第4話――接触

 ジャパリパーク中央部はいわば極小の都市である。それは背の高いビル群の連立する都市区を突端として、裾野のようになだらかな曲線を描いて広がり、やがては外縁部である居住区へ到達する。閑静な郊外に立ち並ぶ家やマンションは、人間のためだけのものではない。


 アラシロとイマドキは改めて目の前の家を見た。バス停から歩くこと数分、目的の住所は集合住宅の一角だった。立ち並ぶ端正な外観の、そのうちの一つの前に二人は立っていた。日中なこともあり、周囲に人の気配はほとんどない。


「カササギ?」


 表札を見つめて呟くアラシロに、イマドキは頷く。表札に自らのIDパスをかざす。キィン、と静かな駆動音と共に表札の上面部のレンズから光線が迸り、空中に読み出しが立体映像となって出現する。感心するアラシロをよそに、イマドキは手慣れた様子で読み出しを指先で繰り、目的のページを表示する。


「飼育員から報告のあったフレンズよ。種族はカササギ。フレンズ化してからはかなり長く、元々の知能もあって第一等級に設定されてるわ。数年前に独り暮らしの許可を得て、以来ここを住居として構えている」


 第一等級。月一程度の訪問、勤労の自由および金銭利用の制限解除。ジャパリパークから出られないこと以外、ほぼ人間と同等に扱われていることを意味する。


「最初の異変は数日前に発生した、体調不良により職場を早退したことから始まるわ。翌日には元気に出勤したみたいだけど、二日後再び体調を崩して病欠。その後は体調が回復せず、さらに二日仕事を休んだことにより、心配した職場の上司が担当飼育員へ相談。翌日に家を訪れた飼育員が病院へ行くことを勧めるが、彼女がそれを拒んだ。強制するわけにもいかず、仕方なく飼育員は経過観察することにし、その旨を私たち医療課へ報告した」

「そして、今日が八日目か」


 読み出しに表示された報告書を覗きこみ、映像の端をつまんで自分の前まで引き寄せる。操作者が増えたことに混乱したのか一瞬映像が乱れたが、すぐに鮮明な映像を投影し直してくれた。


「しかし体調不良としか書いてないのがな……。具体的に書いてくれてれば良かったんだが」

「仕方ないわ。伝染病のことはまた限られたスタッフしか知らないから。電話に応じたうちのスタッフも聞くに聞けなかったんだと思う。変に怪しまれて伝染病のことが知られれば、それこそパニックになるから」


 アラシロはイマドキに視線を差し向ける。

 数日という猶予もなく死に至る病気があると言えば、恐怖を覚えない者はいない。悪いことに、この病気の初期症状は些細だ。不安に駆られたスタッフとそのフレンズたちが大挙して病院に駆け込めば、最前線である病院は一瞬にしてその機能を麻痺させる。対処療法しか分からない現状において、それこそ病院は感染者を広げる汚染源と化すだろう。


 一方で、こうして秘密にしてる間にも人知れず感染し危機に瀕しているフレンズはいるに違いない。本人も周囲の者も風邪か何かだろうと甘い認識のまま、それが正されることなく悪化していく。病院にさえ掛かれば容態は安定するとイマドキは言っていた。――これはつまり、病院に運ばれなければ悪化し続けるということだ。飼育員に管理されてるフレンズはごくわずか。誰にも知られることなく不可逆的な領域にまで到達してしまったフレンズは決して少なくないに違いない。


「アラシロ? 大丈夫?」


 イマドキの声にアラシロは我に帰った。何でもない、という意味で苦笑して見せると、アラシロは報告書を宙に投げた。投影可能領域を離れた映像が警告を発しながら消え、イマドキの前で再構築される。

 とにかく、今は自分たちにできることに集中せねば。


「ちょっと考え事してた。しかしさっきのイマドキの話からすると、もし例のアレだとして、相当悪化してるんじゃないか」


 イマドキが喉の奥で呻く。


「……症状が不明確な上に、フレンズによって進行速度に差があるから何とも言えないけど、データによると、少なくともカササギはこの五日間外に出てないみたい。この日数で症状に改善が見られないのなら、まず罹患は確実と見ていいわ」

