009 絶対服従の呪い

 カズの記憶はそこで唐突に終わった。正確には、記憶の再生がそこで停止した。

「ちっ。勝手に人の記憶を覗くんじゃねえよ」

「読めって言ったのはお前だろ」

 カズは照れくさそうに頭をぽりぽりと掻いているが、知られたくない心情があるなら最初から削っておいてほしかった。

「あとはもう口で説明すりゃいいだろ。俺は美鈴の持っていた残り二本の注射器を処分して、美鈴と外の死体を入れ替えた。俺は終わりにしても良かったんだが、お前との約束がまだ果たせてねえからな、もう少し付き合ってやることにしたのさ。そっから後はお前の言った通りだよ。まだ知りたいことがあんなら直接訊け」

「……皆は、僕と違ってあの子を美鈴だと認識していたんだろう? でも死体が発見された後は皆〝死んだのは美來だ〟と言っていた。記憶を差し替えたのか?」

「そうだよ。俺が空き部屋に最初に踏み込んだのはそのためもあった。全員が俺に注目したタイミングで、お前以外の全員に〝あれは美來だ〟と記憶を植え付け直した。それしかお前と他の奴らの記憶の齟齬を生める機会はなかったからな」

 部屋に踏み込んだ時、僕以外の皆が頭を抱えていたのは死体を発見したからだけじゃなく、『記憶改竄』を受けたショックもあったのかもしれない。

「じゃあ、最初の質問に答えてくれ。どうして夜夢は自分が犯人だと思い込んでいたのか」

 きっと、夜夢には人を殺した記憶を植え付けて、その上でどう動くかをテストしようとしたのではないか。僕はそう考えていた。

 だがカズはその考えを否定した。

「俺が植え付けたのはただ美來と雑談していたって記憶だけだ。だがあいつは、自分が華雅を操って美來を殺させたに違いないと、自分で勝手にそう思い込んだんだ。てめえでてめえの記憶をねつ造したんだよ」

「そんなことが……あり得るのか?」

「夜夢も美鈴と同じく、殺人者としての記憶が刻まれちまってたんだろう。実際直前までは同じことをしてたわけだしな。あの展開は俺も想定外だった。ちなみに華雅は、美來を殺したのは自分じゃないと本気で思ってただろうぜ」

 天照さんの悔しそうな顔が浮かんで、僕はやるせない気持ちになる。

「質問は以上か?」

「ああ。何が起きていたのかは大体理解できたよ」

 だけどまだ訊くべきことがあった。ここまで話題にあげるのを避けてきた、僕が一番知りたいこと。

 ――と、その時。


「おーい」


 ミスズの声が遠くから聞こえてきた。ようやく満足いくまで見て回ったようで、手を振りながらこちらに小走りでやってくるのが見えた。

「おせえよ、寒い中待たせやがって」

 カズが憎まれ口を叩くと、ミスズはぜえぜえと白い息を吐きながら口を尖らせた。

「だって二人とも何か話したそうにしてたから、積もる話でもあるのかなと思って気を利かせたんだよ」

 と胸を反らせる。妙な息の合い方は、僕の知っている二人にそっくりだった。

 カズはおもむろにベンチから立ち上がると、ミスズの後ろに回ってその肩を抱き寄せた。

「えっ! なになに!?」

「想介。改めて紹介するぜ。こいつは俺の妹の美鈴。木花美鈴だ」

 突然の兄からのスキンシップに戸惑って目をぱちくりさせていた美鈴だったが、やがて「なんで二回目?」と噴き出した。


***


 人気のない動物園を見て回っていると、いつの間にか正午近くになっていた。

 そのまま大きな池のある方まで歩いて、正面入場口と比べるとこじんまりとした印象の出口の前で僕たちは足を止めた。

 冬の池は見るからに寒々しく、生き物の音と匂いに包まれていた園内と比べて寂しい雰囲気が漂っていたが、それでも池の周りにはまばらに人が行き交っていて、僕は異世界から現実に戻ってきたような感覚を覚えた。

