010 最終舌戦

 夜夢瑠々は笑いをかみ殺していた。

「うん。なるほどなるほど、面白くなってきた。いや違うな。えーんえーん、私が犯人だなんてひどいよう……こっちの方が正しいかな? つまりカガミン、私の『魅了』で華雅くんと上井出くんを殺人者に仕立て上げたと、そう言いたいんだね? 二人を盲目な恋の奴隷と化して、人殺しさえ厭わない傀儡として操ったのだと。なるほど確かに、二人が玖恩さんでなく私に言われるがままに凶刃を振るったのだとすれば、同じ理由で真犯人は私だと言えるよね」

 まるでこの状況までも愉しんでいるように。

「でも残念だけど、それは無理があるんじゃないのかな。『魅了』には人を殺害せしめるほどの強制力はない。それにいくらお願いされたからといって、魅了された女の子の顔を切りつけたりするかな? 華雅くんにしたって、暴走する前の私とのやり取りを見ていた君なら、彼の『魅了』がすでに解けていたことはわかるだろう?」

 顔の左半分が血に染まっているせいもあるだろうが、彼女の笑顔にグロテスクとすら言える異様さを感じて、僕は寒気を感じた。たとえ『精神感応』の効果がまだ続いていたとしても、僕は彼女に対して能力を使うことを躊躇しただろう。

「僕もそう思っていたよ。しかも自分が『魅了』にかかっているとわかっていたら尚更、人を殺したり自殺なんてする気にはなれないだろうとね」

「じゃあ、今はどう思っているんだい?」

「君は『魅了』の能力者じゃない」

 その答えを待ち詫びていたかのように、夜夢瑠々の顔がほころんだ。

 能力偽装の可能性。伴動さんと示し合わせて能力を偽装していた僕だからこそ、もっと早くに気付かなければいけなかった。

「夜夢っちが嘘ついてたってことか? でも、リストにも『魅了』って書いてあったし、実際に全員で確認したじゃねーか。リオンは確かに魅了にかかってただろ。もごもごして照れまくってたじゃねーか」

「考えてみればすぐにわかるよ。あのリストの中で、偽れる可能性があるのはどの能力か? 消去法でいこうか。華雅と上井出の能力は疑う余地がない。君の『念動力』も二度実演済みだ。玖恩さんの『透視』も、夜夢さんのジェスチャーを見事に全問正解したから疑う余地はない」

 二人が組んでいた場合は別だが、この際その可能性は捨ておく。

「てことは、残りは……夜夢っちの『魅了』と、吾棟の『残留思念』か?」

「いや、もうひとつある」

「もしかして……」

 玖恩さんが声を上げる。

「木花さんの『意識誘導』?」

「その通り」

 披露されることもなく忘れられていた、僕がもっとも怖れていた能力。

「夜夢さんが能力を披露したのは最後だった。つまり彼女だけは、自分の能力を披露する前に、美來が『魅了』の能力者だと知ることができたんだ。そして思いついた。『意識誘導』と『魅了』がとてもよく似ていることに」

 相手を虜にして篭絡する『魅了』。

 相手を思うがままに操る『意識誘導』。

 対象を支配下に置くという意味では近いが、しかし強制力という点においては恐らく『意識誘導』が圧倒的に強い。きっと殺人も、自殺すら強制できるのだろう。

 夜夢瑠々はこの偶然を利用することにした。弱い『魅了』の能力者を演じることで容疑者から外れるとともに、自身も狙われる側だと信じ込ませて僕たちの警戒心をかいくぐり、その裏で他の人間を操って犯行を続けるという悪魔的な企みを描いた。

 道理で似合わないと思ったんだ。

 美來が『意識誘導』の能力者なんて、笑ってしまうほどミスマッチだ。

「順序としてはこうだろう。朝、美來と華雅を部屋に招き入れて雑談をした時に華雅に意識誘導をかけた。次に何らかの理由をつけて美來を空き部屋に誘い込み、中から鍵を掛けさせた上で、華雅に部屋の外から美來を攻撃させた。そして美來の能力が『魅了』だったと知り、自分が『魅了』のふりをして華雅に対して二度目の意識誘導をかけた。内容はこんな感じだろう――〝魅了にかかった演技をしろ〟〝自分が合図を送ったらそいつを攻撃しろ〟……〝失敗したら自殺しろ〟」

 単独行動をしていた華雅と話をした時、後から現れた夜夢さんは、さりげなく僕の肩を叩いた。きっとあれが殺しの合図だったのだろう。

 上井出の時は、玖恩さんを指して「犯人は君だ」と言った、あれが合図だった。全員の意識を逸らしつつ暗殺を実行する作戦だったのだ。

 これほど複雑な命令を下せるなんて反則もいいところだが、そこまで出来ると考えなければ辻褄が合わない。

「夜夢さん、君が『意識誘導』の能力者だったんだ」

 夜夢瑠々は否定も肯定もせず、嬉しそうに僕の推理を聞いていた。

「本当はもっと華雅を利用するつもりだったんだろ? あれだけの威力の能力なら、それだけで皆殺しにすることだって可能だった。でも華雅は僕と伴動さんを殺すのに失敗して自殺した。それで次に、次いで殺傷力の高い上井出を操ることにした。事件が終わって油断している玖恩さんと上井出を呼び出し、玖恩さんに他のメンバーを呼びに行かせている間に上井出に『意識誘導』をかけ、身を隠させて、僕が来たら襲いかかるように仕向けたんだ。その上で自分の左目に傷をつけて、被害者を装った」

