005 追憶①
***
最近、美來の機嫌がすごぶる良い。
理由はわかってる。
来週の美來の誕生日に、
あいつら双子と俺の三人は、五年前のあの日からずっと同じ孤児院で暮らしてきた。歳も近く同じ境遇だったのもあって、なんとなく毎日一緒に過ごしていた。
だが二年前の六月、美來の『未来視』の能力のことがついにバレて、この更生センターに収容されることが決まった。
俺は美來を放っておけないと思った。だから俺もヘテロ・チャイルドであることを自ら明かし、美來の後を追うことにした。
美鈴は俺に「行かないで」と言った。性格的にはむしろ美來より美鈴の方が寂しがりで孤独を怖れるところがあるし、それに――美鈴が向けてくる好意に気付かないほど俺は唐変木じゃない。
だがそれでも、美來には俺が必要なんだ。
美來の能力に最初に気付いたのは俺だった。三年ほど前のある時期から、元気だけが取り柄だった美來が、風船がしぼむように生気を失っていったことがあった。心配した俺や美鈴が聞いても何も答えないのでしばらく様子を見ることにしたが、美來はろくに食事も摂らず、日を追うごとに痩せていき、笑顔を見せなくなった。
そしてついに自殺未遂を起こした。
俺は我慢できずに美來の記憶を覗いた。
結果わかったのは、美來が『未来視』の力に目覚めていたこと、そして皮肉にも、恐らく美來が望んだであろうその能力のせいで、美來自身の精神が苛まれていることだった。
どうやら『未来視』は美來自身にはコントロールができず、夜寝ている間に自動的に発現するらしい。
さらに、視る内容がひどかった。将来起こる紛争、テロ、災害、凄惨な殺人事件など、明るい未来とはかけ離れたものばかり。それがいつどこで起きるのかまでは知り得ず、ただその悲惨な出来事を追体験するのみ。それが毎夜のように起こる。
それが将来本当に起こることだと知って、心の優しい美來が耐えられるはずもない。
それから、美來から視た夢の記憶を消す日々が始まった。
ただの怖い夢だとわかっていれば安心できるらしく、美來は少しずつ生来の明るさを取り戻していったが、それでも時折自傷癖が出ることがあった。
だから、今さら美來を一人にするわけにはいかなかったんだ。
この二年間、ずっと美鈴のことが気がかりだった。美來は俺以上に気に病んでいるだろう。自分のせいで姉を孤独にしてしまったと、ずっと自分を責めているようだった。
だから、美鈴がここに来るというのは、美鈴まで逸脱症候群にかかったということだから本来喜ぶべきことではないのだが、俺たちにとっては吉報だった。
まあ、それがなくとも最近は想介をからかうのがお気に入りらしく、毎日楽しそうに笑ってるんで安心はしていたんだが。
今日もそうだ。美來が自分の誕生日プレゼントの準備だかで想介とはしゃいでいた。俺たちにミサンガを作れと言い出した時は閉口したが、美來の話を聞いて納得した。
俺と想介から美來に、そして美來から美鈴に。双子の姉妹で、誕生日に揃いのミサンガをつけようって魂胆だろう。
あいつの願い事もわかってる。
〝もう一度三人で〟――いや、今はもう、四人か。
***
俺の考えが甘かった。たまたま再会できたからって、以前のような関係でいられるはずがなかったんだ。あいつを二年間も一人にしたのは俺だ。自分は見捨てられたと俺を恨んでいたっておかしな話じゃない。
今朝、俺たちは三人で美鈴を出迎えた。直前になって美鈴のことを知らされた想介は俺たちの期待通りに緊張していたらしく、朝から腹を壊していた。
だが、美鈴の方は期待通りとはいかず、起こったのは悪い方のサプライズだった。
美來の涙ながらのハグとプレゼントを拒絶した後、美鈴は冷たい目でこう言った。
「なにが誕生日よ。ふざけないで」
真っ青な顔をしている美來に一瞥もくれず、職員に連れられて行ってしまった。
***
美鈴に何があったのだろう。
ただ怒っているだけとは思えない。人が変わってしまったようだ。
美來は相変わらず気落ちしている。せめてプレゼントだけでもと美來の作ったミサンガを持っていったが、余計に感情を逆撫でしてしまったようで、その場でゴミ箱に捨てられてしまった。
俺の描いた二人の肖像画も、その場で真っ二つに切り裂かれた。まるで双子の妹との関係を断つかのように、絵の中で笑い合っていたはずの二人は完全に断絶されてしまった。
昔からやきもち焼きで癇癪持ちなところはあったが、俺の知っている美鈴は、決して人の気持ちを蔑ろにするようなことはなかった。
記憶を読んでみるか……?
