011 エンドゲーム・スタディ
全員の視線が夜夢の左目に集中する。
「君のその怪我は、自分が襲われたことを演出するためだけじゃない、もうひとつの重要な意味があった。能力使用の副作用、左目のオッドアイを隠すことだ」
夜夢瑠々の瞳が――左手で押さえていて見えない左目さえもが、怪しく光ったような気がした。
沈黙。
とても短い間ではあったが、これまで存分に饒舌を振るってきた彼女が、初めて沈黙した。
「もう血は止まっているようだし、問題ないだろう? あるいは注射器でもいい。君が力を使っていないのならまだ二本が未使用で残っているはずだ。左目か、持っている注射器を出して見せてくれ」
「……ひどいことを言うね、カガミン。この怪我は君が言うほど浅くないよ。とても痛むし、血がこびりついてとても開けられない。注射器はどうせ使わないと思って捨ててしまったよ。奪われるくらいならない方がマシだからね」
時間稼ぎだ。副作用が治まるのを待っているのか。
「嘘だよ!」
玖恩さんが叫んだ。見ると、その首に注射器を刺していた。
「制服の上着内ポケットに注射器がある! 捨てたなんて嘘だよ!」
『透視』――物体を透過して視ることのできる彼女の能力。使いどころがないと思われていたその能力が、この土壇場で夜夢瑠々の噓を暴いた。
「だってさ。嘘をついたってことは自白したも同然だ。大人しくそれを渡すんだ」
「おっと、それ以上近づかないでくれ」
僕が歩み寄ろうとすると、夜夢瑠々は右手をこちらに向けてきた。
「君はどうしても私を犯人にしたいようだからね、警戒して嘘もつこうってものさ。こうなってしまっては君たちとの共闘も協調もお終いだな。私はこれから自身の潔白を証明するために単独で動かせてもらうとするよ。どうせ今日一日が終わるまではここを動けないんだ、それくらいの猶予をくれてもいいだろう?」
「いいわけないだろう。いいから薬を渡すんだ。往生際が悪いぜ」
得意の弁舌を使って煙に巻こうとしているのは明らかだったが、彼女に迂闊に近寄ることは躊躇われた。今の彼女からはキレた上井出以上の重圧を感じる。
しかしその時、意外なことが起こった。
左目に添えられていた夜夢瑠々の左手が、突然、弾けるように振り上げられたのだ。
「……あたしはよー、夜夢っち」
低い、感情を押し殺したような天照さんの声。
「いっぺん受け入れちまったんだよ。あいつが死んだのは仕方のねーことだって、受け入れたんだ。あたしの中であいつは人殺しとして死んだんだよ。あたしはそれを止められなかったんだって。でもよ、それが全部てめーの差し金で、あいつに望まねー人殺しをさせた挙句に死なせたってんなら……絶対に許せねーよ。人の命を弄びやがって」
「『念動力』か……これは思った以上に……」
もがくが、夜夢瑠々の左腕は空中に張り付けられたように動かない。
天照さんが前にかざした右手の指を動かす。すると、夜夢瑠々の閉じられた左瞼が、こじ開けられるように開かれ――
現れた瞳は、真紅の血の中で鮮やかな青色に輝いていた。
「殺されたって文句は言えねーよなぁ!」
手を引き抜くように振る。
次の瞬間、夜夢瑠々の左眼球が、鮮血とともに眼窩を飛び出し宙を舞った。
「きゃあーっ!」
玖恩さんの悲鳴が響く。
「おらぁ!」
続けて天照さんが拳を握ると、左眼球は空中でぱちんと音を立てて潰れた。
予想外の展開だった。天照さんは『念動力』を人に対して使うことを自分で禁じていると言っていた。華雅梨音の仇を前に、その誓いを破ったのか。
『念動力』の効果が切れたのか、ぴんと伸びていた夜夢瑠々の左手が、糸の切れたあやつり人形のようにがくりと降ろされた。
「もう言い逃れはできねーぜ。覚悟しろよてめー!」
「待つんだ、天照さん!」
夜夢瑠々に近づこうと車椅子を動かした天照さんを、僕は制止する。
先ごろから不審に思っていることがあった……薬の残り本数だ。
この異常事態に巻き込まれた時点から、薬の数こそが僕らの生命線だった。一人三本という制約の存在が互いに牽制となっていたし、だからこそ上井出は外へ出るために決死の覚悟を決める必要があったのだ。
では、夜夢瑠々は現在、残り何本を所有しているのか?