「どっちにしろ確かめる必要があるな」


 アラシロはインターホンの呼び鈴を鳴らした。が、しばらく待っても家主が応じる気配がない。仕方なく玄関を直接ノックするため、二人が地所に足を踏み入れたときだった。


「ナニをしている?」


 突然背後から声を掛けられ、アラシロとイマドキは仰天して振り返る。そこに誰もおらず、困惑しているとさらに別の声が頭上から。


「白昼堂々盗みとは、アキれたヤツらだな」


 頭上を見上げたアラシロは、一瞬それが何なのか分からなかった。黒い輪郭が二つ。視界を丸く切り取って宙に浮遊しているのだ。不気味な姿にアラシロはさっと血の気が引くのがわかった。


「せ、セルリ……!」

「あら、あなたたちは」


 低く身構えたアラシロとは対照的に、あっと短く声を漏らして手を上げるイマドキ。親しげに話しかけられた黒い輪郭はゆっくりと目の前の地面に着地する。バサリと布が空気を叩く音がし、ようやくそれがマントだということが分かった。黒いマントを翻し、現れたのは黒い装束に身を包んだ少女だった。胸元の光沢のある模様が、文字通り漆黒の中に浮かんでいるのが妙に異様だった。


「おマエはたしかイマドキだったな」

「イマドキがどうしてここにイる?」


 片言とまではいかないものの、どこか不思議なしゃべり方をする。そう思っていると、ふと青い模様のほうがアラシロをちらりと見上げた。


「隣にイるのはダレだ?」

「イマドキのシり合いか? 泥棒ナカマか?」


 黄色い模様の方がほたほたとアラシロに近づき見、首を傾げる。イマドキが笑ってひらひらと手を振った。


「泥棒なんかじゃないってば。彼女は私の友達のアラシロよ。紹介するわ。二人はフウチョウっていうの。青いのがカタカケフウチョウ。黄色いのがカンザシフウチョウ」

「フウチョウ? フレンズなのか?」


 これが、と言いそうになったのをかろうじて飲み込んだ。背景から切り取られたように真っ黒な格好は不気味だったが、言われてみれば確かに二人は少女だ。背丈はアラシロの胸元ほど。印象だけならどちらかというと子供に近いだろうか。

 まじまじと二人を見下ろしていると、カンザシフウチョウが背後の相棒を振り返る。


「アラシロはなぜこんなにじろじろミつめているのだろうか?」

「私たちのスガタが珍しいのだろう」

「やはりこのイロが珍しいのか」

「闇をも飲み込むホンモノのクロだからな」

「シッコクだからか」

「シッコクだからな」

「さしずめ目をハナせないほどのクロということか」

「さしずめ目をハナせないほどのクロことだな」


 軽快な掛け合いを繰り広げ、二人して楽しげに顔を見合わせて笑い合うフウチョウたち。呆気にとられるアラシロに、イマドキは苦笑する。


「気にしないで、この子たちはいつもこんな感じだから」


 そう言って、イマドキはアラシロの腕を手に取った。第二等級、と指先で書いて示す。第二等級。試験解放区外での活動には飼育員等の監督責任者の同行が必要。ここジャパリパーク中央区は全体が試験解放区内にあるから気にすることはないのだろうが、なるほどたしかに、この様子では監督なしに誰彼構わず接触させるわけにはいかないだろう。


「ところで、二人はどうしてここにいるの? 飼育員さんは?」


 イマドキが膝を折って二人と視線を合わせる。その子供に対してするような仕草が気に入らなかったのだろう。フウチョウたちは地面から飛び上がってイマドキを見下ろす。


「アイツはここにはいないぞ」

「ここにいるのはワタシたちだけだ」


 「そう」と笑いながら二人を見上げるイマドキを見ながら、アラシロは内心苦笑する。偉そうな言動といい、飼育員をアイツと呼んだり。子供が頑張って背伸びしているような態度は傍目には微笑ましいが、常に一緒だと思うと辟易する。担当する飼育員の気苦労は相当だろう。


