惨劇のはじまり
第6話――ありふれた日常
翌日、通常通り仕事をこなしていたアラシロは、昼の休憩時間を見計らい、中央港を見回ることにする。
間髪入れずに到着するフェリーとそれに乗り降りする人の群れで、旅客ターミナルの発着ロビーは騒然とした有り様だった。
国内外からの観光客のツアー団体、研究目的で来たらしい集団。それらをアラシロたち警備員を含む大勢のスタッフが捌いて回っている。ジャパリパークと外界とを結ぶ唯一の接点である中央港は、ぐるり見渡しただけで多種多様の人であふれかえっていた。
それらをアラシロは悶々とした気持ちで見渡していた。
(外部から持ち込まれた食品による食物アレルギー……)
ジャパリパークという特殊な環境を訪れるにあたり、行われる検査基準は国際線並に厳しいものとなっている。まず本土の港で行われる出発検査。ここでは客船に持ち込まれる手荷物から貨物室預ける大型荷物まで、あらゆる持ち込み物が検査対象となる。すべての荷物はエックス線を通され、禁止されている物品はその場で破棄される。人間に対しては問診や口頭での確認の他、サーモグラフィーによる全身の発熱の有無を検査が行われる。もし何らかの疾病等、健康状態に異常のある者が見つかれば、該当者は別室で精密検査を受け、場合によっては渡航を拒否される。
検査をパスした人と物は、ジャパリパークに降り立つ前にまず中央港にて到着検査を受ける。出発時に行った検査を再度行い、万が一の見逃しを阻止するのだ。実際まれにだが、出発時には発見できなかった持ち込み禁止物や病気等が発見され、物品の廃棄や中央港の健康相談室にて医師の診察を受けさせることがある。出発時と到着時の二度の検査。これらを持ってしてジャパリパークに侵入する脅威を水際に阻止するのが、警備会社であるセントラルテック株式会社に課せられた役目だった。
(――だが、完璧ではない)
厳格な検査基準に則った検査を行っているが、行うのが人間である以上、見落としは起きる。本土側で見落としたものが、ジャパリパーク側で見つかっているのが何よりの証拠だった。中には故意に禁止物品を持ち込もうとする者だっている。「フレンズに渡そうと思った」という理由でズボンやカバンの隙間に禁止物品を持ち込もうとする者は珍しくない。
そうやって出発時に見落とされたものが到着時にも見落とされない保証が、果たしてどこにある。――人を相手にするこの仕事に百パーセントはあり得ないのだ。
先日ガドウは中央港の出入管理記録提出を迫った。本土側に確認したところ、本土の港でも同様に記録の提出を求められたとのことだった。出発時と到着時。この二点の記録から保安検査のミスを指摘されれば、会社は否定することはできないだろう。
「……まったく。痛いところを突いてくる」
失笑しながら、アラシロは発着ロビーをあとにする。従業員用通路に入り、無目的に歩きながらぼんやり宙を見上げる。
ガドウが何をもってして例の伝染病を隠蔽しようとしているのかは不明だ。だが責任を押し付ける先をここに選んだのはさすがと言えるかもしれない。
考えながら歩いていると、ふと通路の向こうをフォークリフトが横切っていったのが見えた。アラシロは腕時計を見やり、貨物便の到着時刻であったことを思い出した。
ジャパリパークで使用される資材や物品はすべて本土からの搬入により供給されている。それこそ研究用の資材からパークレンジャーの車両まで。繁華街のコンビニの商品もすべて本土から搬入されているのだ。
アラシロは資材用の発着場に入った。旅客用ターミナルを従業員用通路で挟んですぐの資材用ターミナル。横並びで距離的にも離れてないものの、豪華で清潔な旅客ターミナルと比べて、関係者しか来ないこちらは大きく見劣りするものだった。
貨物船のために海に向かって間口は横に大きく開かれており、磯と鉄の臭いが吹き散らされては戻ってくるを繰り返している。塗料の剥げたところからは下地の金属がめくれ上がっており、赤黒い錆びに侵食されて歪に朽ち果てようとしていた。
見るからに老朽化が進んだ資材用ターミナル。それもそのはず、ここが作られたのはパーク最初期。ジャパリパークが正式オープンする前なのだ。当時職員たちにより運用されていたここは、正式オープンに伴い豪華な旅客用ターミナルが併設するように建てられた。アラシロたち警備会社が業務を委託されたのはさらにずっと最近のことだ。