華雅を操って二本。美來の薬を奪って三本。再び華雅に意識誘導をかけて二本。さっき上井出を操って、残り一本。
まだ一発、弾を残しているはずなのだ。
だから僕はずっと注意深く彼女の挙動を観察していたのだが、これだけ追い詰められてなお、夜夢瑠々にそれを使おうという気配が感じられない。
「止めんじゃねー各務! あいつが何かしようとしたらあたしが止めてやる!」
「いや、少し待ってくれ。玖恩さん。まだ『透視』は使えるか?」
夜夢瑠々から目を離さないまま、玖恩さんに声を掛ける。
「えっ。う、うん。まだ見えてるよ」
「じゃあ夜夢さんの持ってる注射器を透視してくれ。何本ある?」
「えっと……三本見えるよ」
「じゃあその三本のうち、何本が使用済みかわかるか?」
玖恩さんは不思議そうに瞬きをしてからコクコクと頷き、夜夢瑠々にその目を向けた。
「ええと、三つとも空みたい。あ、あれ? でもそれって……」
やはりか。
華雅が暴走した時、華雅は予め二本分の薬を自分に打っていた。縛られて監禁されてからも自分に火を放てたのはきっとそのためだろう。
二本同時に注射すれば能力が二回使えるなんて、そんな使い方ができるとは僕は知らなかった。だが夜夢瑠々は華雅で実験をし、複数回分の事前投与は有効であるとの確証を得た。
ならば、全員を集めて殺戮ショーを演じるつもりだった夜夢瑠々が、この場面でそれを実行していないはずがなかったのだ。
注射を打とうとした瞬間を取り押さえればいいと考えていた自分に腹が立つ。
「うふっ」
夜夢瑠々が噴き出した。
「あはっ、はははっ、あはははっ、はははははっ」
天を仰いで哄笑していた。
その顔をこちらに向ける。最初からそこには何もなかったかのように、空洞となった眼窩が開いていた。流れ出る血で顔の半分が赤く染まっていた。
「ああ可笑しい、傑作だ! カガミン、君は本当に素晴らしいエンターテイナーだよ。君がいなかったらこんな劇的な展開は迎えられなかった。君のおかげさ!」
「なんだって……?」
「君は最初から私に対して警戒心を持っていたね。私の一挙一動に目を光らせて、この混沌に秩序をもたらそうとしていた。もし全員がバラバラになって自室にこもっていたら、それはそれは味気のないラストシーンを迎えていたはずだよ。私の思惑通りに君が動いてくれたおかげで本当に愉しめた。礼を言うよ」
そんなことを言って、左眼から流れる血を蛇のように長い舌で舐め上げる。
「挑発が安いぜ。君がまだ一回分残してるとして、それで僕ら全員に勝てるつもりなのか?」
「勝つとか負けるとかはどうでもいいのさ。私は快楽主義者だからね、この瞬間さえ愉しめればそれでいい。だけれどね、その質問はそのままお返しするよ。確かに私には残り一回分しか残ってないが、君たちはその一回すらない。それで私に勝てるつもりなのかい?」
彼女の言う通りだった。
僕と伴動さんは、華雅と上井出に使用して残数ゼロ。天照さんは、車椅子と夜夢瑠々に使用して残数ゼロ。玖恩さんは、上井出への譲渡と夜夢瑠々への使用で残数ゼロ。上井出は、外への往復と先ほどの襲撃で使用し残数ゼロ。
つまり、夜夢瑠々以外のメンバーはもう能力を使用できないということだ。
「全員で一斉にかかってくるといい。私が『意識誘導』をかけるのとどちらが早いか勝負しようじゃないか。そうだな、この中で操るならやっぱりカガミンかな? あとは気の短い車椅子ちゃんと他人任せなお姫様と気絶してる英雄気取り、それに影の薄いツンデレちゃんだけだからね。行方不明の吾棟くんもカガミンには弱そうだし。ああでも、玖恩ちゃんを盾に取るってのもアリかな」
ガシュッ、と。
金属の擦れるような音と同時に、天照さんの姿が消えた――否、移動した。
車椅子ではあり得ないスピードで、初速から最大速度で、夜夢瑠々に向かって。そのまま突っ込んだとしても常人なら反応すらできないレベルの急襲だったが、衝突の直前で車椅子を急転回し、夜夢瑠々の背後を取った。
「調子に乗ってんじゃねーぞコラァ!」
回転の勢いを乗せたまま拳を繰り出す。目にも止まらぬ早業だった。
が……命中はしなかった。
夜夢瑠々の長い脚が、一瞬速く天照さんの胸部に突き刺さったのだ。
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