四.錯綜する思い ①

ニコラスが仏頂面で馬に揺られていると隣にドレークが並んできた。


「ニコラス様、いかがなさいましたか?」


「別に……てか、様付けんのやめろよ。あいつらみたいに呼び捨てで良いから」


「しかし、あなた様はいずれ王位につくお方。寧ろあの者たちが無礼なのでございます」


「ま、良いけどさ……おい!」


前を行くフォセに声をかける。


「身体がいてぇんだけど、いつになったら降りられんの?」


「日が暮れるまでじゃない?」


「げ……」


「もう疲れたの? さっき休んだばかりじゃん。因みにあたしはまだ元気だけどね」


「うるせーぞ! このチビ!」


フォセがぷくっと頬を膨らませる。


「チビじゃないもん! こう見えても、あなたよりずっと年上ですからね!」


「ありえねぇだろ……」


口をへの字に曲げるニコラスを一瞥しドレークが囁いてきた。


「ニコラス様、お話がございます」


「んだよ?」


「あの者たちのことなのですが……やはりあれは信頼できるものではございません」


「俺は別に……」


「ニコラス様。ご自身の立場を考え下さい。あなたはいずれ王になられる方だ。しかし彼らは……出自も分からぬ庶民でございますぞ? あなた様が自覚をもって接していただかなくては」


「……分かったよ」


渋々頷いた時、スラウが馬を隣につけてきた。


「ニコラス。馬には慣れた?」


「まあな」


やや後ろを走るドレークに目をやると彼は視線で合図を送ってきた。


「お前ら、何者なんだ? 何で俺にこんなことをさせる?」


「悪いけど、その質問には答えられない」


少し前を行っていたライオネルがふと馬を止めてスラウの代わりに答えた。


「君は君の役目を果たし、俺たちは俺たちの役目を果たすだけだ」


「ですが、ニコラス様は王族。そなたらは出自も分からぬ庶民ではありませんか」


ドレークが口を挟んだ。


「身分の違いというものを自覚されてはどうです? ニコラス様にこそ、決定権があるのです。少なくともそなたらにニコラス様の行動を指示される理由はありますまい」


「……かしこまりました。ニコラス様がそう望むのでしたら、ここで休みましょう」


スラウは案外簡単に承諾したが、視線は前に据えたままだった。


「但し、人々は王という権威に敬意を示しているわけではございません。内面が伴って初めて尊敬されるのです。それだけは覚えておいて下さいませ」


彼女のまっすぐな背中が遠ざかっていった。

それ以来、スラウは最低限度のことしか話さず、他の2人も以前のように声を掛けてくることはなくなった。


***


「ニコラス様。お怪我はございませんか?」


まだこの呼び方に慣れない。

ニコラスは自分を見下ろすスラウを見上げた。

遠くで爆ぜる焚き火の灯りが彼女の顔にくっきりと影を落としている。

護身の為に最低限の剣術を身につけなくてはいけないという彼女の主張で稽古が始まった。


ニコラスは汗を拭うと、近くに転がる木の棒を睨んだ。

木の葉の間から半分に欠けた月が見える。

何回やっても……勝てない。


「くそっ!」


何で勝てねぇんだ。

拳で地面を叩いた。


「今日はここまでにしましょう」


彼女はそう言うとニコラスには一瞥もくれずに手にしていた木の棒を茂みに放り込んだ。


その様子を見ながら焚き火に当たっていたライオネルが戻ってきたスラウに声をかけた。


「今日は俺が見張りにつくから。たまには休んだ方が良い」


ライオネルは焚き火の傍で丸くなるフォセとドレークを指差した。

2人とも毛布にくるまって静かな寝息を立てている。

スラウは焚き火を回り込むと幹の太い木に向かった。


「稽古をやる意味はあるのか?」


ライオネルの声に木をよじ登っていたスラウがキョトンとした顔で振り向いた。


「え?」


「ニコラスは俺たちが城まで送り届けるんだ。別に剣が使えなくても……」


「それじゃダメだよ。彼は王族の血を引く身……私たちと別れた後も命を狙われることがあると思う。その時に自分で自分のことが守れるようにはなっていて欲しいんだ。それなりの自覚は持ってもらわないと」


