二. 昇格試験

「何をやっているんだ、あいつらは……」


火の長リアは眉間に指を当てた。

昇格試験の項目のひとつであるドラゴンとの飛行訓練は自分の担当だ。

幾度も練習を重ね、多くの訓練生はドラゴンに飛び乗ることができるようになった。

後は着地のタイミングさえ調整すれば、試験を通過できるだろう。


だが、あいつらは……

リアは再び丘に目を向けた。

目線の先にはスラウとそのパートナーのドラゴンが練習をしていた。

彼女が死に物狂いで地面を走り、その後ろを巨大な影が迫る。

スラウは突然走るのを止めると横に転がった。

また失敗だ。

周りの生徒から笑い声が漏れたが、もう注意する気さえ起きない。

リアは芝生に転がる彼女の目の前に立った。


「スラウ!」


「はい」


「あんたさ、昇格試験を受けるんだろう?」


スラウが気まずそうに下を向いた。


「……はい」


「昇格試験まであと何日あるか、知っているね?」


「……はい」


「ドラゴンに乗れたことさえ無いじゃないか。このままだと昇格試験はおろか、隊から除名の可能性も否めないよ。我々の任務にドラゴンは不可欠な存在だ。連携が出来ていないようじゃ、天上人としては認められない」


「……はい」


リアは顔を上げて空を飛び回る生徒たちに声をかけた。


「あんたたちも気を抜くんじゃないよ! この項目の合格は必須だ」


リアは再びスラウに向き直ると口を開いた。


「あんたにヒントをやろう……あんたのその極端な恐れを克服するんだね」


途端に彼女の顔色が変わった。

隠せているとでも思ったかい、リアは心の中で呟いた。


極端な恐れ−−

背を向けて去っていくリアの背中を見つめ、スラウは拳を固めた。

怖い。

後ろから感じる熱気。

「あの日」以来、火を連想させるもの全てに恐怖を感じる。

火の象徴のドラゴンをどうして恐れずにいられよう?

試験に受かる為にも、その恐れを克服しなくてはならないことは随分前から分かっていた。


だが、どうしてもできないのだ。

どうにか勇気を振り絞って跳躍しても、熱気を感じた途端に迫りくる炎の記憶が蘇る。

身体が硬直してしまい、思ったようにドラゴンに飛び乗ることができない。


それに……

かつて別の人のパートナーであったドラゴンの、しかも王族のドラゴンのパートナーであるというプレッシャー。

こんなにも重いものだったのか。

他の人と距離を置くようになってから、あからさまな批判は受けなくなったが、彼らがスラウを認めたというわけでもないようだ。

重い。

苦しい。

投げ出したい。

もし昇格試験に受からなかったら、王族のドラゴンのパートナーという立場はなくせるのではないか……

だが、そんな甘い考えはすぐに打ち砕かれた。


***


「バカ言ってんじゃねぇよ」


そう言って一蹴したラナンは脚を組むとソファに沈み込んだ。

宿舎の談話室でこうして寛ぐのはしばらくできていなかった。


「……たく。久しぶりに話したいとか言い出すから聞いてみれば」


「だって」


言い訳しようとするスラウを遮ってラナンは身を起こすと机に広げられた紙を指差した。


「グロリオたちがな、俺たちを特訓してくれるんだと」


「うん……」


ラナンはそのまま黙り込むんでしまい、スラウも黙ったまま机に置かれた籠に手を伸ばした。

中に入っていたビスケットを摘んで口に運ぶ。

ほろ苦いジンジャーの香りの中に甘い砂糖の味がした。

ラナンもビスケットを摘んだが、口に入れる前で手を止めるとスラウを見つめた。


「これ持って来た時にサギリが言ってたぞ。お前の剣術、目も当てられないくらい酷かったんだって?」


「む……」


片眉を吊り上げるスラウをよそに彼はビスケットを口に放り込むと、口を開いた。


「ん、意外に甘いんだな……それからこうも言ってた。修正するところが分かったら上達は早かったって。そのうちサギリの次に城内一強い剣士になれるだろうってさ」


ラナンの言わんとしていることを察し、何だかモヤモヤしたものが胸に湧き上がるのを感じた。


「お前が今負っているものがどれだけのもんか、俺は知らねぇ。でもな、言いたいヤツには言わせておけよ。少なくとも俺はそれが王族のドラゴンだろうがそうでなかろうが、ソイツにお前が選ばれたなら、お前がパートナーをやることが当然だと思ぜ」


