三. 初任務 ①

混み合っている市場を1人の少年が駆け抜けていく。

細身でくせのある黒髪。

血色のいい肌に焦げ茶色の瞳が輝く。


「ごめんな、おっさん!」


走りながらぶつかった大柄な男性に謝る。

彼は男性の姿が人ごみに紛れてすっかり見えなくなったのを確認すると足を緩めた。


「へへへっ……」


小さく鼻を掻いて右手の物を弄ぶ。

麻の巾着が上下する度にコインが擦れ合う心地よい音がした。

歓楽街もあり、何となく浮ついた雰囲気に包まれるこの町は人々の警戒心が薄れる。

森に近づく程人通りも疎らになってきた。

全くどいつもこいもまるで緊張感ってもんが……

口元が緩んだ瞬間、目の前の何かにぶつかった。


「……っててて」


思わず尻餅をつき、見上げると黄金色の髪の女が立っていた。

顔は逆光でよく見えない。

白いローブに焦げ茶色のズボン。

ふーん、特段金持ちって訳じゃなさそうだな……


「あ、ごめんなさい!」


女が拾おうとしたので慌ててその手から巾着をひったくった。


「べ、別にいいって! じゃ、俺急ぐんで!」


手を振り払われた女は少し態勢を崩したが、少年はそのまま彼女の横を通り過ぎた。


森に入ったところで足を止め、ゆっくりと振り向く。

彼女も気づいていないようだ。

少年の手には新たに臙脂色の小さな巾着が握られていた。

お気に入りの木の根に腰かけて巾着の口を開けて逆さにする。

ちゃらちゃらと音を立ててコインが数枚落ちた。


「うーん……まずまずだな」


思い切り伸びをして樹に寄りかかる。

それにしても……

コインを1枚摘んで弾いた。

さっきの奴、いつから居たんだ?

気が緩んでいたとは言え、人の気配に敏感なはずなのにが気づかなかった。

疲れてんのかな、少年は呟くと大きく欠伸をした。


***


「ちょっと! どうするの?!」


桃色に染まった頬を膨らませて自分を見上げるフォセにスラウは眉をへの字にしてポケットを探った。


「どうしよう……」


「初めて遂行する任務で、もらったお金を無くしました、なんて言えないよ?」


「だよねぇ……」


困ったように溜め息を吐いたスラウは手に持っていた通信機を胸元に戻した。


「じゃあ、グロリオに言うのはナシ。でも、お金が無いと泊めてもらえないよね?」


「多分ね……ま、野宿も良いんじゃない?」


スラウは再び溜め息を吐いた。


「はぁ……ごめん、野宿できる所を探そう」


「あそこはどうだ?」


スラウはライオネルの指差す方に目を向けた。

木立の中に白い壁の崩れかけた小さな建物が見えた。

所々塗装が剥げ、木目の現れている白い壁。

細い木枠で囲われた窓ガラスは割れたりひびが入ったりしている。

屋根は黒い瓦で覆われ、風雨にさらされて幾つか吹き飛ばされていた。

屋根の上の小さな風見鶏は金色の塗装が斑に残っていた。


「聖堂か……」


ライオネルが呟いた。

入り口の扉は金具が外れて閉まらなくなっていた。

中を覗くと正面には大きなキャンバス画が掛けてあり、その手前に小さな木の机があった。

床の隙間からは雑草が生え、かつて等間隔に並べられていたであろう3人掛けの椅子は窓際に積み上げられていた。


「綺麗な絵……」


フォセが近づいて眺めた。

女性が赤子を優しく抱きかかえている絵だった。

日没直前の陽の光が射し込み、絵を照らしていた。


「多少の雨風は防げそうだね。念のため、周りを見てくるよ」


スラウは2人の返事を背で聞いて夜の近づく森へ踏み出した。


***


いつの間にか眠りこけてしまっていたようだ。

少年は飛び起きた。

陽はとっくの昔に沈み、肌寒くなってきた。

身震いすると足元に散らばったコインを掻き集めて巾着の中に突っ込み、駆け足でアジトへ戻った。


彼はそこを家というよりアジトと呼ぶことを気に入っていた。

家にしてはあるべき物がなさすぎる。

台所も寝室もない。

窓は割れているし、天井の雨漏りも酷い。

だが、自分が将来この町を出る時の出発点としてそこはぴったりの場所なのだ。

そう思いながら閉まらない扉の隙間に身を挟み入れ、中に入った。


しかし、踏み込んだ途端、本能が何かがおかしいと訴えてきた。

あるはずのないものがある……

誰だ、俺のアジトに踏み込んだ奴は?