「アイツはワタシたちがここにいるのは知らないぞ」


 とカンザシフウチョウ。


「ゴクヒの任務だからな。アイツに知られたら面倒だ」


 とカタカケフウチョウ。


「極秘の任務?」


 イマドキが尋ねるのに、二人は声を揃えて頷いた。


「ここにアヤしいやつがこないよう見張る任務だ」

「あるジンブツからの依頼だ。それがダレかは言えないぞ」


 アラシロとイマドキは顔を見合わせる。このフウチョウたちは誰かから頼まれてここにいるということか。一見しただけなら他愛ない子供の遊びだが、状況を考えるとまずい。特に、その張り込み対象が伝染病の罹患の疑いのあるフレンズの家というのはいただけない。


「なあ、二人とも。ちょっといいかい」


 アラシロが声をかける。


「極秘の任務が誰に頼まれたのかは知らないけど、そのことはこの家の持ち主は知ってるのかい?」


 カササギの家を指して尋ねると、フウチョウたちは首を振った。


「任務にはカササギに知られないことも含まれてる」

「誰にもバレないようという依頼だからな」


 二人はカササギに接触していない、か。アラシロは心の中のチェックリストに印をつけた。


「そうか。わかった。――よし、それじゃあ任務について私からアドバイスだ」


 言いながら、アラシロはそっと二人に手招きをする。あえて硬い表情を作ってやると、フウチョウたちは互いに息を飲んで近づいてくれた。興味津々といった様子で顔をぶつけんばかりに寄せる二人をアラシロは眺める。仕事柄、子供扱いを嫌がる子供に対する扱いには慣れている。


「……まず、怪しいやつが来たからといって、そうやって姿を現すのはまずいな。相手が警戒するかもしれない。まずは自分の身の安全を優先しろ、いいな?」


 テレビの海外ドラマで繰り広げられるような強めの語調。現実味のない台詞は、しかしフウチョウたちの心を鷲掴みにした。うんうんと真剣な顔をしてアラシロの話に聞き入っている。


「もっと遠くから、気配を消して張り込むんだ。そして、もし誰か来たのならまずはその場で情報収集だ。それが誰で、何をしに来たのか。五感を働かせるんだ。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚。見て、聞いて、嗅いで、触れて、鼻から吸った息を吐き出したときに感じる空気の味を確かめろ」

「ど、どうしてそんなコト教えてくれるんだ?」


 カタカケフウチョウが興奮ぎみに尋ねる。カンザシフウチョウが大きく頷いた。


「そうだ。わざわざ教えたりなんかして、オマエに何かメリットはあるのか?」


 「しっ――」と人差し指を立てて制する。イマドキの視線を窺うようにしながら――もちろんイマドキからは丸見えだが――、アラシロは羽織ったジャケットの内ポケットに手を入れる。


「メリットなんてないさ。ただ――」


 自嘲するように笑いながら、内ポケットから取り出したものを二人に見せる。フウチョウたちが息を飲むのがわかった。興奮で鼻息を荒くしながら、アラシロとその手の中のものを見比べている。


「――同業者として、アドバイスしたくなっただけさ」


 セントラルテック株式会社のエンブレムの入った社員手帳と、その中に挟んだ制服用のワッペン。ただの警備員の証でしかないそれは、今の二人にとってはキラキラと輝いて見えているに違いない。




――――




「イマドキ″先生″からは何かないかい?」

「はへ? わ、わ、私?」


 目の前で繰り広げられる茶番を冷めた目で見ていたイマドキが、おもむろに振り返ったアラシロに尋ねられて頓狂な声を漏らす。


「そうだ。極秘の任務をこなす上で、ぜひ医者の意見を聞きたい」

「意見って……。そ、そうね……」


 ジャック・バウアー気取りのアラシロと、アラシロの背後からキラキラとした目でこちらを見てくるフウチョウたちの視線が突き刺さる。


「……とりあえず、うがいと手洗いはしっかりするように」


 イマドキは咳払いをする。


「健康管理も大事な任務だから、ね」





――――




「付き合ってくれてありがとう」


 遠くの木陰から手を振るフウチョウたちに、アラシロは右手を掲げてキレのある敬礼を返す。それを見てたどたどしく敬礼をするフウチョウたちを微笑ましく見ながら、隣のイマドキに笑いかける。