「んじゃ、そろそろ俺たちは帰るぜ」

 カズがそう言うと、美鈴は「えー」と不満そうな声を出す。

「もう帰っちゃうの? せっかくなんだからもっとゆっくりしたらいいのに」

「もう充分だろ。それにゆっくりしてる暇はねえ。今日はあとメイド喫茶五軒も回らなきゃならねえんだぞ」

「それが妹連れの観光コースなのか!?」

「スズ、お前は先に行ってろ。俺はもうちょい想介と話があるから」

「わかった。じゃあ駅前でぷらぷらしてるね」

「おう。迷子になんなよ」

 ゲートをくぐる前、美鈴はこちらを振り向き、深々と頭を下げた。

「不束な兄ですが、これからもよろしくお願いします。想介さん」

 僕が「ぐはっ」と死んだふりをすると、美鈴は嬉しそうに笑い、またぺこりとお辞儀をして去って行った。

「よくできた妹さんだな」と茶化すと、カズは「羨ましいだろ」ととぼけてみせる。

 別れが近づいているというのに、相応しい文句が思いつかない。きっと夜夢瑠々ならそれらしい言葉をすらすらと並べ立てるのだろうが、僕には彼女のような才能はないようだ。

 ややあって、カズが先に切り出した。

「俺は今日、お前に最後の『記憶改竄』をかけるつもりで来た。でもお前にはそのつもりはねえようだし、こうなっちまった以上はその必要もなくなった。ただ――その方が楽だったんだけどな。後腐れなくお前と縁を切るにはよ」

 どんな顔をしているのか、カズと目を合わせられない僕にはわからない。

「これから二人でどうするつもりなんだ?」

「カワイイ妹とのイチャラブ生活を満喫するに決まってんだろ。くはは」

「一人で美鈴を守り切れるのか? あまり大人たちを舐めない方がいい、下手したら二人とも――」

「わかってんだよ、んなことは」

 僕の言葉を遮って言う。

「けどな、他に道はねえんだよ。俺が施設にいる全員を、お前らも含めて皆殺しにしたことになってるからお前らは追われずに済んでるんだ。それに、俺と美鈴だけなら逃げ切る目もある。あるツテで人払いの能力者と知り合ってな、今もこの動物園全体を他の人間には認識できねえようにしてもらってるのさ。逆にここを一歩でも出たらいつ見つかってもおかしくねえから、出る時は別行動しなきゃならねえのが面倒だがな」

「……お前、死ぬ気なのか?」

 重苦しい沈黙に包まれる。冷たい空気がいっそう凍り付いたような気がした。

「嘘がつけねえってのは厄介だな」

 と、白い息を深く吐きだす。

 嘘を見抜いてしまう、こんな能力は僕にとっても厄介以外の何物でもない。

「死ぬつもりはねえさ。あいつをまた一人にしちまうからな。だが約束もできねえ。どうせ最初から死んでるような命だ」

「馬鹿言うな。お前がいなくなったら美鈴はどうする」

「そんときゃあいつから俺の記憶を消して、仏門にでも入ってもらうさ。記憶の脆弱さを司る厭世の能力者は、最後に自分の記憶ごとこの世から姿を消す。物語の締めとしちゃ悪くない線だろ?」

 おちゃらけて笑ってみせるが、それが本心でないことも僕にはわかってしまう。

 だから僕は、厄介な自分の能力をもう一度だけ使うことにした。一人ですべてを背負おうとする頑固な友人に、呪いをかけるために。

 目を瞑り、意識を集中させると、すぐに反応があった。


『了解。すぐに行くわ』

『ありがとう』

『お礼はいらない。あなたのお願いなら、私は従うだけだから』


***


「〝生きなさい〟」


 背後から声がした。

 振り返るとそこに、ともに死線をくぐり抜けた仲間たちが立っていた。

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