その時、天井の隙間から月光が射し込んできた。

青白い光に照らされて浮かび上がったのは緑色のローブを着た青年と金髪の少女だった。

面倒ごとは嫌いだ。

幸い、月明かりはこちらにまで届いていないし、向こうは気づいていないだろう。

今夜は外で寝るか……

そう思って後退りした拍子に何かにぶつかった。


「うわっ!」


慌てて振り返ると見覚えのある女だった。


「あれ? 君はさっきの……」


「ちっ!」


首を傾げる彼女の横をすり抜けようとした時、巾着が手から滑り落ちた。


「あっ……」


「あ? あー! それ、私の!」


彼女は臙脂色の巾着を指差した。


「え?! 何? スラウ、その子に盗まれたの?!」


金髪の少女がこちらへ歩いてきた。


「ちっ!」


巾着を掴み、護身用の短剣を引き抜く。


「来るな! 金が俺の手に渡った時点で俺のもんだ! そこをどけ!」


だが、彼女の言葉は想像を遥かに超えたものだった。


「ふーん……じゃあ、『お金が私の手に渡った時点で私のもの』だね!」


そう言う彼女の手には自分の手にあったはずの巾着が握られていた。

彼女は不適な笑みを浮かべると巾着からコインを1枚取り出して指で弾いた。

それに気を取られた一瞬で短剣が取り上げられ、逆にそれを首に突きつけられた。


「てめぇ! きたねーぞ!」


「むっ! 言っとくけどね、これは元々私のお金ですー!」


彼女は唇を尖らせると短剣を後ろに放った。


「まぁ良っか。お金も戻ったことだし、君に勝負を挑むつもりもないから。あと……」


言いながら黄金色の髪を掻き上げる。

澄んだ緑色の瞳がきらりと光った。

想像以上に若い少女だった。


「女だからってナメないこと!」


「……ちっ!」


恨みがましく睨みつけたが、彼女は相手にもしていないようでそのまま背を向けた。


「さて、お金の問題は解決! 今からでも泊めてもらえるかな? 明日中にはあの子を探し出さないと……」


「いや、もうこんな時間だ。難しいだろう」


「野宿もアリじゃない? ワクワクする!」


3人は外に足を踏み出そうとして動きを止めた。

いつのまにか彼らの前に回っていた少年が短剣を構えていた。


「待てよ! 勝負しろ! お前も俺をナメんじゃねぇぞ!」


「あの、君に勝負を挑むつもりは……」


「うるせーよ!」


少年は言うが早いか飛びかかった。


「さっき女だからってナメるなって言ったの、お前だろ?! 腰に差してるそれ、抜けよ!」


「……いやだよ」


すぐ背後で声がしたかと思うと短剣が弾き飛ばされた。

慌てて距離を取って振り返ると彼女は木の棒を無造作に振り回していた。


「この剣は使わないって決めてるの。君とやるならこれで十分。それに、私は「お前」じゃなくて、スラウって名前があるんだから」


スラウは木の棒を突き出して少年の足を掬うと尻餅をつかせた。


「くそ!」


「別の場所に行こう。ここじゃ、ゆっくり休めそうに……」


言葉の途中でスラウの身体が勢いよく突き飛ばされ、壁際に押しやられていた椅子の山に突っ込んだ。


「いたたたっ……」


「よそ見すんじゃねぇ!」


起き上がろうとしたスラウはそのまま動きを止めた。


「……ん?」


木箱や巾着が床に散らばっている。

スラウはゆっくりと屈むとその中のひとつを拾い上げた。


「これは君の?」


彼女の手にはやや黒ずみ、古びた鍵が握られていた。

鍵の持ち手に細い皮紐がついている。


「ああ、それ? そうだけど……だから何だよ?」


「あ、いや。うーん……これ誰かから盗んだわけじゃないよね?」


「ちげぇよ。それはこの森に捨てられていた俺が元々持ってたんだ」


少年の言葉にスラウは他の2人と顔を見合わせた。


「君……名前は?」


青年に尋ねられ、少年はぶっきらぼうに答えた。


「ニコラス。じじぃがそう呼んでる」


「じじぃ?」


「俺を育ててくれた気難しいじいさんだよ。最近は見てねーけど……」


「ここの牧師さんってこと?」


「牧師? いや、もっと胡散臭いぜ。何してんのか分かんねーし……ここは随分前の戦火に巻き込まれて以来、放置されているから俺が寝ぐらにしてるだけだ。お前らの方こそ何者だよ?」


「私はスラウ、こちらがフォセとライオネル。しばらくここに居させてもらうことにするけど、よろしくね」


数刻後、窓からは青白い光が射し込んできていた。

部屋の隅で丸まるニコラスは寝息を立てて眠っている。

スラウは胸元から折り畳んだ紙を取り出して机の上に広げた。

契約内容や契約主の特徴の記載された資料とその国の通貨。

どれも初任務に欠かせないものだ。


初任務はスラウの隊員としての適性を測る為、現地でのサポート役として付いてきた2人を除く隊員は天上界で待機することになっていた。

契約主に出会う前に資金を失った時は本当に焦ったが……


「まさか、お金を盗んだ相手が鍵の持ち主だったとはね」


フォセは呟くとニコラスから借りた鍵を弄んだ。


「フォセ。大事なものなんだから扱いには気をつけないと」


小声で諭したライオネルはふと顔を上げた。


「やはりな……人間の気配を感じる」


彼の言葉にスラウは頷いた。


「フォセ、確か千里眼を使えるんだよね? どこに居る?」


フォセは目を閉じたまましばらく黙っていたが、おもむろに口を開いた。


「北西の方角。平地に2、30人の傭兵隊がテントを張ってる」


「分かった。ちょっと周りの様子を探ってくるから、ここを任せて良い?」


スラウはそう言って聖堂を後にしたが、夜が明けても彼女が帰ってくることはなかった。


その為、ライオネルが市場で食料と馬の調達に行き、フォセはまだ起きないニコラスの傍にいることになった。

フォセは窓枠に腰かけ、脚をぶらつかせていた。

手には古びた鍵を握っている。

ニコラスの寝床に目をやった彼女は首を傾げた。

鍵を傍らに置いて飛び降りる。


「んんー?」


近づけば近づくほど違和感は強まるばかりだった。

毛布にそっと手を伸ばして勢いよく剥ぎ取ると、そこには束ねられた藁があるだけだった。

カチャッ――

微かな音に振り返ると置いてあったはずの鍵がなくなっていた。

慌てて窓から顔を突き出すと小さくなっていく背中が見えた。


「ちょっと! 待ちなさぁい!」


フォセは窓枠を掴むと身軽に乗り越えてニコラスを追いかけた。

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