第5話
「聞いたかい?」
「ああなずなだろ?」
「可哀想に」
「父親が生きてるって騙されたそうだよ」
「陸のゴロツキだろ?騙したの」
「いや私は陸の女衒だって聞いたよ」
「母親の愛人じゃなかったか?」
「まぁどうせまた売り飛ばすんだったんだろうさ」
「それにしても可哀想だなぁ」
「あぁ、まんまと逃げられたらしいぜ」
「四龍隊の隊員が1人やられたって聞いたぞ」
「そうだよ。裏の茶屋の婆さんが見つけて腰抜かしたって。」
「死体見たのか?」
「いや、血の海だったのは見たけど死体は…」
◇◇
「宗太。やられたの、誰だって?」
「白虎の次郎吉という方だ。」
宗太は渡された水を一気に飲み干した。
「随分飲んだんだな」
「仕方ないだろう。付き合いだ。」
今頃藤萩楼の広間には酒で潰れた楼主と花魁が倒れてるだろう。
「んで、上にはなんと?」
「ありのままをお伝えした。次郎吉のことも。返事は頂いてない。」
「まぁ、禿1人と四龍1人だ。何かするってことは無いだろうがなぁ」
「ああ。」
宗太は首を鳴らした。畳の上で寝たからか、体が凝り固まっていた。
「時期が悪かったなぁ。降り出しの前にこんなことが起こるってのは。」
茅丸は「不安だぜ俺は」と言いながら手に持っていた風車を回した。
煌郭街で1人禿が消えたという噂は陸の方にも広まっているだろう。だが恐らくなずなを探している者はいない。宗太はそう思っていた。街内でもなずなの噂を聞くが、それほど重要視はされていなかった。茅丸のように振り出しのことを気にする者はあっても。
「この街のこういう所は好きじゃない。」
宗太が呟くと茅丸はまた風車を回した。
「お前がこの街を好きになることなんてあるのか?」
◇◇
「気持ち悪い……」
光希は甲板から身を乗り出した。群青色の波が船の横腹を掴んで揺らしている。砕けて白く光る波を見ながら、光希は喚いた。
「めんどくさーい!なんで私が!」
昨日城へ向かってアテラギに謁見した後、直ぐに陸へ迎えと指示されたのだ。港街に泊まってそのまま早朝の船に乗っていた。
「眠い……帰りたい……」
光希は愚痴を海に向かって吐き出すと甲板から客室に通じる扉へと降りていった。
男でなければ届かない位置に梯子がかかっていたが、光希にとっては難しい高さではなかった。スルスルと壁の張り出した部分を伝って梯子に手をかける。
無事に扉まで下ると、ゆっくりと扉を開けて体を滑り込ませた。
扉を後ろ手に閉めて前を見ると、一人の男が廊下へと出てきたところだった。しまったと思ったが身を隠す時間はなかった。目が合うと、男は驚いた顔をした。
「君。そこは立ち入り禁止……って三月ちゃん?」
光希は驚いて男の顔を見た。見覚えがある気もするし、ない気もする。自分の妓名を知っているということは客のひとりだろうか。光希は名前を思い出そうとしたがどうしても思い出せなかった。
「ごめんなんし。どなただったか……」
「あぁ。知らなくても仕方ないな。何年か前に主人について行っただけだったから。」
男は笑って言った。きつい顔立ちだったが、根は穏やかなのだろう。光希はほっとした。怒り出す人もいるから遊女を引退した今でも昔の客は覚えていなければならなかった。
男は弥八と名乗った。用心棒をやっていて、昔に仕えていた呉服屋の旦那について光希の居た笠等津屋へ来たと言う。光希が鼬になったことを聞くと、細い目を丸くして驚いていた。
光希は弥八と話しているあいだ身を強ばらせていた。昔の客は会うと、また花を売ってくれないかと持ちかけてくる者もいた。光希はもう体を売るのは嫌だった。
「今回も鼬の仕事でこちらへ来るのかい?」
「そうです。弥八さんも島帰りですか?」
光希はしまったと思った。気持ちの強さから失礼な言い回しになってしまった。光希はいつでも逃げられるように少し身構えた。
「そうなんだよ。今は特定の主を作ってないんだ。今仕えてる方が島の花魁に惚れ込んでてね。陸の方は荒れてるから帰りたくないらしくて。」
弥八は苦笑いで言った。光希は体の力を抜くと警戒を解いた。今のところこの男が自分を襲うことはなさそうだった。花街慣れもしていないらしい。
弥八はもう任務を終えたので、また陸で旅をするのだと語った。
「一つのところに止まっているよりも性に合っていたみたいなんだ。」
柔らかい笑みを浮かべながら話す弥八はとても用心棒業をしているようには見えなかった。
身体は逞しく顔立ちも武人のようなきつい顔立ちだったが、話していると全く武人特有の威圧感や冷たさを感じなかった。人を殺したことがある人からは特有の雰囲気を感じる。元遊女だった光希はそういった雰囲気はすぐにわかるが、弥八からは感じ取ることができなかった。そういった空気がないわけではないが、今まで会ってきた者たちのそれとは何かが違った。
「楽しそうで羨ましい限りでありんすなあ。」
「三月ちゃんも大変だね。陸は今荒れてるから気をつけないといけないよ。」
「有り難う御ざんす。気を付けます。」
光希は会話を切り上げると、自室へ戻った。何を考えているか図りかねないこの男とはあまり長く関わっていたくなかったのだ。戻っていく光希の背中を、弥八は見つめていた。
煌々 KuKi @kuki-kuki
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