第5話――光る石
「散らかってますが」そう言って居間に案内されたアラシロとイマドキは、目の前の光景に思わず顔を見合わせる。
畳張りの一般的な室内には、食べ終わった空き容器や洗濯物などで、足の踏み場もないほどに散らかっていた。敷きっぱなしの布団の上にうず高く重ねられた洗濯物の山の隙間に見える明るい色をしたエプロンは、例の仕事先の制服だろうか。乾いて取り込んだは良いものの、そこで力尽きて畳まずに投げ出してしまったといった具合だった。
雑然とした部屋の様子に目を白黒させていると、先に部屋に入ったカササギが申し訳なさそうに苦笑する。顔色が優れないように見えるのは、昼間にも関わらず雨戸をぴったり閉じていて薄暗いせいか。
「ごめんなさい。最近、どうも体がだるくて。片付けるのも億劫になってしまいまして……」
「そうなの。こちらこそ、いきなり訪ねてごめんなさいね。本当に体調が悪そうね」
イマドキが切り出すと、カササギはこっくりとうなずく。揺り動かされる頭に合わせてフラフラとよろめくのに、アラシロはとっさに体を支える。とりあえず布団の上へ座らせたとき、ふと視界の端に異様なものを見た。
(毛……?)
白い枕を中心に、カササギのものだと思われる黒い毛が布団の上に落ちていた。異様に感じるのは、それがあまりに大量に思われたからだ。生え変わりの時期にしては遅すぎる。これはいったい……。
「あの、何か……?」
「……いや、なんでもない」
カササギに問われ、アラシロは言葉を濁す。そういえば、カササギの頭髪はどこか薄いように思えた。白と黒のツートーンの髪の間から、青白い肌の色が透けて見える。
「ずっとここで寝起きしているのかい?」
「ずっとというほどでも……。寝室は二階にあるんですが、体調を崩してからここに布団を移したんです」
「そうか。たしかに起き上がるのもつらそうだ」
「最近はちょっと良くなってきたんですけどね。でもまだフラフラするので……」
「そうか」
アラシロはそこで会話を区切る。一階に寝床を移したのはおそらく一週間前。その間ずっと寝込んでいたとしても、この毛の量はやはり多すぎるのではないか。
アラシロはちらとイマドキに目配せをする。イマドキは心得たというようにうなずくと、カササギの前に腰を下ろした。
「そんなに体調が悪いんだ。食欲は?」
「ありません。食べても胃が受け付けなくて……」
「そう。無理にとは言わないけど、食べた方がいいわ。食欲がないのは体調を崩してからかしら」
「そうだと思います」
「もしかしたら夏風邪かもしれないわね。夏風邪は怖いのも多いから……。手を出してもらえる?」
カササギの手を取り、腕時計を見つめること数秒。もう一方の手がカササギの額に触れる。
「……ちょっと早いわね。熱は――ちょっとあるかな。熱っぽい感じはする?」
「どうなんでしょう。するような、しないような……。すいません。頭がぼうっとしてて、よくわかりません」
言って、ふいにカササギがイマドキの手を振り払うように自身の手を引っ込める。
「あの……。本当に私のこと、病院に連れて行ったりしないんですよね」
カササギは病院に行くことを嫌がっている。アラシロたちとの接触を許してくれたのも、病院に連れていかないことを条件にしたからだ。
イマドキは微笑むと、安心させるようにカササギの手を軽く叩いた。
「大丈夫。病院に連れて行ったりしないわ。ただ、あなたのことが心配なだけよ」
イマドキの言葉に、カササギは何も言わない。
人間と違い、フレンズ自身に医者に掛かるか否かの決定権はない。その気になれば泣いて治療を拒否するフレンズを無理矢理病院に連れていくことができる。逆に苦しむフレンズに治療を受けさせないことも――無論、倫理的にあり得ないことだが――できる。そんなことをする人間はいないが、権利の有無だけを見れば可能である。ある程度長く生きるフレンズなら知ってる知識だ。