ひび割れたコンクリートの床には人と車両がぶつからないよう、色分けされた通行帯が引かれていた。ちょうど船から降りてきたパークレンジャーのバギーを満載したトレーラーが通行帯に沿って低速で横切っていく。車両はこのあと簡単な検査を受け、発行された合格証を持って中央港を出ていく。
ふと、アラシロの脳裏に疑問がよぎる。例の伝染病が一般客からではなく、搬入される物品によってもたらされるということはないだろうか。コンビニやスーパーの食品がアレルギーの原因であると考えれば、十分あり得る話ではないたまろうか。
そこまで考え、いや、とアラシロは首をふる。これはあり得ない話だ。
誰が何を持ち込むのか分からない旅行客と違い、こちらは専門の業者なのだ。何重にも及ぶ検査検疫を間違いなくクリアしたものだけが運ばれてくるのだから、そこに原因となる何かが混入することはあり得ない。
それに、もし検疫に見つけることのできないアレルギー原因物質が食品に紛れていたとして、それならば患者はもっとパーク全域から大量に発生しているだろう。こんなパーク中央にだけ患者が現れるなどないはずだ。
そこまで考え、アラシロは自分がいつの間にかガドウの食物アレルギー説に則した考え方をしてしまっていることに気づいた。伝染病の原因がアレルギーと決まってすらいないにも関わらず。
失笑ぎみに忙しなく働く警備員やスタッフを眺めているときだった。ある程度積み荷を降ろし終えた貨物船に入れ替わるようにトレーラーが近づいていく。荷台に載せられた二つのコンテナは、おそらく持ち出し資材か。
「オーライ! オーライ!」
トレーラーの前に立ち、所定の位置まで車両を移動させているのは、あのガドウと対峙したときに一緒にいた同僚だった。トレーラーをターミナルの点検エリアまで誘導すると、ドライバーに降りてくるよう指示を出す。
「持ち出し票を確認します」
持ち出し票、と言われたドライバーが首を捻る。
「あー、それは何のことだい」
「コンテナを積む際に、受け取った複写紙のことっすよ。ほらあの赤い字の。受け取ってるはずですけど」
「あーはいはい、あれのこと。いやあ、慣れてないものでね」
手を叩きながら懐からハガキサイズの複写紙を取り出す。持ち出し票とは、パーク内の資材を本土へ移送する際に確認する書類のことだ。
ジャパリパークでは、内外を移動する物品はすべて検査されることになっている。現地で荷物を受け取った業者が、きちんと中央港まで運んできたかを確認するためだ。広大なパークで業者を常に追跡することはできない。万が一途中で物品を投棄されたり――もしくはパーク内のものを持ち出されたり――しないよう、検査をしているのだ。
同僚がコンテナの封が外された形跡がないことを確認している横で、重量計測用のアームが轟音を立ててと天井から降りてくる。コンテナを挟み込むようにアームが固定されると、同僚の手元の端末に数字が写し出される。
コンテナに封がなされ、持ち出し票に記入されたコンテナごとの識別番号、重量が一致していること。かつ、持ち出し票作成時に点検者からの判が押されていることを確認できたら、本土の港で提示する許可証を発行して送り出すのだ。
「お疲れさん」
貨物船の中に消えていくトレーラーを見送ってアラシロは同僚に声をかける。回収した持ち出し票に点検した時刻を記入していた同僚が、ぴくりと振り返る。
「あれ、隊長。どうされたんです」
休憩時間ですよね、と怪訝そうにする同僚にアラシロは何でもないと肩をすくめる。
「いやなに、ちょっと見回りにな」
「そうですか。てっきり休憩中に忙しく働いてる部下にちょっかい出しにきたのかとばかり」
「おいおい。それじゃあまるで酷い奴みたいな言い草だな」
「あれ? 気づいてなかったんです?」
「こいつは――」
叩く真似をして振り上げられた手を同僚は笑いながらかわすと、嘘ですよ、とへらへらしながら記入を終えた持ち出し票を点検エリア近くの回収ボックスに入れる。回収された持ち出し票は一日の終わりにまとめられ、所定の期間保管されことになっていた。何か事案が発生した際、こちらの持っている複写紙と向こうの原紙とを比較するためだ。
「へえ。まだ昼だってのに、だいぶ出て行ったんだな」
「でしょう? また何か工事でもやってるんですかねえ」
