013 僕らが殺したその想い

「何っ――!」

 夜夢瑠々が距離を取って攻撃者に向き直る。そこに立っていたのはもちろん上井出だった。

 次に己の右腕を見る。

 肘から下がざっくりと削り取られていた。夥しい量の血を噴き出している傷口は、スプーンですくい取ったアイスクリームのように滑らかな断面をしている。何より奇妙なのは、分断されたはずの腕がどこにも見当たらないことだった。

「グるアァッ!」

 次の攻撃を見舞おうと上井出が飛び出す。大振りのスイングで、引っ掻くような軌道の攻撃。夜夢瑠々には到底届かない間合いだった。

 だが直後、ボヒュッ、という空気の抜けるような音とともに、地面が抉れた。

 廊下で見つけた地面の抉れ方と同じ形状――だが、サイズが違う。直径一メートルほどに渡って、深さ五センチもの穴ができていた。

 戦慄を覚えつつも、僕は自分の予感が正しかったのだと認識する。

 やはり上井出鞍馬は、二種類の能力を持っていたのだ。

「あははははっ、私の見込んだ通りだ! これが君の本当の能力だったんだね!」

 逃げるように距離を取りながら、右腕のことなどまるで意にも介していないという風に歓呼の声を上げる。

 上井出鞍馬は二重人格である。それが僕の導き出した仮説だった。

 ヘテロ・チャイルドの能力は、肉体の宿主である人格の影響を受ける。だから宿主が複数の人格を有していた場合、それぞれの人格に応じた能力が開花するという可能性は充分にあると考えた。

 玖恩さんが傷つけられると上井出は人が変わったようにキレる。それを〝人格が変わった〟のだと捉えるならば。

 助けを求める人のところへ駆けつけたいという上井出の内なる願いから『瞬間移動』の能力が発現した。その一方で、守護対象である玖恩千里が傷つけられた時、自我を失うほど怒り狂った上井出が使う力とは――

「君の能力の本質は恐らく、物質を素粒子レベルの部品として認識し干渉することだ。『瞬間移動』が自身の身体を分解して再構築しているのだとすれば、今の君が使っている力はもっとシンプルだ。攻撃対象を分解して、再構築しない。対象物は文字通り塵となって消える」

 夜夢は、上井出の攻撃をかわしながらも興奮気味に喋り続けていた。上井出が腕を振るう度に床や壁が無惨にくり抜かれていく。

「能力の強度としては私や華雅くんなど比較にならないよ。震えるね……だがしかし、それが付け込む隙となる」

 その言葉で僕は確信した。夜夢瑠々が何故ここまで『意識誘導』を使おうとしなかったのか。この展開を予想していたのだ。

「皆祝福したまえ、無敵のダークヒーローの誕生だ!」

 夜夢瑠々が上井出と視線を合わせた。

 最後の『意識誘導』が発動し――上井出の動きが止まった。

 ゆらりと僕たちの方を振り向く。涙と涎で顔がぐちゃぐちゃだった。次の瞬間にはこちらに向かってくるだろう。逃げ切るのは不可能だ。

 僕は伴動さんを見た。伴動さんも僕を見ていた。

 上井出がじり、とこちらににじり寄る。

「礼を言うよカガミン。私を追い詰めてくれてありがとう。お陰で本当に楽しい一日だった。せっかく仲良くなれたのに残念だけど、君と私はどのみちこうなる運命だったんだろう。最期に、何か言い残すことはあるかい?」

 余裕の勝ち名乗りをあげる。

 確かに、この時点で勝負は決していた。チェックメイト。ここから打ち筋を誤ることはあり得ない。

 ――だが。

「夜夢さん、君はさっき言っていたよな。勝ちも負けもどうでもいいって」

「うん? ああ、そうさ。愉しければそれでいい。言い換えれば、愉しい敗北は私にとっては勝利だ。残念ながらそうはならなかったけれど。それがどうかしたかい?」

「同感だよ。勝っても負けても、僕は全然楽しくない……でも、君と僕は違う。結果が同じだとしても、失ったものが戻ってくるわけじゃないにしても、それでも僕は負けるわけにはいかないんだ」

 一瞬、夜夢瑠々は沈黙した。僕の言葉の意味を推し量っているようだった。

「まだ諦めてないのかい? 君こそ往生際が――」

「負けるのはお前だよ、夜夢瑠々!」

 僕と伴動さんが、正真正銘最後の一本、三本目の注射器を取り出したのは、ほぼ同時だった。

「上井出くん、殺れ!」

 さながら訓練された軍用犬のように上井出が飛び込んできた。


「〝止まりなさい〟!」


 上井出が、再び停止した。

 一度やったことを二度も繰り返すのは馬鹿のやることだ。言い換えると、一度やったことなら馬鹿でも繰り返せる。

「戻って来い、上井出!」

 二度目の精神干渉――上井出の心と自分の心にバイパスを繋ぐ。上井出の感情が僕の頭に流れ込んでくる。

「がああああああーっ!!」

 絶叫が響く。上井出の頭の中では今、夜夢瑠々と僕からの干渉を同時に受け、意識の主導権争いが起きているはずだ。自我が翻弄されるのは狂おしいほどの苦痛だろう。

 ともすれば飲み込まれてしまいそうな強烈な殺意だ。油断すればこちらが持っていかれる。この戦いを制するには、誰より強い想いをぶつける必要があった。

 だから僕は、ここまで抑えていた感情を解放した。


 ありったけの想いで、一人の女の子の顔を思い浮かべた。

 僕が大好きだった女の子の、涙に濡れた笑顔を。


「「あああああああああ!!!」」


 僕と上井出の咆哮が重なる。

 感情が逆流し、上井出の中に流れ込んでいくのがわかる。二つの相反する感情が上井出の中でぶつかり合い、太陽フレアのように爆発を繰り返す。

 やがて、まったく別の感情が上井出の中で萌芽した。


『……チサト』

 僕の叫びに呼応するように。

『チサトダケガ、オレノ……』

『俺ヲ、ヒツヨウトシテクレタ』

『傷ツケルヤツハ許サナイ』

『……失イタクナイ』

『嫌ダ』

『ダレか……』

『誰か、助けてくれ……』


 それは、ヒーローなんかよりもよっぽど上井出らしい感情で。

 僕は安心して、『精神感応』を解いた。

「あああっ――」

 上井出は、一度だけ痙攣するように体を震わせた後、二歩三歩とたどたどしい足取りで歩いて、玖恩さんの上に覆いかぶさるように崩れ落ちた。

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