第2話

鈴の音が聞こえた。光希は夜見世が始まる合図に色めき経つ男達の間を縫って歩いた。女郎の時からこの島にいるからか、その小さな体故か、人混みの中を歩くのは得意だった。するりするりと男達の間を抜ける。


「ちょいとごめんよ」


機敏に動きながらようやく開けたところへ出る。


「ふーっ」


慣れているとはいえ、島の端から中央の紅城へと繋がる大通りを歩いてきたのだ、光希は疲労が肩へ伸し掛るのを感じた。額の汗を拭い、桜が植わっている花壇の縁に腰掛けると、皮の鞄からラムネ菓子を出して口に放り込んだ。シュワシュワと口の中でラムネが解けていくのを楽しみながら光希は藤萩楼に目を止めた。紅く輝く提灯が下がっている。紅蘭が居る。姿は見えなくとも、その事実だけで藤萩楼の周りには人集りが出来ていた。


紅蘭には船が一隻買えるくらいの金がないと会うことが出来ないと言われている。旅客船のような大きな船でこそないが、けして安くない金を払って会っても三度会うまで会話を交わすことすら出来ないという話だった。そんな信じ難いような噂が流れているのは、実際に会った者が数える程にしかいないからであった。しかもどれも各国の皇子や、重鎮ばかりである。


「こっちは女郎を辞めてからもこの島で働き続けてるってのに」


光希は藤萩楼には到底及ばない見世だった笠等津屋で働いていた。今では頭角を現し、光希がいたころとは比べ物にならないほど繁盛している笠等津屋も、光希がいた頃は底辺中の底辺の見世だった。必死に働いて体も売ってきた光希にとって、たいして体も売らずに見世の名と生まれもった容姿でこの島一の花魁とまで謳われる紅蘭は、妬みの対象にしかならなかった。ラムネを口に入れた拍子に袖から覗いた古傷を撫でると、光希はため息をついた。


光希は立ち上がった。城への道を眺めて光希は顔をしかめた。それほど遠い距離ではないが、蟻のように人がひしめき合っている。またこの濁流に揉まれるのかとぶつぶつ文句を言いながら支度をしていると、男が近づいてくるのを視界の端に捉えた。見るからに怪しい雰囲気を湛えた男だ。ねっとりと下から舐め上げるように光希を見ている。光希は全身に鳥肌が立つのを感じた。


「ねぇさん。どこの見世の妓だい?花魁のお使いか?」


(あぁ、引っ掛けようってか)


男が袖の下から金をチラつかせながらニヤニヤ笑う。


「女郎買う金が惜しいくらいならさっさとこの島から出ていきな。」


「何?」


男の顔が不機嫌に歪むのと同時に、藤萩楼の人集りからどよめきが聞こえた。サッとそちらへ視線を向けると、一人の青年が格子にしがみついていた。


「町!こんなとこ出ていこう!お前だって帰りたいだろう!?」


青年の悲痛な叫びと、周りの群衆からの罵声が聞こえてくる。光希がその様子をじっと見ていると、男が光希の襟を掴んで早口に言った。


「生意気な口聞いてんじゃあねぇぞ。花魁にもなれないどころか夜見世にも出れねぇ端女がよ。」


毛むくじゃらの顔を近づけられ、光希は顔を逸らした。男の口から吐き出される罵倒を意に介さず、光希は格子にしがみついている青年に意識を向けた。


「町!兄さんと一緒に行こう!」


青年は格子をガタガタと揺さぶり続けていたが、やがて拳を叩きつけ始めた。その様子は常軌を逸していて、明らかに正気ではない。周りからの罵声がやみ、青年を止めようとする者がでてきた。

「町!マチ!」


青年は抑え付けようとする人達を振りほどこうともがいている。


  光希は尚も詰め寄ってくる男を無視して、袖の下の短刀に手をかけた。


「あれは、もうすぐだな。」


「あぁ!?何わけわかんねぇこと抜かしてんだ!?」


声を荒らげた男が全て言い終わる前に、光希は体の重心を落として男の手を振り切ると、パッと走り出していた。それと同時に押さえ付けられていた青年の手から光が溢れ、周りにいた者達を弾き飛ばした。


「こんなもの………!」


青年はゆらりと立ち上がり、血走った目で格子を睨みつけた。ブツブツと口の中で何かを唱え、手を擦り合わせる。青年が雄叫びを上げながら走り出すのと、光希が青年へ飛びかかったのとは同時だった。


その刹那、光希の前に素早く影が滑り込んだ。


群青色の髪が、格子の間からこぼれる眩い光に反射して鈍く光った。その影は青年の前に立ちはだかり、軽く拳をいなすと腕を掴んで青年を地面に叩きつけた。


「なっ……」


青年は目を白黒させながらも、上体を起こそうとして小さく悲鳴をあげた。鋭い刃が喉元に突きつけられていた。


「ありゃぁー取られちまったかぁー」


(まぁ、四龍隊のエリート様には適わないか)


光希は呟いて短刀をしまった。


(群青色の髪、四龍隊青龍の副隊長か。名は宗太とか言ったっけ?)


宗太は青年が抵抗をやめて諦めたのを確認すると、刀を収めた。袖から細い金色の腕輪を出すと、青年の手首に嵌めた。


「茅丸!お前も働け」


宗太が呼んだ先から苦笑いをしながら栗色の髪をした男が歩いてきた。


「悪い悪い、行こうと思ったらもう2人も飛びかかろうとしてたからな」


「2人?」


宗太は茅丸から視線を逸らし、群衆をぐるっと見渡して首をかしげた。


「光希」


「やっぱし気づかれてた?」


「ったり前だろ。あんなすごい勢いで走ってきてたらそりゃバレるわ」


たはは、と笑っていると宗太と目が合った。既に青年を縛り上げていた宗太は、こちらに軽く会釈をした。


「鼬殿、ご協力感謝します。」


「いや、私はなんもしてないから。そいつは私に任せてよ。これから城に向かうから一緒に連れてくわ。」


「…それは助かります。」


宗太は青年を光希へ引き渡した。青年の目に光はなく、反抗する様子はなかった。宗太から青年を引き取ると、光希は青年の背中を押して歩き出した。


◇◇

【用語】

引っ掛け:遊女を買うお金がない者がする詐欺の手段。主にあまり売れてなさそうな遊女を捕まえてこの方法で迫る。お金をチラつかせて遊女を引っ掛け、そのまま払わずに逃げるのが主な手口である。


腕輪:魔力を封じるため、アテラギが定めた規則によって魔力を有するものにのみ付けられる。

極たまに魔力を持たない者もいるが、そういうものは見栄を張るために自分の腕輪を嵌めたりする。遊女は全員つける義務があり、楼主や使用人達も同様である。しかし、警備にあたる四龍隊やアテラギの側近、鼬に関しては例外も存在する。


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