007 敗北のファンファーレ
玖恩さんの言う通りなら、夜夢さんと上井出が卓について待っているはずだったが、扉を開けた時、食堂には誰の姿も見当たらない、ように見えた。
しかしすぐに発見した。夜夢さんが、床にうつ伏せで倒れているのを。
「夜夢さん! 大丈夫か!」
急いで助け起こす。左瞼の上に切り傷があり、流血していた。意識を失っているのか目を閉じているが、息はあるようだ。
その時、食堂の扉が開いた。
「おわっ、なんだこりゃ!」
「よ、夜夢さん!?」
現れたのは天照さんと玖恩さんの二人だった。
倒れているのが夜夢さんで、それを見つけたのが僕と伴動さんで、カズは部屋に残っていて、玖恩さんは天照さんを伴って来た。
意味するところはひとつだった。
夜夢さんが生きていることを知って二人ともひとまず安心したようだったが、「上井出は?」「鞍馬くんは?」同時に気付いて、同時に声を上げた。
「わからない。君が僕たちを呼びに来る間も確かにここに居たんだよな?」
「うん、そのはずだけど……」
僕と伴動さんは警戒態勢に入った。注意深く周囲に目を配る。
残された能力者の中で、たとえば誰かを攻撃したい場合――それもひっそりと、確実に相手の命を奪いたいと考えた場合にもっとも有用なのは、上井出鞍馬の『瞬間移動』だ。
純粋な破壊力なら天照さんの『念動力』に軍配が上がるだろうが、確実に対象を仕留めるという点では絶対に『瞬間移動』だ。音もなく一瞬で相手の背後を取れる能力は圧倒的に暗殺に適している。夜夢さんを傷つけたのが刃物によるものだとすれば尚更危険だ。移動してきた一瞬にその存在を察知できなければ勝ち目はない。
破る方法はただひとつ――『金縛り』で動きを封じること。
チャンスは上井出が姿を見せたその一瞬のみ。
しかし、もしも相手方の思考がそこまで及んでいたとしたら、『金縛り』の能力者を最初に消そうとするだろう。
伴動さんに目配せをすると、伴動さんは小さく頷き、そっと注射器を左腕に刺した。僕も同様にする。『精神感応』の範囲内ならば攻撃の意志を直前に察知できるかもしれない。これも事前に打ち合わせた通りだった。
「まさか上井出が夜夢っちをやったのか!?」
「そんなわけないよ!」
食堂が混乱の渦に飲み込まれたその時だった。
夜夢さんが、ゆっくりと身を起こした。
「夜夢っち、まだ起き上がんじゃねー! あぶねーぞ!」
天照さんが制止するのも構わず、左手で傷を抑えながらゆらりと立ち上がる。
全員の視線が集まる――騒がしかった空間が不穏な静寂に包まれた。
夜夢さんはスローモーションのようにゆっくりと右腕を上げ、人差し指を伸ばした。
「犯人は君だ」
彼女の指は僕の背後を指し示していた。その指の動線上を追う……
そこに立っているのは、玖恩千里だった。
「おい夜夢っち、何言って――」
天照さんが怪訝そうに口を開いた、次の瞬間だった。
〝殺意〟が出現した。
つい先ほど、華雅が全身から発していたのと同じ殺意の塊が、全員の注意が逸れたまさにそのタイミングで、虚を突くかのように、音もなく、僕の背後に現れた。
同時に、恐らくは夜夢さんを切りつけたのと同じ凶器が、僕の右首筋に向かって突き立てられる気配を感じた。
これから能力を使っても、もう絶対に間に合わない。
完璧な奇襲だった。攻撃者の完璧な勝利で、僕たちの明らかな敗北だった。
そして――だからこそ、僕たちの勝利だった。
「〝止まりなさい〟」
伴動さんの声で、背後の人物の気配が停止した。
すかさず僕は背後の上井出の腕を取って、背負い投げの要領で投げる。上井出の長躯が派手な音を立ててテーブルの上に叩きつけられ、その手から先の尖った凶器――割れた注射器がこぼれ落ちた。
「鞍馬くん!」
「近寄るな!」
駆け寄ろうとする玖恩さんを制止して、僕は仰向けに転がっている上井出に意識を集中させる。
「あっ、があああああ……」
苦悶の声が響く。指一本動かせないまま、上井出の瞳だけが上下左右と跳ね回っていた。
「鞍馬くん!」
それまで我慢していた玖恩さんが、ついに上井出に駆け寄った。
「大丈夫、鞍馬くん!? 鞍馬くん!」
何度も名前を呼ぶ。その声に呼応するかのように、上井出の顔から険が徐々に消えていき……やがてその目から意識の光が消えた。
「――もう大丈夫」
伴動さんが能力を解除すると、上井出の身体が硬直から解け、玖恩さんの腕の中で崩れ落ちた。
僕は大きく安堵の溜息を吐いた。
「伴動さん、お疲れ様」
「帰りに一杯おごってもらえればそれでいいわ」
冗談めかして言うが、本当に祝杯でもあげたいところだ……が、まだ終わったわけじゃない。
「おい各務、どういうことが説明しやがれ!」
天照さんが車椅子から身を乗り出す勢いで詰め寄ってくる。
「私からも説明をお願いしたいね」
よろよろと覚束ない足取りの夜夢さんが、怪我をしている左目を押さえながら言った。
「私がまず訊きたいのは君たちのことだよ。カガミン、伴動さん」
そう言ってまっすぐに僕たちを指さす。
「君たち二人は、我々を騙していたのかい?」
血まみれのその顔と不釣り合いの微笑をたたえたまま。
「どうなんだい。『精神感応』の各務想介くん、『金縛り』の伴動奏子さん」
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