「ちょっと待って各務くん。失敗したら自殺って、もしかして鞍馬くんも……」

「大丈夫だよ玖恩さん。さっき『精神感応』で上井出の意識は解放したから、もう『意識誘導』の干渉は受けていないはずだ」

 もしも『金縛り』で動きを止めただけだったら、解けた瞬間に上井出は自ら命を絶っただろう。このカラクリに気付いた時、僕の『精神感応』は犯人の噓を暴くためではなく、『意識誘導』の洗脳を解くために使うと決めた。

「それじゃ君は、罠だとわかった上で、あえてここへ来たっていうのかい? 君以外が襲われた可能性だってあるだろうに」

「確かに賭けではあったけど、アンブッシュにはデコイが有効だからね。それに君ならきっと次に僕を狙うと思ってた。僕は臆病者だから、人の考えてることを読むのは得意なんだよ。能力とは関係なしにね」

 あはっ、と夜夢瑠々が笑う。

「でもカガミン、君が言っていることはいまだ憶測の域を出ていない。玖恩さんが裏で二人を操っていたという可能性を否定するには足りないよ」

 その通り。だから僕はカズに助けを求めた。

「カズの『残留思念』で、こいつを見てもらった」

 僕は〝それ〟を取り出して皆が見えるように掲げた。

「へえ……なるほど」

 娯楽室のビリヤード、九番のボール。

「君のことだから、カズの能力を警戒して自分の痕跡を残さないようにしていたはずだ。実際、死体は身に着けていた物ごと燃えてしまって『残留思念』は使えなかった。でも君が唯一ミスを犯したのがこのボールだ。君は『意識誘導』にかかった瞬間の華雅にこいつを持たせてしまった」

 実際、あの行為には何の意味もなかったのだろう。ただの演出。彼女の性癖。それだけだ。

「結果は予想通りだった。華雅はあの時、君に対して親愛の情など欠片も抱いていなかった。むしろその逆だ。混乱と、恐怖にも似た君への忠誠だけだった」

 華雅は、もしかしたら最初に操られた時からずっとそんな精神状態だったのかもしれない。自分が人を殺した理由もわからぬまま、一人怯えていたのかもしれない。

 もっと早くに気付けていたら、救えていたのだろうか。

「それが根拠だとしたらまだ甘いよ。そんな証言はいくらでもねつ造できる。君はお友達の吾棟くんも巻き込んで、私を犯人に仕立て上げようとしているんだ。こんな安っぽい、それこそ追い詰められた犯人のような台詞を吐きたくはないのだけど――証拠はあるのかい? 私が黒幕であることを裏付ける証拠は」

 もちろんある。だが……本当にいいのかと、ここに来る前に何度も繰り返した自問が再び頭をもたげる。

 僕はまだ、この夜夢瑠々という人物について何ひとつ理解できていない。

 意志も目的もなく、一貫して一貫性がなく、ただひたすらに破綻している。

 このまま夜夢瑠々を追い詰めてしまっていいのだろうか。

 それは闇の深淵を覗くような、触れてはいけない禁忌に触れるような、とても危険な行為なのではなかろうか。

 僕は負けずにいられるだろうか。夜夢瑠々という規格外の存在に押し負けることなく、自分を保っていられるだろうか。

 そんな風に躊躇していると――

「大丈夫よ、各務くん」

 背後から声がして我に返る。それは、何も差し出せない僕にここまでついて来てくれた相棒の声だった。華雅の炎から、上井出の刃から僕を守ってくれた相棒の声だった。

「貴方なら大丈夫」

「伴動さん」

「大丈夫よ。大丈夫なんだからね」

「……一応聞いておきたいんだけど、どの辺が大丈夫なのかな?」

「死は決して恐ろしいものではないわ。無為自然に身を委ねるのよ」

「怪しい宗教のセミナーかよ。僕が死ぬ前提じゃねえか」

「大丈夫、とにかく大丈夫。大丈夫大丈夫大丈大夫大状夫大丈夫犬丈夫丈大」

「ゲシュタルト崩壊気味に意識誘導をかけてくるんじゃない!」

 根拠がないのがバレバレだった。

「だまらっしゃい。この私が後ろに控えているのだから、もっと堂々としていたらどうなのかしら。見くびらないでほしいのだけど、こんなメンヘラ女を止めるくらいわけもないわ。蛇の道は蛇というやつよ」

「自覚があったのかよ」

 ここにきてシリアスな雰囲気をぶち壊してくるとは思わなかったが――僕はようやく、彼女から投げかけられた三つ目の問いに対する答えを得た。

 どうして彼女のことを無条件に信頼したのか。

 誰にも言えない過去を背負い、他人と距離を取り、未来に背を向けながら、僕に毒を吐きながら、それでも力強く傍らに立って背中を押してくれる彼女は、僕が一番信頼している友人とそっくりだったから。

 おかげで目が覚めた。

 僕は、最終局面の扉を開くその言葉を淡々と告げた。

「夜夢さん、左目を開けて見せてくれ。それが君が犯人である動かぬ証拠だ」

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