されるだけだぞ」
「どうせここに居たところで、見つかったらまた追われるんだ。なら、あっちに行ってみる」
「でも、あいつらは傲慢で……」
ニコラスはコリンを静かな目で見つめた。
「……んなの、直接会ってから考える。1度も言葉を交わしたことが無いくせに、どんなヤツか決めつけて……君、間違ってるよ」
「そうかよ……」
呟いて石から降りたコリンはツカツカとニコラスに歩み寄ると勢いよく肩を突いた。
「そんなに行きたいなら行けよ、バカ! 二度と帰って来んな!」
思わず尻もちをついたニコラスは驚いた顔でコリンを見上げていたが、唇をきゅっと噛んだ。
「……分かった。じゃあ」
握っていた手綱を押しつける。
「これ、やる」
コリンはニコラスの手を押し返した。
「な、何のつもりだよ?!」
「俺、色々教えてもらったのに何にも返すことが出来ねぇから」
「……これ、お前の友達なんだろ?」
ニコラスは、そうだよと歯を見せて笑った。
「でも、もう良いんだ。お前が生きていけるならそれで良い」
「バ、バカ言ってんじゃねぇよ! こんな痩せこけた馬、誰が欲しがるかよ!」
「だってお前、食わなきゃ生きていけねぇんだろ?! 何なんだよ、さっきから! 言ってることが無茶苦茶だ!」
「うるせーよ!」
コリンの拳がニコラスの顔の直前で止まった。
「……俺だって……」
拳は小刻みに震えながらゆっくり下がった。
「俺の家族がさ、かぁちゃんと妹が……向こうにいるんだ。かぁちゃん、病気でさ……あっちにしか医者がいなくて……もう何年も……会えていない」
「……っ!」
思わずニコラスがコリンの肩に手を伸ばしかけた時、村の方から地響きにも近い音と怒号が聞こえてきた。
「居たぞぉ!」
「逃がすなぁ!」
石が馬の顔を掠め、驚いた馬が前脚を振り上げて嘶いた。
ニコラスは慌てて暴れる馬の手綱にしがみついて声を張り上げた。
「一緒に行こう!コリン!」
「で、でも、俺……」
「俺にも、顔も覚えていない家族がいるんだ。もう俺のことを覚えていないんじゃないかって不安に思ったこともある。だけど気づいた。会わないまま死ぬのはもっと嫌なんだ!」
その時、矢が2人の頭上を掠めた。
意を決したようにコリンはニコラスの手を掴むと走り出した。
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