「だろう。ここは一年中工事ばかりだから。ついこの間もパブロンだとかパブロフだとか言う名前のレジャー施設が完成したばかりだし」
回収ボックスの中を覗きながらアラシロが言うと、みたいですね、と同僚がため息を乗せて吐き出した。
「パビリオンでしょ、それ。まったく楽しみにきてる客の横で、何でこう俺らはあくせく働かないといけないんですかねェー」
「えらく機嫌悪いみたいだが、どうしたんだ?」
苦笑を混じえて問うと、同僚はあからさまなため息と共に近くの柱にもたれ掛かる。隊長であるアラシロが偉ぶらない性分のせいか、それとも付き合いが長いせいか。隊員たちの態度はどこか気安い。無論、それをアラシロは心地よく感じているので咎めることはないのだが。
「どうしたもこうしたもないっすよ。この前の火事でやってきた刑事、朝一番に来るとか言って結局昼過ぎの便に乗ってきたんですよ」
献体保管室の火災のことか。と、アラシロは心の中で呟いた。例の疫病について詳細なデータを保管していたにもかかわらず、原因不明の出火によってすべて失われてしまった。
「ったく。こちとら午後から潜るつもりだったってのに……。おかげで全部パーですよ」
やる気ないんですかね? と失笑する同僚の言は、決して不当ではない。国――この場合、本土側はと言うべきか――はパーク内の出来事には関与したがらないのだ。世界各国と密接に関わるジャパリパークにおいて、事件なんて存在しないほうが都合が良いのだから。
「隊長ー? 聞いてます?」
自分を呼ぶ声に我に帰ると、覗き込んでくる同僚と目が合った。
「あっ、ああ。申し訳ない。ちょっと考え事をな。――って、いま潜るって言ったか? また?」
ついこの間も潜ってただろう、とアラシロが言うと、同僚はあっけらかんと頷いた。
「だって小笠原諸島は絶好のダイビングスポットなんすよ? 一日でも多く潜らないと損じゃないですか」
「……そんなに水に浸かってると風邪引くぞ」
「ウェットスーツって結構温かいんすよ。それに黒色のだから日光もよく吸収しますし」
それに、と同僚がいたずらっぽく歯を見せる。
「最近仲良くなったマイルカのフレンズがですね。ウニやアワビがたくさんいる穴場を教えてくれたんですよ。その場で焼いて食うと、そりゃあもう旨いのなんのって」
「知ってると思うが、勝手に捕るのは違法行為なんだぞ」
「じゃあ知らなかったってことにしときます。ま、マイルカちゃんとも口裏合わせてあるので大丈夫ですよ」
へらへらと笑う同僚を、アラシロは呆れた思いで見守る。そしてふと、この能天気な同僚に釘を刺すことを思い付いた。
「そういえば。病院に応援に行った時に借りた入門許可証、返したか?」
同僚の顔が一瞬にして凍りつく。
「あっ、やべ。……忘れてました」
「今朝警備室のほうにあっちの派遣隊からメールが来てたぞ。至急返してくれってことだ。緊急事態だったとはいえ、備品持ち出しは窃盗行為なんだ。特に病院のような専門性の高い施設において、セキュリティを突破してしまえる入門許可証の持ち出しは厳禁だ。
内々に済ませられるうちに返してこい。これは命令だ。いいな?」
「りょ、……了解です」
珍しく隊長然としてアラシロが言うと、同僚は青冷めながらしゅんと項垂れる。
アラシロとしても始末書や顛末書を書かせる事態にはしたくない。向こうの隊長にはすでに謝罪は入れてあるので、あとは早く同僚が返却に走ってくれれば問題ない。
「このあと私と交代で休憩時間だろう? ついでに返してきたらどうだ」
「お言葉に甘えて、そうさせていただこうかしら――」
と同僚が言ったそのときだった。
悲鳴のような軋みが資材用ターミナルに響き渡った。急ブレーキのタイヤの音だ。間を置かずして、けたたましく鳴らされたのはクラクションだ。大型車両特有の濁った大音量に、アラシロはそれがたった今ターミナルに侵入してきたトレーラーであると目算をつけた。急停止の反動で、ぐわんぐわんと車体が揺れている。
「いったい何が……」
言いかけて、アラシロは車体の前を黒い影が横切ったのに気づいた。よろよろと慌てて飛び退いたらしい影は、仰天する近くのスタッフにぶつかりながら離れていく。それは影と形容するのも生易しいほどに黒々とした暗黒色をしており、明るいターミナルにおいては不気味なほど目立っていた。
「セルリアンか!!」
