003 導火線を辿って

 長い沈黙の後、カズは白い息を長く吐いた。

「お前は本当、常識が通じねえ奴だよな。ロマンチストで夢見がちで、臆病なくせに大胆な行動に出やがる。高い所が怖いから飛び降りる、みてえなさ」

「僕はそこまでの馬鹿じゃないぞ」

「祝ってやりてえほどの馬鹿だよ。美來が死んだのかって? 死んでなかったらあの死体はなんなんだよ。あの閉ざされた空間で、美來だけが消えて死体が出てきたんだ。美來以外に考えられねえ、だろ?」

 出来の悪い教え子を諭すような口ぶりで訊いてくる。

 僕の手の中の缶コーヒーはほとんど手付かずのまま、いつの間にか完全に冷え切ってしまっていて、身体を温める役割を果たさなくなっていた。でも、その温度が今の僕たちには相応しいようにも感じられた。

「二つほど、今の話には否定すべきポイントある」

 慎重に情報を整理しながら、僕はクイズに回答する。

「まず、あそこは閉じられた空間ではなかった。扉は、最初から施錠なんてされてなかったんだ。その気になれば僕たちはいつでも扉から自由に出ることができた。でも僕たちはそれを確認することもなく信じ込んだ。何故か? 〝鍵がかかっていることを確認した〟という記憶を植え付けられたからだ」

 僕の記憶では、あの日の朝、部屋を出たところでカズと会い、それから食堂へ行き、騒いでいる皆から話を聞いて扉へ向かい、カズと一緒に扉の施錠を確認した。

 だがそれは偽物の記憶だった。実際は、扉の貼り紙も扉の施錠も、誰も確認などしていなかったのだ。

 〝目を合わせること〟が『記憶改竄』の発動条件なのだろう。

 まず僕に偽物の記憶を植え付けてから何食わぬ顔で食堂へ向かい、勢いよく扉を蹴破ることで全員の注目を集め、一気に全員の記憶を書き換えた。玖恩さんだけは少し遅れて登場したが、直接呼びかけることで視線を合わせた。皆はその瞬間まで貼り紙のことなど知らず、朝食の代わりに注射器が置いてあることを不審に思っていた程度だったのだろう。

 今思えば、頭痛や眩暈を感じていたのも記憶の改竄による副作用だったのかもしれない。

 大胆すぎるようにも思えるが、扉に不用意に触れることは禁じられていたし、わざわざもう一度調べようとする人なんているはずがない。

 しかし例外が起きた。夜夢瑠々が、連絡通路への扉を開けようとしたのだ。

 カズは焦ったはずだ。扉が開いていることに彼女は気付いたはずだから。実際、あの時カズは強い口調で夜夢さんを止めようとしていた。

 しかしカズにとっては幸運なことに、夜夢瑠々はその事実を隠すことを選んだ。ゲームを続けることこそが彼女の目的だったから。

「だとしたら傑作だな。自由に建物から出られるのにそうとは知らず、貼り紙の言うなりになって全員で右往左往してたってわけだ」

「そうさ。でもそのことを知っている者、つまりカズだけは自由に宿舎を出入りできた。それが二つ目のポイントだよ。あの死体が美來じゃなければ誰のものかって? いくらでもあったじゃないか。職員用宿舎に、数えきれないほどの黒焦げ死体が」

 忘れもしない光景。宿舎に転がっていた死体は、空き部屋や華雅の死体とまったく同じ、肉と灰でできたオブジェだった。

「職員用宿舎から焼死体をひとつ持って戻り、誰にも見つからないように空き部屋に安置する。そしてベッドに火をつけてたった今燃やされたように見せかけてから、部屋に鍵をかけて自分の部屋に戻った。でも偶然、早めに行った僕が煙に気付いてすぐに発見されてしまったせいで、ベッドの燃え方が中途半端になってしまった」