「軽く診察して、あなたの具合を調べるだけだから。病院に行く行かないはそれから決めても遅くないんじゃないかしら」
「そう、ですね……」
「答えにくいことがあるなら、無理に答えなくてもいいから」
これに対し、カササギはようやくうなずいた。イマドキは手帳を取り出すと、道中あらかじめまとめておいた項目に目を走らせていく。
「体がだるい以外に、何か気になることはある?」
「特には……。そういえば、最近ちょっとお腹を下してるかもしれないです」
「それはいつぐらいから?」
「十日くらい前からだと思います」
「なるほど。ちょっとまぶたを触るわね」
上まぶたを押し上げ、粘膜を露出させる。そこは血色を欠いて妙に青白かった。素人のアラシロから見ても、健康な色味ではないことは明らかだ。
「貧血の症状が出てるみたい。顔色も優れないみたいだし。もしかして生理中かしら?」
カササギは曖昧にうつむいた。肯定か、それとも答えたくないのか、微妙なところだった。
「それじゃあ尿のほうは大丈夫? おしっこの色やにおいがいつもと違ってたりすることはない?」
これに対しては、はっきり首を横に振る。その後も軽い問診を続け、得られた内容を手早く手帳に書き留めていく。一通り問診が終わったのを見計らい、アラシロはカササギに質問を投げ掛けた。
「――体調を崩す前に、誰かと会ったりはしなかったかな」
「それは……、どういう意味です?」
怪訝そうにするカササギに、なんでもないという風に手を振ってみせる。
「対したことじゃない。実は私は警備員をしてるんだけど、仕事でちょっと調べててね」
言って、カササギに社員手帳を差し出した。手帳と顔を見比べて、とりあえず納得してくれたのか、小さく頷いた。
「……誰とも会っていません。寝込む前の数日は普通に仕事をして、普通に家に帰ってました」
「ちなみに仕事は何を?」
「ケーキ屋さんです。店先でレジを打ったり、商品の配達をしたりしてます」
「配達もしてるのか。へええ、鳥のフレンズだと、みんなから重宝されてたりするんじゃないかい?」
「そうですね」
おどけて尋ねるのに、カササギはくすりと笑う。
「基本的に配達は飛べる子の担当ですから。特に私みたいに体力のある子は遠くの配達を任されることがおおいですね」
つまり不特定多数と出会っていたということか。カササギに合わせて笑いながら、アラシロは心の中で呟いた。感染源の特定は不可能だろう。
その後も、アラシロとイマドキは世間話を交えて聞き取りを行った。が、聞ける範囲は怪しまれない程度。それ以上の詳しい情報は得られなかった。
――――
「カササギの件だが、どう思う」
自分のアパートに帰ったアラシロは、冷蔵庫から取り出したビールを手にしたまま携帯電話越しに話しかける。かろうじて風呂とトイレが付いてるようなワンルーム。独り者のアラシロの部屋は、カササギのことを笑えない程度には散らかっていた。
「うーん」と何とも言い難い声はイマドキのものだ。
「何とも言えないわ。症状だけを見る限り、例の病気と合致する部分は多いわ。だけど違う点も多い」
「違う点?」
「症状の進行が穏やかすぎるの。これまでの患者は長くても一週間程度で立ち座りもままならないほど衰弱していたわ。でも、あの子の場合はまだその状態には達していない。少なくとも自分の足で立って歩くことができる。それに、搬送前のフレンズには体のどこかに紅斑――かぶれたみたいに皮膚の一部が赤くなることね――が見られるんだけど、それも見当たらなかった」
電話越しに手帳を繰る音が聞こえた。
「いい? 例の病気に罹患した際に最も顕著に現れる症状は嘔吐と下痢、あとは貧血よ。食べたものはすぐに戻してしまうか、体の中を素通りしてしまう。口からの栄養を受け付けることができなくなってしまうの。カササギはそれらの症状こそあれど、かなり軽度よ」
