008 追憶③

***


 室内に踏み入ると、全裸の二人が、まるで恋人同士のようにベッドで肩を寄せ合っていた。

「カズ!?」

 驚いて飛び起きる美鈴を無視して、俺は夜夢に『記憶改竄』をかけた。夜夢が仰向けに倒れ、ベッドに横たわる形になる。

「カズ、どうして」

 俺が突然現れたことが理解できないのだろう、美鈴は体をシーツで隠しながらも、困惑している様子だった。

「そんなもんどうだっていい。お前、何を考えてやがる」

 美鈴はそれで、俺がすべて知っていることを悟ったようだった。

「……そういえば、カズは人の記憶を盗み見られるんだったね」

「いいから答えろ。本気でこいつらと、俺たちを殺すつもりだったのか? 俺のことも、美來のことも」

 すると美鈴は目を剥いて叫んだ。

「そうだよ! みんな死んじゃえばいいんだよ!」

「こんなくだらねえテストに便乗して、そこの色ボケ女の口車に乗ってか?」

「カズにはわからないよ! 自分が正しいみたいに言うけど、それはカズがそういう世界で平和に生きて来られたからだよ! 私にはもう、そんな風には思えない!」

「俺や美來がいても、駄目だってのか?」

「……いるから、駄目なんだよ」

 それでもう充分だった。

 同じ十字架を背負い、苦しみを分かち合いながら、同じ場所で支え合って生きて来た。ほんの一時、運命の悪戯で引き離されてしまっても、自分たちは家族以上の絆で固く強く結ばれているのだと、いつかは元通りに戻れるのだと信じていた。

 現実がどれほど思い通りにならないものか、忘れたわけでもないのに。

「禁を解くぜ」

 これ以上はもう無理だ。俺という人間だけの力では。

「お前の記憶を読む」

 美鈴はとっさに目を瞑ったが、俺は問答無用でその両瞼をこじ開けた。

「嫌っ! やめて!」

 喚く美鈴に構わず、俺は、その記憶にアクセスした。美鈴の記憶が頭の中に流れ込んでくる。

 それは吐き気がするほどグロテスクな記憶だった。


***


「美鈴は、孤児院で性的虐待を受けていた。それも毎日のように」

 カズは無感情に、淡々と言った。

「たまたま見つかって保護され、児童養護施設へと移されたが、そこでも同じ悲劇が繰り返された。俺たちがいなくなってから目覚めた能力のせいでな。恐らく『魅了』って能力は、あいつの〝誰かに求められたい〟とか〝愛されたい〟という願いがもたらしたものなんだろう。だがその願いとは裏腹に、『魅了』にかかった男は美鈴の人間性に惹かれるんじゃなく、セックスシンボルとして魅かれた。自制が効かねえほどの強い性的興奮を促し、それを解消する代わりに忠実なる従僕と化す。それも、美來と同じくコントロールの効かねえ自動発現型だ。そんな日々が二年間続いた」

 本当に吐き気のするような話だった。

 想像を絶する苦痛だったろう。心と身体が悲鳴をあげる中で、美鈴はずっとカズを想っていた。なぜ自分を一人にしたのか。どうして助けてくれないのかと。

 精神はズタボロに破壊され、心を病み、人格は破綻し、そして魂は闇へと堕ちていった。

 堕ちるべくして堕ちていった。

「ちなみに、華雅が美鈴にすり寄ってたのも『魅了』のせいだ。むしろ上井出とかお前が『魅了』にかからなかったのは、他に好きな女がいると効かねえとか、そういう条件があったのかもしれねえな」

 ……ノーコメント。

「俺と美來に再会した時、美鈴の心には、元の三人にはもう戻れない、自分の帰る場所はどこにもないという絶望しかなかった。そしてある日、魅了した職員から夜夢瑠々の話を聞いた。その職員の手引きで夜夢と面会した美鈴は、夜夢の異常性と破壊願望に救いを見た。夜夢もまた美鈴のことを気に入って、その日のうちに体を重ねた」

 束の間の蜜月。夜夢瑠々と一緒にいる時だけは他のすべてを忘れられた。

 二人で手分けして計画を立てた。美鈴は主に施設側からの情報収集、夜夢が実行プランの立案を担当した。

 そして計画が完成した日の夜、美鈴は決意した。

 計画が成功し、この世界へのささやかな復讐が完了したら、その場で命を絶つと。

 無邪気で美しい殺戮者の手によって。これ以上、魂が穢れないように。


***


 美鈴は自分の腕に注射を打ち、俺に『魅了』をかけようとした。

 だが効果はなかった。薬を打たずとも美鈴の『魅了』は勝手に発現するのだから、かかるならとうの昔にかかっているはずだ。今さら俺の意思が変わることはない。

 俺の様子が変わらないことを知ると、美鈴の手から注射器がこぼれ落ちた。

「私を殺して。お願い」

 両の目から涙をこぼしながら、美鈴が懇願してきた。

「……俺に言ってるのか?」

 我ながら最高に間抜けな台詞が出た。

 頷くことも拒絶することもできない。どちらの資格も自分には無いように思えた。

 倒れている夜夢と華雅。外にはうず高く積まれた死体。

 想介の考えはどうやら甘かった。どうやらこの道は行き止まり――分水嶺をとうに過ぎた、浮き上がることのできない滝壺だ。

「待たせて悪かったな、美鈴」

 本当に長いこと待たせてしまった。

「望み通り、殺してやるよ」

 取り返せないのなら、いっそ消えてしまえばいい。それが、過去の俺にはできなかった、今の俺だけがしてやれる唯一のことだ。


「お前を殺す。俺が一生をかけて、お前を殺し続けてやる」


 そこで美鈴は、何ともいえない表情をした。サンタクロースを待ち侘びている子供のような、あるいは生涯の誓いを立てる花嫁のような。

 俺と美鈴の間に、一枚の絵がふわりと滑り落ちた。

 真二つに破られた肖像画の右半分。その絵の中で、美鈴は屈託なく笑っていた。

「じゃ、また後でな」

 そして俺は、俺が愛した最後の女に『記憶改竄』を使った。


***

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