012 怪物のレシピ
「うがっ!」
車椅子ごと吹っ飛び、けたたましい金属音を立てて壁に激突する。
ノーモーションでの後ろ蹴り。それも半端な威力ではない。ただの一発の蹴りだけで、夜夢瑠々が尋常ではない格闘能力を持っていることが理解できた。
「だから言ったじゃないか、全員で来た方がいいって」
「う……らああああっ!」
両腕で地面を押すようにして車椅子ごと立ち上がった天照さんが、咆哮と共に再び夜夢瑠々に襲いかかった。夜夢瑠々はひらりと身体ごとかわす。
「逃げてんじゃねーぞコラ!」
「あはっ。元気があってよろしいね。これだけ動けるなら君を操ってもよさそうだな。しかし、君がそこまで華雅くんのことを想っていたとは知らなかったよ。そうと知っていたらあんな風に死なせたりはしなかったのに、まったく申し訳ないことをした」
車椅子の攻撃を器用に捌きながら、夜夢瑠々は話し続けていた。
「てめえっ! 今さら――」
「もっと残酷で感動的なお別れを演出をしてあげられたのに。たとえば、君の見ている前で首を掻っ切ってもらうとかね。最期の台詞は『お姉ちゃんサヨナラ』かな。たぶん感動して泣いちゃうね」
あまりに見え透いた挑発。だがそれをそれとして受け流すことができる人間は少ないし、天照さんはその最たるタイプだった。
「ぶっ殺す!!」
理性を失った天照さんが体ごと突っ込む。それをかわしざま、夜夢瑠々が言った。
「華雅くんは死んじゃいない。今も生きているよ」
「はっ――?」
一瞬、天照さんの動きが止まる。
「君の心の中でね」
最後の「ね」の発声と同時に、天照さんの身体だけが宙に浮いた。跳躍した夜夢瑠々が天照さんの首に両足を引っかけ、前方に回転する勢いで車椅子から引っこ抜いたのだ。そのままバットのスイングのように両足で天照さんの身体を振り回し、薙ぎ払うように車椅子に激突させる。さらに半回転、車椅子とは反対側に天照さんを放り捨てた。
天照さんは頭からテーブルに突っ込み、そのままぴくりとも動かなくなった。
「なあんてね。よく聞く台詞だけど、こんなに身勝手な言い草もないよね。勝手に自分の中で生かし続けるなんて、私が死者の立場だったらたまったものじゃないよ」
あははと、冗談めかしたことを言って笑う。
常人離れした身体能力だけではない。とっさの判断力、相手を傷つけることへの躊躇いの無さ。相当の訓練を積んでいないとできない動きだった。
「鞍馬くん!」
玖恩さんが叫んだ。意識が戻ったようで、上井出が顔を歪めながら頭を起こしていた。
「玖恩さん! 上井出を連れて逃げろ!」
とっさに叫んだが、しかし夜夢瑠々の動きの方が早かった。まるで散歩のような足取りで、真っ直ぐに玖恩さんと上井出の方へ距離を詰めていく。
「やめて! 来ないで!」
「傷つくなあ。君たちとも仲良くなれたと思ったのに、そんな風に怖がられたら」
夜夢瑠々が足を止めて身体を横にずらす――故に僕の背後からの跳び蹴りは空を切った。
「こうして攻撃せざるを得ないじゃないか」
めりっ、と、カウンターのボディーブローが僕の腹にめり込んだ。内臓が破裂したと錯覚するほどの衝撃で、僕はジャンプした地点まで弾き戻された。
「がっ……は……っ!」
「各務くん!」
伴動さんが駆け寄ってくる。来るな、と言おうとしたが、うまく呼吸ができない。
「君たちには同情するよ。ここまで私を追い詰めておきながら、この人数差で手も足も出ないのだから。しかし、日々の訓練がこんな形で役に立つとは思っても見なかったな」
「訓練、ですって?」
伴動さんが訊き返す。
「ああ、ひどい話さ。私は元から能力を使いこなしていたものだから、君たちのようなプログラムは受けていなくてね。戦闘や工作技術、話術習得の訓練ばかりやらされていたんだよ。私をスパイにでもしたかったのかな?」
「以前、ここの職員が死亡する事故があったけれど、あれも貴方の仕業ね」
「おや、よくご存知で。でも子供がおもちゃを手に入れたら使ってみたくなるのは当たり前だろう? 銃を持った子供を信用するのがいけないのさ」
まるで後悔も反省もしていない口ぶりだった。
「それにこの施設自体、私の存在を秘匿するためのものなのだからね」
「……どういうことだ?」
ようやく喋れるまで回復した僕が訊き返すと、夜夢瑠々は首をすくめた。
「どうもこうも、言葉の通りだよ。五年前のあの日、私は何者かの意思によって突然能力を授かった。それも世界を引っくり返せるような力だ。他の第一世代のヘテロ・チャイルドたちは操られて殺戮行為に及んだらしいけど、私はずっと自我を保っていた。だから降伏して生き延びることができた。そして自分の有用さをプレゼンしてみせたのさ。『意識誘導』の力があれば、世界の勢力図を書き換えることだって難しくない。上の人間たちはそれを鵜呑みにして、私の存在を世間から隠ぺいしつつ、隠れ蓑としてこの施設を作り、私をコントロール下に置こうとしたわけだ。君たちが送られてきた理由は『逸脱症候群患者の更生施設』という触れ込みを本当っぽく見せるためだよ。他国に知られたらこの国の国際的立場は終わりだからね」