「あの抜け毛はどうなんだ。イマドキも見ただろう」
「たしかに、発症者の中には脱毛症状のある子もいたわ。でも、体調を悪くしたフレンズに脱毛の症状が出るのはよくあることだから」
「そうなのか?」
「フレンズの体は基礎となった動物とサンドスターによって構成されているわ。栄養失調等で著しく衰弱した場合、体を維持するだけのサンドスターがなくなり頭髪が抜けることがあるの。だから例の病気が直接の原因となって脱毛が起きたのか、例の病気による食欲不振から間接的に脱毛が起きたのか、現状分からないわ。――分かる前に、患者がいなくなってしまったから……」
「……カササギは例の伝染病ではないということか?」
「その判断がつかないの。なんせ簡単な問診と触診しかできなかったから。あれで判断できるほどの症例は手元にないわ。病院で検査を施せれば、些細な数値からでも例の伝染病か否かの判断はつけられるんだろうけども……」
「無理な話だろうな。そんなことをすれば間違いなくガドウに目を付けられる。何よりカササギ本人がうんと言わないだろう」
電話の向こうでイマドキがため息を落とすのを聞きながら、アラシロはビールをあおる。ずっと手に持っていたせいか、すっかりぬるくなっていた。
「……はあ。早速暗礁に乗り上げたな」
「そうね。でも、もしこれが例の病気なら、逆にいい症例になるかもしれないわ」
イマドキは言った。
「例の伝染病は感染こそすれど、重症化させてしまう力はあまりないのかもしれないわ。ほとんどの場合はカササギのように軽い症状のまま人知れず完治してるのかもしれない」
「そんな気楽なもんでいいのか?」
「別に楽観視してるわけじゃないけど。でも、可能性だけで言えばゼロではないわ。――幸い私は明日昼から休みだから。ちょっとカササギの様子を見に行ってくるわ」
「いいねえ福利がしっかりしてて。こっちは一日仕事だ。さすが、ジャパリグループの一員様は扱いが違う」
「ちょっと、アンタの会社もジャパリグループ傘下じゃない」
「傘下と言っても、末端の子会社だからな。親会社と子会社。医者と警備員。扱いは雲泥の差だよ」
「はいはい、いじけないいじけない。ま、アラシロ隊長は私の分もしっかり稼いでよ」
「りょーかい」
笑いながら電話を切り、ため息をこぼす。口ではああ言っているが、明日もカササギの様子を見に行く辺り、イマドキも心から楽観視はしていないだろう。幸い、カササギの容態はそこまで悪くないように見える。たった一日でどうにかなることはないだろう。
やれやれと残ったビールを飲み干したとき、隣室から扉の開け閉てする音が聞こえてきた。「ただいま」と元気な声に呼応して「おかえり」という出迎えの声が壁越しに聞こえてくる。隣人はどちらもフレンズだった。アラシロとはたまに挨拶を交わす程度の知り合いだが、二人の仲は良いようだった。
アラシロは時計を見上げる。もうこんな時間か。
明日の用意そしながら服を脱ぎかけたその時、ポケットからごろりと何かが転がり落ちた。昼間、ハシブトガラスが落としていった石だった。
どうしてこんな石を大事そうに持ち歩いていたのだろうか。動物時代の名残か何かだろうか。深く考えずに、アラシロは棚の抽斗の中にしまった。安い棚だから当然抽斗には窓がついていない。閉めてしまえば中は見えなくなってしまうが、この散らかった部屋に放置しておくよりはずっといいだろう。
手早く着替えを済ませて、アラシロは部屋の電気を消してベッドに横になる。
すぐに眠ってしまったアラシロは、抽斗の隙間から漏れ出る青い光に気づかなかった。
――――
かららと二階の窓が開かれる音を聞き、カササギは目を開ける。電気の点いてない居間は昼間のまま、何も変わっていなかった。
ぼんやりと天井を見つめていると、二階から一人、そろりと足音を忍ばせるようにして降りてくる。そうして居間の前までやってきた。青みがかった闇の中、居間を覗き込んでくる人影は黒々として判別つかなかったが、カササギは微笑んだ。