「……」


「コイツらもそう思ってるってよ」


ラナンがソファの後ろを指差すとチニとフォセが照れ笑いを浮かべて顔を出した。


「僕らのこと、頼りにして良いんだからね」


「仲間だし」


2人の言葉で今更気づいた。

仲間がどういうものであるのかを……

最近はずっと王族のドラゴンのパートナーという肩書きにばかり気を取られていた。

肩の荷が下りた気がするのと同時に少し気恥ずかしくて、スラウはソファの上で抱えた膝に顔を埋めた。


***


昇格試験に向けて本格的にスラウの特訓が始まった。

早朝は剣の稽古。

城での授業の後は夕方から暮れにかけてドラゴンと個人的に特訓。

その後は図書館で歴史学や気象学を勉強し、結界術の練習に励んだ。

フォセやチニが図書館の閉館時間まで眠りこけているところを起こしに来たこともある。

薬草学に至ってはライオネルがつきっきりで1から教えてくれたが、真面目な彼を酷く煩わせてしまうことになった。


「けっむっ!」


宿舎に入ったフォセは大きく咳き込んだ。

部屋に白い煙が充満している。

目が痛くてたまらない。

慌てて外に出たて新鮮な空気をいっぱいに吸う。

煙の向こうで咳き込む声が聞こえて人影が転がり出てきた。


「スラウ!……とライ?!」


ひとしきり咳き込んでスラウがすまなさそうな顔をした。


「……ごめん」


「何があったの?」


「ゲホッ……調合したら……煙が……ゴホゴホッ……」


ライオネルが苦しそうに答えた。

確かに開け放たれた扉から吐き出される煙には鼻をつくような草の香りがする。

天上界屈指の知識と腕を持つ彼が居たにも関わらず失敗するとは……

フォセは言葉を失った。


「……で、何を調合したの?」


「消毒薬」


2人の言葉にフォセは思わず噴き出した


「ぷっ……あははははっ! ははははははっ!」


スラウは肩を縮めて居心地悪そうにしている。


「そ、そんなに笑わなくても……」


「あははははっ、はぁ……ごめん、ごめん」


フォセは笑いながら涙を拭いた。


「でも……くくっ、消毒薬って、ぷっ……基本中の基本でしょ?」


「そりゃ、そうだけど……」


「フォセ、これ以上追及しないでくれよ。失敗を止められなかった俺にも責任はあるんだから」


「本当にごめん、なさい……」


苦笑交じりのライオネルにこれでもかと言わんばかりに小さくなるスラウ。


「良いよ、別に。面白いもの見られたしぃ?」


楽しそうに笑うフォセに苦笑しながらライオネルが立ち上がった。


「とりあえず、今後は室内で調合するのは禁止だな……」


***


時の流れとは早いもので、遂に昇格試験がやってきた。

午前は知識が問われる筆記試験だった。

アイリスの歴史学とフォセの気象学の特訓のおかげでどうにかやりきれた。

出題されたもののうち、何問かは朝早くに起きてラナンと確認したものだった。


そして……午前最難関の薬草学。

ライオネルとの特訓にも関わらず、調合の腕が著しく上がることはなかった。

薬草学は知識問題と実技の2つで採点される。

限りなく満点に近い点数を知識問題で取る。

ライオネルに言われていたのだが、逆に意気込み過ぎて幾つか大事な用語を忘れてしまった。

調合については最初の頃のように薬草を混ぜて爆発することはなくなったが……

及第点をもらえるかどうか、監督官の表情から察することは難しかった。


午後の光の能力、剣、結界技術の試験は特に心配することもなかった。

濁った水を浄化したり、人型の模型を相手に戦ったり……

どれも特訓の成果が顕著に表れていた。

サギリはよくやったと褒めてくれたが、手放しで喜ぶことが出来なかった。

最終試験のドラゴンとの飛行技術が残っていたからだ。

順番が近づけば近づく程、緊張は増すばかりだった。


「いけそうか?」


サギリがグロリオの横に座った。

ドラゴンとの飛行技術の試験は誰でも見学することができる。

心配で居ても立ってもいられなかったのだろう。

真面目なサギリが仕事を抜け出してまで来るとは……

グロリオは自分にも言い聞かせるように呟いた。


「後はスラウ次第だ」


彼女と王族のドラゴンの連携演武をこの目で見ようとする人も多く、見学席はかなりの賑わいを見せていた。

不意にざわめきが止んだ。

スラウがスタートラインに立ったのだ。