いや、それはまだ早い。
他人の記憶を盗み見るのはもうまっぴらだし、それが近しい人間ならばなおのこと、軽々しく覗いていいもんじゃない。誰にだって隠しておきたい秘密くらいある。そんなイカサマみたいなやり方で向き合うのは、さらに裏切りを重ねるだけだ。
だから、俺がこの力を使うのは美來だけだ。
俺は、正面から美鈴と向き合わなければならない。土下座だろうが殴られようが、以前の関係に戻る努力をしなければならない。
それが、俺が生きているただひとつの意味だから。
***
あれから一ヶ月経つが、美鈴はあからさまに俺たちを避けていて会話の糸口すら掴めない。最近じゃ華雅と一緒にこっそり夜夢の部屋に出入りしているようだ。
夜夢瑠々……この施設で一番の危険人物だ。『意識誘導』とかいうふざけた能力ももちろんだが、何より思想がやばい。破滅型の享楽主義者だ。
直接顔を合わせたことはなく、研究員の記憶を間接的に読んだだけだが、以前にこの施設で起こったという職員同士の殺傷事件、あれは恐らく夜夢の仕業だ。
よもや仲間内で能力を使うことはないだろうが、できれば美鈴に近づかせたくないってのが正直なところだ。だが美鈴の交友関係に口を出す資格は今の俺にはないし、言ったところで聞きやしないだろう。
もうしばらく静観するしかない。いくらなんでも、このまま美來と没交渉を続けるってことはないはずだ――と信じて。
それに悪い話ばかりじゃない。昨晩、想介の奴がやってくれた。
夜中に寄宿舎を抜け出すと言い出した時はどうしたもんかと思ったが、考えもなしに脱獄の真似事をやらかすほどの馬鹿じゃない。途中で警備員に見つかりそうになってたから、俺の能力で大人しくなってもらったりはしたが……まあ結果オーライだ。
美來のあんなに嬉しそうな顔は、俺も見るのは初めてだった。
俺には絶対に作れないだろう。
美來も諦めずに美鈴にアプローチする覚悟が決まったようだった。
だいぶ俺にとって都合のいい解釈ではあるが……想介が傍にいれば、もしかしたら美來は大丈夫なのかもしれない。過去を消すことしかできない俺じゃなく、共に生きてやれる想介なら。
***
いきなり夜夢瑠々が接触してきた。
女だってことは知っていたが、怖ろしいほどの美人だった。『意識誘導』なんて使わなくても人を狂わせる天賦の才能がある。
てっきり美鈴の話かと思ったが、奴のひと言目は「仲間にならないか」だった。
なんの話だと聞いても「仲間になるなら教えてやる」の一点張り。ふざけるなと一蹴すると、気に食わねえことにあっさりと引き下がりやがった。姿を見せねえ奴だからむしろ好都合だと思ったんだが、こちらの話にはまるで耳を貸しやしねえ。
さらにムカつくことに、職員に『意識誘導』をかけて俺の能力について聞き出していたらしく、終始目を閉じていやがった。『記憶改竄』の条件を知っているというメッセージだろう。どうやら他の全員の能力についてもご存知の様子で、その上で俺にアプローチしてきたようだ。
「私がこうして声を掛けるのは君だけだ。他の連中は味方にする価値がないからね」
そんなことをのたまっていた。
美鈴のことについて聞くと、「彼女はもう私の仲間だ」とだけ。
気に食わねえ。
だが夜夢は洗脳を受けていて、薬なしには能力を使えないはずだ。反面、俺はそれが嘘だってことを知っている。制約なしに『記憶改竄』を使える。負ける要素はない。
何を企んでやがるか知らないが、好き勝手にさせるつもりは毛頭ない。
***
想介が美來の能力に勘付き始めた。
あいつが特別鋭いってわけでもないだろう。近頃の美來の憔悴ぶりは傍目にも明らかだ。
毎朝顔を合わせるたびに予知夢の記憶は消しているが、もしかしたら記憶領域ではない脳の別のところに、ストレスとか負のイメージみたいなもんが澱のように溜まっているのかもしれない。あるいは美鈴のことが影響しているのかも。
想介になら、打ち明けてもいいだろうか。
いずれ俺が傍にいてやれなくなった時、美來の苦痛を和らげてやれるのは想介しかいない。すでに俺の手に負えなくなってきているのだとしたら、それこそあいつの力が必要だ。
