007 ここは何処、あの子は誰

「ちょっと待った」

 カズが美鈴の意識を奪ったところで、僕は念話も忘れてタイムをかけた。待つも何も、記憶を見ているのは僕だけなのだからいちいち断る必要もないのだけど。

「全員が気絶して、僕とカズだけが残ったってことか? そうだよな?」

「そうなるな。それがどうかしたか」

「てことは、あの状況を作ったのは、もしかして」

「ああ。俺とお前の二人でやったんだよ」

「あう……」

 他に登場人物はいない。いや、一人部屋に残っている人物はいるが、彼女が自分から進んでそんなことに手を貸すとは思えない。

「むしろ全員閉じ込めようってノリノリで言い出したのはお前だぜ」

「ぐはっ」

 畳み込まれるような衝撃の連続で、ついに精神がアーマーブレイクした。

 こと話題が自分自身のこととなると、記憶のない間に何をしていたのか一層不安に感じる。自分ほど信用できないものもない。

「だから知らねえ方が良いっつったろ。安心しろよ。むしろお前はあいつらを救ったんだからな」

「救った?」

 予想外の返答に、これまた言葉に詰まる。どこまでも救いのないこの物語の続きに、どんな救いがあったというのだ。

「俺はな、殺そうとしたんだよ。夜夢も華雅も、上井出も玖恩も天照も、美鈴も。全員を地獄に送るつもりでいた」

「殺すって、本当の意味でか?」

「本来の意味でだよ。あいつらを解放してやろうと思ったなんて大層なことを言うつもりはねえが、それしかねえと思った。記憶を消せば過去が消えるなんて嘘っぱちだ。過去はどこまでも追ってくる。どうせまた同じことが繰り返されるだけだ。くだらねえ茶番劇を何度も見せられるなんてこっちは御免だってな」

 皆殺し。剣呑すぎるその響きも、今となってはありふれたものに思えてくる。

「でも、僕がそれに反対したのか」

「てめえのことなんだから大体想像つくだろ。だが俺としても、あいつらをただ見逃すわけにはいかねえってのは譲れないところだった。で、お前の出したのが〝全員をテストする〟って提案だったのさ。幸い正月休みで施設は稼働してなかったからすぐに事態が露見することはない、とはいえさすがに休みが明けるまで気付かれないことはねえだろうから、せいぜい猶予は一日――ってわけで、あの一日だ。全員の記憶をすべての歯車が狂った最初の日、美鈴が施設にやってきた日の朝まで巻き戻して、同じ条件で閉鎖空間の中に置く。貼り紙の意味深っぽい文章も、全員の能力名を晒すのも、全部お前が考えたことだ。お前は俺にこう言った。〝全員に平等にチャンスを与える。この状況で助け合うのか、やっぱり傷つけ合うのか、それをお前が見極めろ。それでもダメなら殺すなりなんなり勝手にすればいい〟とな」

「……そういうことだったのか」

 施設の実験にしてはお粗末で、外部勢力の仕業にしては意味不明だと思っていたが、その実は僕たちの自作自演だった。人によって受け取り方が異なるだろうあの貼り紙の文言も、まさしく受け取り側を試すためのものだったのだ。

 僕がそれを提案した。しかし結果として――犠牲者を出してしまった。

「華雅のことは気にすんな、てのも冷たい言い草だけどよ。あいつだけは自ら進んで夜夢の計画に参加してたんだ。結局、夜夢には信用されずに『意識誘導』の餌食になっちまったが」

 天照さんから聞いた話を思い出す。唯一心を通わせた姉を亡くした時から復讐の炎を心の内に抱き続け、そして夜夢と出会い、その機会を得た。

 天照さんは自分を責めていたけど、その時点で華雅の運命は決まっていたのかもしれない。

「とにかくそれからは突貫作業だった。ぶっ倒れてる全員を宿舎まで運んで、貼り紙やら用意して、朝になって全員が食堂に集まった頃合いを見計らってお前の記憶も巻き戻した。お前は何度か気失って寝てたけどな、俺は徹夜でヘロヘロだったぜ。上井出が外に出るって言い出した時も焦ったな。おかげで俺はずっと扉の前に張り付いてる羽目になった。伴動には散々に言われたが、一番働いたのは俺だっての」