「騙したみたいで申し訳ないけど、二人を遠ざけるのにこれ以外に思い付かなかったんだ」

「まあ、正直に言うわけにもいかないしね。アハハ……」


 イマドキが乾いた声で笑う。


「下手に遠くへ行ってなんて言っても、素直に言うことを聞くような子じゃないから。まあ、しばらくは健康診断も素直に受けてくれそうだし、いいんじゃないかしら」

「にしてもあの二人、なかなか個性的だったな」

「何かにつけて煙に巻こうとするからね。飼育員もかなり手を焼いてるって話だし」


 言って、イマドキはポンとアラシロの肩を叩く。


「だからアラシロ、あんたも頑張りなさいよ」

「ん、それはどういう……」


 意図をつかみかねて首を捻ると、イマドキが苦笑混じりにフウチョウたちの潜む木に目配せする。


「あの様子だと、あんたのこと相当気に入ったみたいだからね。しばらくちょっかい出してくるわよ、あの二人」

「……覚悟しとく」


 アラシロとイマドキは改めてカササギの家を見上げた。邪魔は入ったものの、二人の目的はカササギの病状を確かめることだ。カササギの伏した原因であるそれが例の謎の伝染病であるか否か、見極めるのだ。

 イマドキがドアをノックする。インターホンのときと同じくやはり反応がなかった。


「カササギさーん?」


 イマドキが声を張りながら再びドアを叩く。


「寝てるのかしら」

「寝てても起きるだろ、普通」

「変ね。家にいるはずなのに」

「……まさか、出られる状態にないなんてことはないだろうか」


 冗談めかして言ったつもりの言葉は、我ながら白々しいものだった。イマドキが自身のIDカードに手を伸ばす。


「……ドアのロックを強制解除するわ」


 ドア横のタッチパネルにかざしかけたその時だった。おもむろに内側から鍵が開けられ、ドアが開いた。飛び退いた二人が見守る前で、ドアの向こうの人影が、ゆっくりと隙間から顔を覗かせた。


「誰、ですか……?」


 気だるげな声で尋ねてきたのは、黒い髪の少女だった。やつれて血の気の薄い額を掻き分けて伸びるロングヘア。その下から覗く怪訝そうな相貌は、見るからに元気がない。


「ごめんなさい。あなたが、カササギさん?」


 カササギと呼ばれた少女がコトリと首を頷かせる。はらり、と前髪が顔にかかる。が、それを気にしてる様子はない。気にする余裕がないのだと、アラシロは直感的に思った。


「そうですけど……。あなたたちは……?」

「私はイマドキ。隣にいるのはアラシロよ。病院から来たんだけど、何でも体調が優れないとか――」

「病院!? あなたたち、私を病院に連れていくんですか!?」


 イマドキの言葉をカササギが遮る。病院という単語がカササギの何かに触れたようだった。敵意を剥き出しにイマドキを睨む。


「結構です。私は行きたくありませんから。帰ってください」


 一方的にまくし立ててドアを閉めに掛かるカササギ。閉じかけたドアに体を差し込んで防いだのはアラシロだった。


「待って待って、ちょっと話をするだけだから」

「嘘よ! そう言って私をここから連れ出す気なんでしょ! 私はここにいないといけないの。だから病院には行けないの! だから帰ってください!」


 押し出そうとするカササギと抵抗するアラシロとで玄関先が騒然とする。帰れと叫ぶ声と、それをなだめる声とが交錯する。


「お願いです。帰ってください。私は家を離れるわけにはいかないんです!」

「わかった。わかった! うん、それじゃあこうしよう。私たちは病院に君を連れていかない。約束する、な?」


 カササギの抵抗が緩んだ。その隙にドアを全開に開く。隙間からイマドキが滑り込んだ。驚いて後ずさりかけたカササギの手を掴む。


「約束するわ。あなたを外に連れていったりしない。絶対に」

「……本当に、連れていかない?」


 恐る恐ると言った様子でカササギが尋ねる。イマドキは頷いた。励ますように笑いかけ、震えるカササギの手を軽く叩いた。


「嫌がる子に無理強いなんてしないわ。私たちはあなたと話をしに来たの。病院であなたの話を聞いて、心配になって駆け付けてきたの。お願い、少しでいいから話をさせて」


 拝むように頭を下げるイマドキを、困惑した様子で見下ろすカササギ。逡巡するように視線を泳がせ、やがて目をつぶって息を吐く。そっと開かれた目には、先程の敵意は消えていた。


「……話が終わったら、すぐに帰ってくれますよね」


 力なく笑い、カササギは家に上がるよう示した。

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