同僚が腰に下げた特殊警戒棒を振り伸ばして駆け出した。同時にターミナル中の警備員が手に手に警戒棒を持って影に殺到していく。怒声と共に距離を詰めてくる警備員に気圧されたのか、影はその場にうずくまった。頭を抱えて震えるそれに、アラシロはようやくそれが″何″なのか思い至った。
「待て!!」
遅れて飛び出したアラシロが黒い影の前に躍り出る。驚いて目をみはった仲間たちを押し止める。
「とまれ! やめろ! これはフレンズだ。セルリアンじゃない!」
え、と驚愕の声が人数分。次いで、ガタガタ震えていた影が恐る恐るといった具合に頭を上げた。
「……ア、アラシロ?」
うおぉ……。喋った……。どよめきながら目を白黒させる警備員たち。その渦中で、いままでセルリアンと思われていた影――カタカケフウチョウの涙混じりの目がアラシロを捉えた。
「アラシロか! アラシロ隊長なんだな! ヨかった! ずっとサガしてたんだ」
カタカケフウチョウがわっと顔を輝かせて立ち上がる。抱きつこうと差し伸ばされた両手を、しかしアラシロは弾き落とした。指先を鼻に押し付けて、怯えるフレンズを睨み付ける。
「探してたじゃない! 看板が見えなかったのか!? ここは立ち入り禁止なんだぞ! 勝手に入ってきて――」
「アラシロぉ……」
危ないだろ! 言いさしたアラシロの手を、カタカケフウチョウがよろよろと掴む。汗で滑るのか力が入らないのか、何度も何度も掴み直す。その手が瘧のように震えてることに、アラシロは今さら気がついた。
「タノむ。助けてくれ……。カササギが……カササギがおかしいんだ……」
アラシロは目を見開いた。――カササギ、あの罹患している。
アラシロは急速に体から血の気が引いていくのを感じた。
屈みこみ、もう一方の手で震えるカササギの肩を支える。ゆっくり落ち着いて質問する。そう、努めて意識していなければならないほど、アラシロの心臓は痛いほど脈打っていた。
「何があったんだ。話してくれ」
落ち着き払ったアラシロの声に励まされたのか、カタカケフウチョウはしゃくり上げながら状況を話してくれた。
窓が、カササギが、返事しない、震えて、血がたくさん、息、揺すっても、口から、顔色が――
子供らしい早口の、たどたどしい説明。何とか伝えようと焦るあまり、バラバラになってしまった言葉の濁流に、しかしそれがただ事ではないことが分かった。
「ああぁ……」
喋ってるうちに思い出してしまったのだろう。カタカケフウチョウが青い顔で呻く。手を離し、ふらりとその場に座り込む。離れた手を掴み直そうとし、アラシロはギョッとして自らの手のひらを見た。
カタカケフウチョウの手に触れていた部分が、真っ赤に濡れていたのだ。
(……血)
それも量が尋常じゃない。見ると、黒い毛皮の至るところがぬめった光沢を放っている。フウチョウの翼は光を反射しない。ならばこれはすべて――
「隊長、どうしたんです……?」
おずおずと同僚が尋ねてくるのに、アラシロはしかめた顔を横にふる。
「……どうも大変なことになってるフレンズがいるらしい」
すぐに誰かを向かわせないと、と言いかけたところで、ガバとカタカケフウチョウが顔を上げた。首を振り、アラシロの手を強く掴む。
「ダメだ! 頼むアラシロ、一緒にキテくれ。カササギを助けられるのはオマエだけだ」
そう言うなり、カタカケフウチョウは背後からアラシロを掴んだ。体格差もあり、胴に回された腕はギリギリ届く程度。それでもフレンズはフレンズ。カタカケフウチョウが翼を羽ばたかせた途端、ふわりと足が地面を離れる。
「わっ、あ!」
「イクゾ!」
カタカケフウチョウの目が光る。翼がさらに力強く空気を叩くや、ぐんっと体が上に引き上げられた。
天井の梁にぶつかるくらいに飛び上がり、直後、落下の勢いをそのままに貨物船へと突進を始めた。
アラシロが息を飲んだそのとき、ガクンと軌道が上方へと修正される。貨物船の上を飛び越え、大空へと舞い上がっていく。
サンドスターの燐光を残して飛び去ったアラシロとカタカケフウチョウを、同僚は残された仲間やスタッフとともに呆然と見送った。
「ええと、これは……これからどうしたら……」
「なあに。どうするもこうするも、単純な話よ」
呆然とする同僚の肩を別の警備員がポンと叩く。
「お前さんの休憩が遅れるってことだ」
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