好奇に満ちた空気の中、深呼吸を繰り返して平静を保とうとしているのが伺える。


ピィーッ――

合図の音が芝生を駆け抜けた。

スラウが動いた。

慎重に、だがしっかりとした足取りで指定された丘に向かって駆けていく。


「おい! 何やってんだ、あいつ?!」


スラウが飛び上がった途端、見学席がどよめいた。

ドラゴンはまだはるか後ろにいる。


「このままじゃ、衝突するぞ!」


「やっぱり無理だったのよ! 王族のドラゴンのパートナーになるなんて!」


残念がる声や怒号が飛び交う中、グロリオはスラウを見据え続けていた。

握った拳に思わず力が入る。

経験からすると、明らかに彼女の踏み込みは早かった。

だが、ドラゴンはスピードを上げて突っ込んできているというのに、スラウは比較的落ち着いているようだった。


「え?!」


グロリオは思わず身を乗り出した。

普通ならもう落下し始めてもおかしくないはずだ。


だが、スラウの身体は一段と高く上がっていた。

一方のドラゴンが地上すれすれを飛び、彼女の下を潜り抜けた。

今度は逆に遅い。

ドラゴンはスラウを乗せぬまま、上へ向かった。


その時だった。

スラウの身体が傾ぎ、ドラゴンに向かって突っ込んでいった。

そのまま彼女は大きく腕を広げ、ドラゴンの首すじに飛びついた。

そして脚を振ってその背にぴたりとつけ、ドラゴンと共に空に舞い上がったのだ。

敢えてドラゴンに自分を抜かせることで後ろから飛び乗ることを可能にしたが、これは型破りも甚だしかった。


唖然としている群衆の上を悠々と回転し、ドラゴンは翼を畳んで地面に向かった。

その瞬間、見学席が再びどよめいた。

スラウが腰を浮かせ、ドラゴンの背の上で立ち上がったのだ。

誰もが予想していなかった彼女の行動に呆気にとられた。

万一、足を滑らせて落ちたら骨折程度の怪我では済まないし、そうでなくても鱗を剥がしたら……

それこそドラゴンの怒りに触れ、信頼関係は崩れる。

そのリスクを承知で王族のドラゴンは彼女を認めているのか……


スラウは空中で何度か回転し、ドラゴンとほぼ同時に地面に降り立った。

着地が決まった後も誰ひとりとして動く者は居なかった。


「やりやがった……」


「ああ……」


思わず呟いたグロリオにサギリの満足そうな声が返ってきた。


「ふん。得意の跳躍でそれを克服するとは……やるじゃないか……」


火の長リアが低く呟いた。

スラウの飛行技術が伸びなかった理由。

1つは王家のドラゴンのパートナーであるというプレッシャー。

そしてもう1つは迫りくる炎への恐怖。

火の生き物であるドラゴンを自らが後ろから追うことで、その恐怖を感じなくさせたのか……

見学席のグロリオやサギリの表情からすると彼らの考えではないだろう。

こんな突拍子もないことを考えたのは……

リアはスラウの横で翼を休めているドラゴンを見た。

あんたしかいないだろう?


黄金色の瞳がそれに答えるようにきらりと光った。


***


「スラウ! 昇格試験の結果が来たぞ!」


封筒を握りしめたラナンが上気した様子で宿舎に駆け込んできた。


「俺、受かってた! 正式に天上人として認められたんだ!」


「良いなぁ」


薬草学は大丈夫だったのだろうか?

ドラゴンの飛行試験は?

そう考えると結果を見る気も起きない。


「開けたくないよぉ」


「大丈夫だって! 開けてみろって!」


しばらく押し問答を繰り返していたが、結局開けることにした。

視界に飛び込んできた文字にスラウは首を捻った。


***


「「昇格試験受験資格獲得のお知らせ」、そう書いてあったろ?」


グロリオはそう言うと笑顔を浮かべた。


「昇格試験は2段階に分かれているんだ。この間受けた試験と実際に地上界で任務を果たすという試験。勿論、最初の試験に受からなきゃ次の試験の受験資格はもらえない。普通はその順番だが、ラナンは特例で既に任務を遂行しているから……」


「スラウを無事にお前らと引き合わせる、ってやつか?」


「そうだ。だからラナンは今回の試験は特別に免除されるんだ」


「何だぁ……」


安心して息を吐くスラウにグロリオが悪戯っぽく笑った。


「但し、地上界での任務の試験は一層難しいぞ。何せ知識の応用だからな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る