 上井出が帰還した時、カズが玖恩さんを押しのけて上井出に駆け寄ったのも不自然に感じていたが、あれは上井出が外で見てきた恐ろしい光景の記憶を消すためだったのか。

 そして今までの話から類推すると――

「じゃあ、つまりあれは……僕が美來だと思っていたあの子は」

「ああ、あれは美鈴だ」

 今日は水曜日だ、と言うのと同じくらい、事もなげに言う。

「それがお前の提案に乗る上で、俺から出した唯一の条件だった。美來はそのテストに参加させない。全員から美來の記憶を丸ごと消して、最初からいなかったことにする。万が一にもあいつを危険にさらすわけにはいかなかったし、美來と美鈴を会わせるわけにもいかなかったからな。お前もそこはすんなり同意したぜ」

「……いやでもそれ、おかしくないか?」

 髪をばっさり切り、僕にそっけない態度を取り、利き腕じゃない右腕でカップを持っていた美來は、美來ではなく美鈴だった。それは理解できる。

 でも、僕は彼女を美鈴だとは認識していなかった。最初から美來だと思い込んでいたし、むしろ、僕は美鈴の存在そのものを知らなかった――記憶になかったという方が正しい。

「おかしいだと? そりゃこっちの台詞だぜ。あん時ばかりは俺も参った。お前の馬鹿さ加減を甘く見積もってたと、本気で落ち込んだもんだ」

「あの時って、僕がミサンガを失くしたって言った時か?」

 カズと二人で夜夢を迎えに行く途中、ミサンガを失くした僕に、カズはかなりオーバーなリアクションを取ったのを覚えている。曰く、馬鹿のチャンピオンだと。

「俺は間違いなくお前の記憶も消したはずなんだよ。お前が美來のことを覚えているはずはなかったんだ。他の奴らだってちゃんとあいつを新メンバーの美鈴だと認識していた。なのにお前だけが、あれを美來だと勘違いしていやがった」

 そんな馬鹿な、と言いかけてやめる。前後の文脈から考えて、そこから類推できる可能性はひとつしかない……つまり、馬鹿は僕だということだ。

「信じがたいことだが、美來の記憶を失うことをお前の脳味噌が拒絶して、あれを美來だと思い込むことにしたんだ。だがそれだと辻褄が合わないもんだから、代わりに美鈴の記憶を消した。俺の『記憶改竄』の影響力を、お前の想いの強さが上回ったってところか」

 ……うわあ。

 これは――相当恥ずかしい。

「それだけじゃねえ。お前はその記憶の前日までは〝美來〟と呼ぶのを躊躇ってたはずなのに、あの日は自然に名前で呼んでいた。二か月の間に染み付いた記憶が残っちまってたんだろうな。まさか俺の『記憶改竄』にこんな弱点があったとは」

 カズの顔は見えないが、絶対にニヤニヤしているはずだ。

 だけどこれは仕方がない。そりゃ呆れられもするわけだ。

「けどな、冗談じゃなく慌てたぜ。記憶の齟齬が明らかになったら計画が台無しになっちまうからな。それでお前を美來から引き離して時間を稼いで、その間にどうにかしようと考えた。だが……俺は知っちまったんだよ」

 カズはそこで言葉を区切り、硬いスチール缶をべこっと握りつぶした。

「全員が顔を合わせたばかりでまさかそんなことは起こらねえと高をくくってた。だがきっと、俺の『記憶改竄』は完全じゃねえんだ。魂にまで刻まれたような強い記憶ってのは、たぶん完全に消し去ることができねえ。お前にとっての美來がそうであったように、美鈴にとって多くの人間を殺した強烈な記憶は心の奥底にこびりついて残っていたんだ」

「なんだよ。何を知ったっていうんだ」

「俺が夜夢の部屋の様子を見に行くと、部屋の前に華雅が立っていた。見張りでもしてるみたいにな。俺は華雅の記憶を読んだ。何が読めたと思う? 三人で協力して、他の人間を皆殺しにする計画を立てていやがったんだよ」

「な……!?」

 美鈴が夜夢の部屋に行ったのは食堂で解散した直後だった。あの時点で、すでにそんな話をしていたというのか。

 一からやり直したはずなのに。まるで宿命論のように、最初からそれ以外の選択肢など存在しなかったとでもいうように、同じ結末に向かっていたというのか。

「想介、お前はこのテストを始める前、あいつらのことを信じていた。人が狂うのには理由がある、不運な偶然が重なっちまっただけだってな。でもそうじゃなかったんだ。人の本質は変わらねえし、やり直しは効かねえ。一度怪物になっちまったら最後、人間に戻る術はねえんだと俺は知った。だから、俺は一度だけ傍観者であることをやめた。お前に任せた以上、それが約束を違えることだとわかっていたが――美鈴のことは、どうしても俺がけじめをつけなきゃならなかったんだ」

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