「なるほど。だが……ひとつ忠告させてくれ」


ライオネルが立ち上がった。


「人間への深い思い入れは危険だ。君にとっても、ニコラスにとっても……」


スラウは小さく頷くと勢いをつけて頑丈そうな枝に足を掛け、その上に飛び乗った。

ライオネルが小さく溜息を吐いて茂みの向こうへ姿を消した後、ニコラスは小さく寝返りを打って目を閉じた。


***


「ニコラス様」


パンをかじっていたニコラスの傍に膝をついたドレークが顔を近づけてきて声を潜めた。


「本当にこれが正しいことなのでしょうか? よくお考え下さい。あの者たちは何故あれほど鍵を取り戻すことに執着するのでしょう?」


「何が言いたいんだよ?」


「もうお分かりのはずです。あの者たちはあなた様が王の証を手に入れた途端、鍵を奪うに違いありません。彼らこそ、王の差し向けた刺客なのです。彼らはあなた様の優しさに漬け込んでいるのです。お考え直しください。本当に守るべきは何かを……あなた様から金を奪い取ってきた餓鬼のことは私も知っております。あんな者なんぞの為に、あなた様が命を危険に晒すような行動はなりませぬ」


ニコラスはその言葉をよく噛み締めた。

本当は……あいつなんて死んでも良いと思っている。


「……考えさせてくれ」


ニコラスはそう呟くとドレークから逃げるようにそこを離れた。

小枝を集めていたフォセはそんなニコラスの様子に首を傾げた。


***


「ねぇスラウ、ドレークさんは?」


フォセが尋ねた。

焚き火の傍の毛布は空になったままだ。


「水浴びしたいって。ライオネルがついていっているから大丈夫だよ」


ニコラスは頭まで毛布を被っている。

スラウはそんな彼をじっと見つめた。

今日はずっと塞ぎ込んで何かを考えているようだった。


「あのさ……」


スラウはフォセに膝を向けると切り出した。


「ドレークさんは危険だと思うんだ」


「どういうこと?」


「傭兵の潜伏先にあの人も居た。彼が何故私たちを追ってきたのか、分からないけど……彼は私たちを裏切るのかもしれない」


「……っ!」


ニコラスは毛布の中で思わず身体を強張らせた。


***


翌日、ニコラスは日が昇りきる前に叩き起こされた。


「この山を越えれば傭兵に追いつけます」


フォセが広げた地図を指差した。


「私たちはこのルートで先回りし、ここで待ち伏せます。その間にニコラス様は……」


「あぁ、そのことだけどもう良いよ」


「え?」


「正直、俺は鍵がどうなろうと構わねぇから」


「でも、捕まっている子は?」


「あんな奴、どうでも良いじゃん。俺はアイツの友人でも家族でもねぇ」


スラウが口を開きかけたが、それを制して続けた。


「俺はこの国の未来の王だ。じじぃは俺の命を優先しろと言った。それに、そもそもお前たちの目的も分かんねぇしな。仮に鍵を取り返したとして、お前らは何を得る? 何も得ない。俺を殺して王の証を奪わない限りは」


「違う!」


スラウの鋭い声にニコラスは思わず口を噤んだ。


「私たちは王国を乗っ取るつもりなんてない! 君には護るべきものがある! この国の全てを! それが王族としての……」


「フン……そんなの誰が分かるんだよ」


言い返した途端、スラウが肩を掴んできた。


「時間が無いんだよ! こうしている間にも君のご両親の命はどんどん削られていく。鍵を取り戻して王位の証を手に入れれば、ニコラスが正式に王として認められる。そうすれば2人のことだって助けられるんだ!」


「スラウ」


フォセが諭すように言ったが、彼女は止めなかった。


「まだ間に合うんだよ、ニコラス! 何を護るべきか、本当は分かっているんでしょ?!」


「顔も覚えてねぇ親のことなんて、俺は別に何とも思ってねぇ!」


「嘘つかないで! じゃあ、聖堂のあの絵は何?! あなたがずっと手入れしてきたんでしょ? あの絵を自分に重ねていた。だから……っ!」


「スラウ」


フォセがそっとスラウの袖を引いた。

ニコラスは下を向いて唇を噛んで立っていたが、肩に乗せられたままのスラウの手を払いのけた。


「……失せろ」


地面を睨んだまま呟く。


「お前が何を言おうと俺は知らねぇよ。俺はじじぃの言葉を信じる。これが俺の決断だ」


「……分かった」


スラウは掠れた声で返すと静かに馬に跨った。

フォセがもの言いたげにニコラスを見たが、ライオネルが促して馬に乗った。

3人とも振り返りもせず、さよならの言葉もなかった。

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