四. 錯綜する想い ②

「待ってよ!スラウってば!」


馬を並べたフォセがスラウの顔を覗き込んだが、髪で顔が隠れていて表情が読めなかった。


「このままで良いの?」


答えはなかった。

フォセは続けた。


「確かにニコラスは「失せろ」って言ったけど……大体、契約主はあの子じゃないんだから、言うことを聞く必要もないんだよ」


「私……彼に多くを求めすぎたのかもしれない」


そう呟くスラウの声はとても小さかった。

フォセはしばらく彼女を見つめているたが、ゆっくりと口を開いた。


「ねえスラウ。ちょっと難しく考えすぎなんじゃない? 任務って、そんなに大変なことじゃないんだよ」


フォセはそこで言葉を切ると例えば、と続けた。


「今回の任務の「契約主にニコラスを引き渡す」っていうのは極端な話、私たちがあの子を袋に詰め込んで無理やり連れていくことでも成立するんだよね。だから……」


「でも、さ」


スラウがフォセの言葉を遮った。


「それだけはしたくなかったんだ……自分の手で護るべき人を護れる人になって欲しかった」


それが自分にはできなかったことだから。

スラウは目線を落とした。


「ごめん、我儘言って……結局、私1人じゃ何もできなかったくせに」


自分の腕の中で死んでいった育ての親、ロナルドの姿が瞼の裏に焼きついて離れない。

スラウは掠れた声で続けた。


「まだニコラスには護れるものが残ってる。切り捨てて欲しくない……だから、もし……もし力を貸してくれるなら……」


スラウの言葉にフォセとライオネルは互いに顔を見合わせた。


「……当ったり前でしょ!」


フォセが勢いよくスラウの背中を叩いた。


「何の為のチームだと思ってんのよ!」


「え?」


ぽかんとした表情を浮かべるスラウにフォセは笑顔を見せた。


「言ったでしょ、さっきのは極端な例だって! 昔、隊長もそんなんだったなぁって。もしニコラスを袋に突っ込んで城に連れて行こうとしたら、グロリオなら黙ってなかったよ!」