「ハシブトガラスちゃん……」
カササギの声に、影は小さくうなずいた。
「よかった……。また来てくれたんだ」
身を起こそうと頭を上げかけたカササギは、目の奥に鈍い痛みを感じて顔をしかめた。酷いめまいがする。昼間の二人が訪ねて来てからずっと、なんだか調子が悪かった。
「カササギちゃん」
ハシブトガラスが布団のそばに駆け寄った。痛みにうめくカササギの頬に、そっと手を触れた。
「大丈夫? どこか痛むの?」
「ううん、もう平気。……ごめんなさい。なんだかまた調子が悪くなっちゃって。昼間におかしな人が訪ねてきたからかな」
「おかしな人……」
頬に触れたハシブトガラスの指に、ふいに揺れた。がたがたと震える指先に、カササギは安心させるように自身の手を重ねた。
「安心して。私が寝込んでるって聞いて、様子を見に来ただけだったから。あなたのことはバレてないわ」
だから心配しないで、と震える手を何度も何度も撫でてあげる。――大丈夫。ハシブトガラスのことは、もう誰にも傷つけさせたりしないんだから……。
「ありがとう……。私のせいだよね。私のせいで病院に行けないから、こんな……」
「何言ってるのさ。病院に行かないのは私の勝手だよ? 私がいなくなったら、あなたの帰る場所がなくなっちゃうもの。大丈夫大丈夫、こんなの寝てたらすぐに良くなるって……。――そうだ」
ふと、カササギはハシブトガラスのもう一方の手を見た。古い重たそうなアタッシェケースが一つ。大事そうに握られていた。
「またあれ、出してもらってもいいかな」
ハシブトガラスはうなずくと、カササギの目の前でアタッシェケースの留め金を外した。わずかに開いた隙間から、一瞬の間を置いて青い光があふれ出す。すべて開くころには、一条だった光芒は部屋全体を照らし出すほどの強い光になった。
「すごい……きれい……」
何度見ても、美しかった。まるで青空をそのまま閉じ込めていたみたいに。
そうして目が慣れてくると、ケースの中に収まった大小様々な石が見えてきた。不思議なことに、どの石も自ら青く光り輝いていた。
カササギはよろよろと石に手を伸ばす。一番手前にあった石に指が触れた途端、石は一段と強く光を放ち始めた。同時に指先から熱い感覚が流れ込み、身体中を駆け巡る。
「ハシブトガラスちゃんの宝物、本当にすごいや。触ってると体がポカポカして、元気が湧いてくるみたい」
「ごめんなさい……。私、こんなことしかできなくて」
「何言ってるのさ。ハシブトガラスちゃんが見つけてくれたんだよ。みんなを元気にしてくれる、魔法みたいな石。こんなすごい宝物を見つけられるなんて、本当にすごいことなんだから」
カササギが微笑んで言うと、ハシブトガラスもまた微笑んだ。そして、一番大きな石を手に取ると、カササギの手に握らせた。
「――あげる」
「だ、だめだよ……。これはハシブトガラスちゃんの宝物なんだから……。みんなに渡す分がなくなっちゃう――」
とっさに返そうとした手を、ハシブトガラスはやさしく制する。
「いいの。あなたに貰ってほしいの」
「でも……」
「こんな私のために、カササギちゃんはすごく優しくしてくれた。すごく嬉しかった。だから今度は私に恩返しをさせて」
カササギは両手で石を抱いた。鼓動に合わせるように、光は静かに瞬いている。
「ありがとう。私、頑張って元気になるから――」
――あなたのために。絶対に。
嬉し泣きの涙を拭うように、カササギは石に頬を押し付ける。乾いた石の表面が頬に掻き傷とつくったが、そんなものはどうでも良かった。
光が強くなる。眩い光の中で、カササギは喜びに満ちた深い眠りに落ちていった。
――そしてはらりと、毛が落ちる。
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