だが……俺はまだ決断できずにいる。
これといった理由があるわけじゃない。なんとなく、その一歩を踏み切るだけの理由が見つからないってだけだ。
――いや、違う。たぶん俺は、怖れているんだろう。
自分の存在意義が失われるのが。居ても居なくてもいい奴になっちまうのが。
いつでも捨てる覚悟はあったはずなのに。
いつの間にか俺は、こんなクソみたいな世界に――未練を持っちまってる。
***
大失態だ。
いや、この場合は想介の手柄だと言った方がいいか……美來が夜中に部屋を抜け出すことなんて今まで無かったし、想介の奴もよく気付いたもんだ。
それでもやはり美來の隣室にいる俺が気付けなかったのは失態だし、そもそもこうなるまで事態を放置していたってだけで首を括るべきだろう。
想介は、耳元で手榴弾が爆発したような衝撃で叩き起こされたらしい。それが美來の発した信号だとすぐに判ったという。恐らく、いつの間にか美來と精神的なパイプみたいなもんが繋がっていて、『精神感応』が勝手に反応したんだろう。
すぐに駆け付けたが、美來の部屋はもぬけの殻だった。
時間は深夜三時。廊下は灯りが落ちて真っ暗だし、物音ひとつ聞こえない。他の連中の部屋を叩いても誰も出てこない。食堂や娯楽室も探したが美來の姿は見当たらない。
嫌な予感がする。何か尋常ではないことが起きているような。
想介と外に探しに行く算段を立てていたその時、部屋の扉が開く音がした。
「こんな時間に何を騒いでいるのかしら」
扉を半分開けて、寝間着姿の伴動奏子が睨んできた。その様子では何も知らないようだ。
俺と想介と伴動の三人だけが残されている。
想介が感じた美來からの信号の正体は、恐らく『未来視』による美來の動揺だろう。
美來は何かを視たのだ。今までになかった、飛び起きるほどの何かを。
そしてきっと、今すぐに自分が動けば何とかなると――その悪夢を止められると、そう思った。だから部屋を飛び出した。
今日は大晦日だ。施設はすでに稼働を停止している。それに加えて、伴動が残っているというのが最大のヒントだ。
俺と想介は、伴動に部屋に残るよう伝えて走り出した。
考えられる可能性はひとつだ。
何かを企んで俺を勧誘しに来た夜夢瑠々。
その企てが今、実行に移されたのだ。
***
俺も想介も、声もなく立ち尽くした。
例えるなら地獄。控えめに言っても地獄だった。
よく見なければ元が人間だったとは判らないほどに原型を留めない死体の山が広がっている。
炭化してなお燻り続けている死体。全身の骨が砕けてひしゃげている死体。頭部がザクロのように圧し潰されている死体。屋上から飛び降りたと思われる死体。
皆殺しだった。
共通しているのは、そのほとんどすべてが、建物に背を向ける形で倒れていることだった。真っ暗な冬の山へ、その身一つで、何かから逃げようとしているように。
燃え続けている死体が篝火のように怪しく夜の闇を照らしている。凄惨な死臭を吹き消そうとするように寂寞とした寒風が吹きすさんでいる。
職員用宿舎の門扉には大きな風穴が空いていた。力でこじ開けられたのではなく、レーザーか何かで焼き切ったとしか思えないような見事な円形にくり抜かれている。
ふいに建物から誰かの声が聴こえた気がして、俺たちは急き立てられるように中へと飛び込んだ。
そこにも死の光景が広がっていた。どの死体も燃えて赤黒い肉塊になっていた。
ひたすら当てずっぽうに走る。階段を駆け上って四階までたどり着いた時、よく知った声が響いてきた。廊下を曲がった先、少し広くなっている談話スペースのような場所に美來の後ろ姿が見えた。
美來の正面に、対峙するように美鈴が立っている。
そしてもう一人。背後に焦点の定まらない目の華雅、上井出、玖恩、天照を従えて――
夜夢瑠々が、悪魔のような笑みを浮かべていた。
***
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