止まらない時間
ふと目が覚める。
カーテンの隙間から見える窓の外はまだ暗く、夜は明けていないようだ。
手元の端末を確認すると時刻は二時八分。丑三つ時だ。だからと言って何かが怖いわけではないのだけれど。
日付は四月三日。君がいなくなってからちょうど一週間が経った。
君が姿を消したこの家は水をもらえなかった観葉植物のように元気がない。
掃除はいつも通りきちんとしているのに。朝ごはんの時間もお風呂の時間も買い物に行く日も変わっていないのに、どうしてだろう。
そんなことわかり切っている。君がいないからだ。
君を失うだけでこの世界はこんなにも色を変えてしまう。その事実に悲しくなった。
わけもわからず、家を飛び出した。
春とはいえ夜中はまだ肌寒い。せめて上着を羽織ってくるべきだった。
けれどここで戻るのは嫌だった。君がいないことを否応なしに突き付けてくる家から、少し離れたかった。
外の冷たい空気は思考をクリアにしてくれた。
馬鹿みたいにキリキリ回っていた脳みそは静かになる。落ち着くことで見えないものも見えてくる。
住宅街を抜けて、少し大きな通りに出る。車は少なく、歩行者は誰もいなかった。
意味なく叫んでみようか、と思いついたが、本当に意味が無いのでやめた。君も、人様に迷惑はかけちゃダメだよ、と言っていた。
ただただゆっくりと、家に背を向けて歩いていく。
僕のやっていることはただの現実逃避だ。最初から意味なんてない。
きっと君がいたら、どうしたの、と優しく手を握ってくれただろう。
僕は弱い。他の人よりずっと弱い。今までは君が傍に居てくれた。だから生きてこられた。
でももう君はいない。遠くの空から見てくれている、と言う人もいたけれど僕には見えないし、わからない。
ふと、目線を上げると、花びらが目に入った。
それは桜の花びらだった。目の前には幾千の花を咲かせた桜並木がある。それは去年、君と花見をしに来た公園だった。
風が吹いて花びらが散っていく。その景色があまりにも現実離れしていて、自分は今、どこか違う世界に来てしまったのではないか、という錯覚に陥ってしまう。
手を開いてみると、偶然、掌に花びらが一枚乗った。
その瞬間、フラッシュバックのように思い起こされる思い出があった。
「ねえねえ、知ってる? 桜の花びらを直接キャッチできると幸せになれるんだって」
気が付くと涙が頬を伝っていた。
僕が幸せになんてなれるだろうか? 君がいなくなったこの世界を、あと十四年も?
無理だ。そんな事できっこない。この六年も君がいたから生きてこられたのに。ましてや幸せには、なれるはずがない。
涙を払うように強い風が吹き荒れる。たくさんの桜の花びらと涙を攫っていく夜風に目を閉ざしてしまう。
「
声が聞こえた。
遠くから、僕を呼ぶ声が聞こえた。
桜の雨が勢いを弱めていく。少しずつ視界が晴れて、遠くが見えるようになってくる。
僕の名前を呼ぶ人は、この世に一人しかいない。君だけ、君だけが僕を名前で呼んでくれる。
「
視界が開ける。雨が止み、あたりはまた静かになった。
そこに、君はいなかった。
君は僕を置いて行ってしまった。どこか僕の知らない、見えないほど遠いところへ。
もう君にこの手は届かない。進んでしまった時計の針は元には戻せない。
僕は君を失った。その事実が僕の胸を貫く。
幸せは過去に置き去りに。空っぽの僕は時間に運ばれていく。
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