例の陰謀論の続きか。事実ならとんでもない話だが……今さらどうでもよかった。重要なのは、目の前にいる能力者が鼻歌混じりに人を殺したがる異常者で、実際に僕たちを皆殺しにできる力を持っているということだ。
「この試験もきっと私の力を試すためのものだろう。これまでの訓練の成果を見せてみろってね。もしかしたら外部の能力者たちがちょっかいを出してきたのかもとは思ったが」
「外部……他国の機関ってやつか?」
「それだけじゃないよ。私が〝何者かの意思〟と言ったのはもっと別のことさ。私が興味があるのはむしろそちらでね。我々ヘテロ・チャイルドの起源、第零世代とでも言うべきすべての能力者の生みの親の話さ」
食堂で聞いた話だ。やはり信じているのか。
「願いを叶える超常的な能力を子どもにだけ授ける逸脱症候群。こんな都合のいい病気が、自然に発生したと思うかい? 私の考えでは違う。『愛の命日』は人為的な災害だった。最初の一人が世界中の虐げられている子どもたちに能力を与え、殺戮を指示したのさ。当時を経験している私にはよくわかる。だから私はここで身を潜めつつ能力を磨き、ゆくゆくは彼の許へ馳せ参じるつもりなんだよ。人生をかけた壮大な事業のためにね」
「事業……?」
「大人たちを皆殺しにすることさ――私たちヘテロ・チャイルドの手によって」
今度こそ言葉が出なかった。
あまりに話が飛躍しすぎていて、どう受け止めて良いのかがわからない。
「きっとまだ世界中に私のような者がいて、人知れず水面下で牙を磨いている。次は『愛の命日』どころじゃない、より大規模な殲滅作戦になるだろう。だからこの状況も、もしかしたら彼らが我々をスカウトするためにテストしているのかもしれないと思ったのさ」
あまりに荒唐無稽な話を、まるで歌うように話し続ける。
ダメだ。とても手に負えない。僕はこんな化物を相手にしていたのか。
「貴様の話はよくわからん」
見ると、上井出がよろよろと立ち上がり、夜夢瑠々を睨みつけていた。
「だが、ろくでもない奴だということは理解した。貴様の思い通りにはさせん。もし千里に指一本でも触れたら、ただでは済まさんぞ」
それは決死の威嚇だったが、自らを鼓舞するための精一杯の虚勢のようでもあった。
夜夢瑠々は嬉しそうに柏手を打った。
「その言葉を待ってたんだよ、上井出くん!」
「何だと?」
「私が今、もっとも興味があるのは君なのさ。もし私の読みが確かなら、最後にもうひと波乱起こしてくれるのは君しかいない」
「どういう意味だ。何を言っている?」
「メインディッシュのレシピは入手済みってことさ」
夜夢瑠々がわずかに視線を逸らす。その先では、玖恩さんが床にへたり込んでいた。
「――逃げろ千里!!」
上井出が吠え、獣のような勢いで夜夢瑠々に躍りかかった。胸倉を掴み、右拳を顔面に叩き込もうとする。だが一瞬早く、閃光のような打突が上井出の喉に決まっていた。苦悶の呻きとともにのけぞる上井出の首を、そのまま掴んで放り投げる。
「作り方は簡単。まず、一人の眼鏡っ子を用意します」
「鞍馬くん!」
玖恩さんが覚束ない足取りで、倒れている上井出に駆け寄ろうとする。
夜夢瑠々が彼女に近づく。
――まずい。
「待て夜夢!」
僕は地面を蹴った。一秒もあれば届く距離だ。
だが夜夢瑠々には一秒も必要なかった。僕が二歩目を踏み出そうとしたその時。上井出が立ち上がろうと上体を起こしたその時。
ごきり――と。
華奢な玖恩さんの胴体から、何かが壊れる嫌な音がした。
「次にその眼鏡っ子を潰します。以上、完成」
時が止まった。
そんな錯覚を抱いてしまうのは、僕と上井出が同時に動きを止めたからだろう。その中で唯一、スローモーションで崩れ落ちる玖恩千里だけが、まるで映画のワンカットのように動きを伴っていた。
横たわった玖恩さんの身体は、小刻みに痙攣した後、少しずつ動きを失っていった。
上井出はそれを無表情で見つめていた。
「何を呆けているんだい上井出くん。彼女の尊い犠牲を無駄にしちゃいけない。さあ今こそ立ち上がれ! 彼女の仇を取るんだよ!」
そんな神経を逆なでするような言葉にも無反応で、動かない玖恩さんを見つめていた。
「おや、心が折れてしまったかな。期待外れだね。仕方ない、この身体の火照りは君たちに抑えてもらうとしよう――」
そう言って夜夢瑠々が僕と伴動さんの方へ身体を向けた、次の瞬間。
僕だけがその気配を感じ取った次の瞬間。
音もなく、夜夢瑠々の右腕が消失した。
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