「で、どうするつもりだ?」


尋ねるライオネルにフォセはあっけらかんとして答えた。


「分かんない! 分かっているのは、ここに居たら何も変わんないってこと! だから戻ろ! 考えるのはそれからってことで!」


「そうだな」


ライオネルは小さく笑うと馬の向きを変え、呆然としているスラウを振り向いた。


「行くぞ」


天上人の任務は独りで遂行できるわけじゃない。

仲間に頼っても良いんだと分かった途端、先に行く2人の姿が頼もしく見えた。


***


ニコラスは木筒を逆さにし、中を覗いた。


「じじぃ、水が無くなった」


ドレークは馬を近くの木に結び付けていたが、手を止めて近づいてきた。


「ニコラス様、もう少し辛抱なさいませ。これから私が食料を調達して参りますので」


ドレークは丘の下に広がる小さな集落を指さした。

煙突から白い煙を出す小さな家が幾つか集まっている。


「よろしいですか? 傭兵が近くに居るかもしれません。決してここから離れてはなりませんぞ」


「あぁ、分かってる」


ドレークはもう1度念を押すと去って行った。

ニコラスは遠ざかる丸まった背中をじっと見ていたが、姿が見えなくなると落ち葉の山に身体を投げ出し、しばらく仰向けになって木漏れ日を見つめていた。

不意にお腹が大きな音を立てて鳴った。

慌てて周りを見渡したが、別に誰もいないようだ。

ニコラスは大きく溜め息を吐くとむくりと身体を起こした。


「ずっとここにいてもつまんねぇな」


ドレークの降りていった坂に目をやり、馬の方を振り返る。

馬は静かに足元の草を食んでいた。


「ちょっとくらいなら良いよな?」


そう呟いて馬の顔を撫でる。


「よーしよし、良い子にしていろよ……」


馬が返事をするように鼻を鳴らした。

それを合図にニコラスは坂道を駆け下りていった。


通りがかった家の窓が開いていて香ばしい香りが漂ってきた。

覗くと凹んだ小さな鍋に女性が切った野菜を入れていた。

鍋の中を混ぜる女性は微笑みながら子守唄を口ずさんでいた。

よそ見しながら歩いていたので、前を歩く小さな少女に気がつかなかった。


「あ、ごめん」


尻餅をついた少女に手を差し出したが、彼女は不思議そうにニコラスを見上げているだけだった。

横に少女が引きずっていたぬいぐるみが落ちていた。


「ほら、これ」


それを拾い上げて差し出したが、少女は相変わらずくりくりとした瞳でこちらを見つめていた。


「エミリ!」


後ろから声が掛かった。


「パパ!」


少女は途端に起き上がってぬいぐるみをひったくると声のする方へ駆けていった。

ニコラスは彼女を笑顔で抱き上げる男性を見つめた。


両親のことは顔も声もはっきりとは覚えていない。

だが、時折夢に見る。

母親に優しく抱かれて眠ったり、父親の肩の上に乗ってあちこちを探検したり……

だが、顔はいつも後ろから強い光が当たっていて見えないのだ。

覗こうとするところで夢が終わる。

涙が頬を伝って目を覚ましたことが何度あるだろう。

あの人たちは自分を覚えているのだろうか。

そして再び会った時、愛してくれるのだろうか……


その時、遠くにドレークの姿が見えた。

誰かと話をしているようだ。

ニコラスは急いで向きを変えると坂を駆け上がった。

元の場所へ戻ると、馬は相変わらず草を食んでいた。

ニコラスはさっきの場所に身体を投げ出し、あたかもずっとそこに居たかのように寝転んだ。

呼吸がようやく落ち着いた頃にドレークが手に数枚の薄い塩漬け肉をぶら下げて帰ってきた。


「ニコラス様、遅くなりました。こちらを」


差し出された肉片をかじる。

村で嗅いだスープの香りが思い出されて頭を振った。

しょっぱさを水で流し込み、軽い食事を済ませるとニコラスは口を開いた。


「なぁ。これから俺を連れて行く場所って、この国の誰も知らないところなんだろ? それなら俺の両親も連れていきたい」


「……っ!」


目を見張るドレークにニコラスはすがりついた。


「俺は鍵に興味はねぇし、今の王が何をしようが構わねぇ! でも、あの人たちは別だ! 家族なんだ! だからさ、皆で住みたいんだよ!」


「し、しかし……エルドラフ様もカトリーヌ様も城に幽閉されているのですぞ?」


「だから何だよ? 今の王は、王の証を手に入れたがっている。それを渡す引き換えにあの人たちを解放してもらえば良いじゃないか」


「ですが、ニコラス様……」


乗り気でないドレークに少し苛立ちを覚えた。


「何だよ、王族の言うことも聞けないのか?」


「……いいえ。仰せのままに」


呟いたドレークは静かに目を伏せた。


***


ニコラスは生い茂る木々を見上げた。

大分森の奥までやってきたようだ。

水の音が大きくなったかと思うといつの間にか道のすぐ横を川が流れていた。

大きな川だ。

ニコラスは目を細めて水面で踊る光を見つめた。


「ニコラス様」


ずっと黙り込んでいたドレークが振り返った。


「水を汲んで来ていただけますか?」


ドレークが空になった木筒を渡してきた。


「ん」


ニコラスは馬から飛び降りるとそれを受け取った。

木の根が大きく張り出し、地面が抉れているところがあった。

そこからなら水面に届きそうだった。

そろりそろりとぬかるんだ地面を下りていった時、馬の激しい嘶きが聞こえた。


「ハッ!」


ドレークがニコラスの馬の尻を鞘で叩いていた。

馬は前足を高く上げると走り去ってしまった。


「な、 何してんだよ?! それ、俺の馬だぞ?!」


ドレークは静かに振り向いた。


「少々計画を変更することに致しました」


「は?」


「あなた様さえ隠せればと思っておりましたが……それもどうやら無駄だったようですね」


ニコラスはドレークの目に宿る光に思わず後退った。


「な、何言ってんだよ?!」


「あなた様はいずれ城に戻ってくることになりましょう……ならば、ここで死んでもらうしかありませぬ」


「おいっ! 何だよ、急に?! どういうことだ?!」


「説明する必要はありませんよ」


ドレークは剣を引き抜き、ニコラスを睨んだ。

ザッ――

どこからともなく傭兵たちが現れ、次々と剣を構えた。

ニコラスは急いで目を走らせた。

背後は川、横は崖。

逃げ場はない。


「これも私の孫の為。お許しください……」


ドレークは低い声で呟くと後ろに控えた傭兵たちに向かって声を張り上げた。


「行け!」


傭兵たちが鎧の音を立てながら向かってきた。

ニコラスは急いで傍に落ちていた木筒を拾い上げた。

次の瞬間、剣を振り被った傭兵が襲いかかってきたので木筒で受け止める。


腰を深く沈めるんだ。

思い出せ、アイツに、スラウに習ったことを……

視界の隅でドレークが馬に跨り去っていくのが見えた。


ガクン――

膝の力が抜ける。

どうにか隙を見つけて河岸沿いに逃げ出したが、傭兵は足を止めることなく追いかけてきた。


「……くしょうっ! ちくしょうぅっ!」


少し開けた場所を見つけてそこへ転がり込む。

助かるにはこの崖を登らなければならない

。方法を考えている時、背中が突然焼けるように熱くなり、激痛が走った。

地面に滴るものに息を呑む。


「……っ! 血?!」


振り向くと剣を振り被った傭兵がいた。

咄嗟に岩陰に飛び込んだ時、右脚が傭兵の脚に絡んだ。

傭兵はそのまま態勢を崩して岩の突起に突っ込んだ。

呻き声を上げる傭兵の鎧の隙間から染み出た血が岩を伝う。


「ヒッ……!」


尻をついたまま後退ったが、他の傭兵は死んだ傭兵に目もくれずにニコラスを襲ってきた。


「くそぅっ!」


遺体から目線を逸らし、転がっている剣を掴む。

練習で使っていた木棒よりも重くて持ち辛かった。

結局、木棒でもスラウに勝つことはできないままだった。

でも、やらなきゃこっちがやられる。


だが、傭兵たちに取り囲まれた今、誰が責めて来るのかも分からない。

ニコラスはじわじわと川の方へ追い詰められていった。


「うっ……!」


飛びかかってきた1人に叩きつけられて剣を取り落とした。

ニコラスは自分の足元に広がる血だまりを見下ろした。

背中が熱いのに全身が凍えるようだ。

腕が、足が、身体が、頭が動かない。

霞んだ視界で傭兵たちが剣を振りかざすのが見えた。


――『失せろ』


ふと自分の言った言葉が蘇った。

あんなこと言わなきゃよかった。

知らないヤツだとか、家族じゃないとか、そんなの関係ない。

会いたい……涙が頬を伝った。


「たっ……! 助けてぇぇぇっ!」


叫んだ瞬間、飛びかかってきた傭兵たちが吹き飛ばされた。


「ニコラス!」


ずっと聞きたかった声だった。


「スラウ……」


大きく翻る白いローブに思わず声が漏れる。

スラウはニコラスを振り返って微笑んでみせた。


「お待たせ」

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