 玖恩さんはカズが洗濯物を抱えているのを見たと言っていたが、それは服が煤で汚れないようにシーツで死体をくるんで運んでいる最中だったのだろう。

 そしてその死体は恐らく、僕と伴動さんのフィジカルチェック担当である口の軽いお姉さんのものだ。女性の従業員はそう多くないし、小柄なお姉さんは体格的にも美來と近かった。あの転がっていたハイヒールはカズが脱がせたのだ。足首から先だけは燃えずに残っていたが、それで入れ替えがバレることはないと判断したのだろう。

 カズは「くく」と笑った。

「面白い推理だが、じゃあ俺はどうやってシーツに火をつけたんだ? 夜夢が披露した方法か? ろくに学校も行ってねえ俺があんなやり方を知っていたとでも? それにどうやって俺は空き部屋に出入りしたんだ? 鍵は部屋の中に落ちてただろ」

「そんなことは大した問題じゃない。まず火だけど、食堂のストーブを使ったんだ。カズが夜夢の部屋から戻って来た時、ストーブの前にしゃがんで手を温める仕草をしてたよな。あの時に火種を作って、空き部屋まで持ち帰ったんだ。火種さえあれば人間は燃やせなくてもシーツに火をつけるくらいならできる」

「なんだよ、その火種ってのは」

「わかり切った話だ。あの焼き切れたミサンガだよ」

 蔓を編み込んで作ったミサンガはそう簡単に燃え尽きることはないだろう。ほどけば長さも充分にあるし、導火線代わりに使うには最適だ。

「俺がそれを持ってるのを見たのかよ?」

「見てないさ。見えるわけがない。お前が、ずっと手の中に隠し持ってたんだからな」

 火を握り続けるなんて普通はできない。でもカズなら、顔色ひとつ変えずにやるだろう。

「手の平にかなりの火傷を負ったはずだ。だから死体を発見した時、真っ先に部屋に飛び込んで素手で火を消したんだろ? 火傷の痕が見られても、火を消した時にできたものだと主張するために」

 ちらりとカズの手に目をやる。両手で包み込むように握っている缶コーヒーのせいで隠れて見えないが、手の平にはいまだに痛々しい火傷の痕が残っているはずだ。

「なるほどな。それじゃもうひとつ、密室の方は?」

「密室なんて最初からなかったのさ。事前にどうにかして鍵を調達していたんだろう。普通に鍵で錠を開けて入って、出てからまた鍵をかけた、それだけだよ。そして僕と一緒に扉を蹴破って中に入り、皆が立ちすくんでいる間にその辺に鍵を投げ捨てた。あの煙の中だ、気付く人はいない。そしてそれが出来たのはカズ、やっぱりただ一人だけ先に部屋に入っていったお前しかいないんだ」

 カズが美來を殺した犯人であるわけがない。そういう先入観を持っていたせいで、こんな単純なことにも気が付かなかった。しかしその前提自体が、もしも間違いだったなら。

「考えれば考えるほど辻褄があってくるんだよ。もはやそれ以外の可能性が考えられないくらいに。でも、まだわからないことがある。もしあの死体が美來じゃないとしたら、どうして夜夢は自分が華雅を操って美來を殺したと認めたのか? 彼女は嘘をついているようには見えなかった」

 考えられる可能性はひとつしかない。

「お前がそういう記憶を植え付けたのか? 夜夢に、犯してもいない殺人の罪の記憶を。なあカズ。お前がもし今でも僕のことを相棒だと言ってくれるなら話してくれ」

「……知らねえ方がいいことも世の中にはあるんだぜ」

「いいや、どうあっても話してもらう。そのために僕はここにいる」

「馬鹿野郎が」

 カズの声色が一段低くなった。

「想介。俺の目を見ろ」

 滅多にない、カズが本気になった時の声だ。

「僕の記憶を奪うつもりか。それだけはさせない――」

「いいから見ろって言ってんだよ!」

 飄々としていて腹の底を見せない男が、腹の底から声を出した。

 今度は『精神感応』でも防ぎきれないかもしれない。だから僕はカズの目を見るわけにはいかない。もしかしたら、もう二度と。

 だから――その代わりに僕は、もっと直接的で、とても照れくさい方法を採った。

「お前……っ!?」

 カズが飛び上がるように立ち上がった。さすがにこれは予想していなかっただろう。

 脳に直接語りかけられる、なんてことは。

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